週報No.2118 涙の預言エレミヤ書(29)「契約の実行」エレミヤ書11:6~8

2018年3月4日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(29)「契約の実行」エレミヤ書11:6~8

エレミヤ書11章6~8節
11:6 すると【主】は私に仰せられた。「これらのことばのすべてを、ユダの町々と、エルサレムのちまたで叫んで、こう言え。『この契約のことばを聞いて、これを行え。』
11:7 わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの国から導き出した日に、彼らをはっきり戒め、また今日まで、『わたしの声を聞け』と言って、しきりに戒めてきた。
11:8 しかし彼らは聞かず、耳を傾けず、おのおの悪いかたくなな心のままに歩んだ。それで、わたしはこの契約のことばをみな、彼らに実現させた。わたしが行うように命じたのに、彼らが行わなかったからである。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

エレミヤは霊的預言者ですが、信仰が現実生活で活用されることを求める、現実的信仰を強調した預言者です。彼は、神との契約を外的に儀式を守っていても、心の中で霊的に、内的に、主を愛し、信頼して、具体的に従う信仰がなければ、空虚であると言ったのです。

これは、各々のたましいに真実な回心ときよめの恵みを持っていてこそ、神との契約が成り立つのです。イスラエル人には、この真実な霊的経験がなかったのです。

イスラエルが捕囚のさばきを受ける原因となった罪は、律法の儀式を行わなかったからではなく、実に、神のみことばへの不信仰、不服従でした。

神は、ご自分のしもべを遣わして、神に従うように招きましたが、罪人である人間によって、はねつけられ、拒絶されました。それでも、主は繰り返し、継続して、罪ある者を招かれました。

繰り返された神のメッセージは「わたしの声を聞け。」でした。

エレミヤのメッセージは、神が求めておられるものは、集団で寄り集まって、信じた雰囲気に浸っているのではなく、集団で儀式を行うことでもなく、個人個人が主のみことばを聞いて、信じて、従うことです。

旧約の律法の根本的性質は、儀式的律法主義ではなく、愛と信仰によって従う、自由の服従にあります。主は、私が心から喜んで主を愛し、互いに助け合うことによって、主に信頼し、主を愛していることを、喜ばれます。

「しかし彼らは聞かず、耳を傾けず、おのおの悪いかたくなな心のままに歩んだ。それで、わたしはこの契約のことばをみな、彼らに実現させた。わたしが行なうように命じたのに、彼らは行なわなかったからである。」(エレミヤ11:8)

8節は、民の頑なな不服従に対する、神の怒りの警告です。「彼らが神に聞き従わなかったから、神は、この契約の中で約束した刑罰を実現させよう。」と言われているのです。

神の過去のさばきも、未来のさばきも、本質的には、神との契約を破り、神の救いを拒んだためです。

主は、私がどんな悪を行なったかよりも、心を頑なにしていることを、嫌がられます。

<今週の活用聖句>

ヤコブの手紙1章22飾
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」

<集会案内>

◇3月7日(水)聖別会 午前10時半
必要な諸区別(18)
「器としての人と内住の神」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421