聖書の探求(272) サムエル記第一 5章 主、アシュドデのダゴンを断ち切る、神の箱はガテを経てエクロンへ

1873年に出版された「The story of the Bible from Genesis to Revelation(創世記からヨハネの黙示録までの聖書物語)」の挿絵「Dagon fallen down before the ark(神の箱の前で打ち倒されたダゴン)」(作者不詳、Wikimedia Commonsより)


5章と6章は、サムエルという人物の記録の道筋からはずれて、挿入的な内容になっています。その内容は、神の契約の箱をイスラエルから奪い取ったことの故に、ペリシテ人が悩み苦しんでいる姿を描いています。

5章の分解

1~5節、主、アシュドデのダゴンを断ち切る(神の箱アシュドデに停まる)
6~12節、主、アシュドデ人を腫物で苦しめる(神の箱、エクロンへ)

ここで、神の契約の箱の建造から移転について簡単にまとめておきましょう。

契約の箱の建造の命令(出エジプト記25:10~22)

材料 アカシヤ材、長さ二キュビト半、幅一キュビト半、高さ一キュビト半

内側に、純金をかぶせる。回りは金の飾り縁、 四隅の基部に四つの金の環をつける

アカシヤ材の棒に金をかぶせる。棒は箱の環に差し込んだまま、抜いてはならない。

神の「さとし(あるいは、あかし、十戒の二枚の石の板のこと)」を箱に納める。

贖いのふたは純金、長さ二キュビト半、幅一キュビト半。

二つの金のケルビムを贖いのふたの両端に作る。ケルビムの翼で贖いのふたをおおうようにする。

もう一つは、ベツァルエルによる契約の箱の建造の記録(出エジプト記37:1~9)

イスラエルのティムナ渓谷に造られた実物大の幕屋モデルの中に置かれた契約の箱。


契約の箱の移転については、

民数記10:33~36、旅路を主の契約の箱が先導

ヨシュア記3:14、ヨルダン川を渡る時、祭司がかつぐ契約の箱が先導

ヨシュア記6:8、エリコの城壁を崩す時、七人の祭司たちが角笛を吹いて先導し、主の契約の箱は、そのうしろを進んだ。

ヨシュア記18:1、契約の箱は、シロの会見の天幕の中に置かれていたようです。

サムエル記第一4:3~5、シロから主の契約の箱が携え出された。

そこから、エベン・エゼル、アシュドデ(5:1)、ガテに移され(5:8)、エクロンへ(5:10)、ペリシテ人の野に七ヶ月滞在(6:1)、ベテ・シェメシュへの道(6:12)、キルヤテ・エアリムのアビナダブの家に20年とどまった(7:2)。

サムエル記第二、6章で、ダビデが神の箱をアビナダブの家から運び出す。

アビナダブの家から(ペレツ・ウザ、6:6~8)、ガテ人オベデ・エドムの家に三ヶ月滞在(6:11)、ダビデの町エルサレムへ(6:12)、ソロモンの神殿に安置(列王記第一8:6)、その後は、バビロン捕囚で破壊されたか、行方不明、

最終的には、天にある神の神殿の中に見られる(ヨハネの黙示録11:19)。

契約の箱は、神の臨在を表わすしるしですが、4章ではイスラエル人は、箱という物質に頼ってしまって、主ご自身に対する信仰がなかったために敗北してしまったのです。今日では、教会堂という建物や儀式という形あるものに頼って、主ご自身に対する信仰がないために敗北しているのです。

1~5節、主、アシュドデのダゴンを断ち切る(神の箱アシュドデに停まる)

1,2節、アシュドデはペリシテ人の五つの主要な町の一つであり、ダゴン礼拝の中心地でした。

Ⅰサム 5:1 ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。 5:2 それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。

ダゴンはペリシテ人の偶像で、上半身は人間の形をした頭と腕と胸を持っており、下半身は細くなって魚の形をしていました。これは古くからフェニキヤ地方の海岸沿いの人に崇拝されていた偶像で、古代ウガリト遺跡で一九二九年に発見されたラス・シャムウ碑文には、ダゴンまたはバアルの父ダガンを穀物の神として記されています。

3,4節、ダゴンは主なる神の敵とはなり得ませんでした。

Ⅰサム 5:3 アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは【主】の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、それをもとの所に戻した。
5:4 次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは【主】の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた。

ペリシテ人が神の箱をダゴンの傍らに安置した翌朝、ダゴンの偶像は主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていたのです。彼らはダゴンをもとの位置に戻していますが、二日目の朝には、ダゴンは再び地にうつぶせに倒れていただけでなく、ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居の所に転がっており、人の形をした胴体だけが残っていたのです。

