聖書の探求(301) サムエル記第一 23章 ダビデ、ケイラを救う、ジフの荒野に逃げる、ジフ人の告げ口
フランスの画家James Tissot (1836–1902)による「David in the Wilderness of Ziph(ジフの荒野のダビデ)」(New YorkのJewish Museum蔵)
この章は、逃亡中にダビデを襲った危機を記しています。
22章5節で預言者ガドが、ダビデをモアブの地からユダの地に呼び戻したのは、ペリシテ人がユダの町に新たに侵入して、略奪を始めていたからだと思われます。それがこの章で明らかになってきます。
23章の分解
1~6節、ダビデ、ケイラの人々を救う
7~14節、ジフの野に逃げる
15~18節、ジフの野でヨナタンと再会
19~23節、ジフ人の告げ口
24~29節、仕切りの岩(逃岩)セラマレコテ
1~6節、ダビデ、ケイラの人々を救う
1節、ケイラの町は今でははっきりと、どこだったか特定することができませんが、ヘブロンの北西で、ペリシテ人のガテの方向にあったと思われます。それでケイラの町はペリシテ人に包囲され、麦打ち場の麦が略奪されていたのです。
Ⅰサム23:1 その後、ダビデに次のような知らせがあった。「今、ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています。」
人々はこのことをダビデに知らせたのです。ダビデは逃亡者ではありましたが、一方、一隊を率いて近隣諸国からの略奪団を追い払う自衛の働きをしていたのです。クリスチャンも周りの人々から悩みや課題を持ちかけられ、ともに祈り、主に信頼するようになると、幸いです。
2節、「ダビデは主に伺って言った。」
4節「ダビデはもう一度、主に伺った。」
ダビデは、「前に主に伺ったから、もういい。」という人ではなく、毎回、その度ごとに主に問うています。これがダビデを救い、ダビデを勝利に導いたのです。「面倒くさい。」と言わず、「一度、尋ねたから、みこころは分かっている。」と言わず、毎回、主に問うたことが、ダビデの信仰のすぐれているところです。これが本当にダビデが主を畏れていた態度です。このことをダビデは、次のように言ったのです。
「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。」(詩篇16:8,9)
サムエル記第二 5章19,23,25節でも、ダビデは一回一回、真剣に主に問うています。
同じような問題でも、その時その時、事情や状況に応じて神のお答えと神の方法は一回一回異なっています。
サムエル記第二 5章は、ダビデが王になった後ですが、ダビデの主を畏れる心の態度は、サムエル記第一 23章の頃の、王となる前の逃亡中の時と、全く変わっていません。ここにダビデのすぐれているところがあります。
2節、この時の主のお答えは、「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え。」でした。
Ⅰサム 23:2 そこでダビデは【主】に伺って言った。「私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか。」【主】はダビデに仰せられた。「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え。」
3節、しかしダビデの部下たちは、あまり賛成ではありませんでした。
Ⅰサム 23:3 しかし、ダビデの部下は彼に言った。「ご覧のとおり、私たちは、ここユダにいてさえ、恐れているのに、ケイラのペリシテ人の陣地に向かって行けるでしょうか。」
なぜなら、うしろにサウルの追跡軍を受けつつ、ケイラのためにペリシテ軍と戦うのは、あまりに危険すぎると考えたからです。これは人間の考えとしては当然のことでしょう。
4節、部下たちがあまり乗り気でない態度を示したので、ダビデはもう一度、主に伺って、み旨を確かめたのです。主のお答えは、「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」でした。
Ⅰサム23:4 ダビデはもう一度、【主】に伺った。すると【主】は答えて言われた。「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」
いつでも、勝利は主によって与えられるのです。勿論、自分たちで戦うのですが、自分の力で勝ち取ったと思う時、高慢になり、敗北の原因となっていくのです。
「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(ヨハネ第一 5:4,5)
5節、「わたしがペリシテ人をあなたの手に渡す。」という主のお約束をいただいたダビデとその部下はケイラに行き、主のお約束が確かであることを証明しました。ペリシテ人を打って大損害を与え、ケイラの住民を救ったのです。
Ⅰサム 23:5 ダビデとその部下はケイラに行き、ペリシテ人と戦い、彼らの家畜を連れ去り、ペリシテ人を打って大損害を与えた。こうしてダビデはケイラの住民を救った。
「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。…… この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。」(歴代誌第二 20:15~17)
