音声と文書:ヨハネの黙示録(41) 七つの鉢(2) 16:8~16 第四~第六の鉢

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PDF文書:ヨハネの黙示録(41)

ヨハネの黙示録 16:8~16
16:8 第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。
16:9 こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。
16:10 第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。
16:11 そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行いを悔い改めようとしなかった。
16:12 第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。
16:13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
16:14 彼らはしるしを行う悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
16:15 ──見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである──
16:16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。【新改訳改訂第3版】

上の写真は、ドイツの画家 Matthias Gerung (1500–1570) により1530-1532年頃に描かれた「Das Ausgießen der sieben Zornesschalen / Die ersten sechs Plagen(怒りの7つの鉢をぶちまける / 最初の6つの疫病)」。(Ottheinrich Bible(ドイツのオットー・ハインリッヒ公により編纂された聖書)の挿絵より。バイエルン州立図書館蔵。Wikimedia commons より)


はじめに

今日は、もう終わりまで行こうかと思ったんですけれども、だんだん終わりの方になってきますとね、なかなか難しい問題が扱われておりますので、無理せず、あんまりふっ飛ばさないでね、聖書は分からないところは飛ばして読め、と言いますけれども、全部飛ばしては具合が悪いですので、コツコツと学びたいですね。

この前もお話しましたように、この鉢をぶちまけているわけですが、第一回目、第二回目、第三回目と、ぶちまけた場所が違うわけなんです。それに注目していただきたいと前回お話させていただきました。
第一回目は地にぶちまけた。第二回目は海にぶちまけた。第三回目は川と水の源にぶちまけた、ということでした。

Ⅰ.今日は第四の鉢からですが、第四の御使いは、鉢を太陽に向けてぶちまけている。

A.実は第四のラッパが鳴らされた時、8章12節ですね、太陽の三分の一が暗くなっています。

ちょっと注意していただきますと、ラッパの時は太陽が暗くなっている。ところが鉢の時は、それと逆なんですね。ますます熱くなっている。加熱ですね。過剰な熱、過度の熱ですね。人々を焼くことが許された。これは暗くなることよりも、もっと厳しいさばきですね。

神様はノアの時には、水でさばきを行いました。けれどもソドムとゴモラの時は火を用いられました。だから、だんだんとさばきが厳しくなっている。
エルサレムも二度火によって焼かれている。炎上している。ネブカデネザルの時とティトスがエルサレムを占領した時。これを見ていたヨセフスは、それはひどかった、とその時の状況を書き残しているわけです。

そして世界は何度も戦争の火によって焼かれ、先の戦争でも日本の都会は火の海になった。それから原爆の火、核兵器の火に焼かれる。
さらに最近では人々が心配し始めているのに、地球の温暖化がありますでしょ。サミットで話されたのか、話されなかったのか、これも火によって焼かれているわけです。
さらにはフロンガスによってオゾン層が破壊されて、太陽光線の紫外線照射によって、人間や生物に被害が及ぶ。紫外線ばかりではありません。X線とかいろいろな放射線があるわけです。これが人体に注がれると皮膚がんになる。突然変異が起きるということになるんですねえ。

こうなると、第四の裁きが現実に身に迫ってくるような思いがしますね。どういうふうにして行われるのか分からないにしても、少なくとも人類は第四の方向に向かって確実に進んでいるんだなあ、ということがわかりますねえ。
帰納法というのがありましてね、点、点、点、と進んでいきまして、それを延ばしていくと、どこに到達するのか、なんてありますが、聖書の中には、ソドムとゴモラ、エルサレムの2回炎上、先の戦争で火に焼かれる、原爆、核兵器、オゾン層とか、それをずうっと、点、点、点、とつなげていくと、どこに到達するでしょうか。
16章の8節に到達しますね。

「・・・・ 太陽は火で人々を焼くことを許された。こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。 ・・・・」

と言っています。
このことについて、ペテロはもっと恐ろしい表現をしているんですね。ペテロの手紙を見るともっと露骨にいわれています。

Ⅱペテ 3:10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
3:11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
3:12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。

