音声:使徒の働き(018)  宣教開始 2:5~13

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使徒の働き
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
2:9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
2:12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。
2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた。
【新改訳改訂第3版】

(たけさんの一口まとめ)

集まった120人の弟子たちは、ペンテコステの日に聖霊を受けた後、世界に出て行ってキリストの福音を広めました。歴史的な大宣教ですが、このための準備会議とか語学訓練などは一切ありませんでした。ただ、聖霊に燃やされ、神のいのちに満たされて出て行った結果、半世紀の内に小アジアからヨーロッパまで広がっていきました。

弟子たちは、聖霊の火を受け、魂の中での神の語り掛けを経験して大胆な演説をしましたが、聖霊が話させてくださるから何の準備も必要ないということではありません。日頃コツコツと学び続けることが大切です。ペテロもパウロも聖書を深く読んで備えられていました。材料がなければ火が付きません。また、一人で神様と深く学ぶことが大切です。

弟子たちは、他国の(15か国以上の)言語で話しましたが、これには二つの意味があります。
1. 創世記11章のバベルの塔の崩壊以来、言葉が乱れてバラバラになった世界を、キリストの福音によって再び回復(最終的には天の御国での回復)させること。
2. 福音宣教を全世界に伝えていくという推進力になること。神の最大の関心は全世界への福音宣教です。

弟子たちは、キリストの福音を大胆に語りました。神の福音のみわざは三つ。
1. 十字架:キリストは私の罪の身代わりに死んでくださった。
2. 復活:キリストは、死んで復活することにより、死に打ち勝った。
3. 聖霊の内住:神の御霊が、私たち罪深い人間の内に宿り、神の宮としてくださる。

物音を聞いて集まった大ぜいの人々は、弟子たちが大胆にそれぞれの国のことばで話すのを聞いて、二種類の反応をしました。
ある人々は、「これはどうしたことか」と言って、何か理解を超えたことが起きたと直感し、キリストの福音に深い関心を持つようになりました。
また、別の人々は、冷ややかに、「甘いぶどう酒に酔っているのだ」とあざ笑いました。
いつも、このような二種類の反応が現れます。つまり、心を開いて溶かす人と、心を閉ざして固くなる人。

私たちも聖霊に満たされ、神のみこころを行い、神の栄光を毎日の生活の中で現わしていくと、周りの人々は驚くでしょう。困難な中で平安を保っていると、心ある人々は驚き、私たちを尋ねてくる人も現れるでしょう。
神は一人でも多くの罪びとを救いたいと願っておられます。これがペンテコステの目的でした。
神の恵みは自分だけに留めておいてはいけません。私たちの最大の問題点は自分さえ幸福であればいいという自分中心の心です。これは大きな罪です。イエス様は「受けるよりも与える方が幸いである」と言われました。弟子たちは、与えることによって更に受け続けることができました。
これは今も同じです。最大のカギは聖霊に満たされること。私たちも聖霊に満たされて神に用いられ、残る生涯を歩ませて頂きたいと思います。

写真は、アメリカのセントルイス大聖堂に描かれたモザイク画「Pentecost(ペンテコステ)」(Wikimedia Commonsより)