聖書の探求(080b) レビ記 15章 「漏出の汚れ」についての規定

15章は「漏出の汚れ」についての規定を記しています。これは人の性の問題を取り扱っていますので、12章の出産の出来事と密接な関係があります。

1~15節、男性の病的漏出

レビ 15:1 ついで【主】はモーセとアロンに告げて仰せられた。
15:2 「イスラエル人に告げて言え。だれでも、隠しどころに漏出がある場合、その漏出物は汚れている。
15:3 その漏出物による汚れは次のとおりである。すなわち、隠しどころが漏出物を漏らしても、あるいは隠しどころが漏出物を留めていても、その者には汚れがある。
15:4 漏出を病む人の寝る床は、すべて汚れる。またその者がすわる物もみな汚れる。
15:5 また、だれでもその床に触れる者は自分の衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。
15:6 また漏出を病む人がすわった物の上にすわる者は、自分の衣服を洗い、水を浴びる。その者は夕方まで汚れる。
15:7 また、漏出を病む人の隠しどころにさわる者も、自分の衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。
15:8 また、漏出を病む者が、きよい人につばきをかけるなら、その人は自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。
15:9 また、漏出を病む者が乗った鞍はみな汚れる。
15:10 また、どんな物であれ、その者の下にあった物にさわる者はみな、夕方まで汚れる。また、それらの物を運ぶ者も、自分の衣服を洗わなければならない。水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。
15:11 また、漏出を病む者が、水でその手を洗わずに、だれかにさわるなら、さわられた人は自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。
15:12 また、漏出を病む者がさわった土の器はこわされなければならない。木の器はみな、水で洗われなければならない。
15:13 漏出を病む者がその漏出からきよくなるときは、自分のきよめのために七日を数え、自分の衣服を洗い、自分のからだに湧き水を浴びる。彼はきよい。
15:14 八日目には、自分のために、山鳩二羽か家鳩のひな二羽を取らなければならない。彼は【主】の前、会見の天幕の入口の所に来て、それを祭司に渡す。
15:15 祭司はそれを、一羽を罪のためのいけにえとして、他の一羽を全焼のいけにえとしてささげ、祭司はその漏出物のために、【主】の前でその者のために贖いをする。

16~18節、正常な精液の漏出

レビ 15:16 人が精を漏らしたときは、その人は全身に水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。
15:17 精のついている衣服と皮はすべて、水で洗う。それは夕方まで汚れる。
15:18 男が女と寝て交わるなら、ふたりは共に水を浴びる。彼らは夕方まで汚れる。

19~24節、女性の正常な生理的出血

レビ 15:19 女に漏出があって、その漏出物がからだからの血であるならば、彼女は七日間、月のさわりの状態になる。だれでも彼女に触れる者は、夕方まで汚れる。
15:20 また、その女の月のさわりのときに使った寝床はすべて汚れる。また、その女のすわった物もみな汚れる。
15:21 また、その女の床に触れる者はだれでも、その衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。
15:22 また、何であれ、その女のすわった物に触れる者はみな、その衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。
15:23 その女の床であっても、すわった物であっても、それにさわった者は夕方まで汚れる。
15:24 また、もし男がその女と寝るなら、その女のさわりが彼に移り、その者は七日間汚れる。彼が寝る床もすべて汚れる。

25~33節、女性の病的な異常な出血

レビ 15:25 もし女に、月のさわりの間ではないのに、長い日数にわたって血の漏出がある場合、あるいは月のさわりの間が過ぎても漏出がある場合、その汚れた漏出のある間中、彼女は、月のさわりの間と同じく汚れる。
15:26 彼女がその漏出の間中に寝る床はすべて、月のさわりのときの床のようになる。その女のすわるすべての物は、その月のさわりの間の汚れのように汚れる。
15:27 これらの物にさわる者はだれでも汚れる。その者は衣服を洗い、水を浴びる。その者は夕方まで汚れる。
15:28 もし女がその漏出からきよくなったときには、七日を数える。その後にその女はきよくなる。
15:29 八日目には、その女は山鳩二羽か家鳩のひな二羽を取り、それを会見の天幕の入口の祭司のところに持って来なければならない。
15:30 祭司は一羽を罪のためのいけにえとし、他の一羽を全焼のいけにえとしてささげる。祭司は、その汚れた漏出のために、【主】の前でその女のために贖いをする。
15:31 あなたがたは、イスラエル人をその汚れから離れさせなさい。彼らの間にあるわたしの幕屋を汚し、その汚れたままで彼らが死ぬことのないためである。」
15:32 以上が、漏出のある者、また精を漏らして汚れた者、
15:33 また月のさわりで不浄の女、また男か女で漏出のある者、あるいは汚れている女と寝る男についてのおしえである。