これは何を言っているんだろうか。つまりこれは、一人もさばきから逃げることが出来ない、ということですね。
伊東の方では海底火山が爆発したとか言っていますけれども、それぐらいではないですね。それでも人々は寄り付かなくなった。
天が焼き尽きてしまう。いかに人間が防御態勢をとっても、神様のさばきを防ぐことはできない、ということですね。
アメリカでは、今、核戦争の時のために、地下にコンクリートで逃げ込む壕を作ってですね、すごいお金をかけて缶詰とか非常食を詰め込んでいる。毎月その食料を入れ替えている。そういう真剣に考えている人もいるそうですけれどもね。しかし、どんなに人間が防御態勢をしても逃げられない。

免れる方法が一つあります。それは何かというと、ペテロの第二の手紙3章11節にありましたが、
「あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう」
また、3章13節、「しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」

この人達だけがこのさばきを免れることが出来る。もはやこれは地下壕を掘ってもダメなわけです。神様の新しい天、新しい地に入れられる人が、このさばきを免れることができる。こう聖書は教えているんですね。

B.しかしね、これはひどいさばきなんですが、これでも、まだ、最終的なものではないんです。

主がこのさばきを行われるのは、後にも出てまいりますが、人々がこのさばきによって、自分の罪を悔い改めて、神様を崇めるようになるのが期待されているんです。
ところが、9節を見ますと、ほとんど裏切られてしまいます。

黙16:9 ・・・ 彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。

神様は罪を悔い改めてほしかった。神様を崇めてほしかった。ところが、逆であった。人間はまず自分に危険が迫ると、考えることは逃げ場ですね。
町を歩いていますと、避難場所なんていうのがあるんです。小学校の運動場ですとかね、あるんです。しかし、逃げ場がなくなるとどうするかというと、神を呪うようになるんです。
ヨブ記の2章9節をご覧いただきましょうか。ヨブが息子たちを失い、財産も失い、自らも病気になってしまった。腫物ができて、悪性の腫物ですね。その時彼の奥さんがこういった。

ヨブ2:9 すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」

ああ、これは随分良い奥さんでしょうか。
ヨブの奥さんは神を呪って死ぬことを勧めたわけです。
しかし私はね、ヨブの奥さんを責められないと思うんですよね。イエス様を受け入れない人々の神様への態度は、いつもこうです。神を呪う。
ヨブの奥さんは良いとは言えませんが、特にヨブの奥さんだけが悪いっていうんじゃなくてね、神様を拒むすべての人の取る態度だと思うんですね。こういう神の警告的さばきに対しても、悔い改める人々はごく少ない。
ヨハネの黙示録の11章13節でも、第六のラッパの後で大きな地震が起きている。その時は悔い改めているんです。それ以外はむしろ、人々の心は神に汚し事を言うようになっているんですね。

だからヨブの奥さんは特に悪い奥さんではなくてね、普通の奥さんですよ。いよいよ人間は逃げる場所がなくなると、もう神を呪って死んだほうがいいと、こういうふうな態度をとる人が少なくない、ということですよ。
それに対してヨブは、「お前は、愚かな女がいうようなことを言っている」と言った。ヨブという人は奥さんを愛していたんでしょうね。本当は愚かな女なんですよ。
「お前は馬鹿だなあ」と怒られてもいいんですが、「愚かな女がいうようなことを言っている」と、こんなふうに言って、やっぱりヨブという人は素晴らしいですね。

信仰者の夫を持つことは素晴らしいですよ。あまり素晴らしくない、と思っている人があるかもわかりませんが、そりゃあね、近くにいれば素晴らしくなく見えることがあるんです。だけどねえ、信仰のない人に比べると雲泥の差だということを気づかなきゃいけない。
人間の心というのは、こういうものだなあと思うんですね。これは現代人の心を示していると思うんです。現代人は、自分は破滅の寸前にあってもなお神を呪う。こういう高慢の上には神のさばきが、はっきりと下るだろう。避けられないと思います。

Ⅱ.さてヨハネの黙示録に帰りますけれども、この10節~11節で、第五の御使いが鉢を獣の座の上にぶちまけた。

これまでのさばきというのは、どちらかというと、獣に従う人々に下されていました。ところが第五のさばきでは、獣の座の上、つまりこの世の支配者の上、権力の上に下された。このさばきが、だんだんと中心部に近づいていることが分かります。

