聖書の探求(074b) レビ記 5章 罪のためのいけにえ(2)

この章も4章からの「罪のためのいけにえ」の続きです。

1~13節、不法行為による罪の贖い

まず、1~4節に四つの罪が記されています。

1、1節、証人として証言を求められた時に、証言しないこと

レビ 5:1 人が罪を犯す場合、すなわち、証言しなければのろわれるという声を聞きながら──彼がそれを見ているとか、知っている証人であるのに──、そのことについて証言しないなら、その人は罪の咎を負わなければならない。

正しい証言をしなければ、他人に害を与えることになります。特に、クリスチャンは自分の救い主である主イエス・キリストをあかししないことによって罪を得ることになります。聖徒ジョン・フレッチャーはあかしをしなかったために、七度も恵みを失ったと言われています。ペテロとヨハネは迫害を受けた時、「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒4:20)と言いました。

また、パウロは「もし福書を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。」(コリント第一9:16)と言いました。

2、2節、死体に触れること

レビ 5:2 あるいは人が、汚れた獣の死体でも、汚れた家畜の死体でも、汚れた群生するものの死体でも、すべて汚れたものに触れ、汚れてはいたのに、そのことが彼の目から隠れ、後で咎を覚える場合、

3、3節、人の汚れに触れること

レビ 5:3 あるいは人が、触れれば汚れると言われる人のどんな汚れにも触れ、そのことを知ってはいたが、それが彼の目から隠れ、後で咎を覚える場合

この二つは、ヘブル人の儀式的汚れに関することです。しかもここでは、触れたことに気づかず、きよめの儀式を怠っている場合です。私たちは未信者時代に罪だと知らないで犯していた罪が沢山あります。またクリスチャンになってからでも、この世と接触しているうちに、知らず知らずに、価値観や考え方、生き方が、この世の影響を受けていることがあります。それらに対してもキリストの血による贖(あがな)いが必要です。こういうこの世からの影響を避けるために、私たちは毎日、定期的にディポーションの時をもって、聖霊にさぐっていただき、新にキリストの血を注いでいただく必要があるのです。

4、4節、軽々しい誓いについて

レビ 5:4 あるいは人が口で軽々しく、害になることでも益になることでも誓う場合、その人が軽々しく誓ったことがどんなことであれ、そのことを知ってはいたのに彼の目から隠れ、後でそれらの一つについて咎を覚える場合、

昨今、軽々しく契約したために、大変な問題を起こしている大勢の人がいます。慎重でない、性急な行いは、必ず問題をひき起こします。

悪いことの誓いなら、それを行わなくても、誓うだけで罪になります。人が悪い誓いをしようとするなら、必ず良心が苛責を覚えるはずです。この神の第二の律法である良心の苛責を無視して誓うことは罪になります。他方、良いことの誓いでも、誓ったあとで、それを実行しないなら、それは罪となります。主イエスも軽々しく誓うことを禁じておられます(マタイ5:33~37)。

マタ 5:33 さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:34 しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。
5:35 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。
5:36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。
5:37 だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。

5節、これらの罪に対して、「告白」することが命じられています。

レビ 5:5 これらの一つについて咎を覚えるときは、犯した罪を告白しなさい。

主の罪の赦しを受けるためには、まず、正直な罪の告白が求められています。「告白」とは、謝罪ではありません。罪の事実をありのままに認めて、それを神の前に言い表すことです(ヨハネ第一1:9)。

Ⅰヨハ 1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

告白は、言い訳けをすることでも、弁解をすることでも、お詫びをいうことでもありません。神の前に正直に言い表すことです(勿論、他人に害を与えた場合は、お詫びや弁償が必要になります。しかし、お詫びと弁償をしただけでは、神の赦しを受けることはできません。)。

その次に、罪の赦しに必要なものは、罪のためのいけにえです。ここには、ささげる人の能力に応じて三段階に分けられています。
1、6節、まず、雌の子羊か、やぎ一頭

レビ 5:6 自分が犯した罪のために、償いとして、羊の群れの子羊でも、やぎでも、雌一頭を、【主】のもとに連れて来て、罪のためのいけにえとしなさい。祭司はその人のために、その人の罪の贖いをしなさい。

2、7節、もしそれができない人は、山鳩二羽か、家鳩のひな二羽。

レビ 5:7 しかし、もし彼に羊を買う余裕がなければ、自分が犯した罪の償いとして、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽を【主】のところに持って来なさい。一羽は罪のためのいけにえ、他の一羽は全焼のいけにえとする。

この場合、一羽は罪のためのいけにえとし、もう一羽は全焼のいけにえにされています。一羽は祭司の取り分となり、もう一羽は完全に神の取り分とされるためです。鳩には脂肪が少ないので、そうしたのでしょう。また、首をひねり裂いて血を注ぎ、切り離してはならないとされています。これも鳩は羊ややぎに比べて血が少なかったからではないかと思われます。

3、11節、もっと貧しい人には、十分の一エパ(2.3リットル)の小麦粉で、罪のためのいけにえに代えることが許されています。

レビ 5:11 もしその人が山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽さえも手に入れることができなければ、その犯した罪のためのささげ物として、十分の一エパの小麦粉を罪のためのいけにえとして持って来なさい。その人はその上に油を加えたり、その上に乳香を添えたりしてはならない。これは罪のためのいけにえであるから。

この小麦粉のいけにえは、通常の素祭とは異なっていますから、油と乳香を添えることが禁じられています。また、ひとつかみを主の分として全焼にし、残りは祭司に与えられています。

神はなぜ、こんなにまでして、いけにえをささげさせたのかというなら、罪の贖(あがな)いをしないでは、人は正しく生きていけないことを教えるためです。それ故、旧約時代であっても、すべての人が、罪の贖いを受けることができるようにと、主はその方法を備えられたのです。しかし今は、イエス・キリストの十字架がありますから、すべての人はキリストを信じるだけで贖いの恵みに与かることができるのです。

