聖書の探求(126c) 民数記36章 ツェロフハデの娘たち、神の民がその相続地を堅く守るように

ついに、民数記の最後の章に到達しました。この章は、ツェロフハデの娘たちの個人的な問題を扱っているようですが、それは神の民がその相続地を堅く守るようにという一つの実例となっています。

この章は、27章1~11節の補足をなしていますが、大切なことを記しています。それは、女子によっても、氏族と相続地の継承が認められていることです。

民 27:1 さて、ヨセフの子マナセの一族のツェロフハデの娘たち──ツェロフハデはヘフェルの子、ヘフェルはギルアデの子、ギルアデはマキルの子、マキルはマナセの子──が進み出た。娘たちの名はマフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。
27:2 彼女たちは、モーセと、祭司エルアザルと、族長たちと、全会衆との前、会見の天幕の入口に立って言った。
27:3 「私たちの父は荒野で死にました。彼はコラの仲間と一つになって【主】に逆らった仲間には加わっていませんでしたが、自分の罪によって死にました。彼には男の子がなかったのです。
27:4 男の子がなかったからといって、なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」
27:5 そこでモーセは、彼女たちの訴えを、【主】の前に出した。
27:6 すると【主】はモーセに告げて仰せられた。
27:7 「ツェロフハデの娘たちの言い分は正しい。あなたは必ず彼女たちに、その父の兄弟たちの間で、相続の所有地を与えなければならない。彼女たちにその父の相続地を渡せ。
27:8 あなたはイスラエル人に告げて言わなければならない。人が死に、その人に男の子がないときは、あなたがたはその相続地を娘に渡しなさい。
27:9 もし娘もないときには、その相続地を彼の兄弟たちに与えなさい。
27:10 もし兄弟たちもいないときには、その相続地を彼の父の兄弟たちに与えなさい。
27:11 もしその父に兄弟がないときには、その相続地を彼の氏族の中で、彼に一番近い血縁の者に与え、それを受け継がせなさい。これを、【主】がモーセに命じられたとおり、イスラエル人のための定まったおきてとしなさい。

これが旧約時代のイスラエル民族の形成の初期に認められていたことは、長い間、人類を支配してきた男子継承型の考え方は、後の人間が勝手に権力争いの中でつくり出してきたものであり、それは真理と信仰の継承ではなく、この世的権力と富の継承でしかありませんでした。このことが富や権力の片寄りを招き、歴史上、いつも戦争へと発展していったのです。

しかし今日、特に私たちは、信仰の継承は、この世に倣わず、男女に関わらず、正しく継承していかなければなりません。教会においても、牧師になる者が圧倒的に男子が多いのには、私は疑問を抱かざるを得ません。女性のクリスチャンのほうが多い中で、女性が神の召命を受ける人がこれほど少ないとは考えられないからです。もっと女性の牧師やリーダーが増えてきてもいいのではないでしょうか。女性には家庭という制約があるかも知れませんが、もっと主のために生涯をささげて献身して、牧師になる者が起こされてほしいものです。女性にも多くのすぐれた神の器がいるはずだと、私は確信しています。これらの方々が、隠れたまま、うもれていくのは、神にとっても、教会にとっても永遠の損失になります。もし男性が会社の仕事で忙しくて、学びも、訓練もできないというのなら、女性に学んでいただきましょう。私はこの日本の女性のクリスチャンに期待しています。男性はこの世のことに一生、関わっていて、それほど期待することができません。この日本に女性の牧師、女性の聖書教師、女性の教会リーダーが増えてくることによって、日本にリバイバルが起きてくると信じています。ぜひ、女性のクリスチャンが消極的にならず、積極的に訓練を受けて、神の人となってほしいと思います。

1~4節のマナセの氏族のかしらたちの訴えは、彼らの部族の中のツェロフハデの妹たちがマナセの部族以外の男子と結婚した場合、彼女たちの相続地が、とつぐ部族の相続地に加えられてしまい、マナセの部族の相続地が減ってしまうことになることです。これでは富の片寄りが生じ、部族間の争いの原因となってしまいます。