A.このさばきによって「獣の国は暗くなった」、と書いてありますね。

この、「暗い」、というのは自然界では夜が来ることですが、これは霊的暗黒のことを意味しているようですね。
これは聖霊が働かなくなる、神様を知ろうと思っても知ることが出来なくなる、分からなくなってしまうことを言う。霊的暗黒です。
実はこれはね、イエス様が何度もお話になっていることなんです。マタイの福音書8章12節でも暗やみが出てまいりますね。

マタ8:12 しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」

「御国の子ら」というのは、ユダヤ人のことですね。選民のことです。不信仰になったユダヤ人に対してイエス様は、「外の暗やみに放り出されて歯噛みする」と言われた。
この「暗やみ」というのは暗黒。霊的暗黒。神様を信じようと思っても信じられない。地獄はその一つですね。後悔ばっかりある。

この世の人達をごらんなさい。後悔ばっかりしているでしょ。あんなこともしなければよかった、こんなこともしなければよかった、と一杯ですね。
これは霊的暗やみですよ。これ、地獄とちっとも変わらないんです。後悔先に立たずといいますが、人間というのは後悔ばかりしている。霊的暗やみ、地獄の一丁目ですね。

マタイの福音書22章の13節にもありますよ。ここにも暗やみが出てまいります。これは結婚式の披露宴の時のことですね。

マタ22:13 そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。

当時は結婚式があるとお招きしたんですね。それも婚礼の礼服を添えてお招きするんです。結婚式って大変でしたよ。お招きする時にはね、礼服を用意してお招きするんです。「平服で」、なんて行かないんです。
だから、めったに結婚したり離婚したりできないわけですよ。一回結婚式をすると財産が吹っ飛んじゃうんですよ。みんなに一着ずつモーニングとかタキシードとかを作って、これ着て来てください、なんて大変ですよ。自分の衣装を借りてくるどころではないんですからね。

ここは何のことを言っているか。
要するに天の御国に入るために、義の衣、イエス様を着なければ入ることが出来ない。神様が私たちを天の御国に入れようとするとき、着て入る着物もちゃんと用意してくださっている。私たちはイエス様を着て入る。
ところがこの婚礼の中に、席に着こうとしているのに礼服を着ていない者がいた。どうしたんでしょうかねえ。借りた礼服を質屋にでも入れたんでしょうかねえ。だからここでは「追い出せ」と言われた。

どうぞ私たちはしっかりとイエス様を着ていただきたい。これは霊的暗黒、イエス様を心に宿していなかった。

マタイの福音書25章30節でも出てきます、霊的暗黒。ここに出てくる人はどんな人でしょうかね。どういう人が暗黒とされるんでしょうか。

マタ25:30 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

これは1タラントもらったしもべが、土の中に埋めておいたというんですね。「役に立たないしもべだ。暗やみに追い出されて歯ぎしりした。」、これは後悔しているんですね。こんなことしなければよかった、と思っている。
霊的暗黒、獣の世界にこれがやってきた、と言っているんですね。

第2コリントの4章3,4節をみると、

Ⅱコリ 4:3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。
4:4 その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

この世の神、サタンが人々の心におおいをかけていた.。神様が分からないようにされていた。欲望とか、快楽とか、偏見とか、人間の心にベールをかけていたんですね。
人間の心を暗くしていた。くらましていた。
ところがその霊的暗やみが自分を襲ってきた。相手を陥れようとして罠をかけた、その罠に自分が引っかかっちゃった、というわけです。
これは、この世の暗黒性がはっきりと神のさばきを受けないとすまない、ということを示している。

これまでのさばきというのは、肉体的なものが多かった。打たれたり飲み水がなくなったり、これは後にもありますけれども、ま、何とか肉体的なものというのは乗り越えることが出来ます。けれども霊的な暗黒というのは、逃げられないわけです。
私たちが影から逃げられないのと同じように、自分の心から逃げられないのと同じでね。お分かりでしょうかね。
おなかが痛いとか、歯が痛いとかは痛み止めとかを飲めば治りますね。しかし、人間の霊的痛みというのは痛み止めを飲んでも効かないわけですよ。

