音声と文書:ヨハネの黙示録(44) 大淫婦と獣の秘儀 17:7~18

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PDF文書:ヨハネの黙示録(44)

ヨハネの黙示録 17:7~18
17:7 すると、御使いは私にこう言った。「なぜ驚くのですか。私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。
17:8 あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。
17:9 ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。
17:10 五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。
17:11 また、昔いたが今はいない獣について言えば、彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。そして彼はついには滅びます。
17:12 あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。
17:13 この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。
17:14 この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」
17:15 御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。
17:16 あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。
17:17 それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行う思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。
17:18 あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。」
【新改訳改訂第3版】


上の写真は、ドイツの宗教改革者 Martin Luther (1483–1546) が著したThe Luther Bible(1534 edition)の挿絵に着色したもの「The Whore of Babylon(大淫婦バビロン)」(Wikimedia Commonsより)


はじめに

1.ここはちょっと長い区間ですが、この部分をご一緒に考えたいと思います。

ここからは啓示の仕方が変わってきているわけですね。これまでのところは幻を見せていたわけです。ところがこれからは、説明する、ということに変っています。

7節をみますとヨハネは、この大バビロンの滅亡を見て非常に驚いたわけです。けれどもその意味が十分に分からなかったようですね。そこで御使いが「なぜ驚くのですか。」と。そしてこれらの「秘義をお話してあげましょう」と説明を加えているんですね。
説明っていうんですから、説明されればよくわかるのが普通ですけれども、皆さんお分かりになりましたか。なんだかさっぱり分からないんですね。ヨハネはもっと分かったんでしょうがね。まあ、この説明はよく分からない。
しかしとにかく、今までは、次から次へと新しい幻が飛び出していたのに、ここからは説明になっている、ということはわかりますね。

2.ここで私たちがはっきりと知っておくべきことは何かというと、ヨハネはその時代的背景から、絶えず、神の小羊とこの獣(ローマ)がですね、対決するように描いていたということです。

ヨハネの時代はそうであったということですね。幻というのはその時代的背景が非常に濃いですから。

それは確かに歴史上存在してきた対決です。そして私たちは、このローマ帝国の中に、神に反逆しあくまでも攻撃的な悪の勢力を見てきたわけです。ヨハネの時代のその姿の中に、その普遍的な力というのを見てきたわけです。神の小羊と、神に逆らう悪の勢力との対決であったわけですね。

このことを念頭においてヨハネの黙示録を学ぶと、大筋において道を誤ることはないということができます。ここをしっかりと心にとらえて、黙示録を読んでいただければよいと思います。

Ⅰ.そこでまず、御使いは獣の説明から始めています。

1.「女の秘義と、獣の秘義を話しましょう」というんですが、獣の説明から始めている。

この獣というのはどういうものかというと、13章1節から詳しくなっているんですが、「海から上ってきた獣」であることは間違いがない。この獣は、竜すなわちサタン、このサタンから権力を受けて、そして神の聖徒たちと戦う政治的な権力者である、ということですね。

そしてこの獣は一体誰なのかというと、これは何度もお話しましたが、ヨハネの時代の人々は、このヨハネの黙示録を読みますと、この獣は皇帝ネロだ、と思っています。
これはヨハネの時代だけではなくて、ローマの迫害が続いている間ですね、当時のクリスチャンは、これはネロだと考えない人は一人もいなかったわけですね。ネロは皇帝として最大の権力を使って、クリスチャンを迫害し始めたからですね。それほどネロは悪名高い人物になってしまったわけであります。

2.そして当時、ネロの復活説を信じるクリスチャンが大勢いたわけです。

この前もお話したかもしれませんが、それは大8節にもよっているわけですね。8節を記したヨハネもネロの復活を信じていたように思われます。
「あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます」
と言っているわけですね。

当時のクリスチャンたちは、イエス様の復活に対抗して、サタンもネロを復活させて、再び教会を迫害すると、おそらくこういう風に考えていたんだろうと思います。サタンはよく神様のなさることと同じことを真似しますね。

出エジプト記で、モーセがパロの前で水を血にかえると、パロも血にかえる。強い蛇にすると、また、同じように強い蛇にするというふうによく真似をする。
こういうの、ありますよ。教会が日曜学校を始めると、すぐにお寺が日曜学校を始める。なんでもかんでも真似するわけです。
ですからイエス様が復活すると、サタンも真似してネロを復活させると考えたんでしょうね。

