聖書の探求(235,236) 士師記8章 ギデオンの追撃、謙遜と落とし穴、ギデオンの死とアビメレクの紹介

上の絵は、フランスの画家 James Tissot (1836-1902) により描かれた「Gideon Asks for Bread From the Men of Succoth(ギデオンはスコテの人々にパンをくださいと頼む)」(ニューヨークのJewish Museum蔵)

8章は、戦いの後の事を記しています。イスラエル全体に信仰が深く浸透していなかったために、戦いは大勝利でしたけれども、それですべて完了というわけにはいかず、イスラエルの内側でくすぶり続けたのです。教会の中も、すべての人が信仰に満ちていれば、「ハレルヤ」の賛美と感謝で、すべて解決するのですが、この世と調子を合わせている自分中心な性質を持っている人がいると、勝利の後も、不満や嫉妬の呟きを引きずるのです。ですから、日頃から、聖潔の信仰を更新して、いつも信仰が霊魂に満ちている状態になっていなければなりません。そうでないと、事が起きる度に、不満のくすぶりを引きずるようになります。

8章の分解

1~3節、エフライムの苦情
4~21節、ギデオンの追撃
22~28節、ギデオンの謙遜と落とし穴
29~35節、ギデオンの死とアビメレクの紹介

1~3節、エフライムの苦情

この三節の中には、エフライム人の欲、嫉妬、激しい怒り、不満が見られます。

士 8:1 そのとき、エフライム人はギデオンに言った。「あなたは、私たちに何ということをしたのですか。ミデヤン人と戦いに行ったとき、私たちに呼びかけなかったとは。」こうして彼らはギデオンを激しく責めた。

1節の「激しく責めた」は、ヘブル語のもとの意味は「髪の毛をつかむ」ことです。この言葉を使っていることは、エフライム人がいかに激しくギデオンに詰め寄って責めていたかを表わしています。

彼らが、それほど激しく怒りを表わしたのは、二つの理由があったでしょう。
一つは、イスラエルの最大部族であるエフライムが戦いの先頭に立って大勝利をするという名誉が失われたこと、
もう一つは、戦利品を自分たちが一番多くもらいたいという欲からです。

彼らはギデオンが戦いを始める前に、エフライムに相談し、助けを求めなかったことは「エフライムに対する侮辱だ。」と言って、ギデオンを激しく責め立てたのです。

自己中心な人は、名誉心と貧欲が損なわれると、「勝ったんだから、いいじゃないですか。」ではすまされないほど、腹を立てるのです。

2,3節、これに対して、ギデオンの対応は、エフライム人の怒りをなだめる最高の言葉を持って応えています。

士 8:2 ギデオンは彼らに言った。「今、あなたがたのしたことに比べたら、私がいったい何をしたというのですか。アビエゼルのぶどうの収穫よりも、エフライムの取り残した実のほうが、よかったのではありませんか。
8:3 神はあなたがたの手にミデヤン人の首長オレブとゼエブを渡されました。あなたがたに比べたら、私に何ができたのでしょう。」ギデオンがこのことを話すと、そのとき彼らの怒りは和らいだ。

「今、あなたがたのしたこと(ミデヤンの二人の王、オレブとゼエブを殺害したこと)に比べたら、私がいったい何をしたというのですか(ギデオンの手柄を帳消しにする言い方です。すべての名誉をエフライムに与えています。)。
アビエゼルのぶどうの収穫(ギデオンの三百人の部下が最初にした勝利)よりも、
エフライムの取り残した実(戦いの終わりの時のエフライムの活躍によって得た収穫)のほうが、よかったのではありませんか。」

「アビエゼル」は、ギデオンの家系です。ですから、このギデオンの言葉からすると、神に用いられた三百人の精兵士は、ギデオンの氏族の中から出た人々であったことを暗示しています。

ギデオンは、この応対をすることによって、自分が成し遂げたことは、エフライム人がオレブとゼエブのニ人のミデヤンの王を倒したことに比べると、価値がないと答えることによって、エフライム人の激しい怒りを解いたのです。