6節、アヒメレクの子エブヤタルがダビデの逃亡隊に逃げて来た時、エポデを携えていました。
Ⅰサム 23:6 アヒメレクの子エブヤタルがケイラのダビデのもとに逃げて来たとき、彼はエポデを携えていた。
エポデは祭司が上半身に着ける衣です。現在、それがどのようなものであったかは定かではなく、推測するしかないのですが、通常はこのエポデを用いて、主の御旨を示されたと考えられています。このエポデにはポケットがついていて、その中に「ウリムとトンミム」が入れられていて、それをポケットからくじを引くように取り出したり、投げたりして、主の御旨か、反対かを決めたと考えられています。
この6節は、ダビデが主に御旨を伺った時に、おそらくエポデの中のウリムとトンミムを用いたので、挿入的にここに記されたものと思われます。
7~14節、ジフの野に逃げる
7節、ここでもダビデがケイラに行ったことをサウルに知らせた者がいます。どこにでも他人の告げ口をする人がいます。
Ⅰサム 23:7 一方、ダビデがケイラに行ったことがサウルに知らされると、サウルは、「神は彼を私の手に渡された。ダビデはとびらとかんぬきのある町に入って、自分自身を閉じ込めてしまったからだ」と言った。
サウルは自ら、主に不服従になり、主に捨てられていたのに、彼は「神は彼を私の手に渡された。」と言っています。これほど自分中心な態度はありません。自分に都合のよいことが起きると、「神様が自分にしてくださった。」と勝手に考えるのです。これほどわざわいなことはありません。自分が主に不服従であり、主が油注がれた人の命を狙っていながら、「神は彼を私の手に渡された。」と考えるのは、サウルの信仰が全く狂ってしまっていることを表わしています。主が彼の手にダビデを渡されるはずがありません。
サウルがそのように考えたのは、ケイラがとびらとかんぬきのある門と壁で囲まれた町だったからです。当時、近隣の外敵の侵略を避けるために、このように町を城壁で囲い、門にとびらとかんぬきを取り付ける町が相当あったのです。ケイラもペリシテ人のガザに近かったので、ペリシテ人を防御するために、とびらやかんぬきを常設していたのです。その中にダビデの一隊が入ってしまうと、逃げ場を失ってしまう危険があったのです。サウルはこのことを知っていて、ダビデたちを確実に窮地に追い込むことができると考えたのです。
8節、サウルはすぐに民を呼び集めてケイラに下り、ダビデとその部下をケイラの町の中に封じ込む作戦をとっています。
Ⅰサム 23:8 そこでサウルは民をみな呼び集め、ケイラへ下って行き、ダビデとその部下を攻めて封じ込めようとした。
おそらく、サウルは、「ダビデを攻めるため」と言って、民を呼び集めても集まって来ないでしょうから、表向きはケイラを略奪しているペリシテ人を追い払うためと言ったのでしょう。
9節、ダビデは、サウルの動きに気づき、祭司エブヤタルに、「エポデを持って来なさい。」と言っています。これはエポデの中のウリムとトンミムで、主のみこころを伺うためです。
Ⅰサム 23:9 ダビデはサウルが自分に害を加えようとしているのを知り、祭司エブヤタルに言った。「エポデを持って来なさい。」
10節、ダビデは主に祈っていますが、これを見ると、サウルはケイラをペリシテ人から救うのではなくて、ケイラの町を破壊してその中にいるダビデの一隊も全滅させることを計画していたようです。
Ⅰサム 23:10 そしてダビデは言った。「イスラエルの神、【主】よ。あなたのしもべは、サウルがケイラに来て、私のことで、この町を破壊しようとしていることを確かに聞きました。
11,12節、ダビデが気にしていたことは、自分たちが助けたケイラの人々が、助けてくれたダビデとその一隊をサウルの手に渡すか、どうかということでした。
ダビデは、自分たちが助けてあげたのだから、自分たちをサウルに引き渡すことはしないだろうと、自分に都合の好いような思い込みをしなかったのです。人は本質的に自分中心ですから、よほど主に忠実でない限り、助けてもらった直後でも、自分に都合が悪くなったり、わざわいが及んで来ると思うと、助けてくれた人を敵の手に渡してしまうのです。
Ⅰサム 23:11 ケイラの者たちは私を彼の手に引き渡すでしょうか。サウルは、あなたのしもべが聞いたとおり下って来るでしょうか。イスラエルの神、【主】よ。どうか、あなたのしもべにお告げください。」【主】は仰せられた。「彼は下って来る。」
23:12 ダビデは言った。「ケイラの者たちは、私と私の部下をサウルの手に引き渡すでしょうか。」【主】は仰せられた。「彼らは引き渡す。」
主のお答えは、「サウルはケイラに下って来るし、ケイラの人々はダビデたちをサウルの手に渡す。」でした。
ケイラの人々は、ペリシテ人から救ってもらったことに対する感謝が全くなかったか、狂気状態になっているサウル王を非常に恐れていたのでしょう。どちらであっても、ケイラの人々には主を畏れる信仰がなかったのです。
13節、ダビデはすぐに主のお答えに従い、六百人の部下たち(22:2では、約四百人でしたから、二百人増強されていました。)を連れてケイラから出て、そこここと、さまよっています。あまりに突然のことだったので、あわてていたのです。
Ⅰサム 23:13 そこでダビデとその部下およそ六百人はすぐに、ケイラから出て行き、そこここと、さまよった。ダビデがケイラからのがれたことがサウルに告げられると、サウルは討伐をやめた。
