聖書の探求(293) サムエル記第一 17章1~30節 ガテのゴリヤテ登場、ダビデは戦いに出た兄たちを訪問

エラの谷のイスラエル陣地側を望む写真。「谷」と言っても、幅広い平地を小高い丘が挟んでいるような地形です。


17章の分解

1~11節、ガテのゴリヤテ登場
12~16節、戦いに出るエッサイの三人の息子
17~27節、ダビデ、兄たちを訪問
28~30節、兄エリアブの怒り
31~40節、ダビデの戦いの準備
41~54節、ゴリヤテとの対決と勝利
55~58節、ダビデ、サウルの前に出る

1~11節、ガテのゴリヤテ登場

サウルとダビデが最初に出会ってから、17章でゴリヤテを倒すために、再び二人が会うまでには、何年かが経過していました。それ故、サウルは、ゴリヤテを倒した若者がだれであるか、すぐには見分けがつかなかったのです。

1節、ペリシテ人は、新たにイスラエルと戦うために、エルサレムの南西約25.6km、ベツレヘムから16kmの、ユダのソコ(ヨシュア記15:35)に集まっていました。

Ⅰサム 17:1 ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集まり、ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。

ソコとアゼカ(ヨシュア記10:11、15:35)は、ユダの南の低地にある隣り合っている町で、ペリシテ軍はその二つの町の間、すなわち、エフェス・ダミム(ベツレヘムから15km)に陣を敷いて、野営していました。

2節の「エラの谷」の「谷」はヘブル語の「エメク」で、「広いくぼみ」、「幅広い谷」を意味しています。

Ⅰサム 17:2 サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした。

3節の「谷」は、ヘブル語の「ガイ」で、急な斜面のある狭い峡谷を意味しています。

それ故、ペリシテ人はソコとアゼカの間にある低地のエフェス・ダミムに陣取り、イスラエルは、急な斜面の峡谷をはさんで、広いくぼみのあるエラの谷に陣取って対峙していたのです。

Ⅰサム 17:3 ペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上に、谷を隔てて相対した。


エラの谷から、イスラエル陣地側の丘を望む。

エラの谷から、ペリシテ人側の低い丘を望む。「参照:たけさんのイスラエル紀行(エラの谷)


4~7節、ペリシテ人の陣営から、巨大な身長の大男で、ガテのゴリヤテが、ペリシテ人の代表戦士として出て来て、イスラエル軍から代表戦士を出して、一騎打ちをするように挑戦しています。

これは古い時代の戦争では普通に行なわれていた習慣です。

Ⅰサム 17:4 ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。
17:5 頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。よろいの重さは青銅で五千シェケル。
17:6 足には青銅のすね当て、背中には青銅の投げ槍。
17:7 槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は、鉄で六百シェケル。盾持ちが彼の先を歩いていた。

サムエル記第一4章の、祭司エリの二人の息子ホフニとピネハス(4:11)を殺したのは、ゴリヤテであったという言い伝えがあります。

ゴリヤテの様相は、
身長、6キュビト半(1キュビトとは、手の指先から肘までの長さで、約44cm、それ故、ゴリヤテの身長は2m86cmとなります。)
頭、青銅のかぶと
身、うろことじの鎧(よろい)、青銅で五千シェケル(約57kg)の鎧をつけていた。
足、青銅のすね当て
肩、青銅の投げ槍を背負い、
手、槍、柄は機織りの巻き棒のよう、穂先は鉄で六百シェケル(約6k840g)
この武装からすると、八〇kg以上の武具を身につけていたことになり、普通の人なら身動きがとれない重さになります。これだけでもゴリヤテの強さを表わしています。

Freebibleimages.orgのスライドより、「David trusts God and fights the Philistine giant Goliath.(ダビデは神を信頼し、ペリシテの巨人ゴリアテと戦う。)」 Contributed by Sweet Publishing.


