書籍紹介 「宇宙の終末」

まなべあきら著 B6 135頁

クリスチャンが攻撃される天動説と地動説の真意の解説。アインシュタインの相対論から華々しく登場したブラック・ホール論の紹介。天地創造とビッグ・バン(大爆発論)の関係。宇宙と人類のたどる結末について、聖書信仰の立場から、現代宇宙科学をわかりやすく紹介しました。

目次

1、聖書理解と地動説
2、重力のなぞ
3、ブラック・ホールの候補星
4、世界を制覇するエネルギー
5、あべこべの世界
6、重力が無限大になると
7、天地創造とビッグ・バン
8、宇宙と人間がたどる結末

以下、一部抜粋

はじめに

みなさんには、こんな事がないでしょうか? 私は子どものころ、「もし太陽が燃えつきてしまったら、地球はまっ暗になり、非常に冷えて寒くなってしまう。そうしたら人間はどうなるのだろうか?」と考えて恐れたものです。しかしそんなことを考える時にはいつも 「そんなことが起きる前に、自分はとっくに死んでしまって、この地球上にはいないんだ。」と考えて、自分を安心させたものです。

宇宙はほんとうに不思議なものです。宇宙の始まりを見た者はひとりもなくその終りがどうなるのかも聖書を正しく信じるのでなければわからないのです。また宇宙の果てがあるのか、ないのかもまだ確認されていないのです。ただ私個人としては、宇宙には果てがあると信じています。なぜなら無限は神にだけあるものだからです。聖書によると、あきらかに宇宙は神によって創造されたものであり、すべて造られたものは有限であると信じるからです。

宇宙に興味がひかれるのは、科学者だけではありません。一般の私たちや子どもたちも驚嘆させられます。しかし一般の私たちが宇宙についての知識と理解を持つことができるようになったのは、天文物理学や数学や量子力学などの専門分野で研究を続けた科学者たちのおかげです。彼らが私たちに宇宙をわかりやすく紹介してくれたからです。

しかし現代の宇宙論は悲観的なものになってしまいました。それはアインシュタインの相対理論に基づいて考え出された「ブラック・ホール論」が、現代宇宙論の流行になってしまったからです。このブラック・ホール論は、現実に地球を含む宇宙に働いている重力が最大の原因とされている概念なので、「そんなものはないんだ」と簡早に切り捨ててしまうことができないのです。かといって、いかなる科学者も「確実にブラック・ホールはある」と言い切れる状態ではないので、あまり恐れ過ぎても困るわけです。

日本でも京都大学の研究グループや名古屋大学の研究グループそして宇宙科学研究所が、地上観測、気球観測、ロケット観測、人工衛星を使っての観測をして、宇宙からくるⅩ線やガンマー線、赤外線などを調べています。それによって銀河の構造を研究したり、ブラック・ホールの存在を確かめようとしているのです。その様子をNHK教育テレビの市民大学でも紹介されていますので、ご存知の方も多いかと思います。

現代宇宙論には、このブラック・ホールを中心とした考え方のほかに、ホワイト・ホールという概念に中心をおいた考え方があります。両方の考え方は、ある点で関連性を持っていますが、星の爆発と収縮という根本的な点でしばしば対立しているように思われます。しかし現代の主流はブラック・ホール論ですので、この小著においては、ブラック・ホール論とはどんなものかを、専門的なむずかしいことを省いて、大体の内容をわかりやすくご紹介し、聖書はこの理論にどのようにかかわるのかを、私見として述べてみたいと思います。

ここで予め、おことわりしておきたいことは、私ほ宇宙物理科学者ではなく学生時代に量子化学と物理化学を夢中になって学んだというだけの者です。だから私がこの本で試みようとしていますことは、ただ聖書を健全に信じる者だったら、だれでもがブラック・ホールに対して簡単に聖書から引き出せる解答をご紹介することです。それと共に、ブラック・ホールを論じているある科学者たちの聖書理解が全くメチャクチャで幼稚なのをみて、たまりかねて書き始めたわけです。私個人にとっては、ブラック・ホールがどんなにたくさんあってもかまわないのです。なぜなら聖書の中に、神がすべてを解決してくださるという約束を見つけ出すことができるからです。

このようなテーマに対しては、多くの方々が様々な考え方をされることと思います。なぜなら、宇宙物理学は必ずいくつかの仮定の上で成立っているからです。しかし私はそのような意見を異にする方々と議論するために、この小著を書いたわけではありません。私の目的は、現代宇宙論の主流であるブラック・ホールについて、あまり考えたことのない方々にごくおおざっばな内容をご紹介すると共に、聖書は現代科学に対しても十分な解決をもっていることを知っていただくことです。だから小著は専門的な知識を持っている方には、物足りなく感じられるでしょうけれども、お許しいただきたいと思います。

願わくは、神がこの小著を用いてくださり、少しでも終末の備えができるように祈る者です。

一九八三年 三月一日
著者 まなべ あきら

以上、一部抜粋