サウルはダビデがケイラから逃れたことを聞くと、ケイラ行きを中止しています。結局、主はダビデを守られ、サウルに味方しなかったのです。
「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。」(詩篇118:6)
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31)
14節、その後、ダビデの一隊は、荒野や要害に宿ったり、ジフの荒野の山地に宿ったりしています。
Ⅰサム 23:14 ダビデは荒野や要害に宿ったり、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデをサウルの手に渡さなかった。
この「ジフの荒野の山地」は、19節に記されているハキラの丘のことであると思われます。これはヘブロンの南東にあり、森林が多く、サウルの追跡を逃れるには絶好の隠れ場となったのです。
14節の最後のことば「サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデをサウルの手に渡さなかった。」これはサウルの敵意の執拗さに対する神の完全な保護を表わしています。どんなに執拗な人間の攻撃も、神の保護には勝てないのです。サウルはダビデを殺そうと狙っていたのですが、それが神に対する敵対であることをサウルは知らなかったのです。これはサウルの滅亡を確実なものにしてしまったのです。主に油注がれた者に敵対することは、神に敵対することであることに気づかなければなりません。ダビデはそのことを知っていたので、サウルが神に捨てられた後も、一度も主が油注がれた人に対して、たとい自分の命を狙っても刃を向けなかったのです。このことは、本当に主を畏れる心を持っている人には分かります。とにかく、他人を非難、攻撃すれば、必ず、わざわいが自分にふりかかってくるのです。仕返しをせず、主に任せてください。
15~18節、ジフの野でヨナタンと再会
15節、ダビデは自分の命を狙うサウルを非常に恐れています。
Ⅰサム 23:15 ダビデは、サウルが自分のいのちをねらって出て来たので恐れていた。そのときダビデはジフの荒野のホレシュにいた。
主を畏れていても、毎回主に問うていても、主が守ってくださると信じていても、目の前に大軍を率いたサウルが追跡してくると、非常に恐れない人はいないでしょう。この状況をどう言ったらいいのか分かりませんが、「信仰は恐れていなくても、感情は恐れている。」ことなのです。ですから、信仰によって歩んでいる間は守られます。しかし感情に振り回されて歩むようになると、自分の知恵と考えで判断し、決定して歩むようになりますから、敵の手中に陥ることになります。
「ジフの野のホレシュ」は19節の「ハキラの丘のホレシュ」と同じだと思われます。
16節、ヨナタンは最も心細かったホレシュのダビデの所に会いに来て、「神の御名によってダビデを力づけ」ています。
Ⅰサム 23:16 サウルの子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに来て、神の御名によってダビデを力づけた。
「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。」(箴言18:24)
「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」(箴言17:17)
「あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。」(箴言27:10)
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)
17節、ヨナタンの励ましの言葉は、主と主の約束に対する堅い信仰を表わしています。
Ⅰサム 23:17 彼はダビデに言った。「恐れることはありません。私の父サウルの手があなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。私の父サウルもまた、そうなることを確かに知っているのです。」
そして自分に対しては「あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者になるでしょう。」と言って、無欲な性質を素直に示しています。そしてそれこそ、神が各々に与えられた使命であると示しているのです。そのことは父サウルも知っていると言っています。ですから、恐れることはありませんと言っているのです。
18節、20章16節以来、再びヨナタンとダビデは主の前で契約を結んでいます。
Ⅰサム 23:18 こうして、ふたりは【主】の前で契約を結んだ。ダビデはホレシュにとどまり、ヨナタンは自分の家へ帰った。
そして、もう一度この友人たちは別れていますが、今回の別れは地上での最後の別れとなってしまいました。ヨナタンは自分の家に帰り、ダビデは隠れ場のホレシュにとどまっています。このヨナタンとダビデの愛の姿を見ると、「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。」(箴言18:24)ことを実感させられます。
この二人の間には、霊的力の源泉となるものが四つ見られます。
一、神の御名によって力づけられた勇気。これが友を通して与えられていることに感動します。
二、王となる確信と自らをその次に置く謙譲。
三、契約の更新。二人は会う度に、契約を更新しています。