8~9節、ゴリヤテはイスラエルの兵士たちを「サウルの奴隷ではないか」と屈辱的な言葉でなじっています。

Ⅰサム 17:8 ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。17:9 おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」

これはイスラエルの中に不満な思いをかき立てて、戦意をそぐことを意図していたのでしょう。イスラエル人が全員で並んで出て来たのは、彼らの内に強い勇士がいない証拠だと、なじっています。そして、イスラエルから一人の戦士を選び出して、ゴリヤテと決闘するように挑戦しています。そして負けた方の民が全員、勝った方の奴隷となって仕えるように挑んでいます。

10節の「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。」という言葉は、ゴリヤテが自信過剰になり、高慢になり、イスラエルを見下していたことを表わしています。

Ⅰサム 17:10 そのペリシテ人はまた言った。「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう。」

彼はイスラエルの民の表面を見て、確かに弱そうだし、たいした勇士もいないようだし、サウルが神から退けられたことも、聞いていたかも知れません。しかしイスラエルが神の民であることに変わりはありません。

ゴリヤテの敗北の原因は、神を計算に入れず、神の民を侮り、ののしり、神の民を攻撃したことです。自分に自信を持っている人は、神を計算に入れることをせず、高慢になり、自信過剰になり、神の人や神の民を非難、攻撃しやすいのです。サウルが敗北したのも、神の人サムエルの言葉に忠実に従わず、神の油注がれたダビデを殺そうとしたことに原因があるのです。10節の時点で、巨人ゴリヤテの敗北は決まっていたのです。

11節、「サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。」

Ⅰサム 17:11 サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。

イスラエル人の中で一番背が高くて、一番強そうに見えたのはサウルであったからです。サウル自身も、民も、サウルがゴリヤテと戦う、イスラエルの代表戦士になるべきことが分かっていたからです。しかしサウルは神に捨てられ、その力を失っていたのです。もはや、11章6節にあったような、「神の霊がサウルの上に激しく下る」こともありませんでした。サウルも民も、ゴリヤテの言葉を聞いて、意気消沈し、非常に恐れているだけでした。

神のみことばに忠実に従うことをしなくなってしまった人は、必ず、力を失い、苦難に直面すると、失望し、恐れるだけです。サウルは自分に刃向かって来ないダビデに対して、執拗に命を狙って攻撃しましたが、それは、サウルが力ある勇士だったからではなく、ダビデを恐れていたからです。私たちがいつも力強く生きて、困難にも立ち向かっていく力を持っているためには、毎日、主のみことばに忠実に従っていく生活をしていくことです。

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(テモテ第二1:7)

「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(歴代誌第二16:9)

12~16節、戦いに出るエッサイの三人の息子

12節、「ダビデはユダのベツレヘムのエフラテ人でエッサイという名の人の息子であった。」という句は、しばしば旧約聖書の歴史書の中で、古い記録から確かめるように使われている情報のくり返しです。

Ⅰサム 17:12 ダビデはユダのベツレヘムのエフラテ人でエッサイという名の人の息子であった。エッサイには八人の息子がいた。この人はサウルの時代には、年をとって老人になっていた。

せっかちな現代人は、一度聞いたら分かると思うかも知れませんが、イスラエル人は同じことでも、それを確かめるためにくり返すことを嫌がらなかったのです(16:1,10,18)。
この時、すでにエッサイは年をとって老人になっていました。エッサイには男の子ばかり八人いました。当時、イスラエル人の間で八人の子どもがいることは珍しくありませんでした。しかし全員が男の子であったことは、珍しかったかも知れません。

13節、すでに年長の三人の息子は成人して、サウル軍に加わり、戦いに出ていました。

Ⅰサム 17:13 エッサイの上の三人の息子たちは、サウルに従って戦いに出て行った。戦いに行った三人の息子の名は、長男エリアブ、次男アビナダブ、三男シャマであった。

その三人の息子の名前が記されています。おそらく年長の者であったので敬意を示したのでしょう。長男はエリアブ、次男はアビナダブ、三男はシャマ(歴代誌第一2:13では、シムアとなっています。)です。

14節、「ダビデは末っ子」だったと記されています。

Ⅰサム 17:14 ダビデは末っ子で、上の三人がサウルに従って出ていた。

当時、「末っ子」は尊ばれず、使用人の一人くらいにしか考えられていませんでしたから、ダビデはいつまでも父の羊を飼う仕事をさせられていたのです。

15節、16章19~23節でダビデがギブアの王の宮廷にいたサウルのもとに行ったことを述べています。

Ⅰサム 17:15 ダビデは、サウルのところへ行ったり、帰ったりしていた。ベツレヘムの父の羊を飼うためであった。

その後、ダビデは父のもとに帰って来て、羊飼いをしていたのです。ある時、人の前に高くされて、名誉に思うことがあっても、すぐにまた元の羊飼いになり、忠実にしもべの働きができたダビデには、すぐれた素質が見られます。