ここで強調されたことは、何だったでしょうか。それは、罪に対しては、お詫びだけでは赦されないこと。必ず、罪の告白と、罪のためのいけにえが必要であることです。それは今日、罪の告白のいのり(罪の告白は主に対してするものであって、人に対してするものではありませんから、必ずしも、牧師やカウンセラーの前でしなければならないものではありません。神と一対一で告白の祈りをして結構です。しかしどうしても牧師やカウンセラーの助けを借りたいという人は、一緒に祈っていただいても結構です。ただし、なかには公に告白しなければならない罪もありますので、個々については、牧師の指導を受けてください。)と、イエス・キリストの十字架が自分の罪のためであることを信じることです。

「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(ヘブル9:22)という原則を、ここでは明確に強調しています。そしてそれは、イエス・キリストにおいて、すべての人に可能になっているのです。

いつの時代も、この世の人々は、自分の才能、自分の能力、自分の努力、自分の行い、あるいは功績、富、快楽などによって救いを得ようとしています。しかし、クリスチャンはそういう生き方に迷わされないで、はっきりと、イエス・キリストの血による救いを確信して、あかししたいものです。

14~19節、罪過のためのいけにえ

レビ 5:14 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
5:15 「人が不実なことを行い、あやまって【主】の聖なるものに対して罪を犯したときは、その償いのために、羊の群れから傷のない雄羊一頭、聖所のシェケルで数シェケルの銀に当たるとあなたが評価したものを取って、罪過のためのいけにえとして【主】のもとに連れて来る。
5:16 彼は、その聖なるものを犯した罪の償いをしなければならない。それにその五分の一を加えて、祭司にそれを渡さなければならない。祭司は、罪過のためのいけにえの雄羊で、彼のために贖いをしなければならない。その人は赦される。
5:17 また、もし人が罪を犯し、【主】がするなと命じたすべてのうち一つでも行い、それを知らずにいて、後で咎を覚える場合、その咎を負わなければならない。
5:18 その人は、羊の群れからあなたが評価した傷のない雄羊一頭を取って、罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来る。祭司は、彼があやまって犯し、しかも自分では知らないでいた過失について、彼のために贖いをする。彼は赦される。
5:19 これは罪過のためのいけにえである。彼は確かに【主】の前に償いの責めを負った。」

ここで「罪過」と訳されている語の意味は、神の民として、不誠実、あるいは不忠実に行動することです。これは神との契約を結んでいる者が、神との契約に違反することですので、このいけにえは全人類一般に適用されるものというより、すでに神と契約を結んでいる神の民に対して命じられているものです。

私たちは、イエス・キリストによって救われる以前、罪人であった時にも、キリストの血を必要としていましたが、主を信じて救われた後にも、主の血を必要としています。特にクリスチャンは、主の血によって救われているということの上に安住して、主の前で決意したこと、約束したこと、祈ったことを実行せず、おろそかにしやすいのです。お互い、このことを深く反省し、悔い改め、忠実に果たすべきではないでしょうか。

今日、私たちクリスチャンは細々とした旧約の律法に縛られて信仰生活を営んでいるわけではありません。しかし私たちは神との契約に対して忠実に従っていくという、自発的な信仰生活が求められています。キリストによる自由とは、罪からの自由であって、キリストを利用するだけ利用して、あとは自分勝手な生活をしてもよいという自己中心的な自由のことではありません。不忠実な信仰生活は、主の聖なるものを犯す罪です。

19節、「彼は確かに主の前に罪に定められた。」

ここにおいて、注意すべき点が二つあります。

第一は、罪過のいけにえをささげているなら、不忠実な生活をしていても赦されるという打算的な考えに陥らないことです。すなわち、自分はすでにイエス・キリストを信じているから、どんな生活をしていても、救われて天の御国に入ることができると思って、堕落した、怠惰な生活を送っていてはならないことです。主イエスは、「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです」(マタイ7:22)と言われ、パウロも、「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ1:27)とすゝめています。これは今日の私たちに重要な教えです。

第二には、故意の罪と、知らないうちに犯した罪とを問わず、すべての罪と過失には、いけにえによる贖いが必要です。それはただ「すみませんでした。」という、おわびだけではすまされない問題なのです。

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)

17~19節では、「知らないで」「あやまって犯した」「過失」について何度も語られており、また15節と18節では、罪と過失に対して正当な評価がなされた上で、いけにえがささげられるようにと、注意深く命じられています。これは、少しでも罪過がないことを願っており、神に非難されるところなく、神に信頼と感謝を表わすことができるようにというのが、その目的です。

あとがき

私たちの教会でも、バイブルクラス入門コース2「キリストにある生活」をテキストにして、成人科クラスを始めました。一週間に一回、一時間半のクラスですが、一ケ月過ぎて、まだ四日しか進んでいません。しかし、礼拝や祈祷会では学ぶことのできない、みことばの学びをさせていただいています。このテキストをお求めになられた方々は、どのようにお用いになっておられるでしょうか。簡単にスーと学んでしまうこともできるでしょうが、ぜひ、ディスカッションやあかしをまじえながら進めていただきたいと思います。
みことばの学びは、最初は浅くしか掘ることができないでしょう。しかし二度、三度と学びを繰り返しているうちに、気がつくと段々と深くなっていっています。飽きずに、こりずに学びを続けてください。成長とは、気づかないうちにするものです。

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感謝主。

(まなべあきら 1990.5.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、「A pair of wild pigeons in Carmel(二匹の山鳩・・・イスラエルのカルメル山にて)」(freebibleimages.orgより)


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