聖書の探求(292) サムエル記第一  サムエル記第一の後半(17~31章)の序、サウルとダビデの関係

ロシア帝国の画家 Nikolay Zagorskiy (1849—1893)による「David and Saul(ダビデとサウル)」(ロシア、サンクトペテルブルグのRussian Museum蔵、Wikimedia Commonsより)


サムエル記第一の後半(17~31章)は、サウルの衰退から滅亡に向かうことと、サウルの後に神が王として選ばれたダビデの活躍を記し、この二人の関係を取り扱っています。

聖書に対して、否定的批評学派の人々の考えでは、この箇所の中に、聖書の本文を集成した者がいることを示す、いくつかの証拠が発見できると言っています。

第一に、ダビデは二度サウルに引き合わされていると言っています(16:14~23と17:55~58)。

16章でサウルはダビデと会って、ダビデの立琴を聞いて、元気を回復する経験をしているなら(16:23)、サウルはダビデをよく知っていたはずで、17章でゴリヤテと戦った後、サウルはアブネルに「あの若者はだれの子だ。」(17:55)と問うはずはないのに、どうして問うているのかと、異論を唱えているのです。

これに対して、ある人々は次のような仮説を立てています。サウルがわざとダビデを知らないふりをして、アブネルに尋ねたか、あるいは以前に立琴を聞いた時は、精神的病気にひどく侵されていたので、分からなかったのだとしています。しかしこのような仮説を立てる必要はありません。

サウルが、「あの若者はだれの子だ。」と尋ねた時、サウルは明らかに、その若者の父親の名前だけを問うたのではなく、それ以上のことを突き止めようとしていたのです。ダビデの名や彼の父の名前なら、サウルは既に知っていたでしょう。サウルが知りたかったのは、「巨人ゴリヤテを一撃で倒すような、すばらしい英雄的な行為をした、勇気を持った青年の父とは、はたして、どのような人物であるのか。」ということでした。

サウルがこの質問をしたのは、ただゴリヤテ征伐に対して約束した報酬として、「王はその者を大いに富ませ、その者に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。(その家に免税の措置をとることと思われます)」(17:25)というだけでなく、恐らく、その息子の勇気をと大胆さから推測して、その父にも同じような資質があると考えて、そのような人を自分の宮廷に引き入れるためでした。それ故、サウルが突き止めようとしていたことは、ダビデとその父の社会的境遇だったのです。

ダビデがペリシテ人を打って、ゴリヤテの首を手にして帰って来た時、アブネルはダビデをサウルの前に連れて行っています。18章1節で、「ダビデがサウルと語り終えたとき」は、明らかに長い会話が続いたことを示しています。サウルが、ただダビデの父の名を知ろうとしただけなら、長い会話は必要なく、わずかの言葉で、その質問に答えて、話は終わったでしょう。

第二に、ダビデは、18章17~19節と18章21節で、二度、サウルの娘と結婚するように、サウルから申し込まれていると言っています。

これについては、サウルは17章25節の「その者に自分の娘を与え」るという約束に応じて、長女のメラブを与えると言いました(18:17)。しかしダビデはサウルの巧妙な申し出に対しても、それを怪しまず、謙遜に、「私が王の婿になるなどとは」(18:18)と言って、引き下がっています。しかし実際に、サウルはメラブをダビデに与えると約束した時が来ると、メラブはメホラ人のアデリエルに妻として与えています。サウルは約束を守らなかったのです(19節)。

その後、サウルの娘ミカルがダビデを愛していることを知らされた時、「サウルはそれはちょうどよいと思っ」て(20節)ダビデにミカルを与えると言ったのです。しかし、そこにはサウルの悪賢いワナが仕掛けられていました。21節に「『ミカルは彼にやろう。ミカルは彼にとって落し穴となり、ペリシテ人の手が彼に下るだろう。』と思った。」とあります。更に、このワナを説明しているのが、25節です。ダビデは、サウルが信用のできない人物であることを感じとったので、サウルの申し入れに対して、「王の婿になることがたやすいことだと思っているのか。私は貧しく、身分の低い者だ。」と断っています。このダビデの返事に対して、サウルのワナは、はっきりしてきました。

サウルは使者を用いて、ダビデと交渉させています。ここにサウルのワナが仕掛けられていたのです。

「『ダビデにこう言うがよい。王は花嫁料を望んではいない。ただ王の敵に復讐するためペリシテ人の陽の皮百だけを望んでいると。』サウルは、ダビデをペリシテ人の手で倒そうと考えていた。」(25節)

これが20節の「サウルはそれはちょうどよいと思った。」というサウルの思惑だったのです。悪魔は、どこにワナを仕掛けているか分からないのです。特に、出世コースに見える、うまい話には、必ずと言っていいほど、ワナが仕掛けられているのです。

第三に、ダビデは二度、サウルの宮廷から逃げて、難をのがれたと言っています(19:12、20:42後半)。

そして、サウルは最初の逃亡を知っていたのに(19:17)、ダビデがその後、新月祭の食事の席に出席していないことを不思議がっているのは、矛盾していると言うのです(20:24~29)。