つまり、この霊的暗黒というのは、その人を全く常識のない人格にしてしまう。人格が破壊された者である。こういう者がもし人間の社会で権力を握れば、その及ぼす被害は非常に大きいものですね。
皆さんもご存じの通り、代表的なのはヒットラーとか、東条秀樹とか、ムッソリーニとかね。こういう人達が、人類に取り返しのつかないような被害を与えたということは、説明をするほどのこともないくらいです。これはね、霊的暗黒の中にいたからです。

私たちが住んでいる日本も霊的暗黒になってきている。イエス様のことを言っても分からなくなっている。イエス様のことだけではない、心の問題が分からなくなっている。罪の意識もなくなっている。もう霊的暗黒です。それが及ぼす被害はとても大変なことだ。霊的暗黒が人類に何をもたらしてきたか、私たちは知っているわけですね。いつでも自由にイエス様を信じる状態ではなくなってしまう。

パウロはね、このような状態に至るまでの経過について、こういうことを言っています。第二テサロニケ人への手紙の2章9節~12節を読んでみましょう。パウロはこういう時代になってくることを預言しているわけです。

Ⅱテサ 2:9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

「不法の日の到来」、これは獣のことですがね。サタンによって働かされているあらゆる偽り、不思議が伴う。これはみんな滅びに行く人の悪霊の欺きである。彼らは、救われるための真理への愛を受け入れなかった。
なぜこんなふうになってしまったかというと、これは神様が惑わす力を与えた。霊的暗黒は、偽りを信じるような力が働くということです。

真理に対する愛、要するに、イエス様に対する愛がないという人は、霊的暗黒の中にいる。偽りを信じるような力につながれている。いくら話しても、いくら説明しても分からない。なぜでしょうかね。恐ろしい。
こういう時代がやってきますよ、とパウロは言っているんですね。私たちが住んでいる時代がますます見えてきている。何を話しても通じないわけです。分かりそうなものですけれども分からない。

B.さて黙示録の方に帰りますけれども、ついにその獣は「苦しみのあまりに舌をかんだ」ってことが書いてあります。

舌をかむのが悪いってわけではありませんが、私も舌をかんだことがある。聖会に行く時に入れ歯を治してね、金ぴかではありませんけれども、新しい入れ歯にした。これでよく話ができるだろうと思ってね。それで話したら、舌をかんだり、内側の頬をかんだり、血だらけになって話をしたのを覚えているんですがね。あまり慣れない入れ歯というのは良くないですね。

しかし、ここでは「舌をかんだ」というのは何のことか。飲み水がなくなってね、舌が乾いていた。ついにね、自由に動かなくなってきたんです。それで彼は舌を噛むほどになった、というんです。苦しみを表しているんですね。

もう一つは「はれもの」。これは第一の鉢の時にも出てきましたね。こういうように苦しんでも霊的暗黒の中にいる者は、天の神を汚す、ということです。自分の行いを悔い改めようとしない。人間は苦しめば分かるかというと、決してそうじゃない。霊的な暗黒は恐ろしいんです。

私たちの今の時代に大事なことは何かというと、勉強が良くできることでもないし、スポーツがうまいということでもない。財産があるということでもない。
人間として最も大事なことは何かというと、それは霊的なことですね。私たちはこのことをよく悟っているだろうか、と思います。

霊的暗黒の中にいればすべてのことがわざわいになってしまう。
ヒットラーにミサイルを持たしたらどうなっていたでしょうかね。東条にミサイルを持たしたら大喜びして、世界に向かってバンバンうち続けたかもしれません。そして自分もついに倒れる。霊的暗黒にいる人には何も持たしちゃいけないんです。
これが、第五の御使いですね。

Ⅲ.12節~16節。「第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。」

だんだんと、これから先の幻の解釈は、相当の聖書の知識と歴史的知識を必要としている難渋なところに入っていく。

A.しかし、誰にでもわかることが一つあります。それは何かというと、これから大変大きな戦いが始まろうとしているということです。

これだけは間違いがありません。

1.まず考えなければならないことは、鉢が、なぜユーフラテス川にぶちまけられたのか、ということです。

実は第六のラッパの時にもユーフラテスが出てきた。
この時もお話しましたけれども、ユーフラテス川にいっぱい水がある時には、少なくてもユーフラテスを越えて侵入してこようとする敵に対して、これはある程度の妨げになるわけです。ですが、この鉢をユーフラテス川にぶちまけて、川が涸れてしまったわけです。敵の軍隊がやってくるのが、容易になったということです。