民 36:1 ヨセフ族の一つ、マナセの子マキルの子ギルアデの氏族に属する諸家族のかしらたちが進み出て、モーセとイスラエル人の諸家族のかしらである家長たちに訴えて、
36:2 言った。「【主】は、あの土地をくじによってイスラエル人に相続地として与えるように、あなたに命じられました。そしてまた、私たちの親類ツェロフハデの相続地を、彼の娘たちに与えるように、あなたは【主】に命じられています。
36:3 もし彼女たちが、イスラエル人の他の部族の息子たちにとついだなら、彼女たちの相続地は、私たちの父祖の相続地から差し引かれて、彼女たちがとつぐ部族の相続地に加えられましょう。こうして私たちの相続の地所は減ることになります。
36:4 イスラエル人のヨベルの年になれば、彼女たちの相続地は、彼女たちのとつぐ部族の相続地に加えられ、彼女たちの相続地は、私たちの父祖の部族の相続地から差し引かれることになります。」

相続地の分配においては、主は深い配慮をなされて、イスラエルにおいては、過度に富む者も、貧しい者も起こさせないように、相続地を売買することを禁じていました。たとい貧しくなって手放しても、ヨベルの年には、無条件で返還されることになっていました。これは神の民がみな、豊かに暮すことを、主が期待しておられるからです。しかしツェロフハデの場合は例外で、結婚によって他の部族の相続地となってしまった場合、ヨベルの年には完全にとつぎ先の相続地となってしまうのです。

「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。」(使徒4:34~35)

5~9節、この問題に対して、主から与えられた律法は、ツェロフハデの娘たちが父の部族内で結婚すべきであるということでした。

民 36:5 そこでモーセは、【主】の命により、イスラエル人に命じて言った。「ヨセフ部族の訴えはもっともである。
36:6 【主】がツェロフハデの娘たちについて命じて仰せられたことは次のとおりである。『彼女たちは、その心にかなう人にとついでよい。ただし、彼女たちの父の部族に属する氏族にとつがなければならない。
36:7 イスラエル人の相続地は、一つの部族から他の部族に移してはならない。イスラエル人は、おのおのその父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからである。
36:8 イスラエル人の部族のうち、相続地を受け継ぐ娘はみな、その父の部族に属する氏族のひとりにとつがなければならない。イスラエル人が、おのおのその父祖の相続地を受け継ぐためである。
36:9 こうして相続地は、一つの部族から他の部族に移してはならない。イスラエル人の部族は、おのおのその相続地を堅く守らなければならないからである。』」

女性によって氏族と相続地が継承されるためには、当然このことが必要になってくるので、これを制限されたと考えるべきではない。特権には必ず、責任と義務が伴うものです。この世的一般概念として、女性は結婚することによって夫の付属品になってしまうかの慣習的概念が定着しているように思われます。このことによって、女性は自分の、一人の人間としての責任と義務を放棄している面がないでしょうか。夫は、「妻子を養ってやっているのだから」と高慢に思い、妻は、「夫に養ってもらっているのだから」と、隷属化している面がないでしょうか。これは神が与えてくださった一人の人としての尊厳を売り渡していることになるのです。
この同じ関係は、サラリーマンが会社に対して取る態度の中にも見られます。一人の人間としての尊厳を保つためには、必ず必要な責任と義務を果さなければならないのです。
クリスチャンにとっては、自分の足で立つ信仰こそ、それです。家族で教会出席している場合、一面、うらやましがられる存在ですが、ひとり一人の信仰が明確でなく、親に連れられて来ている子どもや、妻の信仰に引き連られている夫をよく見かけます。このように個々の信仰が確立していないと、少しの困難で家族全体がくずれていくのです。

