聖書の探求(285) サムエル記第一 14章16~35節、イスラエル人の追撃、サウルの無理な命令、ヨナタンと蜂蜜

フランスの画家James Tissot (1836–1902)による「Jonathan Tastes of the Honey(ヨナタンは蜂蜜を口に入れる)」(New YorkのJewish Museum蔵)


16~23節、サウルの出陣とイスラエル人の追撃

16節、サウルのために見張りをしていた者が見ると、ペリシテの兵士たちが震えおののいて、右往左往して敗走しているのが見えたのです。

Ⅰサム 14:16 ベニヤミンのギブアにいるサウルのために見張りをしていた者たちが見ると、群集は震えおののいて右往左往していた。

このことを見張りが報告するまで、サウルはヨナタンがペリシテ人に挑戦していることに気づかなかったのです。ヨナタンがこのことを父サウルに相談しなかったのは、サウルの実質の低さを知っていたからでしょう。サウルに相談すれば、反対するか、それとも六百人の兵士を連れて戦うと言うか、どちらかだったからです。

17節、サウルは、報告を受けて調べさせて、ヨナタンと道具持ちがいないことに気づいたのです。

Ⅰサム 14:17 サウルは彼とともにいる民に言った。「だれがわれわれのところから出て行ったかを、調べて、見なさい。」そこで彼らが調べると、ヨナタンと道具持ちがそこにいなかった。

このようなことではサウルは司令官として失格です。これはサウルに統率力がなかったことを表わしています。良かったことはヨナタンが反逆して、いなくなっていたのではないことです。

18節の「『エポデを持って来なさい。』

サム上 14:18 サウルはアヒヤに言った。「エポデを持って来なさい。」当時、彼がイスラエルの前にエポデを取ったのである。(1955年改訳)

「当時、彼がイスラエルの前にエポデを取ったのである。」の部分は、七十人訳聖書によっています。

この時、アヒヤが祭司の働きをしていました。エポデには神の御旨をうかがうためのくじのウリムとトンミムがポケットに入れられていたのです。エポデは祭司が着る前掛けのようなもので、それを着て主の前に進み、主のみこころを示されたとされています。そのウリムとトンミムがどのようなものであったかは、知られていません。ダビデの治世以後は、主の導きを確かめるのに、ウリムとトンミムが使われたという記録はありません。神の啓示の仕方が進展して変わったことを示しています。

19節、サウルが祭司アヒヤに話している間にも、ペリシテ人の陣営の騒動が、ますます大きくなり、総崩れになっていったので、サウルは、「もう、主のみこころを確かめるひまがない。」と思ったのでしょう。

Ⅰサム 14:19 サウルが祭司とまだ話しているうちに、ペリシテ人の陣営の騒動は、ますます大きくなっていった。そこでサウルは祭司に、「もう手をしまいなさい」と言った。

サウルは祭司に「もう手をしまいなさい。」と言っています。この時、祭司アヒヤはエポデのポケットに手を入れ、ウリムとトンミムで主のみこころを問うことを始めていたものと思われます。それを中止させたのです。ここにサウルの短気な性急さが表われています。また主のみこころを確かめることを重要視しない愚かさが見られます。こういうところに、サウルの運命を示すものが見られます。主よりも、自分の思いや考えを優先する高慢な愚かさです。

20節、サウルは敵のペリシテ軍が同士打ちをして、大変な大恐慌が起きている中に入って行って、戦いに勝つことになったのです。

Ⅰサム 14:20 サウルと、彼とともにいた民がみな、集まって戦場に行くと、そこでは剣をもって同士打ちをしており、非常な大恐慌が起こっていた。

大軍の敵に対して個人が立ち上がって挑戦するには、勇気ある信仰が必要です。大きな困難に立ち向って行く時も、大きな勇敢な信仰が必要です。この異教の国、日本で開拓宣教を始めて、福音宣教をしていくことも、勇気と忍耐のある信仰が必要です。しかしまた、その戦いを続けて、その働きを継続して主の日まで成し遂げていくことは、至難のわざです。
最初のヨナタンが切り開いてくれた戦いに加わり、ほぼ勝利が確定しているところに参戦して、目先の勝利を得ることは容易です。サウルはこの勝利を後代にまで引き継がせることができなかったのです。自ら、自分の考えに頼って、国を失ってしまったのです。

先の人が切り開いて下さった働きを引き継ぐことは容易です。しかしそれを主の日まで全うしていくことは至難のわざです。ほとんどの者が途中で、自分の考えに従うようになり、その働きは崩れて行くのです。歴史はそれを物語っています。
ですから、主は「その心がご自分と全く一つになっている人」にしか御力を現わしてくださらないのです(歴代誌第二 16:9)。