4~21節、ギデオンの追撃

4節、ギデオンと三百人は、非常に疲れていたけれども、なお追撃を続けています。

士 8:4 それからギデオンは、彼に従う三百人の人々とヨルダン川を渡った。彼らは疲れていたが、追撃を続けた。

先程のエフライム人はミデヤンの二人の王を殺害することによって自己満足し、その上、ギデオンから名誉ある言葉を聞いたので、それで戦いは終わったと思ったのでしょう。自分たちの不満をぶちまけて、華を持たせてもらって自己満足すると、帰って行ったのです。

しかし、戦いはまだ終わっていないことをギデオンは知っていました。ギデオンはエフライム人とのゴタゴタを長引かせるわけにはいかなかったのです。元々、嫉妬や不満をもらす者たちの助けなど当てにできないものです。ギデオンとともに、疲れながらも、最後まで戦い抜いたのは、最初からギデオンとともに戦っているあの三百人の精兵士だけです。大勢の人が集まってきたのを喜ぶのはエフライム人と同じ性質の人です。どんな働きでも、大勢の人が帰って行った後、後片付けまでする人が本当の働き人なのです。疲れていても、仕事が終わったと、人々が思うところから、なお追撃の働きが始まるのです。その時、一緒に戦う人が本物の同労者、精兵士なのです。これは人数の問題ではなく、質の間邁なのです。

5~9節、冷淡な傍観者

士 8:5 彼はスコテの人々に言った。「どうか、私について来ている民にパンを下さい。彼らは疲れているが、私はミデヤン人の王ゼバフとツァルムナを追っているのです。」
8:6 すると、スコテのつかさたちは言った。「ゼバフとツァルムナの手首を、今、あなたは手にしているのでしょうか。私たちがあなたの軍団にパンを与えなければならないなどとは。」

スコテとペヌエルの人々はエフライム人よりも、もっと性質が悪かったのです。彼らはイスラエル人でありながら、疲れて、お腹をすかして追撃しているギデオンと三百人の兵士の求めに対しても、パンを与えなかったのです。

「あなたの手に善を行なう力がある時、求める者に、それを拒むな。」(箴言3:27)

「彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。」(ルカ15:16)

「『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。」(マタイ19:21,22)

「主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。」(詩篇37:3)

神の働き、神の戦いをしている者を目の前に見て、何の助けもしない者がいれば、主は必ず報復をされるでしょう。

「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」(マタイ10:42)

スコテはガドの領地で、ツァレタンの近くのヨルダン渓谷にあり、ヤボク川から北に「1.6kmにある、今のテル・アハサスです。

スコテという地名は、モーセの時代にエジプトの国境を越える時に最初に宿営した所の地名であり(出エジプト記12:37)、その地名をヨルダン渓谷の小さい町にも付けたので
しょう。

14節を見ると、スコテはつかさたちと七十七人の長老たちを持つ町でした。彼らは、軽
蔑を露骨に表わして、ギデオンにこう言ったのです。「ゼバフとツァルムナの手首を、今、あなたは手にしているのでしょうか。」と。これは、「あなたは、まだゼバフとツァルムナを捕えていないのですか。」と嘲笑っているのです。スコテのつかさたちには、ギデオンと三百人の兵士は、わずかな人数の、疲れ切った農民に見えたのです。その姿は、まさにそのように見えたでしょう。神の選ばれた精兵士には見えなかったのでしょう。ですから、万一、ギデオンたちが敗れて、ゼバフとツァルムナが復讐するために戻って来たら、自分たちは危ないと思って、ギデオンたちにパンを与えなかったのです。

クリスチャンの中にも、互いに愛し合い、助け合い、痛みも、重荷も分かち合うことをせず、損得だけを計算して生活している人はいないでしょうか。その人はもはや、神の民、神の家族ということはできないでしょう。彼らは神の民の中にいながら、神の勝利を信じることができず、神の愛も分かち合うことをしなかったのです。

