聖書の探求(275) サムエル記第一 8章 士師による時代から王制政治の時代への転換、民は王を求める

I SAM 8 – 10 「Samuel addressing the people(イスラエルの民に話をするサムエル)」(Public Domain Clipart Collection #6より)


8章は、士師による時代から王制政治の時代への転換の出来事を記しています。これまでは神が直接任命された族長や指導者や士師を用いての神制政治が行なわれていましたが、エリの息子たちやサムエルの息子たちが霊的に強力な指導者にならず、逆に堕落してしまい、その上、ペリシテ人の攻撃を受けて、イスラエル人は宗教的指導者に失望し切っていたのです。そこで彼らは周囲の異教の民たちと同じように戦いに強い王を求めるようになったのです。

 (イスラエル人が王を求めた三つの理由)

第一、民は戦いに際して、彼らを強力に指導する指導者が必要であると感じていた。そして、イスラエルを政治的に安定した国家にしたいと願っていたのです。

特に、ペリシテ人に脅威を抱いていたのです。契約の箱が略奪されたこと、イスラエルの民への高い課税、イスラエル人の武器、鉄器の製造の禁止などが脅威となっていたのです。

第二、サムエルが老齢になり、奉仕が勢力的に出来なくなり、新しい指導者を求めていました。サムエルの死後、後継者がいなければ、再び士師時代の無政府状態に陥ることを恐れたのです。サムエルの二人の子ヨエルとアビヤはその不正の故に指導者としては失格者だったからです。

 「この息子たちは父の道を歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。」(8:3)

第三、他の異教の国々の宮廷の華やかさと、仰々しい儀式に対する憧れがあったのです。

8章の分解

1~3節、サムエルの子、ヨエルとアビヤ
4~9節、民、王を求める
10~18節、王の求める権利の宣言
19~22節、民の強い王の要求

1~3節、サムエルの子、ヨエルとアビヤ

1節、「サムエルは、年老いたとき」

Ⅰサム 8:1 サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとした。

サムエルの年令は記されていませんが、12章2節で、サムエル自ら「この私は年をとり、髪も白くなった。」と言っています。

「息子たちをイスラエルのさばきつかさにした。」サムエルは霊的に非常にすぐれた神の人でしたが、この節を読む時、サムエルも「わが子」に対しては、普通の父親でしかなかったことが感じとれます。ここではサムエルの二人の息子たちに対する主ご自身の召命や、神経験のことが何も記されていません。ですから、この二人の息子は主によってではなく、サムエル自身が老齢のために自分の働きのあとを継がせたのです。それにしても、3節を読めば、サムエルは自分の二人の息子たちが神の道を歩んでいないことは知っていたはずですから、厳格に判断するなら、二人の息子たちをイスラエルのさばきつかさに任命することはしなかったでしょう。しかしエリが二人の息子たちを祭司にしていたように、サムエルも二人の息子を自分の働きを継ぐさばきつかさに任命していたのです。やはり偉大なサムエルも、わが子がかわいかったのでしょう。

2節、「長男の名はヨエル、次男の名はアビヤ」

Ⅰサム 8:2 長男の名はヨエル、次男の名はアビヤである。彼らはベエル・シェバで、さばきつかさであった。

「ヨエル」は「主は神なり」という意味です。「アビヤ」は「主は父なり」という意味です。これらの名前は、サムエル自身の主に対する献身と信仰を表わして名付けたのでしょう。しかし二人の息子たちは、父親の望み通りには育ってくれなかったのです。なぜサムエルほどの人が、子どもをきちんと敬虔な信仰者に育てることができなかったのか、と残念がる人が多いと思います。その理由について、サムエルを弁護するような説明をする人がいます。たとえば、サムエルは国中を巡回して指導するのに忙しくて、子どもたちと接することが少なかったからとか、サムエルの奥さんがしっかりしていなかったからとか、奥さんのせいにする説明もあります。しかし、どれも聖書の中には記されていませんから、推測でしかありません。ただ、サムエルのように偉大な人にとって、汚点となるようなこと(二人の息子の堕落)を聖書が隠さず記していることは、聖書の真実性を証明するものです。サムエル記が人間の作為で書かれたのなら、エリの息子たちの二の舞をするような、サムエルの息子たちのことは省略して、書かなかったでしょう。それを敢えて明らかにしているところに聖書が神のことばであるという真実性を証明しています。