12節から15節のダビデについての叙述は、ダビデがゴリヤテと対決するための準備的な説明をしています。

16節、「例のペリシテ人」ゴリヤテは、四十日間、一日二回、朝早くと夕暮れに、イスラエル人の前に姿を現わし、一騎打ちの挑戦を繰り返していたのです。

Ⅰサム 17:16 例のペリシテ人は、四十日間、朝早くと夕暮れに出て来て姿を現した。

「四十日間」は、当時の公式に認められていた試験期間と思われています。ノアの洪水の時も、四十日四十夜、雨が降っています(創世記7:4,12)。それから、大洪水が、四十日間続いています(創世記7:17)。モーセも四十日四十夜、主とともにいて断食しています(出エジプト記34:28、申命記10:10)。イエス様も四十日四十夜断食をされています(マタイ4:2)。預言者エリヤは四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いています(列王記第一19:8)。

ゴリヤテが四十日間、挑戦し続けたことにどれほどの意味があるかは分かりませんが、当時、四十日という期間が公式の期間になっていたと思われます。ゴリヤテは四十日間、宣戦布告をしていたのです。

17~27節、ダビデ、兄たちを訪問

17節、ダビデがゴリヤテと対決することになったきっかけは、エッサイがダビデを兄たちの所に食料を届けさせて、安否を尋ねさせたことにあります。

Ⅰサム 17:17 エッサイは息子のダビデに言った。「さあ、兄さんたちのために、この炒り麦一エパと、このパン十個を取り、兄さんたちの陣営に急いで持って行きなさい。

ダビデは、いつもの如く、しもべのする使い走りをさせられたのです。これが大きなことにつながっていたのです。

炒り麦は、水や湯に浸して食べることができる簡易食品です。1エパは、23リットルくらいです。

パン十個は、兄たちがすぐに食べることができるためのものだったでしょう。エッサイは息子たちが戦場でお腹を空かしているのではないかと心配していたことが、よく伝わってきます。

18節、千人隊長への贈り物も忘れていません。

Ⅰサム 17:18 この十個のチーズは千人隊の長に届け、兄さんたちの安否を調べなさい。そしてしるしを持って来なさい。

これも子を思う親の心をよく表わしています。これには十個のチーズを持たせています。チーズは当時としては高価な食品です。

「しるしを持って来なさい。」とは、兄たちが元気でいる証拠を持って来なさい、良い知らせを持って帰って来なさい、という意味です。

19節、エッサイは、サウルと兄たちと、イスラエル人たちが、エラの谷で激戦になっていると思っていたのです。

Ⅰサム 17:19 サウルと兄さんたち、それにイスラエルの人たちはみな、エラの谷でペリシテ人と戦っているのだから。」

しかし実際は、サウルもイスラエル人のすべての人も、ペリシテ人に、意気消沈し、非常に恐れて、身動きがとれなかったのです。

20節、ダビデは、エッサイの命令に忠実に従っています。

Ⅰサム 17:20 ダビデは翌朝早く、羊を番人に預け、エッサイが命じたとおりに、品物を持って出かけた。彼が野営地に来ると、軍勢はときの声をあげて、陣地に出るところであった。

ダビデは翌朝早く出発しています。ベツレヘムからエラの谷まで16kmくらいですから、若者のダビデの足なら、3~4時間で着いたでしょうから、昼前には兄たちに会っていたでしょう。

21節、イスラエルとペリシテ軍は、向かい合って戦線を整えて、緊張して対峙していたのです。

Ⅰサム 17:21 イスラエル人とペリシテ人とは、それぞれ向かい合って陣を敷いていた。

22節の「武器を守る者」とは、荷物や食料を守る者たちです。

Ⅰサム 17:22 ダビデは、その品物を武器を守る者に預け、陣地に走って行き、兄たちの安否を尋ねた。

ダビデは父から預かって来た荷物を彼らに預けて、真っ先に兄たちの安否を尋ねるために、前線の陣地に走って行ったのです。

23節、ダビデが兄たちと会って話している時、いつものようにゴリヤテがイスラエルに向かって挑戦する文句を聞きました。

Ⅰサム 17:23 ダビデが兄たちと話していると、ちょうどその時、ガテのペリシテ人で、その名をゴリヤテという代表戦士が、ペリシテ人の陣地から上って来て、いつもと同じ文句をくり返した。ダビデはこれを聞いた。

