聖書の探求(240) 士師記11章1~33節 エフタの身の上、エフタとアモンの王の論争、エフタの誓願と勝利

イギリスの画家Thomas Matthews Rooke (1842–1942)による「Jeptha’s Vow(エフタの誓願)」(Southwark Heritage Centre蔵、ArtUKより)


この章は、エフタによる救いを記しています。

11章の分解

1~3節、エフタの身の上
4~11節、ギルアデ人、エフタを大将にする
12~28節、エフタとアモンの王の論争
29~33節、エフタの誓願と勝利
34~40節、エフタの娘の悲しみ

1~3節、エフタの身の上

エフタは第八番目の士師として登場しています。

彼はギルアデ人として記されていますが、彼はマナセの孫であるギルアデという、最初にギルアデを名乗った人の子孫です(民数記26:29)。

彼は力ある勇士(軍人)でした。
エフタの父親もギルアデを名乗っていましたが、エフタは彼の父と無名の遊女の間に産まれた子でした。

士 11:1 さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。

彼の父は妻との間にも男の子たちを産んでいたので、その妻の子たちが成長したとき、エフタを遊女の子という理由で、父の財産を受け継げないようにするために、家から追い出してしまいました。

士 11:2 ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子たちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の子だから、私たちの父の家を受け継いではいけない。」

昔も、今も財産争いで醜い劇を演じているのを見ます。しかし結局、ギルアデ人は追い出したはずのエフタに助けを求めることになったのです。ですから、自分の欲を張って争うことは、してはならないのです。

エフタは母違いの兄弟たちの所から逃げて行って、トブの地に住みました。

士 11:3 そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。すると、エフタのところに、ごろつきが集まって来て、彼といっしょに出歩いた。

トブは、「良い、喜ばしい、楽しい、清らかな、美しい」という、すばらしい意味を持っています。主は追い出されたエフタに、すばらしい地を備えておられたのです。トブは、ラモテ・ギルアデの東2.4Kmにあるエテ・タイイベであったと思われます。

力ある勇士エフタがトブの地に住み始めると、彼のもとに「ごろつき」と訳されている人々が集まって来て、彼は攻撃的な軍団を組織し、そのかしらとなり、行動を共にしていました。これはちょうど、ダビデが逃亡先で集まって来た「困窮している者、負債のある者、不満のある者たち」約四百人を組織して軍団をつくり、その長となっていたのに似ています。

こうして、主はいつでも、ご自分の民を助けるために、この世から除け者にされている小さな集団を備えておられるのです。

「兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするために、無に等しいものを選ばれたのです。
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。」(コリント第一 1:26~29)

4~11節、ギルアデ人、エフタを大将にする。

士 11:4 それからしばらくたって、アモン人がイスラエルに戦争をしかけてきた。

ギルアデの首長たちが、「アモン人と戦いを始めるのはだれか。」と言っているうちに、アモン人がイスラエルに戦争をしかけて来ましたので、ギルアデの長老たちはもう議論していることはできなくなり、恥も外聞も捨てて、かつて追い出したエフタに大将になってもらうために、トブの地に出かけて行きました。

士 11:5 アモン人がイスラエルに戦争をしかけてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れて来ようと出かけて行き、
11:6 エフタに言った。「来て、私たちの首領になってください。そしてアモン人と戦いましょう。」

エフタが、そのような自分勝手な申し出をすぐに快く受け入れるはずがありません。彼はギルアデの長老たちに抗議しています。

士 11:7 エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、私の父の家から追い出したではありませんか。あなたがたが苦しみに会ったからといって、今なぜ私のところにやって来るのですか。」

これは当然のことでしょう。自分の欲張りからエフタを追い出しておいて、苦境に陥ったから助けに来てくれというのは、あまりに虫が好すぎます。

8節、これに対するギルアデの長老たちの返事も、あまり、罪を悔い改めている言い方をしていません。

士 11:8 すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、私たちは、今、あなたのところに戻って来たのです。あなたが私たちといっしょに行き、アモン人と戦ってくださるなら、あなたは、私たちギルアデの住民全体のかしらになるのです。」

