聖書の探求(239) 士師記10章 トラとヤイル、イスラエルの偶像礼拝に対する神の怒り、悔い改めと主の憐み

1908年にアメリカのCharles F. Horne and Julius A. Bewerによって出版された「The Bible and Its Story Taught by One Thousand Picture Lessons」の中の一枚「The worship of Ashtaroth(アシュタロテの礼拝)」(Wikimedia Commonsより)

10~16章は、ギデオン以後の七人の士師(さばきつかさ)を記しています。その中で、詳しく記録されているのはエフタとサムソンだけで、残りの五人は簡単に紹介されているだけです。

10~16章の内容の構造

① イスラエルの民が主の目の前に罪を行ない、主の怒りが下されたこと
「しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい」(10:13,14)

② イスラエルの信仰の衰退は、ますます顕著になり、国力も目に見えて衰えていきました。

③ そのような中で、ギルアデの長老たちは、先に追い出していた遊女の子であったエフタを自分たちの首領になってくれるように頼み、またサムソンは母の胎内にいる時から聖別されたのでした。

10章の分解

10章は、トラとヤイルの二人の士師を紹介した後、イスラエルの偶像礼拝に対して神の怒りが下され、イスラエルはペリシテ人とアモン人の手に売り渡されて、虐待を受けたのです。特に、アモン人の攻撃にイスラエル人は苦しめられたようです。

1,2節、トラ
3~5節、ヤイル
6~9節、イスラエルの偶像礼拝に対する刑罰としてのアモン人の虐待
10~16節、イスラエルの悔い改めと主の憐み
17,18節、戦いの準備(指導者を求める)

1,2節、トラ

1節、「アビメレクの後」人間の指導者が代わっても、神のご計画は続けられます。それとともに、悲しいかな、神に対する人間の反逆も繰り返されています。

士 10:1 さて、アビメレクの後、イスラエルを救うために、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラが立ち上がった。彼はエフライムの山地にあるシャミルに住んだ。

「イスラエルを救うために、」神がご自分の器として人を召して立てられる時は、必ず、「救うため」であり、「解放するため」であり、滅ぼしたり、見捨てたりするためではありません。たとえ、それがアッシリヤやバビロンの捕囚の時のような場合でも、それが懲らしめや刑罰であっても「救うため」です。その懲らしめを無視して、神に反逆し続ければ、永遠の滅亡に行ってしまうのです。

イスラエルの第六番目の士師は、イッサカルの部族の出身のドドの子プワの息子トラです。創世記46章13節に、「イッサカルの子はトラ、プワ、ヨブ、シムロン。」とあります。おそらく士師のトラは、この先祖の名前を採用して命名されたのでしょう。
「ドド」とは「その最愛の人」という意味があります。こういう命名の仕方から見ると、この家系の中には、信仰と神の恵みがとどまっていたように思われます。

士師トラは、エフライムの山地のシャミルに住んでいました。彼はその生涯を閉じて、シャミルに葬られていますが、シャミルの場所は今は不明です。あるいは、サマリヤであったかも知れません。ヨシュア記15章48節に「シャミル」という場所がありますが、これはユダの部族の町で、ユダの山地にありましたが、これはエフライムの山地ではないので別の場所だと思われます。

2節、「彼は、二十三年間、イスラエルをさばいて後」

士 10:2 彼は、二十三年間、イスラエルをさばいて後、死んでシャミルに葬られた。

彼の二十三年間の士師としての奉仕は決して短いものではありません。しかし、この期間には、イスラエルの神に対する反逆も起きず、特筆すべき出来事は起きなかったものと思われます。穏かで平凡な日々が続いたのでしょう。しかし、いつも平凡であることは、非凡なことです。それは神の恵みなくして、あり得ないことです。

3~5節、ヤイル

士 10:3 彼の後にギルアデ人ヤイルが立ち上がり、二十二年間、イスラエルをさばいた。
10:4 彼には三十人の息子がいて、三十頭のろばに乗り、三十の町を持っていたが、それは今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれ、ギルアデの地にある。
10:5 ヤイルは死んでカモンに葬られた。

