聖書の探求(026b) 創世記27~35章の序 ヤコブの契約と子どもたち

創世記27~35章

この間には主にヤコブの歴史が記されています。ヤコブについての契約は五回記されています。

第一回 25:23 誕生前にリベカに

創 25:23 すると【主】は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」

第二回 27:27~29 べエル・シュバで父イサクから

創 27:27 ヤコブは近づいて、彼に口づけした。イサクは、ヤコブの着物のかおりをかぎ、彼を祝福して言った。「ああ、わが子のかおり。【主】が祝福された野のかおりのようだ。
27:28 神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒をお与えになるように。
27:29 国々の民はおまえに仕え、国民はおまえを伏し拝み、おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子らがおまえを伏し拝むように。おまえをのろう者はのろわれ、おまえを祝福する者は祝福されるように。」

第三回 28:13~15 べテルにおいて

創 28:13 そして、見よ。【主】が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
28:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

第四回 35:9~12 べテルにおいて

創 28:9 それでエサウはイシュマエルのところに行き、今ある妻たちのほかに、アブラハムの子イシュマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻としてめとった。
28:10 ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。
28:11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
28:12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。

第五回 46:3、4 ベエル・シェバで

創 46:3 すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。
46:4 わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」

アブラハム、イサク、ヤコブの三族長は、イスラエルの契約の代表者です。契約の締結と確証更新は彼らの生涯の特長です。ヤコブとその一族がエジプトに下った後は、出エジプトに至るまで、一度も契約の記録はありません。

(ヤコブの子どもの一覧)

誕生順、子どもの名(母の名):名の意味(参照聖句)

1. ルベン(母レア):主が私の悩みをご覧になった(29:32)

創 29:32 レアはみごもって、男の子を産み、その子をルベンと名づけた。それは彼女が、「【主】が私の悩みをご覧になった。今こそ夫は私を愛するであろう」と言ったからである。

2.シメオン(母レア):主は私がきらわれているのを聞かれた(29:33)

創 29:33 彼女はまたみごもって、男の子を産み、「【主】は私がきらわれているのを聞かれて、この子をも私に授けてくださった」と言って、その子をシメオンと名づけた。

3.レビ(母レア):夫は私に結びつくだろう(29:34)

創 29:34 彼女はまたみごもって、男の子を産み、「今度こそ、夫は私に結びつくだろう。私が彼に三人の子を産んだのだから」と言った。それゆえ、その子はレビと呼ばれた。

4.ユダ(母レア):主をほめたたえよう(29:35)

創 29:35 彼女はまたみごもって、男の子を産み、「今度は【主】をほめたたえよう」と言った。それゆえ、その子を彼女はユダと名づけた。それから彼女は子を産まなくなった。

5.ダン(母はラケルの女奴隷ビルハ):神は私をかばって(さばいて)くださり(30:6)

創 30:4 ラケルは女奴隷ビルハを彼に妻として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。
30:5 ビルハはみごもり、ヤコブに男の子を産んだ。
30:6 そこでラケルは、「神は私をかばってくださり、私の声を聞き入れて、私に男の子を賜った」と言った。それゆえ、その子をダンと名づけた。

6.ナフタリ(母はラケルの女奴隷ビルハ):私は姉と死に物狂いの争いをして(30:8)

創 30:7 ラケルの女奴隷ビルハは、またみごもって、ヤコブに二番目の男の子を産んだ。
30:8 そこでラケルは、「私は姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った」と言って、その子をナフタリと名づけた。

7.ガド(母はレアの女奴隷ジルバ):幸運が来た(30:11)

創 30:9 さてレアは自分が子を産まなくなったのを見て、彼女の女奴隷ジルパをとって、ヤコブに妻として与えた。
30:10 レアの女奴隷ジルパがヤコブに男の子を産んだとき、
30:11 レアは、「幸運が来た」と言って、その子をガドと名づけた。

8.アシェル(母はレアの女奴隷ジルバ):なんとしあわせなこと(30:13)

