音声:使徒の働き(064) 喜悦蜂起 8:5~8 ピリポのサマリヤ宣教

使徒の働き8:5~8
8:5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
8:6 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
8:7 汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。
8:8 それでその町に大きな喜びが起こった。【新改訳改訂第3版】

上の写真は、1925年に撮影されたサマリアの町の遺跡(Ruins of the city of Samaria)の写真。(Wikipedia: Samaria (ancient city)より)
サマリアの町は、紀元前9世紀、オムリ王が北イスラエル王国の首都として建設し、アハブ王のもとで繁栄した。しかし、アッシリアの侵略を受けて滅ぼされ、多くのイスラエル人が捕囚になって連れていかれた。残った人々とアッシリアや他の国からきた人々とが一緒になったのがサマリア人である。その後、バビロン、ペルシャ、ギリシャなどに支配され、一時、ユダヤ人のハスモン朝が支配したが、しばらくして、ローマの配下になり、BC63年にヘロデ大王がローマからユダヤの王として支配を委ねられてからは、ローマの植民都市として大きく再建され、ヘレニズム風文化都市として栄えた。ヘロデ大王は、町の高台に大きなローマ神殿を作り、当時のローマ皇帝アウグストを讃えて、彼のギリシャ語訳をとって街の名をセバステと名付けた。
紀元一世紀頃のサマリアの町は城壁に囲まれ、町の中心にはローマ神殿がそびえ、東西の門の間には、上の写真のような、町を横断する列柱のある大きな道路が通っていた。その列柱の間には、商店などの多くの建物が並んで賑わっていたとのことである。
ピリポがサマリヤの町に下って行ってキリストを宣べ伝えたのは、この頃だと思われる。