聖書の探求(145) 申命記10章 律法の板の再授与、アロンの死とエルアザルの祭司任命、主が求められること

10章では、律法の板が再び与えられたことと、旅路の途中におけるアロンの死とエルアザルの祭司着任など、そして主がイスラエルに求められることの三つを記しています。

10章の分解

1~5節、律法の板の再授与
6~11節、旅路における出来事
・ 6節、アロンの死とエルアザルの祭司任命
・ 7節、行進
・ 8~9節、レビ人の聖別
・ 10~11節、モーセのとりなしと主のご命令
12~22節、主が求めておられること
・ 12節、主を畏れて、主に仕えること
・ 13節、主の命令とおきてとを守ること
・ 16節、心に割礼を行なうこと
・ 14,15,17~22節、主の愛と祝福

1~5節、律法の板の再授与

申 10:1 そのとき、【主】は私に仰せられた。「前のような石の板を二枚切って作り、山のわたしのところに登れ。また木の箱を一つ作れ。
10:2 その板の上に、わたしは、あなたが砕いた、あの最初の板にあったことばを書きしるそう。あなたはそれを箱の中に納めよ。」
10:3 そこで私はアカシヤ材の箱を一つ作り、前のような石の板を二枚切り取り、その二枚の板を手にして山に登って行った。
10:4 【主】は、その板に、あの集まりの日に山で火の中からあなたがたに告げた十のことばを、前と同じ文で書きしるされた。【主】はそれを私に授けた。

ここで再び、二枚の石の板に主のご命令のみことばが書き記されたことは、驚くべきことです。主ご自身から契約の更新を命じられたのですから。ここに主の愛とあわれみの大きさが示されています。しかしその大きな主のあわれみに慣れ過ぎて、心かたくなな態度を取り続けるなら、本当に厳しいさばきを受けることになるのです。

「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」(ローマ11:22)

10節で、モーセはその時のことを思い起こしています。

申 10:10 私は最初のときのように、四十日四十夜、山にとどまった。【主】はそのときも、私の願いを聞き入れ、【主】はあなたを滅ぼすことを思いとどまられた。

私たちも、主に近づく生活を続けることによって、力あるとりなしの祈りをすることができるようになります。

ここで主はモーセに、二枚の石板を用意することと共に、木の箱を作るように命じておられます。この木の箱は、出エジプト記37章1節でモーセの命令によってべツァルエルが作った箱か、それともモーセが一時的に主のみことばを刻んだ二枚の石の板を入れておくために作ったのかも知れません。

出 37:1 ベツァルエルはアカシヤ材で一つの箱を作った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。

どちらにしても、これは主ご自身がみことばを重要視され、今後、このみことばが主の民の旅路に同行することを意味しています。

今日、クリスチャンはもっと、みことばに従った生活を実行する必要があります。みことばの同行は主の臨在の同行と同じです。

5節で、モーセは主のご命令に忠実に従っています。

申 10:5 私は向き直って、山を下り、その板を私が作った箱の中に納めたので、それはそこにある。【主】が命じられたとおりである。

これは主の民への警告に重みを与えました。リーダーは、自分自身が主に忠実に従っている人でなければなりません。

親がみことばに従っている人でなければ、子どもにいくら教えても、子どもはみことばに従うようにはなりません。教師自身がみことばに従っているのでなければ、生徒はみことばに従いません。牧師がみことばに従っていなければ、その説教や指導はなんとむなしいことでしょう。教会員のうちに、みことばの実を結ぶことはありません。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまこととに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)

「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒20:32)

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)

「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(テモテ第二3:15~17)

6~11節、旅路における出来事

6節は、アロンの死とその子エルアザルの祭司の任命が記されています。

申 10:6 ──イスラエル人は、ベエロテ・ベネ・ヤアカンからモセラに旅立った。アロンはそこで死に、そこに葬られた。それで彼の子エルアザルが彼に代わって祭司の職に任じられた。

「べエロテ」は「井戸」を意味し、そこには何度も行ったようです。「モセラ」は「懲罰」を意味し、アロンの死に因んでつけられた地名でしょう。モセラはホル山のみもとにあったと思われます。

