週報No.2151 涙の預言エレミヤ書(61)「エレミヤの重大な手紙」エレミヤ書29:1~9

2018年10月21日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書29章1~9節
29:1 預言者エレミヤは、ネブカデネザルがエルサレムからバビロンへ引いて行った捕囚の民、長老たちで生き残っている者たち、祭司たち、預言者たち、およびすべての民に、エルサレムから手紙を送ったが、そのことばは次のとおりである。
29:2 ──これは、エコヌヤ王と王母と宦官たち、ユダとエルサレムの貴族たち、職人と鍛冶屋たちが、エルサレムを出て後、
29:3 ユダの王ゼデキヤがバビロンの王ネブカデネザルのもとに、バビロンへ遣わした、シャファンの子エルアサとヒルキヤの子ゲマルヤの手に託したもので、次のように言っている──
29:4 イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
29:5 家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。
29:6 妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。
29:7 わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために【主】に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」
29:8 まことに、イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。「あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。あなたがたが夢を見させている、あなたがたの夢見る者の言うことを聞くな。
29:9 なぜなら、彼らはわたしの名を使って偽りをあなたがたに預言しているのであって、わたしが彼らを遣わしたのではないからだ。──【主】の御告げ──」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。』」(エレミヤ書29:4)

 この手紙は挨拶から始まっていますが、その挨拶も万軍の主の権威を帯びています。旧約においても、新約においても、神のみことばを信じることは、神の主権を信じて従うことです。

 「しかし、百人隊長は答えて言った。『主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。』イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。』」(マタイ8:8~10)

 神のみことばを信じることは、神の主権を信じることであり、イエス・キリストを信じることです。

 「『わたしと父とは一つです。』ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。イエスは彼らに答えられた。『わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。』ユダヤ人たちはイエスに答えた。

『良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。』イエスは彼らに答えられた。『あなたがたの律法に、『わたしは言った。あなたがたは神々である。』と書いてあるではありませんか。もし、神のことばを受けた人々を、神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、『わたしは神の子である。』とわたしが言ったからと言って、どうしてあなたがたは、父が聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している。』と言うのですか。もしわたしが、わたしの父のみわざを行なっていないなら、わたしを信じないでいなさい。しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。』」(ヨハネ10:30~38)

 ユダヤ人の不信仰は、イエス・キリストが神であることを拒んだことにあったのです。
 エレミヤが、ここで、万軍の主の権威を用いたのは、エルサレムとユダの罪を罰するために、バビロンの王ネプカデネザルを使って罰せられたのは、万軍の主であり、その捕囚から釈放されるのも、万軍の主だからです。罰するのも、祝福するのも、同じ神の権威によるのです。

 「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に『起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。』と言われた。」(マタイ9:6、マルコ2:10、ルカ5:24)

 「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』」(マタイ28:18)

 「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります、私はこの命令を父からうけたのです。」(ヨハネ10:18)

 このみことばは、主イエス様の十字架は、主ご自身の権威によって行なわれ、復活もまた、主ご自身の権威によっていることを明らかにされたのです。

 ですから、私たちの十字架の罪の赦しも、きよめも、主イエス様の権威によっており、生ける御霊によるキリストの復活に与ることも、主イエス様の権威によっているのです。

 「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」(ローマ8:11)

<今週の活用聖句>

マタイの福音書28章18節
「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』」

<集会案内>

 ◇10月24日(水)聖別会 午前10時半
    聖潔とは何か(24)
    「聖潔の道を歩む(12)」

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