しかし、実際上復活したのはネロ自身ではなくて、ネロが抱いていたところの迫害精神ですね。神の聖徒に対する迫害精神、これがずうっと復活している。
ですからここで言っている本質的なことは、そういうことですね。ネロの精神というのはネロの死後も、ローマ帝国に受け継がれていくわけです。ローマの迫害の歴史というのを学んでみますと、本当に恐ろしいですね。いつか機会があったら学んでみたいと思います。

AD476年に西ローマ帝国は滅亡します。しかし、この西ローマ帝国が滅亡しても迫害は続くわけです。
AD800年にシャルル・マーニュという人が神聖ローマ帝国というのを起こすわけですね。
さらにAD962年にドイツ人のオットー1世という人がこれをもっと強くするわけですね。そして1806年までずうっと続いているんです。
そのあいだにネロの迫害精神といのはずうっとローマに繋がっていく。ローマだけではありませんけれどもね、ローマ・カトリックの中に、いろいろなところに、根を広げていっているわけです。
大木を見ますとね、見えるところの木だけではなくてね、根を掘るとあっちこっちに張り込んでいるのを見ますとね。ローマというのは、文化の中に宗教の中に政治の中に軍隊の中に、入っていっているんですね。

現代は、ローマ帝国というのは姿を消しているんですけれども、ローマがなくなったわけではないですね。ネロの精神というのは今も底流で生きている。やがてこのネロの精神は復活の時に、最後に復活して、神の小羊と戦うことになる。ネロそのものは復活しないかもしれませんが、ネロが抱いた精神は非常に恐ろしいですね。

そして神の御手によって最終的な滅亡を迎えるわけです。これはまあ、怪物みたいなものですね。何回殺しても殺しても、生き返る恐るべき生き物としての精神、と言ってよろしいですね。このあたりぞっとしますね。何度倒されても起き上がってくる。なんかフランケンシュタインみたいな感じを受けざるを得ないわけです。
不死という感じですが最後は滅びる。

3.そして、こういうような獣の精神の復活に対して、非常に大きな関心と興味を示すのは誰かというと、8節半ばの「世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者」です。

永遠の命を受けていない者が、獣の命の復活に関心を示す。不思議なことなんですね。いのちの書に記されていない人っていうのはイエス様の復活にあまり関心を示さないんですね。ところがこの獣の復活には関心を示すんです。
この8月になりますと、お化けだとか怪談話だとか、奇妙なことがよく行われるわけですけれどもね、そういうことになると非常に関心を示す。けれども、イエス様に対する関心は非常に少ない。ですからね、現代も昔もずっと同じですね。

「いのちの書に記されていない者」が、甦ってくるこれらのものに驚きや関心を示す、と書いてある。彼らはキリストには関心を示さないけれども、この世の中に起きてくる珍しい事とか、すぐに騙される怪談のようなことに非常に関心を示す。

4.しかし、こういうような獣の精神の復活というのは、ネロばかりではなくてですね、すでにダニエルによって預言されていたんですね。

ダニエル書をちょっとご覧いただきましょうかね。この17章では、ダニエル書を学ぶとよいと思います。ヨハネの黙示録は非常にダニエル書と関連があるわけです。ダニエルの7章、全部読むことはできませんけれども、7章の2節~8節をご一緒に読んでいただきましょうか。

ダニ7:2 ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、
7:3 四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。
7:4 第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。
7:5 また突然、熊に似たほかの第二の獣が現れた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ』との声がかかった。
7:6 この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現れた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。
7:7 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。
7:8 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。

この四つの獣を見てみますと、「大海から出てきた」の所はヨハネの黙示録の13章1節に出てくる、「海から上ってくる」と全く同じであります。
この2節を見ますと、「大海をかきたてて」やってきた。「大海」とは人類ですね。「かき立てる」というのは、諸国の暴動とか革命からこの獣が立ち上がってくるわけですね。今も内乱だとか、混乱だとか、そういうところを弾みにして立ち上がってくる。

ダニエルの学びをしているわけではありませんから、今日は詳しい事をお話しませんが、「第一の獣は獅子のようである」、これはバビロンですね。
「翼を抜き取られてしまう」、これはネブカデネザルがですね、発狂するわけですね。しかしあとで、人間の心が与えられた、とありますから、後でネブカデネザルが回復していくことが預言されている。