この主張も、関連の章句を注意深く読むことによって、解決されます。

まず、19章12節では、ミカルがダビデを窓から降ろして、サウルの追手から逃していますが、この本文は、「ダビデが逃れて、戻らなかった。」とも言っていないし、またそのようなことを意味していません。

19章17節では、サウルは、ミカルがサウルを欺いたことを責めています。

続いて、18節では、ダビデはラマにいるサムエルの所に行き、事情を話した後、サムエルとともにラマのナヨテに逃れて住んでいます。

20章1節では、ダビデはラマのナヨテからヨナタンのもとに来ています。

20章6節で、ダビデは新月祭の食卓の時のサウルの反応を見て、ヨナタンに対処を頼んでいます。これはその時、話された通りのことが起きています(20:24~29)。

その通りのことが起きたということは、サウルが食卓でダビデに会うことを求めていた時は、サウルの精神状態は正常であったということです。サウルがダビデを追っていた時は、狂気の発作を起こしていたのです(「悪い霊がサウルに臨んだ。」19:9))。この状態は異常でした。

サウルは精神が正常であった時には、ダビデに対して悪感情を示しませんでした。それ故、食卓についていた時、サウルは正常な精神状態にあり、悪霊が彼に臨んだ時に起きた悲劇的な事件には気づかず、サウルはダビデが食卓の席にいないのを不思議がったのです。

食卓でのヨナタンとサウルとの会話はサウルを激しく怒らせ、今度は、サウルが正気な状態でダビデに敵意を抱くようになったのです。

そこで、ヨナタンは、予め打ち合わせておいた矢を射る計画を実行して、サウルの状態をダビデに知らせ、ダビデはサウルが正気においても本当にダビデを殺そうとしていることを知って、逃げたのです。

第四に、ダビデがサウルの命を助けることに関する記事が二重に記されていると主張しています(24:3~7と、26:5~12)。

これは二重の記事ではありません。

24章3~7節では、サウルは「羊の群れの囲い場」のそばの「ほら穴」で用をたすためにその中に入ったのです。ダビデとその従者たちは、すでにそのほら穴の奥のほうに坐っていたのです。

「そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取っ」ています。その後、「ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。」(5節)と言って、その行為を悔い改め、彼の従者に、主に油そそがれた方に手を下すことを禁じたのです。

「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油をそそがれた方だから。」(6節)

26章5~12節では、前回とは全く異なる場所で行なわれています。しかも前回はダビデたちが居た所にサウルが近づいて来たのに対して、今回は、ダビデのほうがサウルの居た所に近づいています(26:6~7)。

サウルは幕営の中で寝ていました。これは「ほら穴」とは全く違います。その周りには将軍アブネルも、兵士たちも寝ていました。

その時、ダビデは、「だれか私といっしょに陣営のサウルのところへ下って行く者はいないか。」と言っています。するとアビシャイが「私があなたといっしょに下って行きます。」と答えています。二人が下って行った時、アビシャイはその現場を見て、「どうぞ私に、あの槍で彼を一気に刺し殺させてください。二度することはいりません。」(8節)と言っています。ダビデはこの提案を禁じて、槍と水差しとを取っています。二人にこのことが出来たのは、「主が彼らを深い眠りに陥れられたので、みな眠りこけていたからで」す(26:12)

それ故、この二つの事件の状況は全く異なっています。しかしダビデが殺意を持っていたサウルを二度赦したことは事実です。この記事の純正性は、全く異なった状況のもとで、ダビデが二度、敵を赦したことによって示されています。

第五に、ダビデはヨナタンと三度、契約を結んだと言っています(18:3、20:16,42、23:18)。

これに対する解答は、

18章3節では、ヨナタンとダビデが契約を結んだのは、ヨナタンがダビデを自分の命のように愛したからです。

20章12節以後では、サウルが激怒して、ダビデを殺そうとすることが明らかになれば、サウルのダビデに対する心が寛大であるか、害を加えようとしているかを明らかに示すと誓って、ヨナタンはダビデとの契約を更新したのです。その時、ヨナタンは、ダビデに、ヨナタン自身にも、ヨナタンの家族にも絶えざるいつくしみを示してくれるように頼んでいます(20:14,15)。

このヨナタンの言葉の中に、ダビデの家が必ず盛んになることを暗示しています。これによって、ヨナタンは、すでに結んでいた契約を強調し、更新しています。そして、この契約にダビデの子孫とヨナタンの子孫をも含めたのです。

23章16節では、ダビデの逃亡中、ヨナタンがダビデの所に行き、神の御名によって、ダビデを力づけています。そして二人は主の前で、すでに結んでいた契約を更新したのです。