7節、ギデオンは、主が完全な勝利を与えてくださることを信じて、報復を宣言しています。

士 8:7 そこでギデオンは言った。「そういうことなら、【主】が私の手にゼバフとツァルムナを渡されるとき、私は荒野のいばらやとげで、あなたがたを踏みつけてやる。」

この世の仕返しを恐れて、信仰を鮮明にせず、イエス様を恥じる者に対しては、主が報復されるのです。

8節、ギデオンはスコテからヤボク川を渡って、山地の方に向かって、ペヌエルまで上って行きました。

士 8:8 ギデオンはそこからペヌエルに上って行き、同じように彼らに言った。すると、ペヌエルの人々もスコテの人々が答えたように彼に答えた。

彼はここでもペヌエルの人々にパンを求めましたが、ぺヌエルの人々も、スコテの人々と同じように答えたのです。

ペヌエルは、創世記32章24~32節で、族長ヤコブが主と挌闘して、もものつがいをはずされた所で、彼は「私は顔と顔とを合わせて神を見た」と言って、その場所を「ペヌエ
ル(「神の御顔」と言う意味)」と呼んだ所です。しかしペヌエルの人々には、その信仰はありませんでした。彼らもミデヤンの王たちの復讐を恐れたのです。

9節、ギデオンはぺヌエルの人々にも、「私が無事に帰って来たら、このやぐらをたたきこわしてやる。」と言っています。

士 8:9 それでギデオンはまたペヌエルの人々に言った。「私が無事に帰って来たら、このやぐらをたたきこわしてやる。

ぺヌエルには、敵から町を守るための防御壁がなかったので、敵から避難するための砦を作っていたのです。

10~12節、二人の王の逮捕

10節、ゼバフとツァルムナは約一万五千の軍隊とともにカルコルにいました。

士 8:10 ゼバフとツァルムナはカルコルにいたが、約一万五千からなるその陣営の者も彼らといっしょにいた。これは東の人々の陣営全体のうち生き残った者のすべてであった。剣を使う者十二万人が、すでに倒されていたからである。

カルコルは死海の東側のシルハンの谷にあったとされていますが、現在、その正確な場所は分かっていません。
一万五千人という軍隊はギデオンの三百人に比べると、大軍ですが、なぜ、この大軍がギデオンの三百人を倒す気力を失っていたのでしょうか。それは、すでに倒れた者が十二万人もいたからです。それも剣を使う者です。残っていた者たちは、その十分の一で、その減り方は目に余るものがあり、ギデオンの三百人よりも、神によって倒された仲間の十ニ万人に心が捕われていたのでしょう。また残った者が約一万五千人いても、彼らは心を一つに結束した軍隊ではなく、一人一人、心がバラバラになり、逃げる事しか考えていない混乱した個人の集団でしかなかったからです。心がバラバラである時、どんなに大勢の群衆が集まっていても、力にはならないのです。

11節、ギデオンはノバフとヨグボハの東の天幕に住む人々の道に沿って上って行って、突然、敵を襲撃しています。

士 8:11 そこでギデオンは、ノバフとヨグボハの東の天幕に住む人々の道に沿って上って行き、陣営を打った。陣営は油断していた。

「ヨグボハ」は「引き上げられる」という意味で、現在のヒルベト・アジベハートで、ノバフはその近くと思われます。ここはキャラバンの通る砂漠につながる道です。ミデヤンたちはギデオンがここまで追撃して来るとは考えていなかったのです。ギデオンは三百人の少数で追っていたので、混乱している大軍には気づかれないで迫撃することができたのです。

ミデヤン人は砂漠の人口まで逃げて来て、ホッとしていたのでしょう。陣営は油断をして見張りも立てていなかったようです。ギデオンたちも疲れているなら、敵軍も疲れていたのです。

