書籍紹介 「最高の生き方」

まなべあきら著 B6 93頁

 私たちは、最低の生き方もできれば、最高の生き方もできます。しかし、なぜ、最高の生き方をする人が、少ないのでしょうか。いや、最高の生き方があることすら、気づいていないのです。最高の生き方をする道と力を、知らないからです。もし、あなたがこの道と力を知ったら、すぐに、最高の生き方をしたくなるでしょう。ある若者が、この本を読みました。彼の生き方が変わってきたので、彼の友だちが次々と、この本を求めて読み始めました。あなたも、本書を繰り返し読んで、最高の生き方の秘訣を少しでも身につけて、最高の人生を味わってください。

目次

1、最高の生き方を始めよう
2、幻をもつ生き方
3、罪と苦難に勝つ生き方
4、人をゆるす生き方
5、すべてを善に変える生き方


以下、一部抜粋

はじめに

 日本人は、「信仰は、病人か、老人か、弱い者がするもの」と、相場を決めこんでしまっています。このような考えを持つ人の心の中には、「自分は強い人間だから、信仰は必要ない。自分は自分の力で生きる。」という自負心があります。これが高慢というもので、その高慢が、実は自分の悩みの種になっていることに気づいていないのです。

 確かに、福音書を読むと、イエス・キリストが病人や、貧しい人、社会からのけ者にされている人々に近づいてくださったことがわかります。しかしそれは、イエス・キリストを信じる信仰が、病人や弱い、貧しい人々のためだけだったからではありません。それは、彼らが心からキリストを受け入れたからであって、高慢な自負心の強いパリサイ人や律法学者たちはキリストを頑固に拒み続けたからでした。しかし、地位や教養のある人が誰もキリストを受け入れなかったのではありません。エリコの町の税務署長のザアカイや、当時の最高の学問をおさめていたサウロ、医者のルカ、それに高い地位にあったテオビロや何人もの敬虔なローマの百人隊長たちが信仰を持つようになっています。

 しかし私たちが注目しなければならないところは別にあります。すなわち、それは、彼らがイエス・キリストに出会った後、全員が最高の生き方をする者に変えられていることです。弱い者も、自ら強いと思っていた者も、貧しい者も、富んでいた者も、最高の生き方をしています。これがキリスト教信仰の結実です。

あなたは、永遠に一度だけの生涯で、最高の生き方をしてみたいと思いませんか。私は、今回、ヨセフの生涯の記録の中から、彼がたどった最高の生き方を皆さんとご一緒に追求して、私もまた最高の生き方をさせていただきたいと思い、この小冊子を書くことにいたしました。皆さんはこの本を一頁読み進むごとに、最高の生き方の光を見い出すことでしょう。どうぞ、その光があなたの心に輝いている間に、それを実行してください。実行に移さなければ、その光はすぐに消え去ってしまいます。だれでも真実にキリストに従うなら、最高の生き方ができます。さあ、やってみましょう。

一九九〇年 七月一九日
著者  まなべ あきら

一章 最高の生き方を始めよう

 私は外出して道を歩いている時、いつも賛美歌を歌っているか、お祈りしているか、イエス様とお話しているか、真理について思いめぐらしています。そして、しばしば道を歩きながら主イエスとお話している時に、大切なメッセージをいただくのです (勿論、日頃、聖書を探求することを欠かしていませんが)。ある日、私は知り合いのクリスチャンの家庭を訪問しての帰り道、地下鉄を降りて歩き始めました。そして、いつもの如く、イエス様とのお話が始まりました。私はイエス様にこう申し上げました。「主よ、この地上で、最高の生き方とはどんな生き方でしょうか。」主イエスはすぐにお答え下さいました。「それはヨセフの信仰です。彼の信仰を考えてごらん。」 「主よ、ヨセフの信仰のどんな点でしょうか。」と尋ねますと、「それは、幻をもつ信仰と、罪と苦難に打ち勝つ信仰、人をゆるす信仰、すべてを善に変える信仰です。」と教えて下さいました。私はこのメッセージを忘れないようにと、急いで帰宅し、ノートに書き留めました。ですから、私がここでご紹介しようとしていますことは、聖書の講義や神学的な信仰論ではなく、生きた信仰、働かすことのできる信仰、実際に役に立つ信仰です。ぜひ、この信仰を使ってみていただきたいのです。たいていの人が神のことばを聞いただけで、読んだだけで終わらせてしまっています。私は、ほとんどの集会でも、みなさんに神のメッセージに応答して実行していただくように求めます。なぜなら聖書は、私たちが聞いて感動するだけでなく、それを実行することを繰り返し、繰り返し求めているからです。たとえば、

「人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」 (マタイ五・一六)

「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。‥‥」 (マタイ七・二四)

「あなたも行って同じようにしなさい。」 (ルカ一〇・三七)

「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」 (ヤコブ一・二二)

などです。ですからもし、あなたがこの本を読むことによって、最高の生き方についての知識を持ったとしても、それを実際にあなたの生活の中で実行しなければ、最高の生き方をしていることにはなりません。勿論、その幸いな味わいを経験することはできないのです。私は時に、集会で、前にお話したことを実行した人に手を挙げていただきます。すると何人かの人が手を挙げてくださいます。その人はニコニコしています。勝利を経験しているからです。時々、私のところにやって来て、こう言う人もいます。「言われたとおり実行してみましたら、本当にすばらしいことが起きました。イエス様がこの私をとおして働いてくださるのがよく分かりました。」と。さあ、あなたもやってみましょう。「この本を最後まで読み終わったら」と言わず、この項目を読み終わったら、早速やってみましょう。「あとで」と思っているうちに、感動を失い、やる気を失い、何をするつもりだったかさえ忘れてしまいます。「あとで聖書を読もう。」 「あとでお祈りしよう。」 「あとで〇〇をしよう。」と思ったことがありませんか。「あとで、あとで、あとで‥‥」そのうちの、いくつのことを実行しましたか。ほとんど実行しないで終わってしまっていませんか。あなたはこれまでにも、最高の生き方についての話をどこかで聞いたことがあるかもしれません。そして「よし、やってみよう。」と思ったこともあるでしょう。しかしこの「あとで」が、あなたに最高の生き方をさせなかったのです。本当に実行する人は、今すぐ始めます。「あとで」と思っている人は、決して実行しない人です。

 だれかのために祈らなければと思ったら、すぐにその場で祈ってください。だれかに手紙を書くように心に示されたら、すぐに二、三行でも手紙を書いてください。

 これから私たちは最高の生き方について考えようとしています。しかしあなたが最高の生き方ができるかどうかは、あなたがすぐに実行するかどうかにかかっているのです。

「あとで」という時間は私たちにはないのです。

以上、一部抜粋