3節、「この息子たちは父の道を歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。」

二人の息子たちは、さばきつかさである地位を利用して、さばきを曲げて、わいろを取っていたのです。

彼らがなぜ、そのように貪欲になっていったのかは分かりませんが、もしかすれば、サムエルは奉仕に対する報酬を受け取っていなかったのかもしれません。それ故、彼の家庭は貧しかったのでしょう。神の働きをする人が貧し過ぎることは決して良いことではありません。特に、子どもたちに与える影響は決して良いものではありません。教会員の方々は、自分たちのために祈り、奉仕している牧師たちの家族が貧しくならないように、信仰をもって支えてあげてほしいものです。牧師の家族が経済的に苦しむようにはしないでほしいのです。

サムエルの息子たちも、エリの息子たちと同様に不真実で、父の信仰の道に歩まず、堕落していたのに、サムエルに対してはエリに対してなされた厳しい責任の叱責がなされていません。ある人は、サムエルの息子たちの罪のほうが、エリの息子たちよりも、それほど重くなかったからだと説明していますが、主は罪に対して、そのような見方をされるとは考えられません。主が、息子たちの罪のためにサムエルを叱責されなかった理由は、推測ですが二つ考えられます。

第一は、息子たちの堕落は、サムエルの怠慢によるものではなかったからでしょう。彼らの罪は彼ら自身に責任があり、サムエルの責任とは認められなかったからでしょう。

第二は、息子たちが後にその罪を悔い改めたことも考えられます。彼らについてはエリの息子たちのように、主のさばきのことが語られていないからです。

それにしても、子どもたちを敬虔な信仰の持ち主に育てていくことは、親として最大の祈りの課題です。また子どもの側からするなら、あまりに偉大な人が身近にいると、その偉大さに気づかず、その人間性に目が向いてしまって、親を批判するようになり、信仰を軽視するようになってしまう傾向があります。

4~9節、民、王を求める

4~5節、イスラエルの長老たちは、ラマのサムエルの所に来て、不満を告げています。

Ⅰサム 8:4 そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、 8:5 彼に言った。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」

5節では、三つの不満を示しています。

第一は、「今や、あなたはお年を召され、」長老たちは、年老いるまで奉仕してきたサムエルに感謝することもせず、年老いて、働きが以前ほど活発でなくなったことに不満を抱いていたのです。感謝ではなく、不満を心に抱くようになったら、次には神の道をはずれる選択や行動を取るようになります。

 「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)

第二に、サムエルの息子たちが、サムエルと同じように神の道を歩んでいないことに対する不満です。これは当然のことでしょうが、長老たちは、サムエルの息子たちに代わる指導者が与えられるように祈っていません。

第三に、「ほかの国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」イスラエルの長老たちは神の民としての神聖な独自性を捨てようとしていたのです。これは今日においても神の民を襲う誘惑です。神の民がこの世の民のようになりたいと願う誘惑です。

 「見よ。この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。」(民数記23:9)

 「私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」出エジプト記33:16)

 「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」(ヤコブ4:4)

 「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。」(ヨハネ第一 2:15)

6節、長老たちは、「私たちをさばく王を与えてください」と言った時、

Ⅰサム 8:6 彼らが、「私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った。

サムエルは年を取り過ぎているし、サムエルの息子たちもイスラエルをさばく資格はないとして、サムエルとその息子たちを拒否して、別の王を求めたのですが、彼らはそれが主ご自身によるご支配を拒むことなのだとは気づいていなかったのです。彼らは人間の指導者を交代してもらうだけだと思ったのですが、主が任命されたサムエルを退け、次の主の任命を待たずに、自分たちの考えを優先して、異教の国々にならって王を求めたことは、「サムエルの気に入らなかった」のです。サムエルが不快に思ったのは、自分が退けられたからではなく、長老たちが神による神政政治を拒んだからです。