第二番目の獣は、メド・ペルシャ。バビロンが滅びますとバビロンの精神はこのメド・ペルシャに受け継がれている。ペルシャは熊のようですね。寝そべっている、と書かれている。「きばの間に3本の肋骨がある」とは、どういう姿なんでしょうかね。「起き上がって、多くの肉を食らえ」と書いてあります。確かにこのペルシャは最大の勢力を誇り、次々と諸国を食い荒らしていったわけですね。

今も、アメリカや日本の大企業の乗っ取り、とかがありますけれども、家内は、「あういうのは悪いことなんじゃないの?」と言いますが、「資本主義社会というのは、そういうことをしても、法律に触れないんだよ」なんて話をしています。
何か他の人の会社をとるのは悪いような感じがしますが、お金で買っちゃうんだから、マーケットでお金出して何か買ってくるのと同じことですからね。

ペルシャはあらゆる国を食い尽くすほどに貪欲に拡大していったわけですね。ところがこのメド・ペルシャが滅びると、その精神は第3の獣、ギリシャに受け継がれた。
このギリシャはひょうのような獣である。4つの翼を持っている。飛ぶのが速い。これは、アレキサンダー大王をあらわしているわけですね。非常にスピードアップしてですね、次々と国々を占領していった。ギリシャはわずか13年の間に世界を制覇してしまった。
四つの頭があった、と書いてありますが、四人の後継者たちがお互いに争ってギリシャが倒れていく。後継者争いで終わってしまう。

このギリシャが滅ぶと第四の獣、これはローマですね。
ここではローマを言わんとしているわけですが、ローマの精神というのはとても恐ろしいですね。
ダニエル書の幻も、この第四のローマが中心になっているように、ヨハネもこのダニエル書の幻をよく知っていたと思うんですが、このローマの獣の精神は支配者が変わっても受け継がれてきた、ということをよく知ってここに語っているわけですね。
バビロンが滅んでも、メドペルシャが滅んでも、ギリシャが滅んでも、ローマと、こういうふうにしてですね、支配者は変わってもその精神はずっと受け継いでおる。
そしてローマが倒れてこの後も、その精神は最後の滅亡の日まで受け継がれていく、ということをヨハネは語っているわけです。

7章の後半の方を見ますと、7章19節~28節当たりを読みたいのですが、長いから今日は省略しますけれども、第四の獣とその頭にある十本の角の説明があるんですね。
十本の角はこの国から立つ十人の王、彼らの後にもう一人の王が立ち、と、ずうっと書いてあるわけですね。しかし最後には、神によって滅ぼし尽くされるという預言は、ヨハネの黙示録の17章の説明と全く同じである。
ですからヨハネはただでたらめな幻を見たというわけではないのです。きちんと預言がされておる。
ですからヨハネの黙示録というのは、ヨハネが気まぐれに幻を見て記した、というのではなく、ちゃんと根拠があってこれを書いている。

そしてこれは今の私たちにも適用される。私たちは毎日何気なく生活していますが、ネロの精神は今も引き継がれているんですね。
ネロはもう私たちと関係ないように思いがちですけれども、その精神は今も存在している。そして世界の各地で火山が爆発し噴火するように、例を上げるなら、中国の共産主義政府による武力弾圧も、ネロの精神の噴火の一つですね。こう見ることが出来る。ネロのこの迫害精神というのは、影を潜めたり姿を変えたりしていますが、今も獣が働いている、ということは事実なわけです。

私たちはそういうものをはっきり見ながら生きていく必要があります。そして明日、この日本で獣が暴れ出すかもしれない。
ある動物園の人が話していました。この動物園にいる動物が、みんなストライキを起こして暴動を起こしたらどうするのかって。
動物園の人が言いました。「そうしたら、私たちが動物園の檻に入ります、安全のために」って言ったそうなんですが、なるほどと思いますね。
もしここで獣が暴れ出したら、私たちは刑務所に安全のために入るんですかね。

こうして私たちは知ると知らずに関わらず、神と小羊、大淫婦と獣との、最後の対決に向かって、一日一日と近づいているわけなんです。いつ何が起きるかということは私たちにはわからない。