アロンの死によって、祭司職はその子エルアザルに継承されています。ここでエルアザルが任命されたことは、アロンの金の子牛の偶像礼拝の罪が赦されたのではないかという人もいますが、アロンの金の子牛の事件とエルアザルの祭司職任命とを結びつけることはできないように思われます。主の任命は親の行状とは関係なく、一人一人、個人的に行なわれるものだからです。

先にみことばによる契約の更新があり、次に、大祭司職の更新が見られます。しかし今日、私たちには、二度と更新を必要としない、キリストの十字架のみことばによる新しい新約の契約が与えられており、また永遠の大祭司イエス・キリストをいただいています。

「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。」(ヘブル7:24~26)

これからも人間の指導者は交代していくでしょう。しかし、主ご自身と主のみことばは、永遠に変わることはないのです。また、主のために働く人間が、その真理を変えてはならないのです。

「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ24:35)

「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル13:8)

8,9節は、再び、レビ人の聖別について取り上げています。

8節の「その時」は、アロンの死の時ではなく、出エジプト記32章26節で、レビ人がモーセの呼びかけに応じて金の子牛の偶像礼拝した者を取り除いた時のことです。

申 10:7 そこから彼らは旅立ってグデゴダに行き、またグデゴダから水の流れる地ヨテバタに進んだ。
10:8 そのとき、【主】はレビ部族をえり分けて、【主】の契約の箱を運び、【主】の前に立って仕え、また御名によって祝福するようにされた。今日までそうなっている。

出 32:26 そこでモーセは宿営の入口に立って「だれでも、【主】につく者は、私のところに」と言った。するとレビ族がみな、彼のところに集まった。

クリスチャンは自ら罪を犯さないだけでなく、主の民の中から罪を取り除き、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣き」(ローマ12:15)、「力のない人たちの弱さをにない」(ローマ15:1)、「互いの重荷を負い合い」(ガラテヤ6:2)、「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い」(エペソ4:2)、「他人のことも顧み」(ピリピ2:4)「互いに愛し合う」(ヨハネ第一4:7,11,12)者となるべきではないでしょうか。

主の愛は私たちにそれを可能にしてくれるのです。罪が取り除かれ、潔められる心には、またそういう人が集まる所には、必ず主の恵みが満ちあふれるのです。神の家族とは、このような者たちのことです。

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」(エペソ2:19)

レビ人は、潔められて主に用いられる人の姿です。8節は、レビ人が受けた大いなる特権を記しています。通常は、契約の箱を運び、主の前で仕え、御名によって祝福することは祭司のする奉仕でした。しかしレビ人は罪を潔めることによって、この特権に与(あず)かったのです。

9節、レビ人の相続地は地上のものではなく、主こ自身が彼らの相続地となりました。

申 10:9 それゆえ、レビには兄弟たちといっしょの相続地の割り当てはなかった。あなたの神、【主】が彼について言われたように、【主】が彼の相続地である──

主ご自身よりも、この世の財産が価値あるように思えている間は、主のお仕事はできません。サタンはあなたに、そのように思わせるでしょうが。

「今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。『もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。』」(マタイ4:8,9)

「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」(ヨハネ6:27)

「『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。」(マタイ19:21,22)

「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」(ピリピ3:7,8)

10節、モーセは何度も、とりなしの祈りが聞き入れられていることを、あかししています。

申 10:10 私は最初のときのように、四十日四十夜、山にとどまった。【主】はそのときも、私の願いを聞き入れ、【主】はあなたを滅ぼすことを思いとどまられた。

それはモーセの主に対する忠実さによるものです。
哀歌3章22節に、「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。」と言われていますが、これは主イエス様のあわれみに満ちたとりなしの祈りがあったからに外なりません。

11節、主はモーセに、「民の先頭に立って進め」と命じられました。

申 10:11 そして【主】は私に、「民の先頭に立って進め。そうすれば、わたしが彼らに与えると彼らの先祖たちに誓った地に彼らは入り、その地を占領することができよう」と言われた。

モーセはいつも、信仰の戦いの先頭に立ち続けたのです。人のあとから、くっついて行こうと考えたり、群衆の中に隠れて行こうとする人で、信仰を全うした人はいないのです。
ペテロは遠くからイエス様のあとをつけていましたが、三人の人が、ペテロもイエス様の仲間だと言われた、それだけのことで、三回も「イエス様を知らない。」と言ってしまったのです。ペテロは自分では弟子たちの仲間の先頭を歩いて、イエス様に従って行こうという気持ちはあったのですが、人の決心や力では、これはできないことを彼は証明したのです。