こうして主はサムエルの後にダビデを備えておられたのに、長老たちの世俗的要求によってサウルを王に選んでしまうことになったのです。これと同じようなことが、新約の使徒の働き1章にも見られます。十二弟子の中からイスカリオテのユダが欠けてしまったので、ペテロはその一名を補充することを提案したのです。そしてくじ引きでマッテヤを選んで、十一人の使徒に加えていますが、主が、ご自身のしもべとして備えておられたのは、迫害者サウロ(後のパウロ)です。このように人の思いが先行して動く時、決して良いことはありません。

 「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」(詩篇16:8)

 「そこでサムエルは主に祈った。」サムエルはすぐに自分の考えで答えず、主に祈っていることは、彼は年老いても霊性が衰えていないことを示しています。ダビデも事ある度に、主に祈って、主の指示に従って行動していますから、命が危ない時にも守られたのです。私たちの霊性がすぐれているか、衰えているかは、事あるごとに、すぐに主に祈って、主の導きや主の指示を待つか、それともすぐに自分の考えや他人の言葉に従うかによって分かります。勿論、普段の生活の中でしばしば間違った判断や行動をすることがありますが、それは人としてやむを得ないことです。しかし、いつも主に祈って話したり、行動しているなら、主は必ず助け、祝してくださいます。自分の思いや考えを優先させないことが大切なのです。ダビデのようにいつも、自分の思いや考えの前に主を置いておくことこそ霊的いのちには大事なのです。これは日頃からやっていないと、いざという時、役に立たないのです。

祭司エリは、サムエルに「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」という祈りの奥義を伝えました。サムエルはダビデにいつも主に祈り、自分の考えや思いよりも、主の導きと指示を受けること、すなわち「いつも私の前に主を置く」ことを伝えたのです。こうして信仰の奥義が伝えられて来たのです。信仰の後継者とは、地位や立場や権力を受け継ぐ者のことではなく、信仰の奥義を受け継ぐ者です。

7節、サムエルの憂慮は、主がサムエルに「それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。」と言われたことによって、よりはっきりしてきました。

Ⅰサム 8:7 主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。

しかし主はサムエルに、「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞きいれよ。」と言われました。主はなぜ、民が主を退ける要求をしたのに、それを許可されたのでしょうか。それを知るなら、次のみことばの意味を深く悟るようになるでしょう。

「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55:9)

 「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」(ローマ11:33)

神の許可は神の第一のみこころでなかったことは明らかです。それは主の憂慮しつつの許可でした。ですから、イスラエルに王が立てられると、イスラエル人は貢物や兵役で常に苦しむことになり、王の偶像礼拝によって国は堕落、混乱し、敵に敗北し、ついにバビロン捕囚にまで落ちて行ったのです。しかしそれでもなお、主が民に王を許可したのは、なぜでしょうか。それには人の目には隠されている特別な目的があったからです。

主は民が王を立てることを好まれませんでしたが、メシヤ(救い主)について、予めイスラエルの民に、実際に具体的に教えておくために、王を許可されたのです。すなわち、メシヤ(イエス・キリスト)の職分には、次の三つがあること、

祭司(執り成しの職分)
預言者(神のみことば、みこころを伝える職分)
王(国を治め、統率し、人の心を治める職分)

この三つを悟らせるために、主はまだイスラエルが経験していなかった王を立てることを許可されたのです。

8節、主はサムエルに、主がイスラエルをエジプトから救出して連れ上った日から今日まで、その歴史は主に対する反逆と偶像礼拝の悲惨なものであったことを語られました。

Ⅰサム 8:8 わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。

主は、人間の心の頑なさと反逆性をよく知っておられたのです。「彼らがした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。」と言っておられるのは、そのことです。民は主に対してしてきた反逆の性質を持って、同じことを主のしもべであるサムエルにもしているだけだと主は言われたのです。