モーセがイスラエル民族を率いて紅海を渡る時も、水の中を渡ったんではありませんよ。泳いでは渡れません。
ヨシュアの時もヨルダン川を渡る時、水がせき止められている。あの時は非常に良かったわけですよ。
ここは敵の勢力が容易に障壁を乗り越えて、ユーフラテス川を乗り越えて侵入することが出来るようになった、ということを表している。

大ユーフラテスは、確かにユーフラテス川を示しているのかもしれないし、また、障壁が取り除かれるということを表しているのかもしれない。
しかし歴史的にみると、いつもイスラエルはこのチグリスとユーフラテスを乗り越えられた時にやられている。

そして12節の中ほどを見ますと、「日の出るほうから来る王たちに道を備えるためであった」と言っていますね。
「日の出る」というのは東の方ですよね。ですからこの軍隊は西に向かって進んでいることを意味している。西に向かっている軍隊である。
ヨハネがこれを語った当時は、何を意味していたか。直接的にはあるんです。
それは何かと言いますとね、まだこの時代は、ローマはそんなに大きな帝国ではなかった。トラヤヌスが大帝国に築き上げていくんですけれども、まだその前なんですね。ですからローマ帝国といってはいても、まだペルシャがユーフラテス川を侵入してくる恐れはあった。脅威を感じていたわけですね。
紀元3世紀ごろまでペルシャは、ローマをたびたび脅かしていたわけです。ですからこの幻を語った時に、直接的なイメージといいますかね、ヨハネが考えていたのは、もしかしたら、ユーフラテスを超えてきてペルシャがローマを滅ぼして、そしてユダヤ人が解放されるかもしれない、こういう期待があったわけですね。

ですからこの幻はこういうことを背景にして語られている。
ある人はローマが獣であると考える人もあるわけですね。
ローマが、確かにローマ帝国のことを言っているのか、ローマもまた一つの象徴的に語られているのか、わかりません。
しかしこれは、神様が悪の勢力を滅ぼすために、少なくとも一つの国を用いると預言しているわけですね。
これはイザヤ書の10章5節~23節を読むと、そこにも預言されている。

2.この王たちは誰に戦いを挑むのか。

当時ヨハネの頭にあったのはローマです。
クリスチャンを迫害しにやって来るわけではありません。ローマは獣と考えられ、悪の勢力の代表者として考えられていたわけですね。悪魔と同じ性質を持っている。
日の出る方からやってくる王達は神の怒りの器として、ローマを滅ぼすために、ユーフラテスを超えてやってくると考えられていたわけです。
かつてアッシリアやバビロンもそうであったわけです。これはイスラエルに滅亡をもたらしたわけです。神の怒りの器として用いられたということですね。
そういうことがバックにあるということですね。
しかし、神の怒りが下されるのはローマだけではありませんね。罪に汚れ神に逆らうすべての者に下されるわけです。

B.13節から、別の幻が始まっています。

これはユーフラテスの水が涸れるとすぐに始まるわけです。ここで悪魔の勢力は、王たちを迎え撃つために急いで準備をするわけです。

16:13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。

ある人はこんなことを言いました。
神様は三位一体のお方だ、父なる神様と子なるイエス様と聖霊と。そして、悪にも三位一体があるんだと。それは「竜と獣と偽預言者」
まあ、本当にそうなのかどうなのか分かりませんが、こじつけて言えば、そういうことも言えなくもないかもしれない。

「竜」というのはご存じでしょう。12章の3節、9節で、「大きな赤い竜」といわれ、悪魔とかサタンと呼ばれる、世界を惑わすところの者である。
「獣」というのは13章から、悪の勢力のリーダーとして権力を振るってきた。これは、ま、いろんなことをいわれて、ローマ帝国であるとか、ヒットラーであるとか、ファシズムであるとか、日本人なら東条だとかいろんなことを言う人がありますけれども、それらは、一人ではないです。政治的権力者。ヨハネの時代はローマを代表してもいい。
それから「偽預言者」というのは、13章11節で、「地から出てきた第二の獣」ですね。これはローマ皇帝を礼拝させようとした宗教指導者ですね。
彼らは最後の戦いをするために、全世界から自分達の仲間になって戦ってくれる軍隊を集めるために、全世界に向けて呼びかけているわけですね。