それ故、三つの別々の契約が結ばれたと否定的主張をすることは、本文に含まれていない、全く別の意味を無理矢理押し付けようとしていることにほかなりません。

第六に、ダビデは二度、ガテの王アキシュのもとに逃げて行ったと言っています(21:10~15、27:1~4)。

これは本当です。ダビデは二度、アキシュのもとに逃げて行ったし、また聖書は、なぜダビデがそうしたかを明らかに示しています。

ダビデが最初にアキシュのもとに逃げて行った時、ペリシテ人の記憶の中には、まだゴリヤテを倒したことがはっきりと残っていました(21:11)。このことが分かると、ダビデはガテの王アキシュを非常に恐れて、気違いのふりをしたので、無事にそこを去ることができたのです。

しかし21章11節から27章2節に移っていく期間に、アキシュは、ダビデがなぜサウルに追われていたのかを知ることができ、恐らく、ペリシテとイスラエルとの間に、再び戦争が勃発することになる雲行きだから、その時、ダビデはペリシテ人のために戦ってくれると考えたのです。

ダビデはアキシュのもとに逃げて来た時、サウルはそれ以上、ダビデを追うことを止めています。

それ故、この二つのアキシュのもとに行ったダビデの事件は、別々の出来事であって、同一の事件を単に二重に書き記したのではないことは明らかです。

第七に、ゴリヤテを殺す記事に混乱があると言っています。

17章(19:5、21:9、22:10参考)では、ダビデがゴリヤテを殺したと述べられています。

しかしサムエル記第二21章19節では、エルハナンがゴリヤテを殺したと主張しています。
新改訳聖書では「ガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミを打ち殺した。」となっていますが、ヘブル語では、「ゴリヤテ」となっているのです。おそらくこれは写本を書く時の筆写者が急いで書いたためか、「兄弟ラフミ」を書き落としたものと思われます。なぜなら歴代誌第一20章5節では、ヘブル語も、「エルハナンは、ガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミを打ち殺した。」と書いてあるからです。それ故、ゴリヤテを殺した記事については、何一つ混乱も、食い違いもありません。

これに対して、ヤングは次のように詳しく解説しています。

写本の筆記者がサムエル記第二21章19節を伝達していくうちに、確かに幾つかの誤りを入りこませてしまいました。

第一に、oregimという語を除かなければなりません。新改訳聖書では「ヤイルの子エルハナン」と訳されていますが、ヘブル語では「ヤレ・オルギム」です。これは人の固有名詞として使われていますが、これは明らかに筆写者の誤謬です。このoregim(オルギム)は、19節の終わりに再び記されている「槍の柄」のことなのです。筆写者は、これを人名と間違えて、書き込んでしまい、同じ節の中で同じ語を二度、使ってしまったのです。

第二に、ヘブル語のethという語は、直接目的を示す語で訳されませんが、歴代誌第一20章5節によって校訂を受けてahi(「…の兄弟」という意味)と読ませています。

第三に、エルハナンの父の名は、「ヤレ・オルギム」ではなくて、「ヤイル(yr)」と読まれるべきです。

私たちは、この筆写者の誤りをどう校訂すればよいかというと、二通りあり、どちらかを採ることになります。

一つは、歴代誌第一20章5節を正しい本文として採用するなら、サムエル記第二21章19節の「ベツレヘム人(Beth hallahmi)」の語を校訂して、「ラフミ(eth Lahmi)」としなければなりません。

またもし、サムエル記第二21章19節を本文として採用するなら、歴代誌第一20章5節の「ラフミ(eth Lahmi)」をサムエル記第二の「ベツレヘム人(Beth hallahmi)」と一致するように校訂しなければならなくなります。

しかし、事件の事実は、
1、ダビデはゴリヤテを殺しました。
2、エルハナンはゴリヤテの兄弟を殺したのです。

結論として言えることは、サムエル記のヘブル語本文は、他の旧約聖書の大部分の書の場合のように、良い保存状態で伝えられて来ていなかったことと共に、写本の筆記者の誤記入によって、幾つかの誤りが混入したことは事実です。そこでしばしばギリシャ語訳の七十人訳聖書が非常に良い助けとなっています。しかし、これらの幾つかの誤りが混入したことは、サムエル記が何人もの人々の文書を集めて作成したことを示す証拠にはなりません。そのような証拠は、サムエル記には全く見当たりません。

あとがき

 ある教会の先生から、次のようなお言葉をいただきました。「この日本の救われた者がみことばを聞く(読む)ことと、その解き明かしに関心を持ち続けるよう祈っています。この聖書の探求はとても大切な主からのプレゼントとなります。」
この先生はもう二〇年以上も聖書の探求を教会員の方々にお配り下さっています。本当に感謝しています。時々「読む物は他にもあるので、いらない。」と言われる方もおられますが、「主よりのプレゼント」と言って下さって、お用い下さっている先生もいて下さることは、私にとって、これ以上の励ましはありません。
毎週、少しずつ原稿を書いております。少しでも主のお役に立てるように続けてお祈りいただければ幸いです。読者の皆様に感謝致します。

(まなべあきら 2008.7.1)
(聖書箇所は【新改訳聖書】より)


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