聖書の探求(274) サムエル記第一 7章 主の箱、キルヤテ・エアリムに、ミツパでの祈り、エベン・エゼルの石
Otto Elliger(17世紀頃)による版画「Stone of Ebenezer(エベン・エゼルの石)」サムエルが文字の刻まれた石の前でイスラエル人を裁いている。(Pitts Theology Libraryより)
7章と12章は、サムエルの祈りと信仰を記しています。これによってイスラエルは信仰を回復し、偶像を取り除き、外敵から守られたのです。イスラエルが危急の時、主はサムエルを預言者として立てられました。いつの時代にも、主が立てられた霊的リーダーが、その世代を改革し、人々を主の救いに導くのです。
7章の分解
1~2節、主の箱、キルヤテ・エアリムに
3~4節、サムエルの警告
5~11節、ミツパでのサムエルの祈り
12節、エベン・エゼル
13~17節、サムエル、イスラエルをさばく
1~2節、主の箱、キルヤテ・エアリムに
Ⅰサム 7:1 キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。
キルヤテ・エアリムの人々は主の箱を、丘の上のアビナダブの家に運び、彼の息子のエルアザルを聖別して主の箱を守らせています。「聖別して」と言われているのは、「神の奉仕のために選び分かたれた」ことを意味する旧約聖書の最も一般的に用いられている言葉です。旧約においても、罪からの解放の意味がなかったわけではありませんが、その充分な意味は、イエス様の十字架と聖霊の降臨によって成就しました。新約聖書においては、神のために献別され、分離されることと、罪から解放される意味での聖潔の両方の意味が含まれています。
Ⅰサム 7:2 その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。
なぜ、主の契約の箱がキルヤテ・エアリムに二十年もの長い間とどまったのかは、分かりません。
サムエル記第二 6章3,4節では、ダビデの治世の初めに、主の箱を丘の上にあったアビナダブの家から運び出しています。それ故、この「二十年」は、サムエル記第一 7章1,2節の、主の箱がペリシテからイスラエルに帰還してきた時から、サムエル記第二 6章3節の、ダビデによってアビナダブの家から主の箱が運び出された時までの間を表わしています。この間、シロはペリシテ人によって占領されており、荒廃し、町は完全に破壊されていたことは確かです。預言者エレミヤがシロに神の審判が下っていたことを証言しているからです。
「それなら、さあ、シロにあったわたしの住まい、先にわたしの名を住ませた所へ行って、わたしの民イスラエルの悪のために、そこでわたしがしたことを見よ。今、あなたがたは、これらのことをみな行なっている。-主の御告げ-わたしがあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞こうともせず、わたしが呼んだのに、答えもしなかった。それで、あなたがたの頼みとするこの家、わたしの名がつけられているこの家、また、わたしが、あなたがたとあなたがたがその先祖に与えたこの場所に、わたしはシロにしたのと同様なことを行なおう。」(エレミヤ書7:12~14)
3~4節、サムエルの警告
サムエルは主の預言者として、すべての民に認められるようになっていました。彼はイスラエルの歴史の中で、最後の士師(さばきつかさ)の役目をも果たしていたのです。士師とは、主がご自分の民に外敵からの救いをもたらすために用いられた軍事的指導者でした。そのことの故に民から尊敬を受けていたので、一般の社会生活の問題でも奉仕をしていました。
ペリシテ人によって主の契約の箱が奪われた時、サムエルは若かったと思いますが、この7章の出来事の時には、おそらく四十才くらいになっていたと思われます。
3節で初めて、サムエルの預言者としてのメッセージが記されています。
Ⅰサム 7:3 そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」
まず、イスラエルの人々が「心を尽くして主に帰る」ことです。ただ、一般的な儀式を守る程度の外側的なことではなく、「心を尽くして主に帰る」ことを求めています。サムエルは外面的な儀式宗教の回復を求めたのではなく、主は「心を尽くした信仰」を求めておられることを強調したのです。
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:5、マタイ22:37)
次に、「外国の神々やアシュタロテを取り除く」ことを命じました。
4節を見ると、この命令に従って、イスラエル人はバアルやアシュタロテを取り除いています。
Ⅰサム 7:4 そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。