モーセはパロの前に立つ時も、先頭に立ち、紅海を渡る時も先頭に立ち、アマレクとの戦いの時も、祈りの先頭に立ち、四十年の荒野の旅路でも、ずっと先頭に立ち続けました。彼の前には多くの危険と困難な課題が山積みされていました。しかしリーダーとは、主以外に、何ものも恐れず、先頭に立ち続ける人のことです。良い羊飼いはいつでも、羊の群れの先頭に立って行きます(ヨハネ10:4)。

ヨハ 10:4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。

先頭に立ってキリストの十字架を背負う人が増えてくることによって、教会は前進し、神の国は拡大していくのです。

12~22節、主が求めておられること

12,13節は、宗教とは何かを語っています。

申 10:12 イスラエルよ。今、あなたの神、【主】が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、【主】を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、【主】に仕え、
10:13 あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる【主】の命令と主のおきてとを守ることである。

このことを一言でいうなら、「主を畏れて、主に仕えること。主の命令とおきてとを守ること」と、まとめることができるでしょう。これは申命記中、何度も繰り返されています。これが繰り返されていることは、私たちにとって、最も重要なことだからです。

そしてイエス様も、「心を尽くし、精神を尽くして主を愛し、主に仕える」ことを、最も大切な戒めとして取り上げられました。それ故、この主のみことばを無視していながら、「私は信仰者です。」とは言うことができないのです。

モーセはここで、私たちの主に対する関係を強調していますが、主イエスは人との関係をも付け加えられました。すなわち、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ22:39)という戒めです。主は人との関係を、神との関係と同じくらい重要視しておられます。その奥義はヨハネが次のように言っている通りです。

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」(ヨハネ第一4:20,21)

人との愛の関係は、神との愛の関係が確立した時にのみ、可能になるのです。また、人との愛の関係が崩れるなら、神との愛の関係も保つことができなくなってしまいます。

ここで言う、宗教とは何か。それは、神に対する人間の全人格的応答として語られています。それは五つの面から教えられています。

1、「あなたの神、主を恐れ」- 主に対する畏怖、畏敬、礼拝心のこと

2、「主のすべての道に歩み」- 主のみこころに従うこと、主のみことばを守り行なうこと、イエス・キリストに従うことです。

3、「主を愛し」- これは動機の面を強調しています。主を愛する動機を持つ時、主の戒めを守り、みこころを行ない、自己中心の性質は解決され、主の知恵と判断力と勇敢な実行力が与えられます。

4、「主に仕え」- これには、二つの面があります。一つは礼拝の面、もう一つは奉仕への献身の面です。どちらも、心を尽くし、精神を尽くしてするように命じられています。神と富(この世)と二股かけずに、二心にならずに、自発的に、喜んで、全力を尽くしてすることです。

5、「主の命令と主のおきてとを守ること」- みことばにとどまり、みことばに従い、みことばを行ない続けることによって、実を結ぶのです。

13節、これらは、「あなたのしあわせのため」であると、言われています。

申 10:13 あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる【主】の命令と主のおきてとを守ることである。

これらのことを忠実に守り行なわないで、実りがないと言っているクリスチャンが多いのではないでしょうか。イエス様は次のように言っておられます。

「わたしはぶどうの木で、あなたかたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」(ヨハネ15:5,6)

主は私たちを祝福するために、すべての備えを完了しておられます。

14節は、主の無限の備えであり、天も地もすべて、主の支配の下にあります。

申 10:14 見よ。天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、【主】のものである。

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」(マタイ28:18)

15節、主はその無限の祝福を与えるために、主の民を選び、愛されたのです。

申 10:15 【主】は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネ15:16)

ましてイエス・キリストの十字架によって、この世から救い出された者には、どれほどの祝福が備えられていることでしょうか。

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)

「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネ14:2,3)

16節、しかし、この祝福を受けるためには、「心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。」と言われています。

申 10:16 あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。

主に逆らう強情、主を第二、第三にし、自分の自己主張を第一にする強情を切り捨てなければ、主に全面的に従順に応答することはできません。心を主に完全に明け渡し、主に全面的に信頼することが、主の求めに応えることです。

