書籍紹介 「実りある生活の秘訣」 

まなべあきら著 B6 175頁

イエス様は、実を結ぶために「わたしにとどまりなさい。」とか、「わたしの愛の中にとどまりなさい。」と言われました。また、「わたしを離れては、あなたは何もすることができない。」とも言われました。クリスチャンの生活は漫然と送っていては実を結びません。

この本は、日常生活の具体的な面から、また心の内面的な面から、神のみ前での敬虔な生活をするための基本的な、重要な点を解き明かしています。

目次

1章 日常生活の秘訣

1、クリスチャンの生活基準は何か?
2、神をあなたの目的とせよ
3、あなたも愛を行なえば
4、良いわざには熱心になろう
5、キリストのために愚か者になろう
6、人を頼りにすると、ヒドイ目に会う
7、交わりに注意せよ
8、おしやべりを避けなさい
9、他人の言葉で傷つきませんか?
10、批判すること、されること
11、他人の過失や欠点を忍べば
12、仕事の主人になろう
13、感謝は忘れやすい
14、聖書を読もう

2章 内なる生活の秘訣

15、慰めほど必要なものはない
16、あなたの心労を神にゆだねなさい
17、心に平安を保て
18、神の愛が心のパワーになる
19、志は高く
20、むなしい望みにしがみつくな
21、従頼と服従はあなたの宝
22、あなたにも苦しむ時があるはず
23、あなたが嫌がる苦難や逆境も
24、忍耐すれば、勝利はあなたのもの
25、聖なる孤独と沈黙の価値
26、知強が増えた時には注意
27、高ぶりとへりくだりは、あなたの敵味方
28、自制心は我慢ではない
29、内的情欲はどうすればよいか?
30、誘惑と弱さには勝てる
31、慎み深くなろう
32、正しい良心はあなたを守る
33、自己反省して、神を畏れよう
34、単一な心で真理を追求せよ
35、あなたが誇れるものは、ただ一つだけ
36、自分を捨てたら、どうなる
37、あなたの希望を神のみこころに合わせなさい
38、きよい心を求めよ
39、人間の肉性(自然性)と霊性の違い
40、神のなさることを詮索すべきでない
41、死を考える

3章 敬虔な生活の秘訣

42、神のみ前を歩むとはどうすることか?
43、敬虔な心を持つためには
44、神のみ声を聞こう
45、主イエスを愛しなさい
46、キリストの十字架を受けなさい
47、自分のすべてを主にささげなさい
48、主イエスと共に居よう
49、自分の十字架を負ってキリストに従う
50、神の審判を思いなさい
51、あなたが主とお会いする日まで

一部抜粋

はじめに

私はこの本を何年も前から書こうと思っていました。それは、この種の本があまりないことと共に、クリスチャンの信仰生活において実を結んでいくためには、はっきりとした霊的ルールがあることを発見したからです。信仰生活には、多くの実が約束されており(ヨハネ15:5,8)、また期待されているのに、私をも含めて、大方のクリスチャンが、はっきりとした信仰生活のルールを知らないまま、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら、定まりのない生活を続け、期待されているほどの実を結ぶことができず、ずい分遠まわりしているように思われます。

しかしこの種の本を書くことは、実に困難なことであり、自分の不適格さも覚えて、一年も二年も中断したままになっていました。けれども全国各地の地の塩の本の読者の方々から、悩みの相談や質問がたくさん寄せられるようになり、それらの問題は、この信仰生活のルールを知っていたならば、ほとんどすべて解決するものはかりであることに気づき、もう一度書き始めた次第です。

この本は、このようにして書かれたものですから、不十分な点も多くあると思いますが、結実を求めて、真剣に信仰生活を営んでおられる方には、必ず役に立つものと信じて出版することに致しました。

この本は一度読んだだけで、読みっ放しにしておく人には、あまり効果を現わさないでしょう。なぜなら、霊的ルールがその人の身につかないからです。ぜひ、霊的ルールの基本を記憶してしまうまで、否、自然に霊的ルールが生活の中で適用できるようになるまで、何度も何度もお読みください。

実りある生活のために、この本を活用していただけましたら幸いです。

1986年3月24日 著者 まなべあきら

第1章 日常生活の秘訣

1、クリスチャンの生活基準は何か?

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」 (ヨハネ8:12)

あなたが心からキリストを信じ、キリストに従おうとするなら、あなたが聖書を読む時そのみ言葉によってあなたの心は照らされます。このキリストのみ言葉の光に従うならば、あなたの心を暗くするものを追い出すことができるのです。あなたが真剣にキリストに従おうと思っておられるなら、聖書から主の生涯と語られた言葉、なされた行為をよく学び、深く考えることをあなたの生涯の第一の仕事にすべきです。

キリストの生涯とその教えは、あらゆる聖徒、知者、学者の教えにまさっています。キリストのうちには、知恵と知識との宝がすべて隠されています。キリストのうちにこそ、神の満ち満ちた聖なるご人格が形をなして宿っているのです。そしてあなたの心にキリストの御霊が宿っていれは、あなたは、それを見い出し、キリストにあって多くの御霊の実を結んでいくのです。即ち、愛、喜び、平安、寛容、善意、誠実、柔和、自制などの実です。しかし多くの人々が福音を聞きながら、こういう御霊の実をあまり結んでいかないのはどうしてでしょうか。それはキリストの御霊を持つという、はっきりした信仰を持っていないからです。キリストの御霊を心に持つ者は、必ず全生涯をキリストに明け渡し、一致させるようにつとめます。

「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」 (ローマ8:9)

たといあなたに、神学的な議論ができたとしても、謙遜の心を欠いていて、自ら論じている神のみこころにかなっていなけれは、なんの益もありません。人は深遠な言葉を語ることによって聖徒になるのではありません。立派な説教をすることによって神に近づくのでもないのです。神のみこころにかなった生活をすることによって、神に愛される人となるのです。パウロは言いました。

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。またたとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなけれは、何の役にも立ちません。」(コリント第一、13:1~3)

ですから、知識を誇ることはむなしいことです。財産に頼ることも愚かなことです。地位を求めることもあさましいことです。肉の情欲に従って生活する人ほ、良心を汚し、神の恵みは奪われ、厳しい刑罰を受けることになります。快楽だけを望んで、神の前に清い生活をすることをおろそかにする人は、ただむなしい人生を過しているだけです。地上の生活の安定だけを求めて、天国のために備えない人は滅びます。束の間のものに愛着を感じて、永遠の神に従わないことは、全くむなしいことです。

人は見るもの、開くもの、持つものに心がひかれやすく飽くことを知りません。しかしそれは滅びに行く最大原因です。ですから、あなたは肉の欲、目の欲、所有の欲から心を引きはなして、永遠の希望に心を向けるべきです。

以上、一部抜粋。