21節には、分かりにくい言葉が記されています。

Ⅰサム 14:21 それまでペリシテ人につき、彼らといっしょに陣営に上って来ていたヘブル人も転じて、サウルとヨナタンとともにいるイスラエル人の側につくようになった。

それは「それまでペリシテ人につき、彼らといっしょに陣営に上って来ていたヘブル人も転じて」と、「サウルとヨナタンとともにいるイスラエル人」という言葉です。
私たちが疑問に思うのは、ヘブル人のうちにペリシテ人についていた者がいたのか、ということです。ここではサムエル記の記者は、「ヘブル人」という呼び方と、「イスラエル人」という呼び方を区別して、異なる意味で、使おうとしていることが見られます。すなわち、広い意味での民族的「ヘブル人」と、ヘブル人の中にあって、神の民となっている「イスラエル人」の区別をつけています。

神の民である全てのイスラエル人は、民族的にヘブル人でしたが、民族的なすべてのヘブル人が、神の民のイスラエル人ではなかったのです。後代になると、この区別された使われ方ではなくなり、ヘブル人とイスラエル人とは全く同じ意味で使われるようになっています。しかしここでは区別して使われています。神の民としての信仰が明確でなかったヘブル人の中には、ペリシテ人が圧倒的に優勢と見ると、最初からペリシテ人の陣営に加わっていた者たちがいたのです。

ところが、ヨナタンたちの挑戦により、主が戦ってくださったことによって、ペリシテ軍が同士打ちをして大混乱を起こし、大恐慌に陥った時、ペリシテ軍に加わっていたヘブル人たちが、サウルとヨナタンの率いるイスラエル軍に移って来たのです。この世には、勝者の側に同調して、意見を変え、態度を変えて加わろうとする者たちが沢山いるのです。しかしこのような人で役に立つ人はほとんどいません。次の戦いの時に歩が悪くなると、再び態度を変える「二心の人」なのです。

22節には、もう一種類のイスラエル人たちが姿を現わしています。

Ⅰサム 14:22 また、エフライムの山地に隠れていたすべてのイスラエル人も、ペリシテ人が逃げたと聞いて、彼らもまた戦いに加わってペリシテ人に追い迫った。

彼らはペリシテ人を恐れて、エフライムの山地に逃げて隠れていた人々です。彼らは信仰も勇気もない人たちですが、ペリシテ人たちが敗走したことを聞いて、イスラエルの軍隊に加わり、ペリシテ人に追い迫ったのです。

この時はみんな元気を取り戻し、勇敢な姿を見せていますが、万一、ペリシテ軍が振り返って反撃し始めたら、すぐにおびえて逃げてしまう人々です。このような人々は、、孤独で忍耐の必要な戦いには耐えられない人たちです。主はミデヤンとの戦いの時に、ギデオンに次のように命じておられます。

「今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい。』と言え。すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。」(士師記7:3)

ルツ記のルツは、決してこのような人ではありませんでした。ひとり孤独であっても、また貧しく困難の中にあっても、毎日の落ち穂を拾う生活の中で、ひたすら主を信じて、従い続けたのです。主はこのような人に力を現わし、祝福してくださるのです。

23節、「こうしてその日、主はイスラエルを救い」

Ⅰサム 14:23 こうしてその日、主はイスラエルを救い、戦いはベテ・アベンに移った。

勝利はヘブル人が加わったからでもなく、山地に隠れていたイスラエル人が加わったからでもなく、サムエル記の記者は、勝利のすべては主の救いのみわざによると明記しています。人が誇らないためです。

「戦いはベテ・アベンに移った。」は、文字通りには、「ベテ・アベンを越えて行った。」です。

ベテ・アベンはミクマスの西で、ペリシテ人の国に向かう方向にありました。つまりペリシテ人の兵士たちは、ペリシテ人の国に向かって逃げ帰って行ったのです。

24~30節、サウルの無理な命令(戦いが終わるまで食事を禁じた)

24節、「その日、イスラエル人はひどく苦しんだ。」

Ⅰサム 14:24 その日、イスラエル人はひどく苦しんだ。サウルが民に誓わせて、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる」と言い、民はだれも食物を味見もしなかったからである。

ここでも、サウルの愚かで性急な性格が表われています。おそらくヨナタンは夜明け頃、ペリシテの先陣に乗り込んで行ったものと思われます。後から加わった兵士たちも、少なくとも午前中に参戦したことでしょう。そのまま夕方まで食事をさせなかったら、どんなに強い兵士でも力尽きて、疲れ果ててしまいます。それくらいのことはサウルにも分かるはずです。しかしサウルは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる。」と命じたのです。