日本赤軍の浅間山荘事件はずいぶん前になりますが、あういうものがあったりしていますね。ですから日本においても、獣が暴れ出すことはない、ということはないわけですね。クリスチャンはこういうことを自覚しながら、毎日の生活を送らなければならない。世界の各地で起きている衝突をただの事件として見るのではなくて、獣の働きであることを知りながら、しかもそれが世界にどのように波及しているかということを知らなきゃいけないわけです。

Ⅱ.9節をみますと、「ここに知恵の心があります。」と書いてありますね。

ぼやーんと聖書を見ているとなんのことか分からないし、また、今の時代に起きていることをぼやーんと見ていると、それが何を意味しているかよく分からない。
しかし、知恵の心があると、それが読み取れますよ、ということですね。

A.このことを悟るためには英知に満ちた心の目を持つ必要がある、というんです。

幻を理解し、各々の生きている時代に起きる出来事に適用して考え、自ら備えるためには、聖書をただ知識として知っているとか、毎日のニュースをただのニュースとして考えているだけではなくて、そこに隠された大淫婦と獣の仕業を悟らなければならない。人間の欲望、思想、感情、目的、生き方などを十分に考え、判断する英知、知恵が必要だということです。

クリスチャンは、それをもって聖書を悟り、この世の、今生きている私たちの社会の出来事を見ていく必要がある。
ですからこういう英知をもって聖書を読むとき、いつでも自分たちが置かれている時代の意味を知り、そして自ら何を備えるべきか。
私は本当に今の時代ですね、何が必要なのかというと、もはや経済ではありませんね。食べ物でも着る物でもない。霊的備えです。人間は霊的備えが最も必要になってきているんだな、と思います。

このあいだもニュースを見ていたら、共産党の書記長さんか何かが話をしていましたが、日刊新聞をとる人を増やさなければならない、と言っているんですね。要するに国民に対する共産主義の洗脳を始める。これを最大の項目にしているようですね。これは彼らの霊的働きの一つですね。

だから私たちは自ら何を備えるべきか、これは人間にとって一番大事なことだと思うんですね。いざという時に、霊的な備えが出来ているかどうか、にかかっている。
英知が必要ですね。知恵の心が必要です。

B.9節~11節では「七つの頭」の説明です。
1.「七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。」
と書いてありますが、これだけ読んでもよく分からないんです。

10節をみますと、
「五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。」と、
こういうことが言われているわけです。

9節をみると、この「七つの頭」は七人の王で、女というのは大淫婦ですから、その支配下にあるということは分かる。この大淫婦がローマであるとすれば、7人の王というのはローマの7人の皇帝ということになりますね。

10節をみますと、ヨハネの時代にはすでに5人の王が倒れており、6番目の王が支配している。一人は今おる、と書いていますから、少なくても6番目の王はローマ帝国そのものを言っているのか、ヨハネの時代のローマ皇帝の一人をさしているのか、これだけは間違いがなかろうと思うんです。

最初の5人の王と、最後の2人の王がローマ皇帝であるかどうかは、はっきりしないわけです。しかし、この7人の王すべては大淫婦の支配下、大淫婦の性質を持っていることは事実ですね。それはローマ皇帝が聖徒たちに示した性質、迫害心を持っているということは、はっきりしている。

なぜヨハネはこういう回りくどい言い方をしたのかなあ、と思うんですがね。
おそらくヨハネはこれらの7人の王たちについて、彼自身はもっと具体的な意味を知っていたと思います。しかし彼は、自分が生きている時代が、ローマの迫害の時代のさなかにあるし、彼自身が囚われの身であったので、その意味を明らかにするということは、非常に危険率が高かったわけです。控えていたわけですね。

もしこれらの王たちがローマ皇帝であったとするならば、「最初の5人は誰と誰で、今は誰の時代であり、最後の者はまだ来ていません」と書いたとすれば、これが迫害中の教会で読まれるとなると、さらにローマ皇帝の激しい迫害が及んでくるわけですね。当時の人にとってはこう言えば分かったかもしれませんが、ヨハネは直接的な言い方を控えたのではないかなと、私は考えるわけです。
かつて日本でも牧師たちは憲兵に引っ張られて、「神とは誰か、天皇以外に神はいるのか」と問われたわけです。ずいぶん迫害を受けている。そういう時代が日本にもあったわけです。
ヨハネ自身はもっとよく知っていたと思いますが、実際的な名前はそこには留めていないわけです。控えたと思われます。