第七番目の士師は、ギルアデ人ヤイルでした。

彼も二十二年の長い間、イスラエルを指導していました。ヤイルとは、「神が啓発する人」という意味です。同名の人は二人います。一人は、セグブの子ヤイル(歴代誌第一 2:22)です。彼はギルアデの地に二十三の町を持っていました。もう一人は、モルデカイの先祖の、ベニヤミン人キシュの子シムイの子ヤイルです(エステル記2:5)。

士師のヤイルには、三十人の息子がいました。一人の女性が二十人の息子を出産するのは不可能でしょうから、ヤイルは複数の妻を持っていたと思われます。

また彼は、三十頭のろばに乗っていました。三十頭のろばは当時の富のしるしです。通常、イスラエル人の財産は、羊や牛の数で表わされていますが、ここでは、イスラエル人がいけにえにささげることができないろばの数で表わされていることは、当時のイスラエル人の価値観が信仰的でなくなっており、労働用の家畜の数で表わされていることは、彼らの価値観が労働によって得られる物質的富に傾いていたことを示していると言えるでしょう。

また、彼は三十の町を持っていて、「それは今日まで」、すなわち、士師記が書かれた当時まで、ハボテ・ヤイル(ヤイルの村々)と呼ばれており、ギルアデの遊牧の野営地として知られていたとのことです。これは、おそらく、ガリラヤ湖の南端から南東へ16~27KMの所で、バシャンの地域の北西の端に位置する天幕の村々であったと思われます。

彼の息子の数、ろばの数、そして町の数を考え合わせると、ヤイルはギルアデ人の間で、有力な人物であったと思われます。

ヤイルの業績についても、何も記されていません。信仰が衰えながらも世相は穏やかだったのでしょう。不信仰は段々とイスラエル人の心を蝕んでいたのでしょうが、まだそれが具体的な偶像礼拝となって顕著に現われて来ていなかったのでしょう。しかし、それは6節になると、明らかに現われて来ています。ヤイルは、それが現われる直前の穏やかな時代の終わりに、この世を去り、カモンに葬られています。カモンは、ギルアデのカムであると思われます。

こうして士師の業績が何も記されていない記事の中にも、時代の移り変わりと人々の心が主から遠ざかっていることを読み取ることができます。

6~9節、イスラエルの偶像礼拝に対する刑罰としてのアモン人の虐待

10章の残りの部分(6~18節)は、エフタの記事とサムソンの記事の序論として書かれています。

6節、イスラエル人の、主に対する悪行として記されているのが七種類の異教の偶像に対する礼拝だったことは、注目に値します。

士 10:6 またイスラエル人は、【主】の目の前に重ねて悪を行い、バアルや、アシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは【主】を捨て、主に仕えなかった。

表面は穏やかに見えていた時代に、イスラエル人の心にはカナン七族が持っていたすべての偶像が侵入してしまっていたのです。この日本における敗戦後の人々の生き方も同じです。

最初は、食べるために必死に働くことから始めましたが、やがて生活が安定することを求め、さらに物質的豊かさを求めて経済発展のために、国民全体が滅私奉公のようにして働き、心の糧が必要であることを忘れてしまったのです。時々、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4)のイエス様のみことばを語って警告する者はあっても、大半は馬耳東風で、金銭の富を得ることに熱中していたのです。すなわち、イエス様が「あなたがたは神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)と言われた警告を無視して、神を捨てて、富を選ぶ、拝金教(マモン教、マネーはマモンあるいはマンモンから出ています。)の偶像礼拝を続けて来たのです。その結果、子どもたちまで、その人格性が破壊され、人の命を殺すことに罪悪感を覚えなくなり、他人を苦しめ、傷つけることが家族の中でも平気で行なわれ、社会全体が、危険に満ちているのです。

これは士師記のイスラエルの状態と同じではないでしょうか。人々の健全な人格性(心)を取り戻すためには「神の口から出る一つ一つのことばによる」以外にないのです。それを誰がするのか、と言えば、クリスチャンである、あなたや私の、一人一人がするのです。それが地の塩、世の光の役目なのです。お互い塩気を保っているクリスチャンでなければなりません。士師記の記者はイスラエル人が拝んだ七種類の偶像をすべて書き出しています。

バアル、アシュタロテ、アラムの神々(ベルとサタン)、シドンの神々(アシタルテ)、モアブの神々(士師記の次に出てくるルツの故郷のケモシュです。)、アモンの神々(ミルコム)、ペリシテの神々(ダゴン)。