5節、この出来事があって、ダゴンの祭司たちやダゴンの礼拝者たちは、アシュドデにあるダゴンの神殿の敷居を踏まずに、跳び越えていたのです。

Ⅰサム 5:5 それで、ダゴンの祭司たちや、ダゴンの宮に行く者はだれでも、今日に至るまで、アシュドデにあるダゴンの敷居を踏まない。

ゼパニヤ書1章9節にある「その日、わたしは、神殿の敷居によじのぼる(敷居を跳び越えるという儀式になっていた)すべての者、……を罰する。」とあるのは、ダゴンを礼拝する者たちのことを言っていると思われます。

ユダの王ウジヤはアシュドデの城壁を打ち壊していますので(歴代誌第二26:6)、ダゴン神殿があったことの記録は、この記録がウジヤ王の時代よりも前に書かれたことを示しています。

それにしても、主に対してこの世の異教の偶像など敵に値しないものであることは、明らかであるのに、なぜ現代、この日本において異教の偶像礼拝が盛んに行なわれて、イエス様を礼拝することが長期間、低迷しているのでしょうか。それは、イスラエル人と同じように、主ご自身よりも、儀式や教会堂の建物や形あるものに頼っているからです。そして、もう一つはクリスチャンの内になお、自己中心の自己主張が残っているからです。その自己主張から、他人を批判したり、争いを引き起こしたりしているからです。それ故、主が働いて下さらないのです。この二つの点に私たちは早く気づいて、主ご自身の真の礼拝者とならせていただきたいものです。そうすれば、この日本においても真のリバイバルを経験することができます。

6~12節、主、アシュドデ人を腫物で苦しめる(神の箱、エクロンへ)

Ⅰサム 5:6 さらに【主】の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かした。

「主(ヤーウェ)の手」(9節)サムエル記の記者は、ダゴンに対する主のみわざを「主(ヤ―ウェ)の手」と呼んでいます。しかし主を知らないペリシテ人は同じみわざを見ても「神の手」(7節)と言っています。11節の「神の手」は、サムエル記の記者のことばとして書かれているのかもしれませんが、11節の前半部分がペリシテ人の言葉ですので、ペリシテ人の言葉を使ったものと思われます。

因みに、エズラ記7章6節では「主(ヤーウェ)の御手」、同7章9節では「神の恵みの御手」、同7章28節では「主(ヤーウェ)の御手」と言われています。

主なる神を愛し、従順に従う者に対しては、主の御手は、恵みの御手、守りの御手となりますが、神に逆らい、不従順になり、敵対する者に対しては、さばきの御手となるのです。

6節の「腫物」はヘブル語のアファルで、「はれもの」で苦しんだとありますが、6章11節と17節の「腫物」はヘブル語のテコルで、特に肛門の腫瘍、すなわち「痔」と呼ばれているものです。これについては、ペリシテ人はねずみによる伝染病に感染し、リンパ腺がはれていたものと考えられています。

7,8節、アシュドデの町の人々は、ダゴンがばらばらに切り離されて倒されたことや、腫物のわざわいを受けたことを、イスラエルの神の御手によるものと認識しています。

Ⅰサム 5:7 アシュドデの人々は、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない。その神の手が私たちと、私たちの神ダゴンを、ひどいめに会わせるから。」5:8 それで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部そこに集め、「イスラエルの神の箱をどうしたらよいでしょうか」と尋ねた。彼らは、「イスラエルの神の箱をガテに移したらよかろう」と答えた。そこで彼らはイスラエルの神の箱を移した。

7,8,10,11節に記されている「イスラエルの神」は、どれも単数形で書かれています。4章8節で、ペリシテ人が最初に主の契約の箱を見た時には、「この力ある神々の手」と複数形で書かれています。これはペリシテ人の多神教の考え方をイスラエル人の神にも当てはめて使っていたのですが、ここではその多神教的考え方が改められて、唯一神に変わっています。サムエル記の記者は、ペリシテ人たちが、イスラエルの神は唯一人の主であることを悟ったことを示したかったのだと思われます。

現代のように神に無関心の時代なら、ダゴンが倒れたのは、置き方が悪かったからとか、だれか人間が壊したからとか、腫物は消毒すればいいと考えるでしょう。確かに伝染病なら、消毒は必要ですが、消毒は人の心の中の罪、とが、汚れを取り除くことはできません。現代は医学も、衛生も進んでいる時代ですが、人々の心の中には罪悪が満ちており、より治療の困難な伝染病や病気が世界中に広がっています。

この点でペリシテ人が、自分たちがわざわいを受けた時、唯一の神を認めたことは現代人よりは賢かったと言えるでしょう。しかしペリシテ人の判断の誤っている点は、自分たちがイスラエルの唯一の神を受け入れて礼拝しようとしたのではなくて、主を自分たちにわざわいを与える神として引き離そうとしていることです。

