聖書の探求(271) サムエル記第一 4章 ペリシテに敗北、契約の箱の持ち出し、ホフニとピネハスとエリの死
イスラエルのティムナ渓谷に造られた実物大の幕屋モデルの中に置かれた契約の箱。イスラエル人は、シロの幕屋に置かれた契約の箱をかつぎ出して、ペリシテ人との戦いに勝とうとした。
この章は、いきなりペリシテ人との戦いから始まっています。この戦いは、祈りによらない戦いです。それ故、イスラエル人は打たれています(2節)。
Ⅰサム 4:2 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣ぞなえをした。戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。
サムエルが預言者として全国に知られるようになった時は、ペリシテ人との新しい戦いが始まった時でした。この緊張感とペリシテ人への警戒心がサムエルへの評判を高めたと考えられてきましたが、聖書中には、その原因は明確に記されていません。
ペリシテ人は古く、アブラハムの時代からその存在が記されており(創世記21:32,34)、イサクの時代には、もめ事を起こしています(創世記26:14~31)。士師記13~16章のサムソンの時代には、ペリシテ人はイスラエル人を支配するようになっていました。
七十人訳聖書では、この度の戦いを引き起こしたのはペリシテ人であることを暗示しています。
「パレスチナ」という語は、「ペリシテ人の地」という意味です。ペリシテ人はハムの子孫のミツライムから出たカフトル人(創世記10:13,14、歴代誌第一1:11,12)で、カフトルの島やその沿岸地方に残存していました(エレミヤ書47:4、アモス書9:7)。彼らはカフトル(クレテ島)から移住して来て、ガザ付近の原住民アビ人を滅ぼして、そこに住んでいました(申命記2:23)。そしてヨッパからガザにかけてのパレスチナの海岸沿いの平野に定住しました。
テル・エル・アマルナ土板によると、BC15世紀には、地中海北岸のペリシテ族シェルダヌとダヌヌがカナンで発見されています。後に、そこからペリシテ族を含む大移住民が、海、陸を通じて東方、南方に移動し、エジプトの境界にまで達しています。BC1192年頃、ラ・メス三世の軍隊によって移動を阻止され、移住民は地中海沿岸地帯に残ったのです。
ペリシテ人はダゴンの神殿を建てて、礼拝していました。彼らは好戦的で勇猛果敢な民で、鉄器を作る技術にすぐれており、武器を作っていました。彼らはイスラエル人にとって、いつも強敵でした。
ペリシテ人の居住地である地中海沿岸の平野部で仕事をしている考古学者たちは、他の地域ではほとんど見られない、独特の形をした「ペリシテの陶器」を非常に多く発掘しています。これは聖書の中で、ペリシテ人が占有していた町々で発見されています。また、銅と鉄の両方の溶鉱炉を発掘しています。これはペリシテ人が熟練した金属加工技術を持っていた証拠です(サムエル記第一13:19~20)。ペリシテ人の町々で共通して多く発掘された品物は、酒を飲むためのカップ(ビールを飲むような大きいもの)です。これはペリシテ人が祭りや宴会で大量に酒を飲んでいたことを示しています。ペリシテ人は非常に強力で、好戦的であったために、ダビデの時代になるまで、力が衰えることはなかったのです。しばしばイスラエル人はこのペリシテ人に打ち負かされ、支配され、苦しめられ、屈辱を受けていたのです。
4章の分解
1~4節、イスラエル、ペリシテに敗れる
5~11節、ホフニとピネハス殺される
12~18節、エリの死
19~22節、イ・カボデの誕生
1~4節、イスラエル、ペリシテに敗れる
1節、「ペリシテ人はアフェクに陣を敷い」ていますから、ペリシテ人の領地からすると北端からイスラエルを侵攻しています。
Ⅰサム 4:1 サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。
アフェク(別名アンテパトリス)は、神の幕屋があったシロから西に約40kmにあり、エベン・エゼルはそのすぐ南に位置します。イスラエルはこのエベン・エゼルに陣を敷いたのです。
2節、戦いはすぐに始まっています。この最初の戦いで、イスラエルは約四千人打たれています。
Ⅰサム 4:2 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣ぞなえをした。戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。
ここには祭司エリが信仰に立って祈ったという記録がありません。また主が出陣命令をされたという記録もありません。ただイスラエル人は人間的思いで、ペリシテと戦い始めたので、敗北する結果となったのです。たとい敵から攻撃を仕掛けられても、人間的思いで、争いを始めてはなりません。主に尋ねることから始めなければなりません。恐らく、主はエリとエリの息子たち、エリの家に対する刑罰として、ペリシテ人を用いられたのだと思われます。それはこの戦いで、ホフニとピネハスが死に、エリも神の箱が奪われたことを聞いた時、ショックで死んでしまっているからです。