その意味は「前回はあなたを不当に扱ったことを悟りましたので、今回はあなたをギルガル全体のかしら(おそらく「司令官」の意味でしょう。)にすることによって、あなたの名誉を回復し、あなたの信頼を得たいと思って来たのです。」です。

9節、エフタはアモン人を撃退する確信があったので、「もしあなたがたが、私を連れ戻して、アモン人と戦わせ、主が彼らを私に渡してくださったら、私はあなたがたのかしらになりましょう。」と言っています。

士 11:9 エフタはギルアデの長老たちに言った。「もしあなたがたが、私を連れ戻して、アモン人と戦わせ、【主】が彼らを私に渡してくださったら、私はあなたがたのかしらになりましょう。」

エフタが「かしらになる」と言ったのは、戦いの後も、ギルアデの首領になるという意味です。
エフタには、いくらか信仰があったのか、「主が彼らを私に渡してくださったら、」と言っています。

10節、ギルアデの長老たちは、エフタに「主が私たちの間の証人となられます。」と、日頃、主に忠実でない者たちが、主という言葉を使って、信仰的な誓約をしています。

士 11:10 ギルアデの長老たちはエフタに言った。「【主】が私たちの間の証人となられます。私たちは必ずあなたの言われるとおりにします。」

不信仰な者たちの間でも、自分たちの約束が真実なものであることを最大に示すために、「神に誓って」と言いやすいのです。勝手に、主を保証人にしてしまっています。

11節、エフタは彼らの約束が本物かどうか、ギルアデの民の前で再確認し、長老たちが、主を証人としたので、エフタはミツパで「主の前で告げた。」とあります。

士 11:11 エフタがギルアデの長老たちといっしょに行き、民が彼を自分たちのかしらとし、首領としたとき、エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで【主】の前に告げた。

これは主が証人となってくださるように訴えて祈ったのです。かつて、一度、追い出されたという苦い経験をしていたエフタが、ここまで慎重だったのは当然でしょう。戦いの勝利の後、再び追い出されることだって、あり得ることだからです。

12~28節、エフタとアモンの王の論争

12節、エフタはすぐに戦いに出ず、アモン人が攻めてくる理由を尋ねています。

士 11:12 それから、エフタはアモン人の王に使者たちを送って、言った。「あなたは私と、どういうかかわりがあって、私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするのか。」

彼は勇士でありましたが、問答無用の奇襲攻撃を加えたのではありません。できれば話し合って、平和に解決しようとしたのです。

13節、アモンの王の答えは、イスラエルがエジプトから上って来た時、アルノン(「急増する」「怒号に満ちた」「騒がしい」という意味)川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまで、アモン人の国を奪ったので、これらの地を穏やかに返してくれ、ということでした。

士 11:13 すると、アモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の国を取ったからだ。だから、今、これらの地を穏やかに返してくれ。」

それは、アルノン川の北側はエモリ人の地、南側はモアブ人の地として分けられていたからです(民数記21:13)。

後に、アルノン川の北はルベン族の地、南はモアブ人の地となっていました(申命記3:16、ヨシュア記13:15,16)。アモン人の地はヤボク川の北でした。

アルノン川は今日、エル・モジブと呼ばれる枯れた谷で、死海に通じています。

険しい渓谷をなすアルノン川の南側から北を望む。東から西へ、右側のヨルダンの山から左側にある死海に流れ込んでいる。


ヤボク川はギルアデを二分する川で、ヨルダン川に流れ込んでいますが、今はゼルカと呼ばれる枯れた谷です。

イスラエル人がカナンに移住するまでは、この地域はエモリ人によって占領されており、エモリ人は東の方にまで侵略していたのです。

15~27節は、アモン人の王に対する説明です。

出エジプトの経路(出典:新改訳聖書第3版より)


15節、エフタは結論から話しています。イスラエルは、モアブの地も、アモン人の地も取らなかった。

士 11:14 そこで、エフタは再びアモン人の王に使者たちを送って、
11:15 彼に、エフタはこう言うと言わせた。「イスラエルはモアブの地も、アモン人の地も取らなかった。