この一連の出来事を見ると、神の箱が来たアシュドデやベテ・シェメシュでは、わざわいを与えていますが、キルヤテ・エアリムのアビナダブの家での二十年の滞在期間には、わざわいのことは何も記されていません(7;1,2)。ガテ人オベデ・エドムの家に三ヶ月とどまった時には、主はオベデ・エドムと彼の全家を祝福しておられます(サムエル記第二6:11)。これを見ると、主がとどまることを、ペリシテ人のように単にわざわいと見るのも、不信仰で不忠実だったイスラエル人のように、無条件で勝利が与えられると思い込むのも間違っています。主がともにいてくださることが、祝福となるのか、わざわいとなるのかは、各々の信仰と従順な生活とによるのです。

アシュドデの人々はペリシテの領主(首長)たちを集めて、イスラエルの神の箱をどう処理すればいいか、会議を開いています。そしてその結論は、神の箱をガテに移すことになりました。その理由は、人々の間に腫物が流行しているのは、イスラエルの神とダゴンとの間の争いの結果であると考えたからです。そしてガテには、ダゴンの神殿がなかったので、ガテが選ばれたものと思われます。ガテに移せば、主の箱とダゴンの争いはなくなり、腫物もなくなると、安易に考えたのです。

9節、しかしペリシテ人の計算通りにはいきませんでした。主の契約の箱をイスラエルから奪うという、主を侮辱する行為が続いていたからです。

Ⅰサム 5:9 それがガテに移されて後、【主】の手はこの町に下り、非常な大恐慌を引き起こし、この町の人々を、上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。

ガテに下されたわざわいは更にひどく、非常な大恐慌を引き起こし、ガテの上の者も下の者もみな、腫物ができてしまっています。

10節、主の箱はペリシテ人の間でますます恐れられるようになり、エクロンに送っています。

Ⅰサム 5:10 そこで、彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着いたとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言った。「私たちのところにイスラエルの神の箱を回して、私たちと、この民を殺すのか。」

エクロンの人々はあわてて大声で「私たちのところにイスラエルの神の箱を回して、私たちと、この民を殺すのか。」と叫んでいます。

4章で、神の箱を奪い取って、勝利の大歓声を上げたであろうペリシテ人が、ここでは恐怖のどん底にいたのです。自分の知恵や考えによって、一時、勝利を得たかに見えていても、それが主への忠実な信仰から出ているのでなければ、やがて必ずペリシテ人と同じく、厳しい恐怖のどん底に陥ることになるのです。

11節、再びペリシテ人の全領主が集まって会議を開き、「イスラエルの神の箱を送って、もとの所(イスラエル人の所)に戻す」ことになったのです。

Ⅰサム 5:11 そこで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部集めて、「イスラエルの神の箱を送って、もとの所に戻っていただきましょう。私たちと、この民とを殺すことがないように」と言った。町中に死の恐慌があったからである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。

何事も、争いに勝てばいいのではありません。相手を非難、攻撃して、被害を与えることによって、それ以上に自分が神の懲らしめを受けることになるのです。

ペリシテの「町中に死の恐慌があったからである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。」

イスラエルの神の箱のエクロンまでの移動経路


12節、主の箱をイスラエル人から奪ったことによって、多くのペリシテ人が死んだことを表わしています。

Ⅰサム 5:12 死ななかった者も腫物で打たれ、町の叫び声は天にまで上った。

「死ななかった者も腫物で打たれ、町の叫び声は天にまで上った。」とは、更に多くの死人が出ることが予測され、その苦痛や嘆きが絶頂に達していたことを表わしています。その原因を、ペリシテ人は彼らの程度において認識していたことを示しています。「町の叫び声は天にまで上った。」は、ペリシテ人がイスラエルの唯一の神に助けを求めて叫んだのかどうかは、はっきりしませんが、少なくとも、頭と両腕が断ち切られて倒されたダゴンの助けを求めたのではないようです。サムエル記の記者は、ペリシテ人が、主なる神を明確には分からないまでも、天の神に苦痛を訴えたことを表わしていると思われます。

私たちも他人を非難、攻撃する時、たといそれが正当であっても、度が過ぎないようにしないと、かえって自分が大きなわざわいを受けることになります。

「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイ7:1,2)

「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:19~21)

これらのみことばを実行する人になれば、主は必ず大いなる恵みをお与えくださいます。

あとがき

北朝鮮の核実験で急速に危機感が高まって来ました。中国もロシヤも、北朝鮮がイラクの二の舞になることを現実に恐れていると報じられています。万一、そうなれば、日本も無傷ですまされないでしょう。これは制裁を加えれば解決する問題ではありません。この問題は北朝鮮の国民の内に改革が起きてくるしか解決の道はありません。みんな大人ですから、健全な理性を持って考えれば、周辺国に脅威を与えるミサイルを打ったり、核開発をすることがどんな結果を引き起すかは分かっているはずです。しかし心にイエス様がいないと、心は頑なになり、自己中心になり、高慢になり、争いを引き起す方向に急進してしまうのです。これは私たちの間でも起こりやすいことなのです。本当に聖潔が必要です。

(まなべあきら 2006.11.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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