士 8:12 ゼバフとツァルムナは逃げたが、ギデオンは彼らを追って、ミデヤンのふたりの王ゼバフとツァルムナを捕らえ、その全陣営をろうばいさせた。

気がゆるみ、警戒を解き、油断していた時の予期しない突然の襲撃は、敵の全陣営を狼狽させ、ゼバフとツァルムナは捕えられました。こうして大軍の連合軍は完全に打ちのめされてしまったのです。

13~17節、ギデオンの報復

士 8:13 それから、ヨアシュの子ギデオンは、ヘレスの坂道を通って戦いから帰って来た。

13節の「ヘレスの坂道(あるいは丘)を通って」は、ヘブル語を文字通りに訳していますが、これを「太陽が昇る前に」と読んでいるものもあります。どちらにしても、ギデオンは、二人の王を捕えると、すぐにスコテに引き返しています。彼はスコテの人々の冷淡さを忘れていなかったのです。

彼はスコテの一人の若者を捕えて、尋問し、スコテの町の責任を持っている指導者たちの名前を書かせています。

士 8:14 そのとき、彼はスコテの人々の中からひとりの若者を捕らえ、尋問した。すると、彼はギデオンのために、スコテのつかさたちと七十七人の長老たちの名を書いた。

「つかさたち」とは、王子たちで、おそらく軍事的指導者であったと思われます。
「七十七人の長老たち」とは、各地区を治めていた家族のかしらたちであったと思われます。

士 8:15 そこで、ギデオンはスコテの人々のところに行って、言った。「あなたがたが、『ゼバフとツァルムナの手首を、今、あなたは手にしているのか。私たちがあなたに従う疲れた人たちにパンを与えなければならないなどとは』と言って、私をそしったそのゼバフとツァルムナが、ここにいる。」
8:16 そしてギデオンは、その町の長老たちを捕らえ、また荒野のいばらや、とげを取って、それでスコテの人々に思い知らせた。

16節で、ギデオンは、ゼバフとツァルムナをスコテの人々に見せて、以前ギデオンを嘲
笑い、パンを与えなかった町の長老たちを捕え、「荒野のいばらや、とげを取って、それでスコテの人々に思い知らせた。」とありますが、これは単なる懲らしめを与えて従順にさせたことではなく、拷問によって、死の刑罰を与えたことを言っています。

17節でも、ギデオンはぺヌエルに対しても彼の宣言通り、ペヌエルのやぐらをたたきこわし、「町の人々(町の男の指導者たち全員)」を殺しています。

士 8:17 また彼はペヌエルのやぐらをたたきこわして、町の人々を殺した。

これはギデオンの残虐性と言うよりも、神の兵士たち、神の働きを助けず、嘲笑い、軽蔑する者には、神が必ず刑罰を下されることを証明しているのです。

18~21節 ゼバフとツァルムナの処刑

18,19節は、ギデオンの迫撃がなぜ、ここまで執拗なものであったかを示しています。

士 8:18 それから、ギデオンはゼバフとツァルムナに言った。「おまえたちがタボルで殺した人たちは、どこにいるのか。」すると彼らは答えた。「あの人たちは、あなたのような人でした。どの人も王の子たちに似ていました。」
8:19 ギデオンは言った。「彼らは私の兄弟、私の母の息子たちだ。【主】は生きておられる。おまえたちが彼らを生かしておいてくれたなら、私はおまえたちを殺しはしないのだが。」

タボル山で大虐殺がゼバフとツァルムナの指揮によって行なわれていたのです。そして殺された人々はギデオンの兄弟たちだったのです。そしてギデオンは、申命記19章12,13節、民数記35章19,21節によって、その血の復讐をする最も近い親族(ヘブル語でゴエルという)だったのです。彼は殺人犯を見つけた時は、いつでも彼を処刑する義務を持っていたのです。

ギデオンは、「主は生きておられる。おまえたちが彼らを生かしておいてくれたなら、私はおまえたちを殺しはしないのだが。」と言って、ゼバフとツァルムナに、あわれみの心がなかったことを指摘し、それが彼らの命取りになったことを示したのです。