16節、エジプト出発からカデシュ到着まで。

士 11:16 イスラエルは、エジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで行き、それからカデシュに来た。

17節は、イスラエルがなぜ、アルノン川の向こう側を通らなければならなかったか、その理由を話しています。

士 11:17 そこで、イスラエルはエドムの王に使者たちを送って、言った。『どうぞ、あなたの国を通らせてください。』ところが、エドムの王は聞き入れなかった。イスラエルはモアブの王にも使者たちを送ったが、彼も好まなかった。それでイスラエルはカデシュにとどまった。

それはエドムの王にも、モアブの王にも、使者を送って、彼らの国を通らせてくれるように頼んだのに、どちらも聞き入れなかったからです。イスラエルは無断で、強引に通ったのでもなく、まして、水や食料を略奪したり、国を占領したりして通ったのでもなかったのです。

18節、それで、イスラエルはカデシュから荒野に出て、モアブの地の東を通り、アルノン川の向こう側の地に宿営し、モアブの地に入らなかったのです。

士 11:18 それから、彼らは荒野を行き、エドムの地とモアブの地を回って、モアブの地の東に来て、アルノン川の向こう側に宿営した。しかし、モアブの領土には入らなかった。アルノンはモアブの領土だったから。

19節、そこから、ヘシュボンの王で、エモリ人の王シホンに使者たちを送って、彼の国を通らせてくれるように願ったけれども、

士 11:19 そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、エモリ人の王シホンに使者たちを送って、彼に言った。『どうぞ、あなたの国を通らせて、私の目的地に行かせてください。』

20節、シホンはイスラエルを信用せず、その地を通らせないだけでなく、ヤハツに陣を敷いて、イスラエルを攻撃したのです。

士 11:20 シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、シホンは民をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。

ヤハツ(ヨシュア記13:18、21:36、エレミヤ書48:21)とは、「戦争の光景」という意味で、モアブの平原にある場所ですが、その位置は、今は不明です。

21節、しかしイスラエルの神、主がシホンとそのすべての民をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルはエモリ人の全地を占領したのです。

士 11:21 しかし、イスラエルの神、【主】が、シホンとそのすべての民をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打った。こうしてイスラエルはその地方に住んでいたエモリ人の全地を占領した。

この占領は、シホンの方からの攻撃に対して勝ったものであり、それはまた主がシホンをイスラエルに渡されたことによる征服であったので、法的には、エモリ人が「その地を穏やかに返してくれ。」と言えるものではありませんでした。

22~24節で、エフタは、イスラエルがアルノン川からヤボク川までと、荒野からヨルダン川までのエモリ人の全領土を占領したことの正当性を主張しています。

士 11:22 こうして彼らは、アルノン川からヤボク川までと、荒野からヨルダン川までのエモリ人の全領土を占領した。
11:23 今、イスラエルの神、【主】は、ご自分の民イスラエルの前からエモリ人を追い払われた。それをあなたは占領しようとしている。

エフタは、イスラエルの神、主がエモリ人を追い払われて、イスラエルに与えられた地を、アモン人は占領しようとしているのだから、不当なのだと言っています。

24節は、エフタが正当とする論理を明示しています。

士 11:24 あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、【主】が、私たちの前から追い払ってくださる土地をみな占領するのだ。

「私たちは、私たちの神、主が、私たちの前から追い払ってくださる土地をみな占領するのだ。」
そして、その原理をアモンにも当てはめて、
「あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。」と言っています。

ここでエフタは、アモン人の王に対して「あなたの神ケモシュ」と言っていますが、ケモシュはモアブ人の偶像だったので、アモン人はモアブ人と結びつき、モアブ人もアモン人の要求を支持し、アモン人に加担して自分たちも領土を広げたいと思っていたのです。

ちなみに、アモン人の偶像はミルコムでしたが、アモン人はミルコムに加えて(あるいはミルコムの代わりに)、ケモシュ礼拝を行なっていたのです。ケモシュ礼拝をしている人々は自分の子どもを全焼のいけにえとしてケモシュにささげていたのです(列王記第二 3:27)。