これらの偶像は一旦受け入れると、排除しても、入れ代わり、立ち代わり、イスラエルに侵入して、イスラエルを悩ませているのです。これらの偶像が完全にイスラエルの民の中から取り除かれたのは、バビロン捕囚によってです。イスラエルは偶像礼拝によって多大な、前代未聞の代価を払わされたのです。しかし神は、ご自分の民の中に偶像がとどまっているのを許すことも、見逃すこともできなかったのです。どんなに大きな代価を払っても、それを取り除かれたのです。

7,8節、主の怒りは、ペリシテ人とアモン人の襲撃となつて、実際に現われて来ました。

士 10:7 【主】の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、彼らをペリシテ人の手とアモン人の手に売り渡された。
10:8 それで彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、苦しめた。彼らはヨルダン川の向こう側のギルアデにあるエモリ人の地にいたイスラエル人をみな、十八年の間、苦しめた。

これを人間的に見れば、ペリシテ人とアモン人の欲張りな野心による、と言うことができるでしょう。しかし神は、そういう異教の民族の野心や好戦的性質を用いてさえ、神の民に怒りを現わされることを忘れてはなりません。南西(地中海方面)からはペリシテ人が、そしてヨルダン川の東側の南東からはアモン人が襲撃して来て、イスラエルは敗れ、十八年間、彼らの圧迫に苦しめられたのです。

9節、8節で「エモリ人の地にいたイスラエル人をみな、十八年の間、苦しめた」とありますから初めにエモリ人による圧迫があったものと思われます。そこにアモン人の攻撃が加わって、イスラエルはさらに非常な苦境に立たせられていたのです。

士 10:9 アモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったとき、イスラエルは非常な苦境に立った。

ここで、「エモリ人」という言葉を使っていますが、これはイスラエル人がカナンに定着する前にパレスチナ地方に住んでいた住民の総称として使っています。狭い意味で「エモリ人」という時は北部カナン人を表わしていたり、マムレ(創世記14:13)、シホン(民数記21:21)、オグ(申命記31:4)はエモリ人の王として名が上げられています。

アモン人は、ツォアルの洞穴の中で、ロトの末娘が父ロトとの間に産んだ子「べン・アミ」の子孫です(創世記19:38)。

ですから、正確に言うとエモリ人とアモン人は異なりますけれども、ここではエモリ人という言葉もパレスチナに住んでいたカナン人の総称として使っているようですから、エモリ人とアモン人は同じ意味で使われているように思われます。すなわち、その当時、イスラエルを攻撃したアモン人を指していると思われます。

アモン人はヨルダン川の東のギルアデにいたイスラエル人だけでなく、ヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムを攻撃したので、イスラエルは非常な苦境に陥ったのです。この期問が十八年も続くと、イスラエルも衰えてしまうでしょう。

10~16節、イスラエルの悔い改めと主の憐れみ

士 10:10 そのとき、イスラエル人は【主】に叫んで言った。「私たちは、あなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルに仕えたのです。」

イスラエルの民は、この長い苦境を味わい、自分たちの力では苦しい圧迫に耐えられなくなった後に、主に悔い改めの叫びをしたのです。
「私たちは、あなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルに仕えたのです。」 なぜ、もっと早くこのことが悟れなかったのか。なぜ、もっと早くこのことが告白できなかったのか。心が頑なだったからです。しかし、その頑なさも苦しい圧迫に耐えられなくなったのです。

しかし十八年も苦しまないと、心が神に戻っていかないというのも愚かなことですが、それができたのは、ただ神の憐みによるのです。

このイスラエルの叫びの中には、どこにも、ペリシテ人やアモン人を非難する言葉は見られません。彼らが苦しみに陥っている原因は、外にあるのではなく、自分たちが主に罪を犯した点だけを取り上げています。その罪とは、「私たちの神を捨て」たことです。エジプトの奴隷生活から救い出し、四十年間荒野での生活を養い、ヨルダン川を凍らせ、カナンでの戦いに全面的勝利を与え、約束の地を相続させて下さった、真の生ける霊の神を捨てたことです。イスラエルの民が、これらの出来事をみな忘れてしまっていたわけではないでしょう。しかし罪の性質は愚かにも神に逆らわせるのです。そして異教の偶像に仕えさせようとするのです。ここでは「バアルに仕えたのです。」と、バアルだけを取り上げていますが、それはイスラエル人が陥った偶像礼拝の代表的なものを記しているに過ぎません。