バアルやアシュタロテはフェニキヤ地方の偶像でしたが、当時ではカナン人の間や近東のほとんどの地方に広がっていました。バアルは「主人」とか、「所有者」「夫」を意味する語で、元来は普通の言葉でしたが、やがて土地や家畜の群れの多産をもたらす神々を表わす固有名詞として使われるようになりました。更にバアルはその国の神々の最高位の神を表わすものとして使われるようにもなりました。
アシュタロテはアスタルテとも言われていて、バアルの妻を意味する女神としてフェニキヤ地方で崇拝されていたので、カナン人にも持ち込まれたのです。アシュタロテはギリシャ人の偶像ビーナスとしても知られており、性と豊穣の女神とされていましたので、バアルとアシュタロテ崇拝は、国の繁栄、子孫の繁栄を求める人々の間で、不道徳な堕落した社会をつくっていったのです。
サムエルの第三のメッセージは、「心を主に向け、主にのみ仕える」ことでした。二心を捨てて、主なる神だけを礼拝し、主のみこころだけを行なうことです。
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えることはできません。」(マタイ6:24)
「二心の人たち。心を清くしなさい。」(ヤコブ4:8)
「私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア記24:15)
この三つの条件を果たすなら、長年イスラエルを苦しめ続けて来たペリシテ人の手から主が救い出してくださるという約束が与えられています。
5~11節、ミツパでのサムエルの祈り
次にサムエルがしたことは、ミツパにイスラエル人を集めて、彼らのために祈ることでした。
Ⅰサム 7:5 それで、サムエルは言った。「イスラエル人をみな、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈りましょう。」
ミツパはエルサレムの北約13kmにありました。ミツパはサムエルの故郷であり、住まいのあったラマ(1:19、7:17)から、それほど遠くない所です。
サムエルが民の集合場所をミツパにしたのは、ミツパがこれまで各部族の集まる伝統的な集合場所だったからだと思われます(士師記20:1~3、同21:1,5,8、サムエル記第一 10:17)。
6節、「水を汲んで主の前に注ぎ」
Ⅰサム 7:6 彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
ダビデも三人の勇士がペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から汲んで来た水を注いで主にささげています(サムエル記第二 23:15~17)。これは、主に命をささげる献身を表わしたものと思われます。ここでは、サムエルだけでなく、イスラエル人も水を注いでいますから、彼らがこれまでの偶像礼拝を悔い改めて、命をささげる献身をもって主にお従いすることを表わしたものと思われます。それはその日の断食と、「私たちは主に対して罪を犯しました。」という言葉によって明らかです。その後、サム
エルは士師としての民事的働きをしたものと思われます。
7節、イスラエル人がミツパに集まったことを聞いたペリシテ人は、イスラエルが反撃を企てていると思って、先手を打ってイスラエルをつぶしにかかって攻め上って来たのです。
Ⅰサム 7:7 イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。
敵対者はいつも相手が集まることが恐怖なのです。
これを聞いたイスラエル人がまた、ペリシテ人を恐れています。信仰がまだ生きて働いていないことを表わしています。
8節、恐怖で打たれたイスラエル人は、サムエルに「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」と頼んでいます。
Ⅰサム 7:8 そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」
4~6節で、イスラエル人がサムエルのメッセージを聞き入れて、偶像を取り除き、断食して悔い改めていたので、9節でサムエルは乳離れしていない子羊一頭を取って、全焼のいけにえをささげています。こうして、主の助けを求める前には、必ず、罪の赦しを受け、人の心が主の恵みを回復し、主にのみ仕える状態になっていなければなりません。
9節、「焼き尽くす全焼のいけにえ」は、主に全くささげきった全的献身を表わしています。サムエルは「イスラエルのために主に叫んだ。」とあります。
Ⅰサム 7:9 サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。
これは静かな祈りではなく、緊急の時の、絶体絶命に追い込まれた時の叫びの祈りです。主はサムエルの執り成しの叫びに、すぐに答えておられます。