3節、しかしイスラエルの長老たちは、自分たちの敗北の原因に気づいていません。
Ⅰサム 4:3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ【主】は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」
そして更に、人間的知恵を重ねて、「シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。」と言っています。自分たちの罪を取り除かないで、神の臨在の象徴である神の契約の箱を持って来ても、主は共に戦ってはくださいません。忠実な信仰を持って主に従っている時にだけ、礼拝も、儀式も、象徴も、すべて主が用いて祝してくださるのです。礼拝も、儀式も、象徴も、主が共にいてくださる時だけ、いのちと力を現わすのです。主が共にいてくださらなければ、礼拝や、儀式や、象徴をどんなに熱心に行なっても、むなしい敗北に終わってしまうのです。しかし愚かな人の知恵で考えると以前、神の箱を持って来た時には、勝利が与えられたので、今回もと思うのですが、主が現実に、共に働いてくださるかどうかを、十分に確かめていないのです。イスラエルが勝利を収めるためには、神の契約の箱を持って来るという安易な方法ではなく、イスラエルが堕落を捨てて、真実に神に立ち帰ることが必要だったのです。
4節、イスラエル人は、シロの幕屋に人を送って、「ケルビムに座しておられる万軍の主の契約の箱をかついで来ています。
Ⅰサム 4:4 そこで民はシロに人を送った。彼らはそこから、ケルビムに座しておられる万軍の【主】の契約の箱をかついで来た。エリのふたりの息子、ホフニとピネハスも、神の契約の箱といっしょにそこに来た。
この箱は幕屋の中の至聖所に置かれていて、一年に一度だけ、大祭司が小羊の血を携えて入り、箱のおおいとなっている贖いのふたの上にその血を注いで、罪の贖いの奉仕をしていたのです。これはイエス・キリストの十字架の贖いを象徴するものでした。しかしイスラエル人たちは、この箱の神聖さと、神の臨在を表わすものであるということで、ペリシテ人に勝つことを保証するまじないの一種として戦場に持ち出すことを決めたのです。しかもエリのふたりの息子、ホフニとピネハスも神の契約の箱に同行していたのです。このようなことで、主がイスラエルとともに戦って、勝利を与えてくださると信じることができるでしょうか。しかし、イスラエル人たちはこのように考えるほどに、霊的に鈍くなっていたのです。
5~11節、ホフニとピネハス殺される
5節、このような偽りの見せかけの宗教に堕落していても、主の契約の箱が陣営に着いたのを見た時、「全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。」
Ⅰサム 4:5 【主】の契約の箱が陣営に着いたとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。
イスラエル人たちは真実な信仰がないのに、安易に契約の箱を見ると、戦いに勝つと思ったのです。これには何の信仰の根拠もありません。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)が、根拠がないものではありません。神の約束のみことばと主のご臨在のご同行と、私たちの側の真実な信仰の服従があって、勝利はもたらされるのです。
6~8節、ペリシテ人は、イスラエル人の勝利を予期した大歓声が聞こえて来た時、恐れまどっています。
Ⅰサム 4:6 ペリシテ人は、その歓声を聞いて、「ヘブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう」と言った。そして、【主】の箱が陣営に着いたと知ったとき、
4:7 ペリシテ人は、「神が陣営に来た」と言って、恐れた。そして言った。「ああ、困ったことだ。今まで、こんなことはなかった。
4:8 ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。
それは、イスラエルの神の契約の箱が陣営に来たことによって、神がイスラエルとともに戦われると思ったからです。ペリシテ人は、イスラエルがエジプトから救出された時、イスラエルの神がエジプトを打たれたことを知っていたからです。それは確かな事実でした。しかし今回は、主はイスラエル人たちの罪のために、前回のようにイスラエルとは同行しておられなかったのです。イスラエルの陣営には神の契約の箱が持って来られただけで、主は来てはおられなかったのです。
8節の「この力ある神々」と、複数形になっているのは、ペリシテ人の多神教的考えによって話しているからです。
「荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。」これはペリシテ人がエジプトでの十の災いと、紅海でのエジプトの軍隊の壊滅を混同して話しています。しかしペリシテ人はイスラエルの神を、エジプトからイスラエルを救出された、偉大な、力ある神であると認識していたことを表わしており、更にイスラエル人は、その信仰において、他の中東諸国の国民とは異なることを十分意識していたことを示しています。
