週報No.2277 希望の預言エゼキエル書(59)「エドムから守られる神」 35:1~15

2021年3月7日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 35:1~15
35:1 次のような【主】のことばが私にあった。
35:2 「人の子よ。顔をセイルの山に向け、これについて預言して、
35:3 言え。神である主はこう仰せられる。セイルの山よ。わたしはおまえに立ち向かい、おまえにわたしは手を伸ばし、おまえを荒れ果てさせ、荒廃した地とする。
35:4 わたしがおまえの町々を廃墟にし、おまえを荒れ果てさせるとき、おまえは、わたしが【主】であることを知ろう。
35:5 おまえはいつまでも敵意を抱き、イスラエル人が災難に会うとき、彼らの最後の刑罰の時、彼らを剣に渡した。
35:6 それゆえ、──わたしは生きている。神である主の御告げ──わたしは必ずおまえを血に渡す。血はおまえを追う。おまえは血を憎んだが、血はおまえを追いかける。
35:7 わたしはセイルの山を荒れ果てさせ、廃墟とし、そこを行き来する者を断ち滅ぼす。
35:8 わたしはその山々を死体で満たし、剣で刺し殺された者たちがおまえの丘や谷や、すべての谷川に倒れる。
35:9 わたしはおまえを永遠に荒れ果てさせる。おまえの町々は回復しない。おまえたちは、わたしが【主】であることを知ろう。
35:10 おまえは、『これら二つの民、二つの国は、われわれのものだ。われわれはそれを占領しよう』と言ったが、そこに【主】がおられた。
35:11 それゆえ、──わたしは生きている。神である主の御告げ──おまえが彼らを憎んだのと同じほどの怒りとねたみで、わたしはおまえを必ず罰し、わたしがおまえをさばくとき、わたし自身を現そう。
35:12 おまえはイスラエルの山々に向かって、『これは荒れ果てて、われわれのえじきとなる』と言って、侮辱したが、【主】であるわたしがこれをみな聞いたことを、おまえは知るようになる。
35:13 おまえたちは、わたしに向かって高慢なことばを吐いたが、わたしはそれを聞いている。
35:14 神である主はこう仰せられる。わたしはおまえを荒れ果てさせて、全土を喜ばせよう。
35:15 おまえは、イスラエルの家の相続地が荒れ果てたのを喜んだが、わたしはおまえに同じようにしよう。セイルの山よ。おまえは荒れ果て、エドム全体もそうなる。人々は、わたしが【主】であることを知ろう。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

エドムの罪は、自分たちの兄弟にあたる神の民イスラエルを占領しようとしたことと、神ご自身に向かって高慢になったことです。

「おまえはイスラエルの山々に向かって、『これは荒れ果てて、われわれのえじきとなる。』と言って、侮辱したが、主であるわたしがこれをみな聞いたことを、おまえは知るようになる。おまえたちは、わたしに向かって高慢なことばを吐いたが、わたしがそれを聞いている。」(エゼキエル書35:12~13)

隣人に対する意地悪、攻撃、侵略と、神様に対する高慢は、どんな権力者であっても、だれであっても、赦されない行為です。さばきを受けるべき行為です。
力と高慢によって、争いを挑んで行く人、国民は、どの国も、歴史の中で、卑しめられ、滅んでいます。どんなに力と繁栄を誇った超大国でも、高慢になり、諸国を侵略しようとした帝国は、例外なく、滅んでいます。それでもまだ、同じことを企んでいる侵略者がいることは、人間の滅亡を示しています。

私たちは、目を覚まして、主に従っていましょう。

「これらの二つの民、二つの国」(エゼキエル書35:10)は、イスラエルとユダのことです。エドム人は、北王国イスラエルの都サマリヤと南王国ユダの都エルサレムが敵国に占領されたのは、ヤーウェの神が敵国の神々に敗れたのだと思ったのです。エドムは、ヤーウェがご自分の民を、その罪の故に罰して、懲らしめて、信仰の回復を求めておられることを悟らなかったのです。