2.11節をみますと、もっと分からないことが書かれてあるんですね。

「昔いたが、今はいない獣」についていえば、これがもしネロであれば、「ネロについていえば」と言えば早いんですがね、そうは言わないわけです。
彼は8番目でもあるわけですが、前は7人と言っておいて今度は8人と言って、何を言っているのか分からないですね。
8番目のように見えていますが、先の7人の内の一人というのは、7人の内の仲間、ということですね。
そして彼はついには滅びます。当時のクリスチャンたちは、これはネロのことだと思っていたことは事実ですね。
ですから私たちは、これ等のことを念頭に置いて、このあたりを読む必要があるわけです。7つの頭とは7人の王のことであります。

C.さらに12節~14節は、十本の角について説明されておる。

ダニエル7章20節から24節をみると、この十本の角はローマ帝国の支配下に立つ十人の王たちです。これはダニエル書からもはっきりしているわけですね。第四の獣の支配下にある王たちである。つまりローマによって全世界から集めてこられた王たちである。
これはヨハネの黙示録16章14節にある。ローマというのは、彼らの時代のローマであると同時にローマの精神を受け継いでいるローマ、目に見えないローマも表している。二重のローマですね。

1.彼らは一時期、「ひとときだけ王の権威を受けます」と書いてある。

一時期、獣と手を組んで、つまりローマの権力に協力しまして、支配の権力を受けて支配者の地位につく、ということですね。一時期です。
ところが12節の半ばを見ますとね、「彼らはまだ国を受けてはいません」。ローマから王国を受けていないわけです。
ただちょっとした権力だけをもらった。これらの地の王たちというのは、まあ、大淫婦と獣に騙されて、神と小羊と戦うために利用された人たちのことですね。
これが後で反逆につながっていくんですがね。

2.そうとも知らないで、13節を見ますと、彼らは、「心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます」

三国同盟とかですね、ドイツ、日本、イタリヤがこういったことをやった時代もありました。そうとも知らないで、この者たちは意気投合して同盟関係を結ぶ。そしてどうにかして共通の一致政策をつくる。
日本でも、野党が一致政策をしようとしていますが、なかなかうまくいかないようですね。共通の政策をつくる。そのために自分たちの軍事力や経済力を獣に与えて協力するわけです。こうして獣の勢力というのは、最後に至って世界の最大の規模に膨れ上がっていくわけですね。

こういう傾向というのが現在見られ始めています。昨今、ソ連のゴルバチョフさんが大ヨーロッパ連合を作ろうとしている。これに対してアメリカは危機感を抱いていますよ。ソ連は、ヨーロッパをアメリカから切り離そうとしているわけです。やがてソ連は、この日本をアメリカから切り離そうとしてね、「色丹、歯舞を返しますから、ソ連の仲間になりましょう」とか言われたら、日本はどうするでしょう。

イソップの獣と鳥の戦いみたいにどっちつかずに飛び回わるんでしょうか。
獣の方が強そうなら、私も体に毛が生えています、鳥の方が勝ちそうなら、私には翼がありますとか言って、どっちつかずで、自分の都合の良いように飛び回る。
13節の中に現代の姿を見ることが出来る。

私たちは世界を広そうに考えていますけれども、非常に狭くなっているんです。
だから、あっという間に一つになることもできるし、あっという間に分裂することもできる。こうして獣の国は終わりに至って、これまでになかったような世界最大規模の軍事力や経済力が膨れ上がっていくんです。怖いと思いますね。
聖書を知っている者は警戒するだろうと思います。

Ⅲ.最後の土壇場で思いがけないことが起きてくるんです。

14節を見る前に、15節と16節を見てみたい。

A.御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。」

これは大淫婦の悪の影響力が、あらゆるところに及んでいるということですね。ですからあたかも大淫婦の帝国が永遠に安定か、と思われる状況にまで広がっている。教会なんかがジタバタしても世界は変わらないと、こう思っていると思うんです。

B.ところが16節を読むと、「あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。」

彼らは共食いをはじめるわけですね。内乱が起きる。
彼らはある時は心を一つにして、教会を迫害し、破壊する霊を持っていたんです。ところがその彼らが、彼らの最高の支配者である大淫婦に逆らい、憎み、大淫婦であるローマを転覆させる。そして大淫婦は仲間同士の争いの中で滅んでいく。
それが神のご計画であったということが17節に書いてある。