「かえるのような汚れた霊どもが三つ出てくるのを見た。」
ここがなかなか面白いですね。竜と獣と偽預言者と、物々しいものから出てくるのがなんと、蛙。貧弱すぎますね。この蛙というのは、汚れた意味があると思いますけれども、おそらくモーセの時のエジプトのわざわいをご存じと思いますが、蛙がぴょんぴょん飛び出してくる、というのがありますね。鉢の中まで蛙がいっぱいになる、というのがありますね。やっぱり汚れを意味しているんでしょうね。
汚れた霊ども、つまり、蛙みたいにヨハネには見えたんだと思います、蛙ではないんでしょうけども。
これは偽りの教えのことを言っているんです。つまりサタン、帝国主義者、偽預言者、
宗教家たちですね。彼らは偽りの教えをもって世界の軍隊を集め、イエス様の勢力と戦おうとしている。
パウロはこれを不法の人の働きだ、と言っているわけです。それは異端の中にも見られます。この世の生き方の中にも見られます。
その偽りの教えというのは、ヨハネは第一ヨハネの2章16節をみますと、

Ⅰヨハ2:16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」、この三つが出てきていますね。学者は何か三つないかなと思って、あ、あったあったなんてね。これで人を惑わす。

選挙運動でもこういうのが入っているでしょ、暮らし向きのこととかね。この頃は女性が持ち上げられたり、上げられなかったりと、不真面目すぎると思うんですよ、この頃の政治は。
政治家はね、あなたの暮らし向きをよくしますよ、なんて言って、選挙が終わればちっとも暮らし向きはよくならない。これはやっぱり蛙ですね。
こうして偽りの惑わしで人々を惑わし、キリストと対決させようとする。これみんなサタンの働きだ。彼らはこうして全世界の人を騙して自分の側につける。

そして14節をみますと
「万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。」
この「神の大いなる日の戦い」というのは、預言者アモスとかヨエルが叫びました「主の日」です。「主の日」というのがアモス書やヨエル書に出てまいります。
彼らが叫んだ「主の日」、これはこの時にはっきりと成就する。
ヨエルとかアモスというのは旧約の人ですがね、なんと遥かな時代を預言していただろうか。

しかし私はこう思います。サタンもサタンにつける者もなんと愚かだなあ、と思うんです。
それはなぜか。
神様と戦うのに、キリストと戦うのに、人間的武力を集めるだけで十分だと考えていたからです。
かつてアメリカから来たB29が敵機来襲だとかと言って、何をしたと思いますか。
爆撃機が来るというのに、地上で竹やりで、エイ、ヤーとやってね、竹やりで飛行機を芋刺しできないのはわかっているのに、しかしみんな愚かだとは思わなかった。しかしこれは笑いごとではなくてね、日本人はそれをやっていたわけです。
人間の愚かさというのはね、預言者もヨハネも教えていますけれども、キリストと戦うなんてB29と竹やりのようなものですよ。

C.15節は、これは挿入句ですけれども、

この句は、サタンの物々しい武力体制を見ると、神の民が怯えてしまうのではないかと思って、ま、慎重に備えるようにと、イエス様が挿入句を入れておられるんですね。

「──見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである──」

イエス様もパウロも、何度もこのことをおっしゃいましたね。イエス様の再臨は突然であると、再三再四語っておられます。
私もね、時々、空を見上げます。どこかにイエス様が来始めているのではないかなあ、と思ってね。もしかしたらね、どこかに見つかっていてもおかしくない時代に住んでいるんですよ。
私たちは見つけられたら幸いです。私たちの信仰が眠りこけないように、この世と妥協しないように、怠惰にならないように、という警告ですね。
パウロもね、これとそっくりな警告をしていますよ。第一テサロニケ5章2節~8節を読んでみましょうか。

Ⅰテサ5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
5:3 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。
5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

こう言っているわけですね。イエス様がおっしゃったことと同じ、私たちは油断しないで備えていなくてはならない。
最近はね白昼強盗なんて珍しくありませんが、「夜中の盗人のようにやってくる。」、パウロの時代は常識的だったんですね。夜しか盗人が来ないのだから。
みんなが平和だ安全だと言っている時、突如としてやってくるというんですね。