25節では、エフタは、モアブの王ツィポルの子バラクの例を取り上げています。

士 11:25 今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているのか。バラクは、イスラエルと争ったことがあるのか。彼らと戦ったことがあるのか。

バラクはイスラエルがモアブの平原を通り過ぎて行くのを見て、偽りの預言者のベオルの子バラムを金銀で誘い出して雇い、イスラエルをのろわせようとしたのです。しかしバラクは軍隊を出して戦争をしなかったのです(民数記22~24章)。それでも、イスラエルにはモアブの娘たちとの間にみだらなことが始まり、バアル・ペオルの偶像礼拝を行なうようになって、神の怒りが下っています。そしてベオルの子バラムも剣で殺されています(民数記25章、31:8)。

そうであるなら、今回、アモン人の王の攻撃に対して、神の怒りが下らないはずがないのです。

26節の「三百年間」は、士師記に記されている年数を合計したものです。

士 11:26 イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村落、アロエルとそれに属する村落、アルノン川の川岸のすべての町々に、三百年間住んでいたのに、なぜあなたがたは、その期間中に、それを取り戻さなかったのか。

エフタの主張は、これまで三百年間、イスラエルがヘシュボンとそれに属する村落、アロエル(アルノン川のすぐ北側の地域)とそれに属する村落、アルノン川の川岸の近くのすべての町々に住んでいたのに、アモン人も、モアブ人も、エモリ人も、何の合法的な要求もせず、その地域を取り戻そうとしなかったのに、今になって、突然、軍隊を送って戦争を始めて、その地を奪おうとすることは、アモン人が違法であると結論づけています。

27節、エフタはこの審判を主のもとに持ち出して「審判者である主が、きょう、イスラエル人とアモン人との間をさばいてくださるように。」と言っています。

士 11:27 私はあなたに罪を犯してはいないのに、あなたは私に戦いをいどんで、私に害を加えようとしている。審判者である【主】が、きょう、イスラエル人とアモン人との間をさばいてくださるように。」

28節、しかしアモン人の王は、エフタの説明を聞き入れず、拒んだのです。

士 11:28 アモン人の王はエフタが彼に送ったことばを聞き入れなかった。

アモン人の王は、心頑なで、強情で、貪欲で、平和な説明も、助言も、忠告も聞き入れず、彼が愚かな滅びる人間であることを表わしたのです。

29~33節、エフタの誓願と勝利

アモン人がエフタの申し出を拒否した後、主の霊がエフタの上に下っています。イスラエル側の戦いは主の霊によって始まったのです。エフタは主の霊を受けた後、ギルアデとマナセを通って行ったのは、援軍を集めていたのでしょう。彼は集まって来た援軍を連れて、先にイスラエルが陣を敷いていたギルアデのミツパ(ヘブル語でミツペ)に集合し、そこから全軍を率いてアモン人の陣に向かったのです。

30節、エフタは戦いを始める前に、主に誓願を立てました。

士 11:30 エフタは【主】に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、
11:31 私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を【主】のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」

エフタが戦いに勝つために誓願をかけたくなったことは分からないでもありませんが、このエフタの誓願は、主が求めたものではなく、エフタの無思慮な愚かさから出たものでした。

エフタは、もし主が自分にアモン人を渡して下さるなら、自分がアモン人のところから無事に帰って来たとき、自分の家の戸口から自分を迎えに出て来る、その者を、全焼のいけにえとして主にささげますと、誓約したのです。この「全焼のいけにえとしてささげます。」と言ったヘブル語は、その言葉が意味していること以外の別の意味に解釈することは困難のように思います。エフタは恐らく、自分が帰って来た時、最初に牛か羊に会うだろうくらいに考えていたのでしょう。しかし実際は、ひとり子の可愛い自分の娘が父親の帰りを喜んで、タンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来たのです。エフタはこの娘を可愛がっていたのでしょう。そうであれば娘が最初に飛び出して来ることくらい予想がついたでしょう。