24節、イスラエル人は巨人ゴリヤテとその装備を見て逃げ出し、非常に恐れたのをダビデは見たのです。

Ⅰサム 17:24 イスラエルの人はみな、この男を見たとき、その前を逃げて、非常に恐れた。

25節は、イスラエルで最も大きい人物であり、王であるサウル自身も恐れていたことを表わしています。

Ⅰサム 17:25 イスラエルの人たちは言った。「あの上って来た男を見たか。イスラエルをなぶるために上って来たのだ。あれを殺す者がいれば、王はその者を大いに富ませ、その者に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。」

サウルはイスラエル人に、ゴリヤテを殺す者には、富を与え、自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何の義務も負わせない(強制労働や税金を免除すること、8:11~18で民に要求されていたことの免除)ことを、約束していたのです。しかしそのような報酬が与えられることが約束されても、ゴリヤテと戦う勇士は現われなかったのです。

26節、ダビデはゴリヤテの言葉を、神と神の軍隊に対する挑戦として受け止めたのです。

Ⅰサム 17:26 ダビデは、そばに立っている人たちに、こう言った。「このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」

「イスラエルのそしりをすすぐ」の「そしり」はヘブル語の「ケルパ」で、不名誉や恥辱のことです。イスラエル軍が、生ける神の陣に対するゴリヤテの挑戦に立ち向かうことができなかった恥辱のことです。

「生ける神」は、異教徒たちの礼拝している生命のない偶像と対比して使われています。

ペテロは、イエス様が「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と尋ねられた時、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」(マタイ16:16)と答えました。今、あなたの信じているイエス様は、生ける神として働いて下さっていますか。あなたの神は死んだ神となっていませんか。イエス様が死んだ神になられることは決してありません。ただ、イエス様は信仰がない所では働かれないのです。あなたの心に信仰がなくなっていると、イエス様は死んだ神のようになってしまい、みわざを行なうことができないのです。

「イエスは答えて言われた。『神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。』」(マルコ11:22~24)

28~30節、兄エリアブの怒り

28節、ダビデがイスラエルの兵士たちと話しているのを聞いていた兄のエリアブは、ダビデに怒りを燃やして、「いったい、おまえはなぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかの羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと悪い心がわかっている。戦いを見にやって来たのだろう。」と、言葉を尽くしてののしっています。

Ⅰサム 17:28 兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブはダビデに怒りを燃やして、言った。「いったいおまえはなぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと悪い心がわかっている。戦いを見にやって来たのだろう。」

この言葉は、エリアブが一番下の弟ダビデをひどく見下していたことを表わしています。「荒野にいるあのわずかの羊を」と言って、ダビデのこれまでの働きをなじっています。またダビデの動機について、「おまえのうぬぼれと悪い心がわかっている。」と言って、ダビデの人格性まで、ののしっています。

兄エリアブはこのように、身内の者や目下の者に対しては、強い言葉でののしったのに、巨人ゴリヤテに対しては震えおののいていたのです。エリアブはダビデほどに真の信仰も、勇気もない人です。こういう人たちが戦いの最前線に出ていても、勝ち目はありません。身内や目下の人を強くののしっていても、困難に向かって勇敢に、忍耐強く当って行かない人は、信仰も勇気もない、見掛け倒しの人です。先にエリアブは、サムエルから、彼の容貌や背の高さから、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」(サムエル記第一16:6)と間違われた人でした。しかし主がエリアブを退けられたのは、明解だったのです。「主は心を見る」お方なのです。

29,30節、ダビデは信仰に満ち、勇気に満ちて、兄エリアブに対して「私が今、何をしたというのですか。一言も話してはいけないのですか。」と反論した後、再び他の人に同じ質問をして、サウル王の約束を確かめています。

Ⅰサム 17:29 ダビデは言った。「私が今、何をしたというのですか。一言も話してはいけないのですか。」
17:30 ダビデはエリアブから、ほかの人のほうを振り向いて、同じことを尋ねた。すると民は、先ほどと同じ返事をした。

あとがき

イエス様は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4)と言われましたが、今や、このみことばの真実さが目に見えて明らかになっています。
今朝のニュースで、横浜市営地下鉄のホームで、すれ違い様に鋭い刃物で男性が太モモを刺される事件が起きました。このようなことは健全な良心を持っている人なら、決してやらないことです。それを平気でしてしまう人が続けて何人も現われていることは、神のみことばによって生きていないと、私たちはどんな恐ろしい心の状態になるかを証明しています。
私たちも一寸したことで、心を閉じてしまって、不親切になってしまわないでしょうか。いつも主のみことばに養われていることはありがたいことです。


(まなべあきら 2008.7.1)
(聖書箇所は【新改訳聖書】より)


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