これはおそらく十人の王たちは、自分たちの力を注いだにも拘わらず、なんの利益も王国も与えられなかった。それで大淫婦に反逆したのだろうと思われます。
かつて中国とソ連は共産主義でね、一枚岩と言われたわけです。本当の兄弟のように言われた時代があった。しかしそれはごくわずかしか続かなかった。それからほとんどこの40年間は、彼らは最も憎みあうようになっていたわけです。
こうしてね、本当に神様と結びついていない勢力というのは、一時、主義とか主張が一致するんです。経済協力もしますし、軍事協力もします。しかしすぐに争いを始めてしまう。その一番良い例がソ連と中国ですね。

17節では十人の王たちが心を一つにして獣に協力したにもかかわらず、神のご計画のもとにおいて、彼らは滅ぼし合うということですね。
だから神に逆らう勢力が巨大になってもね、私たちは驚いたり恐れたりしない。あまり巨大になると、必ず分裂するんです。だから少しも心配ない。お互いに噛み喰らい合うんですね。
それは神のみ許しがあったことですね。神の御心を行わせるためであり、神のみ言葉が成就するときだって書いてあります。
これらの良い例は、イエス様の十字架ですね。
キリストに逆らったユダヤ人たちは イエス様を十字架に架けた。弟子たちは絶望したわけです。しかし、ユダヤ人たちが罪を犯したわけですけれども、神の御心を彼らは行なったのです。
こういうのを見るとね、悪の勢力がどんどん大きくなっていってもね、そんなに心配することはない。しかし私たちは霊的備えをしておく必要がありますよ。
彼らはそんなこととは知らずに、憎みあい、怒りをもって、キリストを十字架にかけて殺したわけです。
彼らは、イエス様の十字架を通して全人類が救われるという救いの計画を、ユダヤ人たちは成就した。

世の終末に近づくにしたがって、神に逆らう霊というのは、自ら滅びるためにその勢力を結集して強力になっていくということを、私たちはこれから見ることになる。
ですから世界を私たちはよく見ていることです。どっちの方に勢力が傾いていくのか。今、世界で最も大きな勢力を作るなら、アメリカとソ連が力を合わせると世界最大の勢力ができるわけですね。しかし、そういう状況になっても恐れて不信仰になってはいけない。彼らは神のみ許しのもとで行っているのであり、神のご計画を成就する。
彼ら自身が滅びるために彼らが大きくなっているんだと。
み言葉が成就するときにそれが終わるということですね。

C.さて、大淫婦を火で焼き尽くしました。

この十本の角と獣は支配者を失ってしまうわけです。
それで、そこから引き返すのかというと実はそうではないようですね。彼らはなおも、仲間割れをしましたけれども、なおサタンの支配下にある。
ですから14節に帰りますが、14節で彼らは小羊に戦いを挑んでくるわけです。
サタンと神との戦いというのは絶えたことはないわけですから、避けることが出来ません。

ここで小羊が勝つ理由について考えておかなければなりません。
小羊の軍隊が大勢だから、あるいは巨大だから勝ったとは書いてないんですね。勝った理由は、「小羊は主の主、王の王だからです」とだけ言われているのです。
ですから私たちクリスチャンは少数派だから、力がないからと言って小さくなっていてはいけない。小羊が勝つのは、小羊につく者が大勢だからというわけではない。彼が主の主だから勝つ、ここに確信を持つ信仰生活を営んでいかなければならない。