私たちは予想のつかないことや、不確定なことや、自分に出来そうにないことを主に約束として祈ってはいけません。エフタが勝利を与えられたら、心からの感謝をささげたいという思いになったのは分かりますが、その時には、羊や牛を全焼のいけにえにしますとか、自分自身主に仕える者となりますとか、自分の信仰を明確に示すものでなければなりません。

エフタは主を喜ばせようとして、全焼のいけにえという礼拝の方式をとっていますが、それは誤っていて悲惨なものになってしまいました。動機が良くても、健全な知識をもって行動しないと、悲惨なことを行なってしまうのです。ですから、健全な信仰(霊的)経験と、その信仰の実際的活用(実行)と健全な知識(理解、判断、選択)のバランスが保たれていることが大切なのです。

32節、エフタがアモン人の所に進んで行って戦いを始めると、主はアモン人をエフタの手に渡されました。

士 11:32 こうして、エフタはアモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。【主】は彼らをエフタの手に渡された。

ここで、一つ考えさせられることがあります。それは、エフタがわずかの信仰をもって主を手探りで求め、主のみこころを確かめようとしているのに、ダビデの時のように預言者が現われて、主のみこころを告げ知らせて、教え導くことが全くなされていません。それは主が用いたくても、用いることのできる神の人(預言者)がいなかったのです。もし預言者がいてエフタを指導していたら、エフタの愚かな誓願は避けることができたでしょう。ですから、主のみことばを健全に教え、主のみこころを教えてくれる神の器を大切に育てていかなければなりません。自分の好まないことが語られても、真実に愛をもって受け入れ、従順に従いたいものです。そういう人は必ず主から大いなる恵みと祝福を受けるのです。神の人がいないことは、残念ながら士師記の特徴だったのです。今日、多くの牧師、伝道者、説教者がいても、本当に神のみことばと、みこころをはっきりと健全に教え導く神の人が何人いるでしょうか。士師記の時代と同じでなければいいのですが。

33節、エフタは主から力を受けて、アロエルからミニテに至るまでの二十の町を、またアベル・ケラミムに至るまでを、非常に激しく打ちました。

士 11:33 ついでエフタは、アロエルからミニテに至るまでの二十の町を、またアベル・ケラミムに至るまでを、非常に激しく打った。こうして、アモン人はイスラエル人に屈服した。

ミニテについては、エゼキエル書27章17節に、「ミニテの小麦」とあり、小麦がとれ、ツロに輸出していました。しかしミニテが今のどの場所に当たるのかは分かっていません。

アベル・ケラミムは、「ぶどう園の平原」を意味するヘブル語ですが、その場所も今は分かりません。しかしここはぶどうが豊かに実っていたのでしょう。

これらのことから見ると、アモン人の地も相当豊かな穀物や果実の収穫があったことは確かです。しかしアモン人の王はそれで満足せず、イスラエルの地をも奪って、更に物質的に大繁栄をしたかったのです。けれどもアモン人はその野心の故にすべてのものを失ったのです。アモン人は主に導かれて戦ったイスラエル人の前に屈服させられたのです。主と主の民に敵対して勝つことができた者は一人もいません。主の民が神に逆っている時だけ、主はご自分の民を異邦人の手に渡されましたが、主に忠実なご自分の民を敗北させたことは旧約においても、新約においても、一度もありません。

あ と が き

世の中は、戦争やテロの暗やみですが、主イエス様にある私たちは、今年も、明るい一年を過させていただきましょう。イエス様の光をまわりの人々に輝かせ、みことばを宣べ伝え、イエス様をあかしさせていただきましょう。たとい不遇な所に置かれることがあっても、主はそこをレホボテ(広い所、創世記26:22)とし、トブ(喜ばしい、美しい地、士師記11:3)としてくださいます。

信仰生活は、突然、主が奇跡を行なってくださることを求めるよりも、また普段、主を信じて従っていないで、困難が来た時、危険になる時、「主よ。お守りください。」と祈るよりも、日ごとに主に信頼し、みことばを握って生活していくことが、豊かな恵みを得させるのです。普段の信仰を大切に。

(まなべあきら 2004.2.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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