ここでは、正常な場合と異常な場合の二種の状態が記されており、どちらも「汚れ」として記されていますが、正常な場合は、通常、夕方まで汚れが続くだけで、水で洗うことによりきよくなるとされています。ただし、12節のように、漏出を病む者が土の器にさわった場合、その土の器はこわすように命じられています。

病的な場合は、その汚れはその人の健康が回復する時まで続き、回復後も、汚れは一週間続きます。その後、二羽の鳩をいけにえとしてささげなければなりません。

人の性は、神によって与えられた聖なるものですが、神から離れてしまう時に、それは、霊的にも、道徳的にも、健康的にも、最も汚れたものになる危険があります。それ故、ここに神がこのような規定を記した第一の目的は、神の民が神の道を従順に従うことによって、性もまた聖なるものとして営むことを求めたのです。性が、このように神に従って聖なるものとして保たれる時、神の民は大いなる祝福を受けることができるのです。しかし、イスラエル民族の歴史を見る時、彼らが偶像に従うと、性は全く汚れたものとなり、民族は神の審判を受けるに至ったのです。

当時の人々は、性的病気に感染すると、悪霊や悪の力によるものとして恐怖におののきました。今日もこれに似た恐怖がエイズ感染に見られます。エイズは必ずしも性的感染ばかりではありませんが、この病気が性的なことに端を発しており、性的感染をする者もいることは事実のようです。

しかし神の民にとっては、性的なことにおいても、主に従っているなら、たとい性的漏出があっても、霊的恐怖感をもつ必要はなく、潔められて、主に近づくことができるのです。

このようにイスラエル民族は、らい病、出血、漏出、性病などについて、徹底した規定を主から受けていましたので、衛生的な面から見ても、非常に高度な生活をしていたことが分かります。そればかりでなく、こういう問題が非常に霊的な問題として取り扱われていますので、人格的にもすぐれた人々を生み出すことができたのです。

マルコの福音書5章25~34節を見ると、イエス・キリストは長血をわずらっていた女をいやしておられます。その時、この女はイエス・キリストの衣にさわりました。

マル 5:25 ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。
5:26 この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。
5:27 彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。
5:28 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。
5:29 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。
5:30 イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。
5:31 そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」
5:32 イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。
5:33 女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。
5:34 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

レビ記のこの規定によると、イエス・キリストは汚れ、衣を洗わなければならないことになります。しかし、イエス・キリストはそのことについて何も話しておらず、少しの汚れすら、ご自分の身に感じられなかったのです。イエス様は全く汚れのない、律法を超越しているお方だからです。イエス様はモーセよりも偉大なお方なのです(ヘブル3:1~6)。

ヘブル 3:1 そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。
3:2 モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。
3:3 家よりも、家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様に、イエスはモーセよりも大きな栄光を受けるのにふさわしいとされました。
3:4 家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。
3:5 モーセは、しもべとして神の家全体のために忠実でした。それは、後に語られる事をあかしするためでした。
3:6 しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。

しかし私たちにとって、聖なるものは汚れやすいということに注意しなければなりません。それは、性以外についても言えることです。私たちは生涯において、三つのことで十分に注意しなければなりません。それは金銭と性と名誉です。この三つに誘惑を受けて堕落していく人が多いのです。私たちがイエス・キリストに従っている間だけ、聖く保たれるのだということを、強く自覚すべきです。

あとがき

十月になると、宗教改革記念日を迎えます。宗教改革の発端となったのは何かというと、それは北と西ヨーロッパのクリスチャンたちが聖書に立ち帰って、聖書を研究するという運動が広がっていったことです。
中世のルネサンス(文芸復興)の文化的面の一つの特長は、「古典に帰る」ということでした。そして南ヨーロッパのローマ・カトリック教会と、それを支持する人々は、教皇を初めとして、世俗的古典文学の研究を始めました。しかし北と西ヨーロッパの教会とクリスチャンは古典の研究を聖書の研究に向けたのです。その結果、当時のローマ教会の内容と聖書が記している教会の違いがはっきりと分かってきたのです。こうして宗教改革の気運が強まってきたのです。
今、ソ連でも、中国でも聖書を求める人々の願いが強くなっています。これは良いしるしだと思います。さて日本の私たちは、みな自由に聖書を持っているのですが、どれほど探求されていることでしょうか。

(まなべあきら 1990.11.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵は、レビ記15章の分かりやすい図解説明。引用元は、「Doodle Through The Bible_ My Visual Bible Study – One Verse or Chapter at a Time! 」(http://www.doodlethroughthebible.com/)


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