私たち信仰者の勝利はどこにあるのか、どこに根拠があるのか。小羊が王の王であるからである。小羊の勝利を共に味わう者が、ここに記されております。

召された者、選ばれた者、忠実な者、この三種類の者が味わうことが出来る。

召された者とはどういう人のことか。ローマ8章28節を読んでみましょうかね。有名な言葉だからご存じでしょう。

ロマ 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

選ばれた人とはどういう人でしょう。ヨハネ福音書15章16節。

ヨハ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

実を結ぶ人々のためですね。この人は小羊とともに勝利をあじわうことが出来る。
素晴らしいですね。選ばれた、実を結ぶために選ばれた。

忠実な人々とはどういう人でしょうかね。マタイ25章21節。

マタ25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

神様から与えられた力を神様のために忠実に使った人ですね。こういう人はイエス様と共に勝利を経験する。

こういう三種類の人々は小羊とともに勝利が与えられると、こういうふうに言われているわけですね。

Ⅳ.そして最後に御使いは、あの大淫婦の正体を明かにしている。

18節。「あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。」

当時、世界の王たちの上に君臨し、支配していた大帝国とはローマしかなかった。この「都」とは、ローマであるとヨハネが意識していたのは当然ですね。
しかし現代では、ローマほどに一つの帝国が世界を制することが出来る時代ではありませんから、勢力は分散し、小さな独立国が生まれているわけですね。
形ある大バビロン、大淫婦というのは何度も何度も倒れました。しかしサタンの滅亡の日まで、その勢力は必ず盛り返してくるわけです。その勢力は今後ますます巨大化してくる。
それは経済力を通してか、軍事力を通してか、思想を通してか、宗教を通してかはわかりません。

共産主義がアジアの中にも広がりつつありますね。かつて、イスラム教というのはそれほど世界に影響を及ぼさなかったんですが、イスラムの圏内では激しい勢力を持っていたんですが、自由主義国に大きな影響を及ぼすという時代ではありませんでしたね。しかし現代ではイスラム教は非常に大きな影響を及ぼしている。
なぜかというと、最初は石油をたくさん産出していたということでありましたね。それが様々と政治的な背景になってきた。
イスラムは非常に怖いですね。何でもすぐに殺してしまいますからね。いろんなことが行われているようです。現代はイスラムは世界の大きな勢力を持ち始めている。

また、英国では、普通の公立の学校で礼拝をし、宗教の時間というのが持たれていたわけなんですが、それは法律で決まっているわけですね。
授業の中で、聖書、宗教の時間というのが必ず持たれていたわけです。ところがイスラム教国からの難民が英国に流れ込んでいるわけです。
すると彼らのためにイスラムを教えなければならなくなった。法律がありますからね。それで英国の人達は法律を変えて、これからは正規の授業では宗教を教えないことにする、という話が出ているということであります。そうすると教会はまた大きな責任が出てくるわけですね。

このように、世界は重要な点で目まぐるしく変わりつつあるということですね。私たちはこういうことをよく知っておく必要があると思うんです。大バビロンは影を潜めているけれども、今後ますます巨大化してくる。それは経済力か軍事力か、あるいは宗教か、主義か思想、おそらく、これらは一つではなくて、そういうものを兼ね備えてくるだろうと思うんです。

しかし、サタンの勢力は小羊の前に滅ぼされなくてはならないということです。

17章で幻の必要な説明はすべて終わっているわけです。しかしまだ最後は来ていない。
18章では滅んだ都バビロンの滅亡の歌が歌われている。
そして19章はハレルヤの歌。いよいよヨハネの黙示録はイエス様の勝利に向かって進んでいく。こういうふうに構成されているわけです。

ですから、私たちが住んでいる時代は、いろいろな大きな局面だけではなく、小さな局面においても、女と獣の勢力というのがだんだんと侵入してくる。
お互いの国においても、世界のあちこちの国においても根を広げているということを、私たちはよく目を見開いて見ておく必要がある。
私たちの時代はどういう時代であって、何を備えておかなければならないか。これが分からないと、最後は何もなしになって終わってしまう危険性があるわけですね。

聖書の言葉を学んでいますと、人間にとって何が一番必要なのかな、ということを強く感じますね。
霊的な備えのない人は滅んでいくと、今の時代にあって滅んでいくということですね。これを忘れないようにしたい。

お祈り

恵みの深い天の神様、大バビロンの幻の解き明かしをこの私たちは見ることができました。しかし知恵の心が必要であることを主が教えてくださり、感謝いたします。
あなたから与えられる英知をもって、これらのみ言葉を読み、また、私たちの時代に起きる様々な出来事を見るとき、大きな出来事、小さな出来事の中にこれらの勢力がだんだんと根を伸ばし、そしてそれらがやがて力をつけてくることを私たちは見ます。手ごわい大きな力でありますが、しかし恐れることなく、それはみな神のご計画の中でなされている、やがて彼らがともに戦いつぶれていく姿も、私たちは知りました。
イエス様、どうか私たちに備えが与えられて、霊的な備えをしっかりもって、今の時代を生き抜き、また私たちの働きを通して、終末の世にあってキリストの福音を伝え、あなたの御業に浴する者たちがさらに起こされて来るよう、どうぞ、顧みと助けを加えてださい。
この時を感謝して、イエスキリストの御名によってお祈りします。
アーメン。

地の塩港南キリスト教会牧師
眞部 明