聖書の探求(155) 申命記19章 逃れの町、相続地、犯罪と証人の問題

この章は、三つの逃れの町と証人の問題が取り扱われています。

19~21章は、国家と家族のための律法が取り扱われています。国家を安定させるためには、各家庭の家族ひとり一人の正義が守られなければなりません。子どもや妻が不当に扱われていたり、また子どもが健全な親の指導に反逆する時、懲らしめられなければなりません。

これらの律法は、「おきて」と「定め」とが混じり合って記されています。「おきて」は、「あなたは、‥‥しなければならない。」「あなたは、‥‥してはならない。」の形式で記されており、「定め」は、「もし‥‥なら、」の形式で記されています。

そして19章には三つの社会的必要と基準を反映した例が挙げられています。

1~13節、故意にではなく殺人を犯した者の取り扱いについて‥‥逃れの町に関して
. 1~3節、三つの逃れの町の制定
. 4~7節、該当する人の例
. 8~10節、さらに三つの町の追加の約束‥‥主を愛して主の道を歩むなら
. 11~13節、故意に殺した者の処分
14節、隣人の地境を移してはならない
15節、二、三人の証人の証言の必要
16~21節、偽りの証人

1~13節、故意にではなく殺人を犯した者の取り扱いについて

国家的裁判や警察組織がなかった古代イスラエルにおいては、殺された人の親族は、殺人者を死をもって復讐する権利が認められていました。これは、人間お互いが、生命の神聖さを守るための警察的手段でした。今日では国家によって治安を守る組織制度がつくられているので、死をもって復讐することは禁じられています。旧約時代でも、はっきりと国家が形成されたソロモンの時代には、個人的復讐は禁じられています(箴言20:22、24:29)。

箴 20:22 「悪に報いてやろう」と言ってはならない。【主】を待ち望め。主があなたを救われる。

箴 24:29 「彼が私にしたように、私も彼にしよう。私は彼の行いに応じて、仕返しをしよう」と言ってはならない。

ここでは、故意にではなくて、隣人を死なせてしまった人を、どのように保護するかが問題にされています。

これは人を殺してはいるのですが、不用意な過失から生じた大きな事件です。しかしそれは不用意な過失であっても、主のあがないを必要としています。けれども不当な復讐からは守られなければなりません。このことが守られないと、次々とイスラエルの民の間で、殺人が続くことになります。今日も、不用意な過失を必要以上に、不当に責め立てることによって、いつまでも争いを続けているケースが少なくありません。

ここでは殺された人の親族が怒り狂って、故意ではなく、不用意な過失の故に人を殺してしまった人に、死をもって報復する危険がありました。このような者に対しては、その事件、特に、その動機が十分に調べられて、明白になるまで、本人が保護を受けられるように、早急に三つの逃れの町をつくるように命じられています。

申 19:1 あなたの神、【主】が、あなたに与えようとしておられる地の国々を、あなたの神、【主】が断ち滅ぼし、あなたがそれらを占領し、それらの町々や家々に住むようになったときに、
19:2 あなたの神、【主】があなたに与えて所有させようとしておられるその地に、三つの町を取り分けなければならない。
19:3 あなたは距離を測定し、あなたの神、【主】があなたに受け継がせる地域を三つに区分しなければならない。殺人者はだれでも、そこにのがれることができる。

最も初期の頃は、祭壇が逃れの場所でした(出エジプト記21:14)。

出 21:14 しかし、人が、ほしいままに隣人を襲い、策略をめぐらして殺した場合、この者を、わたしの祭壇のところからでも連れ出して殺さなければならない。

これはソロモンの時代にも知られていたようです(列王記第一1:50~53、2:28,29)。

Ⅰ列王 1:50 アドニヤもソロモンを恐れて立ち上がり、行って、祭壇の角をつかんだ。
1:51 そのとき、ソロモンに次のように言って告げる者がいた。「アドニヤはソロモン王を恐れ、祭壇の角をしっかり握って、『ソロモン王がまず、このしもべを剣で殺さないと私に誓ってくださるように』と言っています。」
1:52 すると、ソロモンは言った。「彼がりっぱな人物であれば、彼の髪の毛一本でも地に落ちることはない。しかし、彼のうちに悪があれば、彼は死ななければならない。」
1:53 それから、ソロモン王は人をやってアドニヤを祭壇から降ろさせた。彼がソロモン王の前に来て礼をすると、ソロモンは彼に言った。「家へ帰りなさい。」

Ⅰ列王 2:28 この知らせがヨアブのところに伝わると、──ヨアブはアドニヤについたが、アブシャロムにはつかなかった──ヨアブは【主】の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ。
2:29 ヨアブが【主】の天幕に逃げて、今、祭壇のかたわらにいる、とソロモン王に知らされたとき、ソロモンは、「行って、彼を打ち取れ」と命じて、エホヤダの子ベナヤを遣わした。

今日、私たちにとっては、イエス・キリストの十字架が、神の怒りからの唯一の逃れの場所です。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」(ローマ5:9)