9節、サムエルは民の要求を聞き入れるように、主に命じられていますが、民に厳しく警告するようにも命じられています。

Ⅰサム 8:9 今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」

私たちが主に従っている間はすべての責任は主が取ってくださいます。しかし自分の考えを押し通すと、厳しい責任が求められることになります。

また王を立てれば、王は自分の権力を用いて民を支配し、民に対して様々な要求をするようになることを、予め知らせなければならないと命じられています。

10~18節、王の求める権利の宣言

10節、「サムエルは、……主のことばを残らず話した。」

Ⅰサム 8:10 そこでサムエルは、彼に王を求めるこの民に、主のことばを残らず話した。

このことばはサムエルのもう一つの使命であり、預言者としての任務です。サムエルは自分が考えたこと、自分が思ったこと、自分が決断したことを語ったのではありません。それなら彼は預言者ではありません。彼は「主のことばを残らず語った」のです。預言者とは、主のみことばを預かって、それを人々に語る人のことです。それには未来に起きることだけでなく、過去のことも、現在のことも含まれています。主が必要としている人物は、すぐれた自分の考えや論理を語る人ではなく、主ご自身のみことばをそのまま残さず語る人です。割り引いたり、水増ししたり、曲解したりせず、まっすぐに主の御旨を語る人です。サムエルが最初に語った神のみことばは、祭司エリとエリの家系の没落のことでした。

11節~18節、王政政治になった時の王の権力によって、民が負わされる苦しい負担を記しています。イスラエルの長老たちは近隣の王国の華やかさを見て、それにならいたかったのですが、それらの周辺の国々の王による独裁政治の歴史は、権力の腐敗と乱用の歴史であることは、だれの目にも明らかです。神に導かれていない人間の君主による絶対的権力は必ず腐敗すると言っても過言ではないでしょう。それを証明する歴史的証拠は無数と言ってもいいくらいあります。

11節は、強制的な徴兵制度です。

Ⅰサム 8:11 そして言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。

これによって、どれほどの若い未来の可能性を持っていた青年たちが命を落としていったことでしょうか。これはまさに君主による権力の乱用です。

12,13節、王族たちは自分たちが贅沢な生活をするために国民に強制労働を強いるのです。

Ⅰサム 8:12 自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる。

耕地を耕させて穀物を得るためだけでなく、武器を造るために軍需工場で危険な仕事をさせるのです。

13節の「香料」は「香水」のことです。王家の娘や女性たちのために、香水作りや料理女、パン焼き女として働かされるのです。これらは優雅な仕事と思ってはいけません。かなり過酷な労働をさせられるのです。

8:13 あなたがたの娘をとり、香料作りとし、料理女とし、パン焼き女とする。

14節、王が気に入った良いぶどう畑やオリーブ畑があれば、それを勝手に王の権力を乱用して民から取り上げてしまうのです。

Ⅰサム 8:14 あなたがたの畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げて、自分の家来たちに与える。

その実例として顕著なものは、列王記第一 21章で、サマリヤの王アハブが宮殿のそばにあったイズレエル人ナボテのぶどう畑を取り上げてしまったことです。
アハブの妻イゼベルはアハブの貪欲な望みをかなえてやるために、二人のよこしまな証人を立てて、ナボテが「神と王をのろった」と証言させて、石打にして殺してしまい、そのぶどう畑を取り上げてしまったのです。勿論、主はそのままにしておかれるお方ではありません。主はエリヤを遣わして、「犬どもがナボテの血をなめたその場所で、その犬どもがまた、あなたの血をなめる。」と宣言されました。このことは、列王記第二 9章でニムシの子ヨシャパテの子エフーによって実現しています。これは一例で、一般民衆は王の権力によって、しばしば苦しみをなめさせられたのです。

15,17節、この「穀物とぶどうの十分の一」と「羊の群れの十分の一」は、神にささげるものではありません。王家の人々とその家来や大臣たちのために取られるのです。これは彼らの贅沢な生活のための重税なのです。

Ⅰサム 8:15 あなたがたの穀物とぶどうの十分の一を取り、それを自分の宦官や家来たちに与える。
8:17 あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがたは王の奴隷となる。

16節では、勤労奉仕も要求されます。

Ⅰサム 8:16 あなたがたの奴隷や、女奴隷、それに最もすぐれた若者や、ろばを取り、自分の仕事をさせる。

今までは、自分たちのために働いていた使用人たちやろばを、王の仕事をするために取られていくのです。

18節、その日が来て、初めて自分たちが主を捨てて、王を求めたことによる苦しみが現実のものとなって、自分たちを苦しめ始めた時、助けを求めて叫ぶことになるでしょうが、「その日、主はあなたがたに答えてくださらない。」と警告されています。