9,10節、しかしどんなにすぐれた宗教でも、神が臨在せず、中身の実質のない、見せ掛けだけの宗教は、すぐに敗北してしまいます。一時、ペリシテ人は恐れましたが、死に物狂いになって力をもって、再び攻撃したのです。
「さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」(9節)
「仕える」は、ヘブル語でアバタです。これは捕虜の奴隷のことを意味しているのでしょう。ヘブル人は士師の時代にはペリシテ人に抑圧されてきました(士師記10:7,8、同13:1)。その抑圧は、ダビデによって最終的に解放されるまで、定期的に繰り返されたのです。
ペリシテ人はイスラエル人を「ヘブル人」と呼んでいます。この「ヘブル人」という呼び方は、しばしばイスラエルに敵対する人々によって、侮辱する言葉として使われてきました。その語源はエベル(あるいはヘベル)(創世記10:21)から派生しており、「他の方面から来た人」とか、「遊牧民」を意味しています。
10節、形だけの、中身のない、実質のない信仰は、たちまち、ペリシテ人の奮起した力の前に打ち負かされています。主のご同行のない箱だけの存在には、何の力も現わされなかったのです。
Ⅰサム 4:10 こうしてペリシテ人は戦ったので、イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。
主の命令に背いて髪の毛を切られてしまったサムソンが力を失っていたのと同じです(士師記16:20,21)。この時、ペリシテ人の剣によって打たれた人もいたでしょうが、その後に次のように書かれていることが不思議です。「そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。」
これは主ご自身がイスラエルに敵対しておられることを表わしています。イスラエル人の歩兵三万人はペリシテ人の手によってではなく、疫病によって倒されているのです。
「罪の支払う報酬は死です。」(ローマ6:23)とは、真実なことばです。
「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」(ヤコブ4:4)
「……みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(ペテロ第一5:5)
11節、イスラエルに勝利をもたらすと、信仰のない者たちが歓喜していた神の箱は、敵のペリシテ人の勝利の記念物として奪われてしまいました。
Ⅰサム 4:11 神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ。
信仰は実質が伴っていなければ、象徴や儀式や感情の興奮などは、何の役にも立たないことを証明しています。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛」することと、「あなたの隣人をあなた自身のように愛」すること(マタイ22:37,39)こそ、信仰の実質です。これがあるなら、「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)ですからヨハネは、「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」(ヨハネ第一3:18)と教えたのです。
私たちに勝利を与える信仰は抽象的なものではなく、実際的な、具体的な信仰なのです。儀式や感情も勝利のしるしにも、保証にもならないのです。ぜひ、このことを深く悟らせていただいて、日ごとに勝利を経験させていただきましょう。主は信仰の象徴や儀式や感情の高まりなどではなく、神に対する私たちの心と生活における誠実や愛を見ておられるのです。
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル記第一16:7)
ペリシテ人はイスラエル軍から神の箱を奪いましたが、その箱はペリシテ人に祝福を与えず、わざわいを与え、ペリシテ人は神の箱を奪い取ったことを悔やみ、どうやって返すかで悩むようになるのです(5章)。イスラエル人に対しては何の力も現わさなかった象徴としてだけの箱が、ペリシテ人に対しては、わざわいを与えておられます。それはたとえ象徴とは言え、神を侮る冒涜的なことをしたからです。たとい不信仰になっていたイスラエル人からでも、神の箱を奪い取ってはいけなかったのです。私たちも、この点に特に注意しなければなりません。たとい自分が正しくて、相手が間違っていても、相手をひどくののしったり、決して言うべきでない言葉を言ったり、奪ってはならない権利を奪ったりすると、必ず主はわざわいを与えられます。相手が悪ければ、何をしてもいいというわけではないのです。人を罰するのは主ご自身だけがなさることですから。
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:19~21)
12~18節、エリの死
12節、ひとりのベニヤミン人の伝令が戦場から逃れて来て、祭司エリのいるシロに、イスラエルの敗北と神の契約の箱が奪い取られたという悲劇の報告をするために帰って来ました。