20節で、自分の長男エテルにゼバフとツァルムナを打って殺すように命じています。

士 8:20 そしてギデオンは自分の長男エテルに「立って、彼らを殺しなさい」と言ったが、その若者は自分の剣を抜かなかった。彼はまだ若かったので、恐ろしかったからである。

なぜ、エテルに命じたのかは分かりません。若いエテルを早く勇士にしたかったのか、親族の仇討ちをさせたかったのかも知れません。しかし若者に何も早くから人を殺すことに慣れさせる必要はありません。

エテルは「まだ若かったので、恐ろしかったからである。」と記しています。それは当然でしょう。理由が何であるにしろ、人が人を殺すことに対する恐れを失わないでほしいものです。ペテロは剣を抜いてイエス様を守ろうとしましたが、主が取ってほしかったのは、両刃の剣よりも鋭い御霊の剣、すなわち、神のことばです。

21節、ゼバフとツァルムナはギデオンに、「立って、あなたが私たちに撃ちかかりなさい。人の勇気はそれぞれ違うのですから。」と言っています。

士 8:21 そこで、ゼバフとツァルムナは言った。「立って、あなたが私たちに撃ちかかりなさい。人の勇気はそれぞれ違うのですから。」すると、ギデオンは立って、ゼバフとツァルムナを殺し、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを取った。

ミデヤンの二人の王は、殺される時も、自分の名誉を気づかい、若者の手にかかって殺されるという不面目を避けて、大将であるギデオン自身が彼らを打つようにと言っています。ギデオンは彼らを打って、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを取っています。この飾りはおそらく、異教のお守りとして、らくだの首につけていたものと思われます。今日、車に守り袋をぶらさげている人がいるのと同じです。この飾りは普通、金で造られており、これもギデオンの戦利品の一つとして取っています。

22~28節、ギデオンの謙遜と落とし穴

22節、イスラエル人たちは、ヨシュア以後長い間、権威ある指導者がおらず、無政府状態になっていたイスラエルに世襲的王政国家をつくるように、ギデオンに提案しています。

士 8:22 そのとき、イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたのご子息も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人の手から救ったのですから。」

そして、ギデオンと、その息子、孫と、代々の子孫が王となるという提案は、この時のギデオンの活躍を見れば、だれ一人反対する者はいなかったでしょう。

23節、この時、ギデオンは自分とその子孫が世襲的にイスラエルの王となって治めることをはっきりと断っています。

士 8:23 しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子もあなたがたを治めません。【主】があなたがたを治められます。」

そして「主があなたがたを治められます。」と、神政国家を主張したのです。これはギデオンが召命の時から、戦いの勝利の確信、そして実際の戦いにおいて、主が戦って下さったことを鮮明に経験していたからにほかなりません。
健全で鮮明な神経験をしている人は、たとい自分にとって好都合な誘惑が来ても、神の栄光を自分が取るようなことはしません。もし、万一、ギデオンがイスラエル人の提案に乗って、イスラエルの王となっていたら、それまでのことはみな、むなしく地に落ちてしまうことになるのです。最後に、すべての勝利の栄光を主に帰することです。そして自分は「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。」(ルカ17:10)と言うのです。

24節から、ギデオンの落とし穴が記されています。

士 8:24 ついで、ギデオンは彼らに言った。「あなたがたに一つ、お願いしたい。ひとりひとり、自分の分捕り物の耳輪を私に下さい。」──殺された者たちはイシュマエル人であったので、金の耳輪をつけていたからである──
8:25 すると、彼らは「差し上げますとも」と答えて、一枚の上着を広げ、ひとりひとりその分捕り物の耳輪をその中に投げ込んだ。
8:26 ギデオンが願った金の耳輪の目方は金で一千七百シェケルであった。このほかに、三日月形の飾りや、垂れ飾りや、ミデヤンの王たちの着ていた赤紫の衣、またほかに、彼らのらくだの首の回りに掛けていた首飾りなどもあった。