15節で、「身に着物を着け、裸で歩く恥を見られないように」と言われています。
この「着物」って何なのか。洋服のことじゃないですね。
これは、今まで何度も出てきた6章11節とか、7章9、13、14節に出てきた、「白い衣」ですね。これは「義の衣」です。これを着ていなさいということです。寝巻のことではない。
クリスチャンでなくても、この世の圧迫や誘惑に対して、義の衣を汚してしまうことがある。
サルデスの教会を見ると、あなた方は生きているようだけれども、死んでいる。死んだようなものだ、と言われていますね。霊的な死というのは義の衣を汚すわけですね。
しかし、この「白い衣」を失ってしまったら、汚してしまったら洗えばよいかもしれないけれども、失ったらもうおしまい。信仰を失ってしまったらおしまい。信仰を失ったら、裸で歩くようなものだ。
クリスチャンの中にも決してこのような者が少なくない。だからこれは気を付けなくてはいけません。
こういう警告をされたわけです。

D.さて16節になりますと、ここでハルマゲドンの話が出てまいります。

このハルマゲドンは聖書中、最も議論の多い箇所であります。ここで全世界の王たちが三つの汚れた悪霊どもによって、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれるところに、神の大いなる日の戦いのために軍隊が集められている。
この戦いは反キリストによって、地の王たちがイスラエルに侵略し、王の王なるイエス様に戦争を挑む、患難時代の終わりに行われる最後の大戦争だと言われています。

1.まず、この戦いの場所はどこなのか。

これはなかなか確定することは難しいのですが、もしハルマゲドンの言葉そのものがそれを意味しているなら、それはパレスチナのエスドラエロン平原(イズレエル平原)のメギドの山のことです。ハルマゲドンというのはメギドの山という意味だからです。

メギドの山ではどういうことがあったかというと、旧約の時代に、このエスドラエロン平原(イズレエル平原)というのは、数回にわたって大戦争のおきた場所なんです。この地は、歴史上戦場として、まあ、神様が戦場として作られることはないんですが、歴史上戦場として使われた数少ない場所です。
だからメギドの山ほど無数の人の血を吸い込んだところはない。メギドの山は人間の血で一杯です。

(1) 思い出されるのはデボラとバラクの戦い。カナン人とのね、これもメギドの戦いです。
(2) ギデオンとミディアン人との戦い。
(3) サウルとヨナタンがペリシテ人と戦って殺されたのも、このメギドですね。
(4) エフーという王様が、アハズヤを殺した戦いも、エスドラエロン平原ですね。
(5) エジプトのパロネコが侵略したときに、ヨシュアが殺されたのもこのエスドラエロン平原ですね。

時間があれば、この最後のハルマゲドンの戦いについて、聖書が預言しているところがいくつかあるんですがね、今日はそこを読むことが出来ませんがね、その箇所だけを言いますとね。

1.黙示録の16章12~16節
2.黙示録19章19~21節
3.ゼカリヤ書12章1~6節、9~14節
4.ゼカリヤ書14章1~3節
5.ヨエル3章1~2節、9~17節。

これらの預言はみんな、全世界の王たちと主イエス様との最後の戦いを告げているわけですね。旧約の時代からすでに預言されている。
メギドはね、戦場と化したところなんです。そして将来、最後のハルマゲドンの戦いがここで行われるのではないか、こう言うことができますね。

2.ハルマゲドンの戦いが行われる理由は何か。

大きく三つ上げられるんです。

(1) 反キリストの勢力が、イスラエルを世界に分散させたということなんですね。これは皆さんご存じと思います。今、ユダヤ人というのはユダヤに住んでいない。これは反キリストの勢力。そして、その地を盗んで使用した。ヨエルの3章2節に書いてある。だからイスラエル人は怒りを持っているわけです。
(2) 2番目は国々の悪ですね。
(3) 国々の王が神に栄光を帰するのを拒んだ。悔い改めなかったからだ。
これが16章の9節に書いてあるわけですね。