四、神の時を待つという忍耐と勇気。
これらの四つが、結実をもたらしたのです。
19~23節、ジフ人の告げ口
ジフとケイラは正確には、すぐ近くの町でしたが、ここでは同じ人を指していると思われます。ダビデたちにペリシテ人の攻撃を助けてもらったケイラの人々のうちのある者たちがダビデたちを裏切って、サウルに密告したのです。サタンが働く時、恩を仇で返す者が出てくるのです。イスカリオテのユダが心に悪魔が入った時、主イエス様を売ってしまったのです。ジフ人はわざわざサウルの根拠地のギブアまで上って行って密告しています。悪意ほど、行動を積極的に大胆にさせるものはありません。
Ⅰサム 23:19 さて、ジフ人たちがギブアのサウルのところに上って来て言った。「ダビデは私たちのところに隠れているではありませんか。エシモンの南、ハキラの丘のホレシュにある要害に。
「エシモンの南」この「南」は直訳では「右」です。その時、ダビデは、死海の西の砂漠にあるハキラの丘の要害の木々の茂った潅木の中に隠れていたのです。
20節のジフ人たちがサウルを招いている言葉には、サウルから利得を受けようとする、恐ろしいたくらみが含まれています。
Ⅰサム 23:20 王さま。今、あなたが下って行こうとお思いでしたら、下って来てください。私たちは彼を王の手に渡します。」
14節で「神はダビデをサウルの手に渡さなかった。」と言われているのに、ジフ人は「私たちは彼を王の手に渡します。」と言っています。これは明らかに神に敵対しています。
21節、サウルはその密告を受けて喜び、「主の祝福があなたがたにあるように。あなたがたが私のことを思ってくれたからだ。」と、「主の祝福」を語って、信仰的な言葉を使っていますが、神に不服従な人が使えば、更に神を冒瀆することになります。
Ⅰサム 23:21 サウルは言った。「【主】の祝福があなたがたにあるように。あなたがたが私のことを思ってくれたからだ。
自分にとって都合の好いことを言ってくれる人、都合の好いことをしてくれる人を、自分の仲間、自分の味方だと思いやすいのですが、そうではないことのほうが多いのです。自分に都合の好いことを言ったり、したりする人こそ、自分を滅びに陥れている人であることが多いのです。愚かにも、私たちはそのことに気づかないことがあるのです。サウルも、自分に警告してくれたサムエルや、息子のヨナタンこそ、真の味方であって、彼に密告した者たちはみな、王から利得を求める人たちだったのです。
22,23節、サウルはジフ人の密告者たちに、更にダビデたちが居る場所を正確につきとめてくれるように、そして目撃者も調べておくようにと協力を求めています。その目撃者を案内人にしてダビデに奇襲攻撃をかけるためです。
Ⅰサム 23:22 さあ、行って、もっと確かめてくれ。彼がよく足を運ぶ所と、だれがそこで彼を見たかを、よく調べてくれ。彼は非常に悪賢いとの評判だから。
23:23 彼が潜んでいる隠れ場所をみな、よく調べて、確かな知らせを持って、ここに戻って来てくれ。そのとき、私はあなたがたといっしょに行こう。彼がこの地方にいるなら、ユダのすべての分団のうちから彼を捜し出そう。」
「彼は非常に悪賢いとの評判だから」、この言葉にはジフ人に、ダビデを悪人と思い込ませようとするたくらみが見られます。主に不服従になり、主に捨てられてしまったサウルは、主に忠実に生きている人を「悪賢い」と批判したのです。
マタイ12章22~32節で、主イエス様が、悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人をいやされた時、群衆はみな、「この人は、ダビデの子孫なのだろうか。」と言ったのに、パリサイ人は、「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」と言って非難したのです。
そして主は次のように言われました。
「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません。もし、サタンがサタンを追い出していて仲間割れしたのだったら、どうしてその国は立ち行くでしょう。また、もしわたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの子らはだれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく人になるのです。しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。…… 人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒瀆は赦されません。また人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」
自分でサタンに従っている者が、そのことに気づかず、イエス様を「悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」と非難攻撃したのです。人の批判や攻撃はみな、神から出ているものではありません。サタンから出ているのです。このことに気づいて、他人を批判することを止めてください。そうでないと自分自身を滅びに向かわせることになってしまいます。
24~29節、仕切りの岩(逃岩)セラマレコテ
24節、ジフ人の密告者たちは、サウルの指示に従って、先に帰って行きました。
