2019年 復活節礼拝「復活の信仰」 ルカの福音書24:1~43
2019年4月21日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
ルカの福音書24章1~12節
24:1 週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。
24:2 見ると、石が墓からわきにころがしてあった。
24:3 入って見ると、主イエスのからだはなかった。
24:4 そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。
24:5 恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。
24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
24:7 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」
24:8 女たちはイエスのみことばを思い出した。
24:9 そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。
24:10 この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。
24:11 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。
24:12 〔しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。〕
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージの要点>
それでは、彼らは、どのようにして生けるキリストに触れたのでしょうか。それは聖書が示している通りです。
「女たちはイエスのみことばを思い出した。」(ルカ24:8)
「するとイエスは言われた。『ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。』(ルカ24:25)
「それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」(ルカ24:27)
「そこでふたりは話し合った。『道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。』」(ルカ24:32)
私たちも、みことばのメッセージを聞いている時、心が燃える経験をしたことはありませんか。
それが、生けるキリスト体験の始まりです。
私たちの心は、神のみことばに対して、鈍くなっています。ですから、生けるキリストが分かりません。
しかし、32節では、主のお話を聞き続けていたクレオパたちの心に変化が生じています。聖霊がみことばを説き明かされた時、死んでいた心が燃えています。
みことばによって、心が燃やされる経験をしてください。
それが、復活のキリストに触れる秘訣です。
復活を信じることができない人にとっては、「この世の別れが、永遠の別れだ。」と思い込んでいます。
その不信仰から出てくるものは、絶望、悲しみ、あきらめだけです。
希望、勝利、喜び、平安などは、全くありません。
キリストの復活を信じていなかった弟子たちの状態は、ちょうどこれでした。絶望でした。
主イエス様に従っていた婦人たちは、ユダヤの安息日が終わると、日曜日の朝早く、ユダヤ人の習慣に従って、イエス様の死体に香油を塗るために、墓に行きました。この行動は主イエスが、「三日目によみがえる。」と言われた、みことばを信じていません。
みことばを信じなければ、たましいのうちに、永遠のいのちの泉が湧いて来ません。
絶望と恐れは、主のみことばを信じなくなると、心を支配します。その恐れと絶望に縛られていた弟子たちは、それらの恐れと絶望感が、雲や霧のごとく晴れて、迫害や殉教も恐れない力と勇気とを与えられたのです。
<今週の活用聖句>
ヨハネの福音書11章25、26節
「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』」
<集会案内>
◇4月24日(水)聖別会 午前10時半
「福音的基盤の上に(2)」
地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421
上の写真は、イスラエルのナザレの「ナザレ村」にある、紀元一世紀頃の墓の遺跡