3.このハルマゲドンの戦いはいつ起きるのか。

(1) 神の怒りの第六の「鉢」が傾けられる時。今読んでいるところですね。
(2) キリストの再臨の時。
(3) イスラエルが再び集められる時。シオニズムというのが今、問題になっていますね。イスラエル人がもう一度結集している。

4.この戦いの結果は何か。

これは明らかですね。これからずっと学んでいきますと、19章の11節~21節に記されている。キリストの最終的勝利がそこに書いてある。ハルマゲドンの戦いの結果、キリストの最終的勝利がそこに書いてある。
この地の軍隊は打ち破られる。そして獣と偽預言者は火の池に投げ込まれる。サタンは捕らえられて、底知れぬところに投げ込まれる。
しかしそれで最後ではありませんね。最後の裁きの直前に、もう一度サタンは這い上がって戦おうとするんですが、そこで敗北するわけですねえ。

恐ろしい戦いが始まろうとしている。
私たちはこれを遠い預言のように思ってはいけません。また、単なる教えだと思ってもいけません。すでにこの戦いは、いつ始まってもいいくらい、世界は混迷状態にあるわけですね。

平和の名を借りた偽りの世界的政治外交が飛び交っているではありませんか。蛙みたいな汚れた三つの霊が、偽りの言葉を語っている。
それで世界の軍事力はハルマゲドンに向かって備えている。恐ろしいですよ。
最近はアメリカとソ連が、大型の長距離ミサイルを削減すると話していますが、私は危険だなあと思いますよ。
小型ミサイルや普通兵器はどんどん増えて構わないとか。これはもう一つの危険だと思うんです。大型ミサイルを作るのをやめて、世界の人に平和ムードが広がり、緊張感が取れていく。
そうするとかえって戦争は起きやすい状態になっていく。大型ミサイルを使わないならいいじゃないか。また昔みたいに普通兵器でやろうじゃないか。弓や刀で。
安易な考え方で戦いが始まるんです。そして内乱から内乱。これは恐ろしいですよ。内乱から内乱に結びついて、世界中に混乱を引き起こしていく。
今までの戦争もそうですよ。宣戦布告なんかしないで、くすぶっている。そしてみんな大型兵器を隠し持っているわけでしょ。最後にそれを引き出してきて、ハルマゲドンに行く。おそらくハルマゲドンはこのケースをたどるんじゃないかなあ、と思うんですね。

聖書を読むと、平和だ、安全だって言っている時にイエス様は来ると言っているでしょ。だんだん、平和だ、安全だ、と言い始めましたね。
もし、私たちがそうなるとするなら、私たちはなんという時代に住んでいるんだろう。
ハルマゲドンの直前に生きている、ということになるわけですね。それが分かったなら、ペテロが言ったように、ますます主を恐れかしこんで敬虔に生きる。
これから逃れる道は一つしかない。敬虔に生きる。

新しい地と新しい天に入れられる者が、この大いなるわざわいから、さばきから免れることができる、ということですね。
地下壕を掘ってもダメだ、ということになります。ですから全力を尽くして、私たちは主を恐れ、またキリストの福音を伝えることに全力を尽くしたいと思うのです。
お互いはハルマゲドンの直前に生きる人類である。
心に深く刻んでおかなきゃいけない。

お祈り

恵みの深い天の神様、今日もイエス様のみ言葉を深く学ぶことを許されありがとうございます。
私たちが住んでいる時代が、容易ならない時代であることをみ言葉を通して知りました。世界はいろいろな問題がありましても、だんだんと平和を叫ぶようになり、あるいはおとなしくなっているように見えます。その時に人間の気持はだんだんと緩みはじめ、そしてあっちで小競り合い、こっちで小競り合い、それが再び燃え上がって、世界の戦い、ハルマゲドンにつながっていくことを、その警告を心にしっかりともって、進ませていただく。
その戦いを止めることは人間の力ではできません。
世の終わりの戦いを人間の力で止めることはできません。
ですから、イエス様に対して深い信頼を、またあなたの福音を伝えることに全力を尽くして、願わくはこのさばきの時にも、免れることのできる大勢の人々を、あなたのもとに獲得できるように、これしか免れる道はないと知らせてくださいますように、心からお願いします。
この時を感謝して、イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。
アーメン。

地の塩港南キリスト教会牧師
眞部 明