この言い方は、サウルが信仰的な意味での断食を命じたのです。変なところで、彼は信仰を持ち出したのです。信仰を日常生活の中で健全に活用していない人が、信仰を強調し始めると、不適切で、不健全なことを行なうことが多いのです。ここで信仰熱心になっておくと、神様が祝福してくださるだろうと思うのでしょう。戦いの前に主のみこころを問うことをしなかったサウルが、ここで突然、無理で愚かな断食を兵士たちに強制したことによって、兵士たちをひどく疲れさせてしまい、勝利を限定的なものにしてしまったのです。

不健全で熱心な形だけの信仰は、有害です。王の命令を恐れたイスラエルの兵士たちは、空腹で疲れていても、「だれも食物を味見もしなかった。」と記しています。王が「のろわれる。」と言ったからです。他の人に「のろい」を話す信仰は不健全で愚かです。そのような言葉を恐れる必要はありません。他人に「のろい」を語る、その人自身がのろわれるのです。事実、サウルはその「のろい」を自分の身に受けることになってしまったのです。

25,26節、「この地はどこでも」は、英語改訂標準訳では「『民が』、森にはいって行くと、地面に蜜があった。」

1 Samuel 14:25 “And all the people came into the forest; and there was honey on the ground. “(Revised Standard Version)

Ⅰサム 14:25 この地はどこでも、森に入って行くと、地面に蜜があった。
14:26 民が森に入ると、蜜がしたたっていたが、だれもそれを手につけて口に入れる者はなかった。民は誓いを恐れていたからである。

神の約束の地は実に乳と蜜の流れる地でした。しかし、愚かで性急な、「のろい」の命令によって、兵士たちは主の豊かな恵みと祝福を味わうことができなかったのです。

今日も、クリスチャンには豊かな命が約束されているのに、様々な人間の愚かな言葉に縛られ、「のろい」の言葉を恐れて、その豊かな命を味わうことができない人がいるのです。その人たちは、ひどく疲れて苦しんでいるのです。それは神が悪いのではありません。勝手に人が無理で不健全な信仰の言葉を語っているからです。それらから解き放たれる信仰が必要です。私たちの心を満たす蜜は私たちのすぐ近くに満ちているのです。

「それらは金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。」(詩篇19:10)

「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」(詩篇119:103)

27節、戦いの先頭に立っていたヨナタンは父サウルの断食の命令を聞いていなかったのです。

Ⅰサム 14:27 ヨナタンは、父が民に誓わせていることを聞いていなかった。それで手にあった杖の先を伸ばして、それを蜜蜂の巣に浸し、それを手につけて口に入れた。すると彼の目が輝いた。

激しい戦闘の最中に断食の命令を出したのはサウルくらいでしょう。その命令を聞いたのは、実際に、戦っていない民たちだけです。ヨナタンは杖の先を伸ばして蜜蜂の巣に浸し、したたっている蜜を手に取り、口に入れると、彼の目が輝いたとあります。それはわずかの量の蜜だったでしょう。しかしヨナタンは疲れを忘れるほど力を取り戻したのです。

28節、その時、民のひとりがヨナタンに、サウルの愚かな命令について知らせたのです。

Ⅰサム 14:28 そのとき、民のひとりが告げて言った。「あなたの父上は、民に堅く誓わせて、きょう、食物を食べる者はのろわれる、とおっしゃいました。それで民は疲れているのです。」

「それで民は疲れているのです。」ここに、王を求めたイスラエル人にサムエルが警告していた、王に対する過酷な負担(サムエル記第一 8:11~18)が、現実のこととなって現われたのです。これはサウルも愚かでしたが、王を求めたイスラエル人も愚かで、不信仰であったことの結果です。

これとは別の問題ですが、ソロモンとレハブアムは、国民に過酷な労働と税金を課したために、王国は分裂してしまったのです。

「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。…
私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」(列王記第一 12:4,11)

29,30節、「父はこの国を悩ませている。」

Ⅰサム 14:29 ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ご覧。私の目はこんなに輝いている。この蜜を少し味見しただけで。 14:30 もしも、きょう、民が見つけた、敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を打ち殺していたであろうに。」

ヨナタンは、父サウルの愚行を悲しんでいます。ヨナタンは自分の体験から、蜜を少し味見しただけで、目が輝くほどに元気を回復したことをあかししています。イスラエルの民には食物がなかったのではありません。敵からの分捕り物が沢山あったのです。これを民が食べていたなら、こんなに苦しい思いをすることなく、またこんなに戦いを長引かせることなく、「今ごろは、もっと多くのペリシテ人を打ち殺していたであろうに。」と言っています。