四十年間、シナイの荒野を旅している間は、イスラエル人は比較的に固まって行動していましたけれども、カナンで定住生活を始めると、中央の祭壇から遠く離れた所で生活するようになるので、祭壇以外にも保護される所が必要になるのです(出エジプト記21:13、民数記35:9~29、申命記4:41~43)。

出 21:13 ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに彼ののがれる場所を指定しよう。

民 35:9 【主】はモーセに告げて仰せられた。
35:10 「イスラエル人に告げて、彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地に入るとき、
35:11 あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。
35:12 この町々は、あなたがたが復讐する者から、のがれる所で、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないためである。
35:13 あなたがたが与える町々は、あなたがたのために六つの、のがれの町としなければならない。
35:14 ヨルダンのこちら側に三つの町を与え、カナンの地に三つの町を与えて、あなたがたののがれの町としなければならない。
35:15 これらの六つの町はイスラエル人、または彼らの間の在住異国人のための、のがれの場所としなければならない。すべてあやまって人を殺した者が、そこにのがれるためである。
・・・・・

申 4:41 それからモーセは、ヨルダンの向こうの地に三つの町を取り分けた。東のほうである。
4:42 以前から憎んでいなかった隣人を知らずに殺した殺人者が、そこへ、のがれることのできるためである。その者はこれらの町の一つにのがれて、生きのびることができる。
4:43 ルベン人に属する高地の荒野にあるベツェル、ガド人に属するギルアデのラモテ、マナセ人に属するバシャンのゴランである。

とりあえず、三つの逃れの町をつくり、民が主の命令を守り、主を愛して、主の道を歩んでいるなら、さらに三つの逃れの町を増してくださることが約束されています(9節)。

申 19:9 ──私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令をあなたが守り行い、あなたの神、【主】を愛し、いつまでもその道を歩むなら──そのとき、この三つの町に、さらに三つの町を追加しなさい。
19:10 あなたの神、【主】が相続地としてあなたに与えようとしておられる地で、罪のない者の血が流されることがなく、また、あなたが血の罪を負うことがないためである。
これによって、もっと安全になります。これは当然のことです。今日、私たちも主の命令を守り、主を愛し、主の道を毎日、忠実に歩んでいるなら、毎日、さらに平安と確信に満ちた生活ができるようになります。

4、6節、ここで重要なのは、人が死んだという事実よりも、「憎んでいるか、どうか」という動機が重要視されているということです。

申 19:4 殺人者がそこにのがれて生きることができる場合は次のとおり。知らずに隣人を殺し、以前からその人を憎んでいなかった場合である。
19:5 たとえば、木を切るため隣人といっしょに森に入り、木を切るために斧を手にして振り上げたところ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだ場合、その者はこれらの町の一つにのがれて生きることができる。
19:6 血の復讐をする者が、憤りの心に燃え、その殺人者を追いかけ、道が遠いために、その人に追いついて、打ち殺すようなことがあってはならない。その人は、以前から相手を憎んでいたのではないから、死刑に当たらない。

不用意な過失も、主のあがないを必要としますが、それは罪ではありませんから、復讐を受ける必要はないのです。聖書は旧約から、人の動機を重要視していることが分かります。

11~13節、しかし憎しみを持って人を死なせた場合、この逃れの町に逃げ込んでも、復讐者の手に渡されて、死の報酬を受けることになります。

申 19:11 しかし、もし人が自分の隣人を憎み、待ち伏せして襲いかかり、彼を打って、死なせ、これらの町の一つにのがれるようなことがあれば、
19:12 彼の町の長老たちは、人をやって彼をそこから引き出し、血の復讐をする者の手に渡さなければならない。彼は死ななければならない。
19:13 彼をあわれんではならない。罪のない者の血を流す罪は、イスラエルから除き去りなさい。それはあなたのためになる。

使徒ヨハネは、「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。」(ヨハネ第一3:15)と言っています。神の民の間で、教会の中からは、このようなことは、全く取り除かなければなりません。今日、教会の中に争いがありすぎます。それは神の御名を汚すことになります。

14~21節、相続地と証言の問題

14節、イスラエル人にとって相続地は、財産や富であるばかりでなく、主から賜った信仰そのものでした。

申 19:14 あなたの神、【主】があなたに与えて所有させようとしておられる地のうち、あなたの受け継ぐ相続地で、あなたは、先代の人々の定めた隣人との地境を移してはならない。

そしてその信仰は、必ず子孫に継承していかなければなりません。今日、日本のクリスチャンの間では、信仰は単なる個人のものであって、必ず継承すべきものであるという自覚がうすいように思われます。

また、イスラエルにとって、信仰と生活の糧を得ることは、非常に密接な関係がありました。彼らにとって、相続地を失うことは、奴隷になることを意味していたのです。イスラエル人にとって、信仰を失うことは他国人の奴隷になることを意味していました。これは今日のクリスチャンと全く逆の考え方です。今日のクリスチャンは生活の糧が安定してくると、信仰を捨てたり、信仰を好加減にする者が多いのです。このような人は、再び自分が罪の奴隷になっていることに気づいていません。