しかし主のお答えは、「あっ、そうですか。それでは救ってあげましょう」ではなかったのです。主はイスラエル人の内にある、神に反逆する性質を知っておられたからです。一度、悔い改めて、主に立ち返っても、罪の性質をそのままにして、持ち続けている人は、何度でも罪を繰り返すのです。

11~14節の主のお答えは、多分、名前の知られていない神の預言者の一人を主の代理人として用いて語られたものと思われます。

10:11 すると、【主】はイスラエル人に仰せられた。「わたしは、かつてエジプト人、エモリ人、アモン人、ペリシテ人から、あなたがたを救ったではないか。
10:12 シドン人、アマレク人、マオン人が、あなたがたをしいたげたが、あなたがたがわたしに叫んだとき、わたしはあなたがたを彼らの手から救った。
10:13 しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。
10:14 行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい。」

主のお答えは、10節のイスラエル人の言葉よりもずっと多くなっています。主はイスラエル人のこの叫びを真実なものとは見ておられなかったのです。

11~12節で、主は、これまで幾度イスラエル人を救われたかを切々と訴えるように(人間的言い方をすれば)語っておられます。

「わたしは、かつてエジプト人、エモリ人、アモン人、ペリシテ人から、あなたがたを救ったではないか。
シドン人、アマレク人、マオン人が、あなたがたをしいたげたが、あなたがたがわたしに叫んだとき、わたしはあなたがたを彼らの手から救った。」

通常、これだけ繰り返し、主の御手によって救われた経験をしていれば、主にますます忠実に歩むようになるはずですが、
「しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。」(13節)と主は言われたのです。それだけではなく、
「行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい。」(14節)と、イスラエルは突き放されてしまったのです。

かつて、ヨシュアが、
「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア記24:15)
と言った時、イスラエルの民は、
「いいえ。私たちは主に仕えます。」(ヨシュア記24:21)
「私たちは私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います。」(ヨシュア記24]24)
と答えたのですが、彼らはその告白の如くに、主に仕えることはせず、ヨシュアが心配していたとおり、エモリ人の偶像礼拝に堕落していったのです。

この堕落は、イスラエル人だけでなく、教会の歴史を見ても、繰り返されています。その根本原因は、信仰者の内に、なお、神に反逆する性質が残り続けているからです。この性質が残っている限り、これまでどんなに主の恵みと助けを受けていても、その回数がどんなに多くても、高慢や頑な態度が現われてくるのです。そしてその求めは神の国と神の義ではなく、神に逆らった異教の生き方と、自分の肉の欲を満足させることへと向かうのです。

15,16節、主の拒否に直面したイスラエル人は、ますます行き詰ってしまい、再び、真剣に主に訴えています。

10:15 すると、イスラエル人は【主】に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」
10:16 彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、【主】に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。

「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」

このように真剣に主に訴えた後、自分たちが仕えていた外国の神々(カナンの偶像)を取り去って、主に仕え、彼らの悔い改めと信仰が本物であることを表わしたのです。

真実な、本物の悔い改めと信仰は、主を感動させ、主のみこころを動かすのです。このイスラエル人を見ても分かるように、これほど繰り返して主に反逆し、偶像礼拝を繰り返し行なっていた者たちでも、彼らが真実に、真剣に悔い改めて、主に立ち返った時、「主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。」のです。それはかつて、イスラエル人がエジプトで奴隷の苦しみを味わって、うめいていた時も同じでした。主はご自分の民の痛み、苦しみを知っておられるのです(出エジプト記3:7)。その叫びは神に届くのです(同9節)。そしてモーセを救出に遣わされたのです。

口先だけの悔い改めや、人間的熱心な信仰の告白も、人情的な愛も、主のみこころを動かすことはできません。しかし真実な悔い改めと信仰には、主は必ず、感動され、喜ばれ、みこころを行なわれるのです。スロ・フェニキヤの女の信仰も(マルコ7:24~30)、12年の長血の病いの女の信仰も(マルコ5:25~34)、しもべが中風だった百人隊長の信仰
も(マタイ8:5~13)、主は大いに喜んで祝福されたのです。ザアカイが「四倍にして償
います。」と言った時も、主はその真実さを見て、喜ばれたのです。