Ⅰサム 23:24 こうして彼らはサウルに先立ってジフへ行った。ダビデとその部下はエシモンの南のアラバにあるマオンの荒野にいた。
その頃、ダビデはハキラの丘より更に約9.6km南にあるアラバのマオンの荒野にいました。
25,26節、サウルは部下を連れてダビデを捜索し、ダビデを包囲しようとしていました。
Ⅰサム 23:25 サウルとその部下がダビデを捜しに出て来たとき、このことがダビデに知らされたので、彼はマオンの荒野の中で、岩のところに下り、そこにとどまった。サウルはこれを聞き、ダビデを追ってマオンの荒野に来た。
23:26 サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山の他の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃げようとしていた。サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕らえようと迫って来ていたからである。
ダビデは追い込まれてしまったのです。ダビデたちはマオンの荒野の岩の所から動けなくなってしまっています。サウルの包囲作戦は成功したかに見えたのです。ダビデとサウルは山をはさんで、向こう側とこちら側で追いつ、追われつしていました。サウルとその家来たちは今にも、ダビデたちを捕えようと迫っていたのです。この時は、ダビデの生涯の中で最も危険な時でした。しかし主はダビデをサウルの手には渡されなかったのです。主に忠実に従っている者は、決して捨てられることはないのです。
「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」(ヨハネ14:18)
「彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」(ペテロ第一 2:6)
27節、サウルがダビデを捕えることがほぼ確実になった時、ひとりの使者がサウルのもとに来て、「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に突入して来ました。」と知らせたのです。
Ⅰサム 23:27 そのとき、ひとりの使者がサウルのもとに来て告げた。「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に突入して来ました。」
ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤの王の軍隊がエルサレムを攻撃して、主をののしった時、ヒゼキヤたちは陥落寸前にまで追いつめられていたのですが、主はこう仰せられています。
「あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちがわたしを冒瀆したあのことばを忘れるな。今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしは、その国で彼を剣で倒す。」(イザヤ書37:6,7)
そして、その通りになったのです。
AD70年、ローマの将軍ティトースが軍隊を率いてエルサレムを崩壊させた時も、山に逃れたクリスチャンたちが助かったのは、その攻撃の最中にティトースの父の死の知らせを受けて、彼自らローマ皇帝となるべくローマに帰らなければならなくなったからです。
神は決して、忠実なご自分の民、ご自分のしもべたちをお見捨てになったりなさらないのです。
28,29節、こうしてサウルはダビデを捕えることを諦めて、引き返さざるを得なかったのです。
Ⅰサム 23:27 そのとき、ひとりの使者がサウルのもとに来て告げた。「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に突入して来ました。」
23:28 それでサウルはダビデを追うのをやめて帰り、ペリシテ人を迎え撃つために出て行った。こういうわけで、この場所は、「仕切りの岩」と呼ばれた。
そういうわけで、ダビデとその部下たちは、この出来事を記念するためにその場所を「仕切りの岩(分離の岩、あるいは、逃れの岩)」と名付けたのです。このように記念場所に名前を付けるのは、古くからの習慣だったのです。
ダビデはそこからエン・ゲディ(死海の西側の岸の中央部、現在のアイン・ジェディ)の要害に移っています。
Ⅰサム 23:29 ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害に住んだ。
あとがき
アダムとエバが主に背いてから、人間がとるようになった態度の一つは、責任を他人に押し付け、何でも「他人のせい」にすることです。「あの人がこうしたから。」と心の中で何度も繰り返して腹を立てて、不愉快になって、しまうのです。
私たちがイエス様の十字架によって罪が赦されていることの一つの証拠は、素直に互いに赦し合うことができることです。
「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)
だれかを批判したくなった時、「事はどうであれ、問題は私にある。」と、自分で責任を取る態度がとれるようになった時、私たちは少し成長しています。
(まなべあきら 2009.4.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)