2020年 年頭の辞「神の国とその義」 マタイの福音書6章33節

2020年1月1(水) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

マタイの福音書6章33節
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。【新改訳改訂第3版】

<元旦礼拝メッセージ>(一部分)

最後に、6:33の後半のみことばに心を留めてみましょう。
「そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

「そうすれば」とは、「この約束は条件つきですよ。」ということを強調しています。主の提示された条件を守らないで、自分の願いだけを求める人が多いからです。主の祈りの扉を開く鍵は、「神の国とその義とを、まず第一に求めること」です。

心に主イエスのご人格を受け入れ、主の愛と平安をもって、全く主に拠り頼んで祈るなら、賛美するなら、主イエス様との濃密な交わりを経験します。祈りがことばでないことを知るでしょう。祈りは神との交わりです。賛美は歌でないことを知るでしょう。賛美は、わがたましいをささげることです。神の国を求めることによって、主と交わることを経験します。これによって、私の内に神の国があることを知るのです。これは、特別な経験ではありません。主に全く信頼する時に経験する、神のご人格との交わりです。

次に、「それに加えて」とあります。
私たちが、自分の知恵や知識や力では、到底届かない所に、主が届かせて下さることがあります。神の国と神の義とともに与えられるのです。私たちは、イエス様を後回しにして、自分の願いを先に求めないようにしましょう。それは、心が主イエス様から離れて行く兆しです。心の中から、主イエスがいなくなられるからです。

パウロも、同じことを証ししています。
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)
「御子といっしょに」です。
「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」(コロサイ2:3)
「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(コロサイ2:9)

このキリスト、即ち神の国を失ったら、全てを失ってしまいます。しかし、主は知っておられます。私たちが、神の国を第一に求めることを忘れて、自分の願いを真っ先に求めやすいことを知っておられるのです。

さて、主が与えると言われたものは、「これらのものはすべて」です。マタイ6章では、飲むもの、食べるもの、着るものが挙げられています。それは一例を挙げられたまでです。

タラントの話を見ても、ぶどう園の話でも、与えられた恵みと力を働かせて、活用するように言われています。ぶどうの枝も、刈り込みをして、更に実を結ぶように言われています。

主は私たちに、神の愛を与え、志を与え、才能を与え、チャンスを与え、必要な全てを与えて下さいます。私たちは、その機会を逃さず、信仰を働かせて、実らせていくのです。主は私たちに、5タラント、2タラント、1タラントを預けて下さり、生涯をかけて、実を結んでいくように、求めておられるのです。

主は、十字架にかかってご自身を与えられ、救いときよめの恵みを与えられ、みことばと聖霊を与えられ、主に仕える力を与えて下さいました。これが、主が与えると言われた「すべてのもの」です。主はソロモンに、神の知恵を与えられました。…しかし、ソロモンはその知恵を神の栄光を現わすために用いず、富の繁栄を求め、偶像礼拝に陥り、王国の分裂中原因をつくってしまったのです。

最後の「与えられます。」は、「備えられます。」という意味です。この年も、主は私たちにすべてのものを備えて下さっています。それらはすべて、神の国とその義とを第一に求めることによって、実を結んでくるのです。

<今週の活用聖句>

マタイの福音書6章33節
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

地の塩港南キリスト教会
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