しかしもし、私たちの信仰に、この世との妥協があったり、二心が隠されていたり、口先だけの熱心であったり、人情がらみの愛情であったりする時、主は決して喜ばれないのです。
この点でペテロは何度も主を悲しませています。
「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:23)
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)
「そこでペテロは『鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。』とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。」(マタイ26:75)
「ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか。』と言われたので、心を痛めて」(ヨハネ21:17)
「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネ21:22)
これらのみことばはすべて、潔められていないペテロ、本物の信仰になっていないペテロ、自分の知恵と力と人情で熱心になっているペテロを主が手放しで喜んでおられないことを示しています。彼は信仰を完全に失ってしまう危険さえあったのです。
しかし主は、この世で取るに足りない者と言われている者の真実な信仰を喜ばれるのです。

17~18節、戦いの準備(指導者を求める)

士 10:17 このころ、アモン人が呼び集められ、ギルアデに陣を敷いた。一方、イスラエル人も集まって、ミツパに陣を敷いた。
10:18 ギルアデの民や、その首長たちは互いに言った。「アモン人と戦いを始める者はだれか。その者がギルアデのすべての住民のかしらとなるのだ。」

間もなく、アモン人はイスラエルを圧迫するだけでなく、イスラエルを全滅させるために、ギルアデに集められて、戦いのために陣を敷いています。イスラエルも集まってミツパに陣を敷いています。ミツパは、「望楼」「ものみやぐら」「遠くまで見渡すことのできるそびえ立った場所」という意味です。

聖書中、ミツパと名のつく場所は沢山あります。ここでは、おそらくギルアデのミツパ(士師記11:29)だと思われます。ここはおそらくラマテ・ミツパ(ヨシュア記13:26)と同じだと思われます。

この他に、ミツパは、
ベニヤミンの部族の町の一つ(士師記20:1)にも、
ヘルモン山のふもとの町(ヨシュア記11:3)、
ユダの部族の低地あるいはそれに属する村(ヨシュア記15:38)
サムエルの働いた地(第一サムエル7:5,6,11,12,16)
ヤボク川の北のヤコブが石塚を建てた所(ガルエデとも言う。創世記31:49)

アモン人の陣とイスラエル人の陣は、比較的近くにあり、戦いは間近に迫っていたのに、イスラエルには指導者がいなかったのです。この危機の時に、戦いを指導する指導者がいなかったのです。これが士師記の時代の特徴であり、彼らが堕落していった原因の一つでもありました。これはサムエルの出現まで待たなければなりませんでした。

教会の歴史を見ても、神のみことばを力強く語る説教者が増えて来た時、民は健全な力を回復し、社会もよくなり、神のみことばを力強く語る説教者がいなくなった時、人々は堕落し、争い、殺人が増え、富と権力と快楽を求める人々が社会の大半を占めるようになり、泥沼の状態になっています。

イスラエルの本当の欠乏は、霊的に強力な指導者がいないことでした。特に、神のみことばを語る指導者は、モーセ以来出ていなかったのです。それがイスラエルの堕落の最大の原因だったのです。現代の私たちの時代においても、最も欠乏しているのは、主のみことばを真直ぐに、力強く語る指導者です。ただ、牧師や伝道者の数が増えるだけでなく、神のみことばを健全に、しかも人の顔を恐れずに語り、指導する指導者が増えてくることです。

あとがき

主に在りて、新年おめでとうございます。
今年も、微力ながら、聖霊の御力をいただいて、みことばの奉仕をさせていただきますので、これまで同様、お祈りをお願い致します。
皆様のお祈りに支えられなければ、説教も、聖書の探求やカのことばを書くことも、どんな奉仕もできません。なぜなら、聖書の著者であられる聖霊の光を受け、みことばが御霊の剣(エペソ6:17)となるのでなければ、みことばの奉仕はできないからです。
それ故、御霊の剣となったみことばを語る説教者が多く起こされるように祈っております。
今ほど、人々の心がみことばの光を必要としている時はありません。読者の方の中に、みことばのあかしをしておられる方のお知らせもいただいて、感謝です。

(まなべあきら 2004.1.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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