Ⅰサム 8:18 その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。」

 「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。」(詩篇50:15)と約束されているのは、忠実に主に従っている者に対してであって、主に逆らっていて、苦しみに会った時だけ、助けを求めても、主は答えてはくださらないと、警告されたのです。その実例はイスラエルの初代の王サウルです。彼は自分の考えを優先し、主に従わなかったのです。そしてダビデの命を狙い続けたのですが、ペリシテ人の襲撃を受けて恐れ、わななき、「サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかった」(サムエル記第一 28:6)のです。主はサウルに全く答えてくださらなくなったのです。その後、サウルは更に堕落して、霊媒の女に頼るようになり、ついに自ら剣の上に伏して死んだのです。これを見ても分かる通り、私たちが自己主張を繰り返し、自分の考えを優先して押し通していくと、神に叫び求めても、主が答えてくださらなくなり、サウルと同じ道をたどることになることを、十分自覚して、主に忠実に従う者とならせていただきたいものです。

19~22節、民の強い王の要求

19節、厳しい警告を聞いた後でも、民はサムエルの警告に聞き従おうとはしなかったのです。

Ⅰサム 8:19 それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。

自己中心で、自分の思いを通そうとし始めた霊魂は、大抵、頑なで強情になっていて、決して態度を変えようとはしません。彼らはその心の頑なさを「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。」と、叫びに似た声で、サムエルの警告の声を打ち消そうとしたのです。

20節は、彼らの本音を表わしています。

Ⅰサム 8:20 私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」

今までは、サムエルが年をとってしまったとか、サムエルの息子たちが神の道を歩んでいないとか、そんな理由を並べていましたが、それはもっともらしく見せるための表面上の理由であって、彼らの本音は、「もう神が嫌なんだ。神に支配されているのが耐えられないんだ。神、神と言われるのが嫌なんだ。ほかの異教のすべての国民のように、自分の思うことを好きなように自由にやりたいんだ。だから神に仕えている祭司やさばきつかさではなく、異教の国の王のような王を立ててください。その王が私たちの先頭に立って出陣し、アマレクとも、ペリシテとも戦って、勝利を与えてくれるでしょう。」と言っているのです。

21節で、サムエルはますます心頑なにし、反抗して王を求める人々に対して、もはや何も話すことをせず、「この民の言うことをすべて聞いて、それを主の耳に入れた。」のです。

Ⅰサム 8:21 サムエルは、この民の言うことすべてを聞いて、それを主の耳に入れた。

ここでも彼は自分の考えで民に話をしようとせず、主に告げたのです。「主の耳に入れた」という表現は、特徴ある表現で、主とサムエルとの間の個人的な深い交わりの関係を表わしています。

22節、主はイスラエルの民の心の頑なさを見て取られました。

Ⅰサム 8:22 主はサムエルに仰せられた。「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。」そこで、サムエルはイスラエルの人々に、「おのおの自分の町に帰りなさい」と言った。

再度、サムエルに警告を民に告げるようにとは命じませんでした。民を各々の家に帰らせ、王を選出する時を待つように命じたのです。

多くの神の恵みを受け、助けを受け、教えを受けていても、最後には、主をもサムエルをも捨てて、自分の思い通りのことを選んでいく人の多いことには嘆かされます。しかしそういう中でも、最後まで、死に至るまで、忠実に従い続けていく人が、わずかですがいるものです。その人たちは永遠の幸いを受けるのです。

 「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。そこでイエスは十二弟子に言われた。『まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。』すると、シモン・ペテロが答えた。『主よ。私たちがだれのところへ行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。』」(ヨハネ6:66~68)

 「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、私はあなたにいのちの冠を与えよう。」(ヨハネの黙示録2:10後半)

あとがき

 私たちがした愛の行ないが、快く受け入れられないことが、よくあります。反対に逆襲を受けることさえあります。こういう経験をすると、ひどく落ち込み、「もう二度と親切はしたくない。」と思うかもしれません。
しかしイエス様は心を見てくださる神様です(サムエル記第一 16:7)。そしてイエス様は愛しても、愛しても、裏切られ、憎まれ、反逆されてきた神様です。それでも私たちを愛してやまなかったので、私たちが今救われて、主の愛を心に持っているのです。
 私たちの周りには本当に助けを必要としている人もいるはずです。「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(ヨハネの黙示録22:17)その人に愛の行ないをして主に仕えて下さい。

(まなべあきら 2007.2.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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