「モーセとアロンは主の祭司の中に、サムエルは御名を呼ぶ者の中にいた。彼らは主を呼び、主は彼らに答えられた。」(詩篇99:6)
10節、サムエルが全き献身と信仰による祈りをささげている最中に、ペリシテ人は攻撃を始めたのです。
Ⅰサム 7:10 サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。
先の戦争で、日本軍が韓国のクリスチャンが教会に集まって礼拝をささげている最中に、教会の建物に火を放って、多くの韓国のクリスチャンを焼き殺したという残酷な事件がありました。異教徒の目には宗教的集会は反乱のための準備集合に見えたり、襲撃の好機に見えたりするのです。
しかし主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らを恐怖の混乱に投げ入れ、イスラエル人は彼らを打ち負かしたのです。神との正しい関係を保ち、神との交わりを回復するなら、主は必ず祈りに答えて、介入してくださるのです。これは昔も、今も同じです。また不安、恐怖、思い煩い、他人をひどく言うこと、攻撃することなどは、必ず敗北の原因になることも、歴史的に実証済みのことです。決して、このようなことに組しないことが大切です。
12章17,18節の雷は、イスラエル人の我侭と不服従に対する神の怒りとして下されています。同じ雷でも、意味が異なっているのです。
11節、「ベテ・カル」は、エルサレムの西約7kmにある高地と考えられています。
Ⅰサム 7:11 イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。
イスラエルはミツパからベテ・カルの高地の下まで追撃したのです。
12節、エベン・エゼル
Ⅰサム 7:12 そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。
12節、「エベン」は石という意味です。「エゼル」の語根は「アザル」で、エゼルはアザルから派生した語で「助ける」という意味です。4章1節にも、5章1節にも「エベン・エゼル」という地名が使われていますが、公的に命名されたのは7章12節です。おそらくサムエル記の記者がこの記録を書き記す時、公式命名された地名を先の章でも使用したものと思われます。
ペリシテ人に対する勝利の後、サムエルはイスラエルの民に主の助けをいつまでも覚えさせるために、一つの石を取って、ミツパとシェンの間に記念の塚を築いたのです。
旧約聖書では、大きな石を記念碑とすることがよく行なわれていました(創世記28:18,22、ヤコブが立てた記念碑ベテル、同31:45~49、ヤコブが立てた石塚ガルエデ「あかしの塚」の意味、ラバンはこれをエガル・サハドタと名づけました。これはまたミツパ「見張りをする」という意味、とも呼ばれました。ヨシュア記24:26、ヨシュアが大きな石を主の聖所にある樫の木の下に立てています。)。
「シェン」はその場所が不明です。その名の意味は、「歯」です。歯の形をした岩があったのかもしれません。七十人訳聖書では、シェンの代わりに、「ミツパから遠くない村シャナ」となっています。
サムエルは祈りに答えて、主が助けて下さった勝利の感謝を、神の民が忘れないために記念の石を立てたのです。
歴代誌第二20章26節では、石の記念碑ではありませんが、「ベラカ(祝福、賛美、感謝という意味)の谷」に集まって、主をほめたたえています。
私たちは、主の恵みとあわれみと助けを受けていることを忘れないために、賛美と感謝をささげることはとても大切なことです。これを忘れる時、不平不満を言うようになり、高慢や心の頑なさを現わし、争いを起こすようになるのです。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」(詩篇103:2~5)
13~17節、サムエル、イスラエルをさばく
13節から急に、サムエルの生涯の残りの部分が短く要約されてしまっています。
Ⅰサム 7:13 こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、入って来なかった。サムエルの生きている間、【主】の手がペリシテ人を防いでいた。
サムエルの生きている間、主の御手がペリシテ人を防いでいたので、ペリシテ人は二度とイスラエルの領内を侵略することはなかったのです。この記述は、神の人がもたらす影響がいかに大きいかを示しています。ですから、クリスチャンが、この世を恐れず、勇敢に信仰のあかしをしていけば、各々の家庭に、社会に、国に与える影響はいかに大きいかを確信することができるのです。主は、主と心を全く一つにする者に力を現わしてくださるのです。私たちも各々の立場で、このことをあかしさせていただきましょう。