しばしば信仰者はこの落し穴に陥って、自分の働きのための手足を縛ってしまい、力を失って、大きな成果を得られず、何百年と信仰の低迷状態を続けているのです。禁欲主義、難行苦行、独身主義、清貧などが、信仰的に高い徳があると強調されて来た時、教会はその歴史の中で、どんどん衰退して行ったのです。信仰上の敬虔を強調していますが、徳の向上はなく、信仰をこれらのことが出来る特定の人のものにしてしまい、福音は一般民衆の心に広がって行かなかったのです。これらの一般民衆を難儀させるものは、イエス様が定められたものではありません。後の人間が各々の都合で考え出したもので、人々を疲れさせ、苦しめてきただけです。

31~35節、民は血のまま肉を食べ、主に罪を犯した。

31節、「その日彼らは、ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を打った。」

Ⅰサム 14:31 その日彼らは、ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を打った。それで民は非常に疲れていた。

ペリシテ軍は山地のミクマスから地中海沿岸のペリシテ人の国に向かって、下りの山道をかけ下って、必死に逃げたのです。

アヤロンはヨシュアがエモリ人の五人の王たちの連合軍を追跡した所でもあり、ヨシュアは「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」(ヨシュア記10:12)と言っています。

アヤロンを越えると、ペリシテ人は自分の国に逃げ込むことができたのです。しかしイスラエルの兵士たちは空腹で、非常に疲れており、限界に達していたのです。サウル王が「食事をする者はのろわれる。」と誓わせていたからです。

32節、空腹のままで戦っていた兵士たちは限界に達して、分捕り物の羊や牛や、若い牛を、その場でほふって、血を抜く時間も待ち切れずに、血のまま、その肉を食べたのです。

Ⅰサム 14:32 そこで民は分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場でほふった。民は血のままで、それを食べた。

33節、「民が血のままで食べて、主に罪を犯しています。」

Ⅰサム 14:33 すると、「民が血のままで食べて、主に罪を犯しています」と言って、サウルに告げる者がいた。サウルは言った。「あなたがたは裏切った。今ここに大きな石をころがして来なさい。」

これはサウルの命令を破ったので、「主に罪を犯しています。」と言ったのではなくて、「血のままで食べて」いるので律法を犯して「主に罪を犯しています。」と言っているのです。レビ記17章10~14節、同19章26節、申命記12章16,23~27節に、血はいのちですから、主にささげなければならないこと、血を食べてはならないことが定められています。この規定を破ったことを言っているのです。

激しい戦いに行く兵士たちに断食を命じれば、必ずこうなることは分かり切っていることだったのです。

しかしサウルは「あなたがたは裏切った。」と言っています。彼が無理矢理誓わせた断食の命令を破ったことを罪だと思ったのです。しかしサウルは自分の命令が無茶だったことに気づいたのでしょう。また血のまま肉を食べてはいけない規定をも、サウルは知っていたはずです。

34節、そこでサウルは、兵士たちに食事を与えるために、その夜、各々自分の牛をほふって食べるように言っています。

Ⅰサム 14:34 サウルはまた言った。「民の中に散って行って、彼らに言いなさい。『めいめい自分の牛か羊かを私のところに連れて来て、ここでそれをほふって食べなさい。血のままで食べて主に罪を犯してはならない。』」そこで民はみな、その夜、それぞれ自分の牛を連れて来て、そこでほふった。

「血のままで食べて主に罪を犯してはならない。」と付け加えているところを見れば、サウルは自分が命じた命令の愚かさに気づいたのかも知れません。

35節、「サウルは主のために祭壇を築いた。」

Ⅰサム 14:35 サウルは主のために祭壇を築いた。これは彼が主のために築いた最初の祭壇であった。

サウルは、民が儀式上の罪を犯していることを聞いて、律法の要求を満たすために祭壇を築いています。サウルは、自分の愚かで過酷な命令が民に罪を犯させたことに気づいたのではありません。

「これは彼が主のために築いた最初の祭壇であった。」しかしこのサウルが築いた祭壇は、彼の勝利を記念する祭壇として受け留められてしまい、ますますサウルは自分の愚かさに気づくことから遠く離れてしまったのです。

あとがき

信仰は知的能力に関係なく、素直に従順にイエス様に信頼して生活していく人の内に味わう神との交わりの経験です。それが平安となり、確信となり、愛と喜び、明るさの味わいとなります。
しかし自分の知恵に頼って熱心になることが信仰だと思っている人や、自分の正しさや真面目さに頼っている人は、他人の欠点、弱点、過ち、罪を批判することが熱心な信仰だと思い込んでいます。このような人たちは、争いの原因となっています。イエス様はこれらの人々を喜ばれません。なぜなら、自分の知恵に頼ることも、自分の正しさに頼ることも信仰ではないからです。
「信仰から出ていないことは、みな罪です。」(ローマ14:23)
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル11:6)

(まなべあきら 2007.11.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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