特に、結婚によって信仰の継承に失敗してしまっているケースを沢山見ます。主はツェロフハデの娘たちの結婚において、信仰の継承を第一においておられる点を注意しなければなりません。これは信仰者にとって、最も重要なことであり、これをないがしろにすることは、もはや神の民であり得ないことを意味することになります。それは神の民としての相続権を失うことにつながっていきます。
人はみな、地獄に行く運命を背負った滅びの人として生まれてくるのです。ですから信仰を継承しなかったなら、すべての子どもは地獄に行くために生まれたことになってしまいます。子どもの出産はこのような悲しむべき運命の事実を負っていることを十分自覚して、信仰の継承を第一にした結婚生活をしていただきたいものです。そこに幸いな祝福が与えられるのです。

また、この信仰の継承の問題は、各々の教会においても同じであり、主が与えてくださった信仰の嗣業をきちんと受けとめ、守り、これを継承し、各々、その相続地を堅く守らなければなりません。時代の変化とともに変わっていってよいものと、変えてはならない真理そのものとがあります。今時は、変えてもよい慣習を頑なに守っているのに、変えてはならない聖書の解釈や信仰の本質に手をつけようとする傾向が見られるのは危険です。真理を正しく継承しない教会、継承することを真剣に考えていない教会が生じていることは危険です。私たちは神のみことばと聖潔と福音宣教において、信仰の継承を堅く守り、見事に成し遂げなければなりません。

10~13節、ツェロフハデの娘たちは主のご命令どおりに行いました。

民 36:10 ツェロフハデの娘たちは、【主】がモーセに命じられたとおりに行った。
36:11 ツェロフハデの娘たち、マフラ、ティルツァ、ホグラ、ミルカおよびノアは、そのおじの息子たちにとついだ。
36:12 彼女たちは、ヨセフの子マナセの子孫の氏族にとついだので、彼女たちの相続地は、彼女たちの父の氏族の部族に残った。
36:13 これらは、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、【主】がモーセを通してイスラエル人に命じた命令と定めである。

彼女たちは心が頑なではなかったのです。私の話をうなずいて聞いていても、私生活においてそれに従って生きている人は少ないのを私は知っています。心が頑なだからです。それは主のみことばを実際には拒んでいることなのです。

11節には、彼女たちの名前が記されています。こうして見事に、女性による初めての氏族と相続地の継承が行われました。彼女たちのしたことは、永遠に神のメッセージとして語り伝えられるべき重大な行為だったのです。肉的な自己中心の、自分の好みによる行動は、何の価値あるものをも生み出さず、残さないのです。しかし、神に忠実に従う行動はみな、どれも永遠に価値あるメッセージを持っているのです。

「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」(ヨハネ6:27)

「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」(ヨハネの黙示録2:10)


あ と が き

皆様、お元気ですか。あの猛暑はどこへ行ったのかと言いたくなるほど、急に涼しくなりました。ことしの夏は、自分でも乗り越えることができるかどうか、多少不安でしたが、すべての計画を全うして、なお健康が保たれ、余力もいただいて、本当に主のあわれみと感謝しております。これから、ますます主に忠実に仕えさせていただきたいと思います。
私からイエス様と主のみことばを取り去ったら、何が残るでしょうか。何一つ残りません。私は頑固なほどに、主のみことばに取り組んできました。今もそうです。もしみことばを拒み、みことばに従わない人がいるなら、私はその人を本当に信頼したり、愛することはできないでしょう。そんな私をある人々は偏狭な人間と思われるでしょう。しかしイエス様を愛すれば愛するほど、自然、私の心はそうなってしまうのです。ニュースにも書きましたが、みことばのリバイバルこそ真のリバイバルと、私は信じています。皆様のあついお祈りを感謝申し上げます。

(まなべあきら 1994.10.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、イスラエルのティムナ渓谷に造られた幕屋の実物大模型(2013年の訪問時に撮影)


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