17,18節、ここでは、この要求をされている主のご性質が啓示されています。

申 10:17 あなたがたの神、【主】は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、
10:18 みなしごや、やもめのためにさばきを行い、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。

「神の神、主の主」は、神の主権を意味しています。主の偉大さ、無限、力、畏敬、公正、厳正、さばき、愛の顧み、これらはイエス・キリストのご性質でもあります。

「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(コロサイ2:9)

特に18節は、福音書の中に見られるイエス・キリストの御姿です。

申 10:18 みなしごや、やもめのためにさばきを行い、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。

「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:13)

19節、特に、イスラエルがエジプトに寄留していた経験を意識して、在留異国人を愛するようにと言われています。

申 10:19 あなたがたは在留異国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で在留異国人であったからである。

立場の弱い者や罪人の状態にある者たちを非難、攻撃するだけでなく、よく理解して、イエス様の救いに導く必要があります。

20節は、再び12節に似た主のご要求が繰り返されています。

申 10:20 あなたの神、【主】を恐れ、主に仕え、主にすがり、御名によって誓わなければならない。

申 10:12 イスラエルよ。今、あなたの神、【主】が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、【主】を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、【主】に仕え、

ここでは特に、「御名によって誓わなけれはならない。」(5:11、6:13)が加えられています。

申 5:11 あなたは、あなたの神、【主】の御名を、みだりに唱えてはならない。【主】は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。

申 6:13 あなたの神、【主】を恐れなければならない。主に仕えなければならない。御名によって誓わなければならない。

今日、私たちはキリストの御名によって祈っていますが、それは重大なことです。主の御名は主の主権を意味しており、主のすべてが意味されているのです。それ故、主の御名をみだりに使ってはならないのです。

「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネ15:16)

21節、「主はあなたの賛美、主はあなたの神」主を自分の神としているなら、そのこと自体が賛美となって、あふれてきます。

申 10:21 主はあなたの賛美、主はあなたの神であって、あなたが自分の目で見たこれらの大きい、恐ろしいことを、あなたのために行われた。

これは私の最大の誉と光栄です。

「あなたが自分の目で見たこれらの大きい、恐ろしいこと」とは、イスラエル人のエジプト脱出以来の出来事です。私たちが罪の奴隷の生活から救い出されてから今日までの日々の生活は、おそるべき偉大なことではなかったでしょうか。

22節、「七十人」(創世記46:27、出エジプト記1:5)

申 10:22 あなたの先祖たちは七十人でエジプトへ下ったが、今や、あなたの神、【主】は、あなたを空の星のように多くされた。

創 46:27 エジプトでヨセフに生まれた子らはふたりで、エジプトに行ったヤコブの家族はみなで七十人であった。

出 1:5 ヤコブから生まれた者の総数は七十人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。

エジプトへの移住以後のイスラエル人の急激な増加は、明らかに主の祝福とご計画でした。しかしそのご計画も、しばしばイスラエル人の不信仰によって妨げられてきました。そして今、カナン入国を目前にして、もう一度、全く忠実な信仰が求められているのです。
(まなべあきら 1996.4.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵画は、オーストリアの画家 Paul Troger(1698–1762)により1750年頃に描かれた「Moses bringt das Gesetz vom Berge Sinai(モーセはシナイ山から十戒の書かれた石の板を持ち帰る)」(Wikimedia Commonsより)


「聖書の探求」の目次


【月刊「聖書の探求」の定期購読のおすすめ】
創刊は1984年4月1日。2021年9月現在、通巻451号 エズラ記(7) 4~6章、まだまだ続きます。
お申し込みは、ご購読開始希望の号数と部数を明記の上、振替、現金書留などで、地の塩港南キリスト教会文書伝道部「聖書の探求」係にご入金ください。
一年間購読料一部 1,560円(送料共)
単月 一部 50円 送料84円
バックナンバーもあります。
(複数の送料) 3部まで94円、7部まで210円.多数の時はお問い合わせ下さい。
郵便振替00250-1-14559
「宗教法人 地の塩港南キリスト教会」


発行人 まなべ あきら
発行所 地の塩港南キリスト教会文書伝道部
〒233-0012 横浜市港南区上永谷5-22-2
電話FAX共用 045(844)8421