神に栄光を帰した後は、何も要求しないことがよいのです。大抵、落とし穴となるわなは、自分が何か受け取ることと関係しているのです。

ギデオンは、ミデヤン人が身につけていた金の耳輪を自分の分捕り物(戦利品の分け前)として要求したのです。

イスラエル人は喜んで、一枚の上衣を(現代人の着ている小さい上衣ではなく、足まで届く大きな着物です。)を広げ、その上に、ひとり一人が分捕り物を投げ込んだのです。その中には、
・金の耳輪一千七百シェケル(偶像として)
・三日月形の飾り(守り袋のようなもの)
・垂れ飾り(ペンダントのこと)
・赤紫の衣(ミデヤンの王の衣)
・らくだの首飾り
などがありました。これらはみな、何らかの意味で偶像的意味を持って使われていたものですが、それは金や高価な着物でした。

ここで、24節に、突然「イシュマエル人」という語が出て来ます。
創世紀25章12節によると、イシュマエル人は、アブラハムとハガルの間に生まれたイシュマエルの子孫です。
しかしミデヤンは、創世記25章1~4節を見ると、アブラハムとケトラの間に生まれたミデヤンの子孫で、明らかに、ミデヤン人はイシュマエル人ではありません。しかしイシュマエル人は創世記37章25節では、「イシュマエル人の隊商」と呼ばれており、そして、その同じ隊商が28節では「ミデヤン人の商人」と呼ばれています。つまり、イスラエル人から見ると、イシュエマエル人も、ミデヤン人も、はっきりと区別していなかったことが分かります。この「イシュマエル人」という言い方は、神の契約からはずれていった人たちのことを総称する意味で使われています。彼らが金の耳輪をつけていたのは、魔除けや、守り袋のような意味があつたのでしょう。

しかし、ギデオンがいくらかの分捕り物を求めたことは、イスラエル人のわなとなってしまったのです。ギデオンはそれを当然受けてもよい権利を持っていたことでしょう。しかし、それがわなとなることもあるのです。悪行だけがわざわいをもたらすだけでなく、当然の権利を受けることが、わざわいとなることもありますので、十分、主とともに歩んで、それを見分けてください。だからと言って、すべての権利を受けてはいけないのではありません。一つ一つを見分けることが大切です。特に、異教徒が偶像に使っていた物は、たといそれが金で出来ていても、求めるべきではないでしょう。

27節、ギデオンはそれらの分捕り物を用いて、エポデを作っています。

士 8:27 ギデオンはそれで、一つのエポデを作り、彼の町のオフラにそれを置いた。すると、イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行った。それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった。

エポデは祭司が身に着けて、神の民を神の御前で執り成すものです(出エジプト記28:1~35)。しかも彼はそれを自分の町オフラに置いています。それはギデオンの主に対する感謝を表わしたものだと思われますが、ギデオンは宗教的な祭事に関することはすべきではなかったのです。
イスラエルの王ヤロブアムが祭壇に向かって香をたこうとした時、彼の伸ばした手はしなびて、戻すことができなくなったのです(列王記第一 12:25~13:5)。

ギデオンのこの行為は、彼が王になること以上に最悪のことをイスラエル人に行なわせたのです。イスラエルは主ご自身を礼拝しないで、オフラのエポデを慕つて淫行(偶像礼拝)を行なったのです。信仰が不鮮明になっていた神の民は、目に見えない霊の神よりも、人の手で作ったエポデを拝んだのです。これは腐敗した人間性がいつも好んで選ぶものです。

ギデオンは、ヘブル人への手紙11章32節に、信仰の勇者の一人として名前を記されていますから、ギデオン自身が自分が作ったエポデを拝んだことはなかったと思われます。彼は戦いへの勝利の感謝としてエポデを作って、主にささげたつもりだったのでしょうが、それがギデオン族にも、イスラエル全体にも落し穴となってしまったのです。子孫のために、「よかれ」と思って残した財産が、子どもたちの争いの種となっていることはしばしば見られることです。もし、落し穴となっていることが分かれば、そのままにしておかないで、そのエポデを焼いて取り払ってしまえばいいのではありませんか。それをそのままにしておくから、わざわいは更に深刻なものとなっていくのです。しかしこれが直ちにできないのが、腐敗した自己中心の欲を持つ人間なのです。