Ⅰサム 4:12 その日、ひとりのベニヤミン人が、戦場から走って来て、シロに着いた。その着物は裂け、頭には土をかぶっていた。
「その着物は裂け、頭には土をかぶっていた。」これは深い悲しみと嘆きを表わす典型的な姿です。この姿を見ただけで、すべての人がその内容を知ることができたのです。
13節、「エリは道のそばに設けた席にすわって、見張っていた。」
Ⅰサム 4:13 彼が着いたとき、エリは道のそばに設けた席にすわって、見張っていた。神の箱のことを気づかっていたからである。この男が町に入って敗戦を知らせたので、町中こぞって泣き叫んだ。
エリが信仰に立って祈っていたと記されていないことが、まことに残念です。モーセはイスラエルがレフィデムでアマレクと戦った時、丘の頂に立って祈り続けています。
「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モーセはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。」(出エジプト記17:11~13)
今日、私たちが主のために奉仕する時にも、このことに特に注意を払う必要があります。ただ主のために一所懸命、熱心に奉仕するだけでなく、またその成果を調べるだけでなく、モーセのように忍耐強く、根気よく祈り続けることが不可欠です。祈られていないことによって、実らない奉仕が沢山あります。私たちの働きが実を結ぶのは、主がともに働いてくださる時ですから、祈りは欠かすことができません。
「主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」(マルコ16:20)
「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。……まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」(ルカ18:1,7)
この点で祭司エリは霊的に怠惰だったのです。また彼の霊魂は霊的に鈍くなっていたのです。彼は戦いの情勢を心配し、戦場に持ち出された神の箱のことを気遣っていたのです。エリが、神の箱を持ち出すことを許可したのか、禁じたけれども無理に持ち出されたのか、聖書は記していませんけれども、もはやエリにはそれを禁じる力もなかったのでしょう。ただエリは心配しているだけだったのです。しかしなぜ、自分に力がないなら、主に祈らなかったのか。そこに心が向かなくなってしまっていたエリの霊的鈍さが目立ちます。この点でサムエルは次のように言っています。
「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」(サムエル記第一12:23)
サムエルは、人々のために祈るのをやめることを、主に罪を犯すことだと自覚していたのです。私たちはサムエルと同じほどに祈りの大切さを体験として知らなければなりません。祈りは気休めでも、願いごとの訴えでもありません。真実な信仰者たちは、旧約においても、新約においても、祈りなしに勝利も、実りもないことを知っていたのです。
ひとりのベニヤミン人の伝令がシロの町に入って来て、イスラエル軍隊の敗北と、多数の死者が出たこと、エリの二人の息子ホフニとピネハスが死んだこと、そして神の契約の箱が奪われたことを告げた時、町中が泣き叫びました。
15節、エリは九十八才になっていて、目がこわばり、何も見えなくなっていました。
Ⅰサム 4:15 エリは九十八歳で、その目はこわばり、何も見えなくなっていた。
3章2節では、「彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。」とありましたが、ここでは、もっと状態が悪化して、目が固まってしまって全く見えなくなっていたのです。ですから、伝令の裂けた着物や頭に土をかぶっている様子は見えませんでした。
14節、しかし町中に起こった泣き叫ぶ騒ぎに、エリは重大なことが起きたことを悟ったのです。
Ⅰサム 4:14 エリが、この泣き叫ぶ声を聞いて、「この騒々しい声は何だ」と尋ねると、この者は大急ぎでやって来て、エリに知らせた。
16,17節、伝令はエリにそのすべてを報告したのです。
Ⅰサム 4:16 その男はエリに言った。「私は戦場から来た者です。私は、きょう、戦場から逃げて来ました。」するとエリは、「状況はどうか。わが子よ」と聞いた。
4:17 この知らせを持って来た者は答えて言った。「イスラエルはペリシテ人の前から逃げ、民のうちに打たれた者が多く出ました。それにあなたのふたりの子息、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。」
エリの全生涯の中で、この時以上に衝撃を受けた時はなかったでしょう。
18節、エリは、自分の二人の息子が死んだことを聞いた時にはまだ耐えていますが、神の箱が奪われたことを聞いた時、「エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死んだ。」と記されています。