そこでエドムは、イスラエルとユダが弱体化している間に、この二つの国を占領しようと企てたのですが、「そこに主がおられた。」のです。主は、エドムの占領を許さなかったのです。

主はご自分で罰しながらも、ご自分の民イスラエルを守っておられるのです。それは、イスラエルとユダの民が十分に懲らしめを受け、悔い改めて、信仰を回復した時、主が彼らを連れて帰られる国がユダとイスラエルだからです(36章、37章)。

新しい町の名前は、「主がここにおられる(48:35、アドナイ・シヤマ)」です。神は聖徒の中にあって、信仰者を守られます。悩みの時にも、戦いの時にも、主がそこにいて下さる確信は、私たちの絶大な力です。サタンは何としばしば、私を悩ましに来るでしょうか。私の信仰に、火の矢を打ち込んで来るのです。失望させようとするのです。しかし、信仰の盾に触れた瞬間、サタンの火矢は消えてしまいます。「主がそこにおられる」からです(エペソ6:16)。

私たちの良い働きは、サタンの攻撃の的にされやすいのです。の希望であれ、隣人への愛であれ、忍耐であれ、熱心な奉仕であれ、全て信仰によって行なわれる良きものを、サタンは滅ぼそうとするのです。しかし「主はそこにおられる」ことによって、信仰と希望と愛を守って下さるのです。

主が私の生涯を通して、私とともにいて下さるなら、恐れることは一つもありません。私が死に直面する時も、主がそこにいて下さるからです。大波が逆巻いても、ヨルダン川を渡る時も、凍えるように水が冷たくても、私の足は岩なる主の上に立っています。

信仰生涯の初めから終わりまで、私たちが滅びないのは、「主がそこにいて下さる」からです。永遠の愛なる、不変の神がいて下さるからです。「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。あなたの真実は力強い。」(哀歌3:22~23)

セイル山から、ユダヤ人の滅亡を見物して、はやしたてて、喜んでいたエドム人は、強敵のバビロン軍が引き上げた後、出て行って、イスラエルとユダの二つの民、二つの国を占領しようともくろんでいました。苦しみ倒れているユダヤ人に、「これは荒れ果てて、われわれのえじきになる。」と言っていたエドム人に、神の怒りのさばきが下ります。

「・・・わたし自身を現わそう。」「そこに主がおられた。」(エゼキエル書35:10、11)

生ける神の臨在が、エドムのもくろみを打ち砕いて、悲劇のどん底にいた神の民を守ったのです。この民族の子孫として、メシヤ(イエス・キリスト)が来られるためです。

「生きておられる主が、そこにおられる。」これこそ、あらゆるサタンの謀略や計略から守られる秘訣です。

時として、サタンの偽りはエデンの園でアダムとエバをわなに陥れたように、翼を伸ばして、駆けずり回ることがあります。

ヨブも、サタンの計略にもてあそばされそうになりました。そのようになっても、私がへりくだって、主を求めるなら、主はいつもそこにいて、直ぐに間に合う助け主です。

「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46:1)

<今週の活用聖句>

詩篇46章1節
「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」

<集会案内>

◇3月10日(水)聖別会(30)午前10時半
「聖潔と転機(1)転機と成長の関係」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

**************************************************

【メッセージCDの販売】

メッセージCDは、一回分CD1枚500円+送料で販売しています。
(送料1~3枚160円、4~8枚210円、9枚310円、10枚以上送料無料)

【礼拝メッセージ・CD、テープのホットサービスのご案内】
毎週、日曜日の礼拝メッセージをお送りしています。全国どこでも、火曜日か、水曜日には、お手元に届きます。一年間ご予約下さると幸いです。
1年間ご予約(60分CD、52~53回分)36,000円(送料含む)
1ケ月毎の分割(1ケ月3,000円4~5回分)もできます。

いずれも代金前納で、お申し込み下さい。
お支払いは、郵便振替をご利用ください。
口座番号 00250一1-14559
加入者名 宗教法人 地の塩港南キリスト教会
電話・FAX 045(844)8421
牧師 真部 明