旧約聖書においては、土地を経済的に売買することを禁じています。これは今日でもキリスト教色の強い国では、土地の公共的意識は強いのです。これは土地によって富の片寄りが生じることを禁じたのです。日本では歴史的に、土地は領主の権力や富の象徴とされてきました。これはヨーロッパにおいてもキリスト教がくずれた時、土地は封建社会の権力を示すものとして利用されてきました。クリスチャンは今日、財産の継承ではなくて、信仰の継承を真剣に考えなければなりません。財産の継承を行なうと、必ず子孫は堕落していくことになります。貪欲の心を育てるだけになるからです。

15~21節、犯罪に対する証言

17章6節で、すでに死刑に対する証言は、二人以上の証人が必要であることが記されていました。

申 17:6 ふたりの証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。

しかしここでは、「どんな咎(とが)でも、どんな罪でも」二人以上の証人が要求されています。

申 19:15 どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。

16節、万一、不正な証言をする悪意のある証人が立つ時や、訴えられた人に対して利害がからんでいたり、悪感情から偽証する可能性がある時なども、モーセは想定しています。

申 19:16 もし、ある人に不正な証言をするために悪意のある証人が立ったときには、

このようなことはあってはならないことですが、実際、クリスチャンだと自称している者がこの世の法廷に訴える場合もあります。パウロはそのようなことをすることを戒めていますが(コリント第一6:1~8)、

Ⅰコリ 6:1 あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。
6:2 あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。
6:3 私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。
6:4 それなのに、この世のことで争いが起こると、教会のうちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。
6:5 私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。
6:6 それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。
6:7 そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。
6:8 ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行う、だまし取る、しかもそのようなことを兄弟に対してしているのです。

パウロ自身、ローマのカイザルに上訴しているように(使徒25:11)やむをえない場合もあるでしょう。

使 25:11 もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」

しかし私たちは、しばしばよく物事を弁(わきま)えないで発言しやすいものです。そのことが与える悪影響は大きいのです。これは悪意がない場合でも、裁かれるべき対象になりうるのです。無思慮な発言は、慎しむべきです。

17節、不正の証言の疑いがあったり、争いや問題を引き起こす証言をする者の場合、主の前で祭司とさばきつかさは、厳重な調査をしなければなりません。

申 19:17 相争うこの二組の者は、【主】の前に、その時の祭司たちとさばきつかさたちの前に立たなければならない。
19:18 さばきつかさたちはよく調べたうえで、その証人が偽りの証人であり、自分の同胞に対して偽りの証言をしていたのであれば、
19:19 あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。
19:20 ほかの人々も聞いて恐れ、このような悪を、あなたがたのうちで再び行わないであろう。
19:21 あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足。

「主の前に」(17節)とは、本人たちを主の臨在の前に立たせて証言させ、その証拠を注意深く調べることです。もしそれが偽りの証言であることが判明したなら、その同胞に加えようとした刑罰を偽証者自身が受けなければなりません。こうして偽証者に対する厳しい刑罰を定めることによって、偽証を抑制しています。

今日、主に向かって祈った祈り、教会における発言は、ほとんど無責任にされています。神と人との前で話したことは、必ず守らなければなりません。その場だけの無責任な言葉であるなら、必ず神のさばきを受けることになります。これは今日のクリスチャンが深く自覚すべきことであり、他人に対する証言だけでなく、自分に対する証言についても、真実にそれを果たさなければなりません。

19章には、三つの律法が記されていましたが、これらの律法の精神と正義の究極的基盤は、主です。

これらのことはすべて、主の前で、祭司たちとさばきつかさたちの前で行なわれなければなりません。逃れの町にしても、相続地のことにしても、証言のことにしても、人のいのち、人の人生のすべては、主のものであることを示しています。それ故、不正は人をキズつけるとともに、主を冒涜(ぼうとく)することになるのです。

またこれらの律法は、他の異教の国々には見られない高い倫理性と、いのちにはいのちをもって払うという厳しさが示されています。これは、いのちは財産よりも尊く、それは主が与えられたものであり、金銭をもって賠償することができないことを示しています。すべての罪は、いのちをもって賠償しなければならないのです。ここにイエス・キリストの十字架の真理があるのです。(ローマ5:10)。

ロマ 5:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

さらに、この章では、不当な復讐や仕返しを禁じていますが、一方では、不正な罪人に対しては、あわれみをかけてはならないこと厳罰をもって処罰すべきことが命じられています。

このことについて、主は、私たちの罪のために主ご自身を厳罰(十字架刑)に処することによって、その厳しさを示しておられます。私たちは主イエス・キリストの十字架とその愛を、安易な気持ちで受け止めてはなりません。

また、主は、主の民の間で互いに、あげつらったり、非難したり、偽証したり、責任のなすり合いをしたりして争うことを嫌っておられます。

(まなべあきら 1997.2.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵は、アメリカで1884年に出版されたCharles Fosterの「The Story of the Bible(聖書の物語)」の挿絵「Fleeing to the City of Refuge(逃れの町への逃げ込み)」(Wikimedia Commonsより)


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