Ⅰサム 4:18 彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。彼は四十年間、イスラエルをさばいた。
この時の状況の描写は、その場にいた目撃者が、エリが落ちた方向などを詳細に記録しています。これはその場を目撃していない人には書き表わせないことです。
18節を見ると、エリは「四十年間、イスラエルをさばいた。」と記されています。これは決して短い期間ではありません。エリは祭司として欠点の多い人でしたが、それでも神のみわざには深く心を配って奉仕して来た人です。しかしエリの最期は悲惨です。エリは士師の時代の末期の非常に腐乱した時代に奉仕して、憂えることが多かったことは事実ですが、二人の息子を真実な祭司に育てることができず、神の幕屋での礼拝の中にも堕落が忍び込んで来ており、ついに神の箱まで奪われてしまったのです。エリは一所懸命奉仕しました。しかし彼の最大の誤ちは、主を求めて祈ることをあまりしなかったことにあると思われます。神ご自身の働きなしに霊的改革はできないからです。これは今日の私たちへの警告でもあります。
19~22節、イ・カボデの誕生
エリの家の悲劇は、二人の息子の死とエリの死で終わりではなかったのです。
19節、身ごもっていて、出産間近だったピネハスの妻が、神の箱が奪われたことと、姑と夫が死んだ知らせを聞いた時、そのショックで陣痛が起こり、身をかがめて子どもを出産しています。「身をかがめて」というのは、当時のイスラエル人の出産の一般的な仕方です。
Ⅰサム 4:19 彼の嫁、ピネハスの妻は身ごもっていて、出産間近であったが、神の箱が奪われ、しゅうとと、夫が死んだという知らせを聞いたとき、陣痛が起こり、身をかがめて子を産んだ。
20節、彼女の出産も悲劇であって、出産後、間もなく彼女も死んだのです。
Ⅰサム 4:20 彼女が死にかけているので、彼女の世話をしていた女たちが、「しっかりしなさい。男の子が生まれましたよ」と言ったが、彼女は答えもせず、気にも留めなかった。
彼女の世話をしていた女たちは、彼女を励ましていますが、彼女はこの悲劇のショックのために、女たちに何も答えようとせず、気にも留めていません。彼女の心は神の箱が奪われたことと、姑と夫が死んだことに捕われてしまっていて、これは神の栄光がイスラエルから去った証拠であると言っています。そして、産まれて来た子どもに「イ・カボデ(「栄光なし」という意味)」という名前を付けています。
Ⅰサム 4:21 彼女は、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子をイ・カボデと名づけた。これは神の箱が奪われたこと、それに、しゅうとと、夫のことをさしたのである。
4:22 彼女は、「栄光はイスラエルを去りました。神の箱が奪われたから」と言った。
主の栄光を失ってしまえば、主は臨在してくださらなくなり、恵みもなくなり、祈りも答えられなくなってしまい、人の心は荒廃し、堕落、争い、憎しみ、怒り、あらゆる悪が人々の間で氾濫するようになり、家族や友だち同志が殺し合うようになります。
エゼキエル書を見ると、イスラエル人の偶像礼拝と堕落のために、神の栄光が神殿から去って行くのを見ます(9:3~11:23)。しかし43章にいたって、主の栄光が回復するのが見られます。
主の栄光が去ってしまう時、悲惨な出来事が次々と続くのです。主の栄光が去った時に産まれた子どもは、神の真の財産を奪われてしまっているのです。パウロは次のように言っています。
「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)
主の栄光が去った所で生きる人は、何を心の糧として生きればいいのでしょうか。もはや、自分の心を満たす霊の糧を失ってしまっているのです。ですから、私たちは「自分のからだをもって、神の栄光を現わ」(コリント第一6:20)す生活をしなければなりません。毎日、心に「主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿が変えられて行」く生活をしましょう(コリント第二3:18)。これはみことばと聖霊に従った生活をすることです。
あとがき
時々、聖書の探求を読んで、困難を乗り越えることができましたというお便りをいただきます。こういう時は、全身新しい力が注がれ、喜びに満たされ、読者の方々の益となるように書かせていただきたいと祈り、奮い立たせられます。また一冊読んで一号から全部申し込まれた方が、今、何号くらいを読んでいますというお知らせをいただくと、本当にうれしくなり、読者の方が着実に成長しておられる姿を知ることができて感謝です。
わずか11頁の冊子ですが、正確さを保つために調べることも多くあり、自分の力では分からないこともあります。その時は「不明です」とか、「分かりません」と書いています。私は主と読者の皆様に力づけていただき、今日まで書き続けることができ、感謝です。
(まなべあきら 2006.10.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)
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