士師記では、偶像から立ち帰った後、士師が生きている間は、偶像に再び落ちていないのが通例なのに、ここではギデオンの生きている間に、エボデ礼拝を行なっている例外的な例です。これはギデオン自身がこのエポデを作ったことに原因していると思われます。しかも、この偶像礼拝を始めているにも関わらず、「この国はギデオンの時代、四十年間、穏やかであった。」と記されています。

士 8:28 こうしてミデヤン人はイスラエル人によって屈服させられ、二度とその頭を上げなかった。この国はギデオンの時代、四十年の間、穏やかであった。

しかしこの四十年間の平和な生活は、次の更に深刻な堕落と争いの長期間が来ることを潜在的に内包していたのです。それはエポデ礼拝が表わしています。

29~35節、ギデオンの死とアビメレクの紹介

29節で、再び、ギデオンは「ヨアシュの子エルバアル」と呼ばれています。

士 8:29 ヨアシュの子エルバアルは帰って自分の家に住んだ。

30節、ギデオンは大勢の妻を持ち、彼の息子が七十人もいました。

士 8:30 ギデオンには彼から生まれた息子が七十人いた。彼には大ぜいの妻がいたからである。

このことは士師紀6章15節からは推測もできませんが、実際のところ、彼もまた相当の資産を持ち、政略結婚を繰り返していた部族の長的な存在だったのです。
そしてソロモンがそうであったように、多くの妻を持つことによって、彼の子孫に悲惨な種を蒔いてしまったのです。勿論、一人の妻から生まれた子どもや孫たちが、相争うことはしばしば見られることですが、大勢の妻がいれば、わざわいは百%起きるのです。

士師記は、その争いの中心人物となるアビメレクの名前を31節で紹介しています。

士 8:31 シェケムにいたそばめもまた、彼にひとりの男の子を産んだ。そこで彼はアビメレクという名をつけた。

このアビメレクは、シェケムのそばめが産んだ子どもです。9章18節では、ギデオンの息子の一人(アビメレクの殺害から逃れた唯一の息子)ヨタムは、アビメレクを「女奴隷の子」と言っています。こういう事情から、身分の低い女性を母としていたアビメレクは、兄弟たちから抑圧されて育っていたことは十分考えられます。その反動からか、あるいは彼の野心からか、多分その両方からと思われますが、彼は他の兄弟を殺して、三年間、イスラエルの王となったのです。そのことは9章に詳しく記されています。しかしアビメレクが王になる野心を持ったことは、8章23節のギデオンの言葉に反しています。ギデオンは、「私はあなたがたを治めません。私の息子もあなたがたを治めません。主があなたがたを治められます。」と言ったのです。このギデオンの謙遜はアビメレクには受け継がれなかったのです。

31節を見ると、「アビメレク」と命名したのはギデオンだと分かります。この命名は、彼の信仰がどういうものだったか、疑いを持たせるものがあります。「アビメレク」とは、パレスチナでは普通、「王の父」という意味があります。アブラハムの時代のゲラルの王は「アビメレク」を名乗っています(創世記20:2)。イサクの時代にも、ゲラルのペリシテ人の王もアビメレク」を名乗っています(創世記26:1,8)。

多分、「アビメレク」は、ペリシテ人の王の称号だったと思われます。ギデオンは、自分も、自分の息子も、イスラエルの王にはならないと宣言したにも関わらず、なぜ、異教のペリシテ人の王の称号を、シェケムのそばめの産んだ息子の名前につけたのか。ギデオンの野心は本当に消えていたのか。それとも後になって、再び野心を持ち始めたのか。ここが疑問の残るところです。しかしヘブル人への手紙11章32節に「ギデオン」の名前が記されていますので、たとい一時的であったにせよ、彼の信仰は真実だったのでしょう。