ところが、実際には西のペリシテ人がサウル王の時代にイスラエルに侵入して来ています(9:16、10:5、13~14章)。この事実は13節の「ペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、はいって来なかった。」という記事と矛盾するのではないかと思う人もいるかもしれません。しかし13節の意味は、もはやペリシテ人が再び侵入しても、永続的に成功したことはなかったことです。たといペリシテ人がすっかりイスラエルから追い出されず、またイスラエル人がペリシテ人に貢物を納めさせられることがあったとしても、主の御手がペリシテ人に向かっていたので、ペリシテ人はすぐに撃退され、多大の損失をこうむったのです。
このように実質的に、13節の記事はその後のペリシテ人の一時攻撃があっても、少しも矛盾していないことがわかります。ペリシテ人はもはやイスラエルの脅威ではなくなったのです。
「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(歴代誌第二 16:9)
サムエルの奉仕の大部分は、イスラエル人に信仰と祈りを回復させ、彼自身も信仰と祈りによって働いたのです。サムエルの祈りは現実に民に大きな勝利をもたらしたのです。
そのサムエルの祈りの原点は、「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」(3:9)にあります。私たちも、これを会得すれば、サムエルと同じ祈りによる働きをすることができます。
14節、ペリシテ人に奪われていたイスラエルの町々はエクロンからガテまでイスラエルに戻されています。
Ⅰサム 7:14 ペリシテ人がイスラエルから奪った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、領土を解放した。そのころ、イスラエル人とエモリ人の間には平和があった。
またエモリ人との間にも平和を取り戻しています。エモリ人はイスラエル人がカナンに定住する前のパレスチナ住民の総称とされています。エモリ人の王としてはマムレ(創世記14:13)、シホン(民数記21:21)、オグ(申命記31:4)が記されています。エモリ人の神々はヤーウェと真向から対立し(ヨシュア記24:15、士師記6:10)、エモリ人は背が高く、強い民族でした。サウル王がエモリ人の生き残りの民であるギブオン人を虐殺したことを知ったダビデ王は、サウルの子や七人の孫を彼らに与えることによって、彼らと和解しています(サムエル記第二 21:1~9)。
しかし預言者アモスは、主がエモリ人をイスラエルに与えたと預言しています。
「エモリ人を彼らの前から滅ぼしたのは、このわたしだ。彼らの背たけは杉の木のように高く、樫の木のように強かった。しかし、わたしはその上の実と下の根とを滅ぼした。あなたがたをエジプトの地から連れ上り、荒野の中で四十年間あなたを導き、エモリ人の地を所有させたのは、このわたしだ。」(アモス書2:9,10)
15~17節、サムエルは彼の故郷ラマに自分の家を持ち、毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回して、イスラエルをさばき、指導しています。彼は最初の巡回伝道者だったと言えるでしょう。
Ⅰサム 7:15 サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。
7:16 彼は毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、それらの地でイスラエルをさばき、
7:17 ラマに帰った。そこに自分の家があったからである。彼はそこでイスラエルをさばいた。彼はまた、そこに【主】のために一つの祭壇を築いた。
それ以後、シロのことがサムエルの生涯中記されていませんから、シロはペリシテの戦いの時に破壊されてしまったものと思われます。
サムエルの生きている間、全体としてイスラエルは平和で、繁栄していたと言えるでしょう。
あとがき
昨今は寒くなってきましたが、それでも天気の良い日には、お年寄りの方が家の前の道を掃いていたり、庭の手入れをされている方に出会うことがよくあります。トラクトを手渡しますと、「ごくろうさまです。」と言われて、すぐに読んでくださる方をよく見かけます。家におられる方は停年退職された方やお年寄りが圧倒的に多くなっています。訪問してくれる人はだれもなく、話し相手もなく、さびしく過ごしておられます。ですから心に響く内容のトラクトなら、すぐに読んでくださいます。以前、配ったトラクトを全部、取っておられる方もいました。すぐに教会に来なくても、トラクトは読まれています。さびしい人が待っています。心に響くトラクトをお届けしましょう。
(まなべあきら 2007.1.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)