32節、ギデオンはその後、長寿を全うして死に、オフラの父の墓に葬られています。

士 8:32 やがて、ヨアシュの子ギデオンは長寿を全うして死に、アビエゼル人のオフラにある父ヨアシュの墓に葬られた。

33節、ギデオンが死に、指導者を失うと、イスラエル人は再びバアル宗教に走って行っています。

士 8:33 ギデオンが死ぬとすぐ、イスラエル人は再びバアルを慕って淫行を行い、バアル・ベリテを自分たちの神とした。

「淫行を行なう」とは、主と信仰者とが夫と妻との関係で表わされていることです(エペソ5:22~32)。クリスチャンがキリストの花嫁(ヨハネの黙示録21:2,9)と呼ばれることとも関係しています。これは偶像礼拝者に対する強烈な警告です。

バアル・べリテは、「エル・ベリテ(ベリテの神)」(9:46)とも呼ばれています。バアルは、フェニキヤ地方の偶像で、アハブの時代にイゼベルがイスラエルに持ち込んでから、急速にイスラエルに蔓延してしまうのですが、この時代にも、すでにイスラエルの信仰が衰えると、バアルは侵入していたのです。バアルの複数形はバアリムで、各地に広がっているバアルの総称として用いられている呼び名です。これはカナン全体に広がり、性的淫行を祭事とする宗教で、子孫の繁栄と豊かな穀物の収穫を約束する宗教です。「バアル・ベリテ」は「契約の主人」という意味です。これはバアル礼拝がシェケムに持ち込まれた時に、「バアル・ベリテ」という名前で呼ばれたものと思われます。

こうして、ミデヤンに対する三百人の大勝利も、イスラエル人の心の性質までは変えることができなかったのです。戦いの勝利も、物質的な繁栄も、科学的な発展も、医学的治療の進歩も、地位や名誉を受けることも、人の心の性質を何ら変えることができないのです。

ギデオンが死ぬと、イスラエル人は先に自分たちをミデヤンの抑圧から救い出して下さった主を心に留めず、たちまち平和な繁栄した生活だけに心を向け、主を捨てて、バアルに走って行ったのです。これはクリスチャンの中にも、しばしば見られることです。イエス様の十字架によって罪赦され、心も解放され、生活も安定して、仕事もうまく行き始め、やりがいも出てくると、主を心に留めなくなる人、主を後回しにする人が多いのです。

更にイスラエル救出のために、信仰によってカを尽くして戦ったギデオンの善意を覚えて、それにふさわしい真実をギデオンの家族に尽くさず、各々、自分のことしか考えなくなったのです。アビメレクが王となる野心を抱くようになったのも、こういう面で不満を募らせていたことも一つの原因と考えられます。

「みことばを教えられる人は、教える人とすべての良いものを分け合いなさい。」(ガラテヤ6:6)

牧師や伝道者を、いつまでも貧しいままにしておいてはいけません。もし牧師が貧しい生活をしていて、教会員が富んだ生活をしているなら、その教会員たちの心が恵みに乏しく、神の愛の乏しい、不信仰なものであることを表わしています。

「労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるペきです。」(テモテ第二 2:6)

あとがき

私たちは熱心に祈っていたり、賛美しているだけで、大リバイバルが起きると思っていないでしょうか。確かに、祈りと賛美は非常に大切なものです。しかし、祈りと賛美は、私たちの感情が沸き立っていればいいというものではありません。
祈りと賛美は、主イエス様と自分の心とが、生きた交わりをしていることが大事なのです。この生きた交わりがないなら、声や言葉が祈りや賛美の形をとっていても、それは主に届いていません。主に届いていない祈りや賛美が多いのではないでしょうか。
また主と交わっている祈りや賛美は、必ず、みことばと愛の行為をさせます。自分を愛するように、隣人に主の愛を分かち合うことをさせるのです。
「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」(マタイ5:16)

(まなべあきら 2004.12.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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