創 30:12 レアの女奴隷ジルパがヤコブに二番目の男の子を産んだとき、
30:13 レアは、「なんとしあわせなこと。女たちは、私をしあわせ者と呼ぶでしょう」と言って、その子をアシェルと名づけた。

9.イッサカル(母レア):神は私に報酬を下さった(30:18)

創 30:17 神はレアの願いを聞かれたので、彼女はみごもって、ヤコブに五番目の男の子を産んだ。
30:18 そこでレアは、「私が、女奴隷を夫に与えたので、神は私に報酬を下さった」と言って、その子をイッサカルと名づけた。

10.ゼブルン(母レア):神は私に良い賜物を下さった(30:20)

創 30:19 レアがまたみごもり、ヤコブに六番目の男の子を産んだとき、
30:20 レアは言った。「神は私に良い賜物を下さった。今度こそ夫は私を尊ぶだろう。私は彼に六人の子を産んだのだから。」そしてその子をゼブルンと名づけた。

11.ディナ(女)(母レア):(30:21)

創 30:21 その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名づけた。

12.ヨセフ(母ラケル):主がもうひとりの子を私に加えてくださるように(30:24)

創 30:22 神はラケルを覚えておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。
30:23 彼女はみごもって男の子を産んだ。そして「神は私の汚名を取り去ってくださった」と言って、
30:24 その子をヨセフと名づけ、「【主】がもうひとりの子を私に加えてくださるように」と言った。

13.ベン・オニ、その後、ベニヤミン(母ラケル):ベン・オニはラケル命名で「私の苦しみの子」の意、その後、ヤコブ命名でベニヤミンとされた。「右手の子」の意(35:18)

創 35:16 彼らがベテルを旅立って、エフラテまで行くにはまだかなりの道のりがあるとき、ラケルは産気づいて、ひどい陣痛で苦しんだ。
35:17 彼女がひどい陣痛で苦しんでいるとき、助産婦は彼女に、「心配なさるな。今度も男のお子さんです」と告げた。
35:18 彼女が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。

後に、ヤコブによって、ヨセフの二人の子マナセ(忘れる、41:51)とエフライム(実り多い、多く生まれる、41:52)がヤコブの子どもとして加えられています(48:5)。

創 41:50 ききんの年の来る前に、ヨセフにふたりの子どもが生まれた。これらはオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテが産んだのである。
41:51 ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」からである。
41:52 また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」からである。

創48:5 今、私がエジプトに来る前に、エジプトの地で生まれたあなたのふたりの子は、私の子となる。エフライムとマナセはルベンやシメオンと同じように私の子にする。

(以上、創世記27~35章の序)

上の写真は、ドイツの画家 Julius Schnorr von Carolsfeld (1794–1872) により1829年に描かれた「Jakobs Flucht(ヤコブの逃亡)」(Wikimedia Commonsより)

〔あとがき〕

この聖書の探求も創世記の半ばを越え、「創世記が終わると本にするんですか。」という声も聞かれます。しかし私はすぐに本にするつもりはありません。たとい本にするにしても、もっと探求を加えてから、何年も後になるでしょう。本にするということは、内容を充実させる面からも、費用面からも大変なことなのです。最近、「本になってから買います。」と言われて、購読を中断なさる方もありますが、それだけ聖書を学ぶことができなくなってしまいます。私は、クリスチャンが聖書を知らなさすぎるという感じを持っています。クリスチャンがもっと聖書に強くなったら、日本も、世界も変わります。しかしクリスチャンの心は聖書を深く知ろうとする方向に向いていません。聖書は教会に持っていくもの、時々読むものくらいに思っているのではないでしょうか。もっともっと聖書を探求することに情熱を燃やしていただきたいと思います。聖書を知らないことが、信仰生活のネックになっており、また日本の福音化を妨げているのです。

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「好評なのに、なぜ売れない。」それは、読んだ人には好評であっても読んでいない人々にはその本の内容が分からないからです。
地の塩の本には、この八年間一つの特徴が現われています。それは地の塩の本を一冊読まれた方が、他のすべての本をご注文くださるケースが多いことです。このことは、地の塩の本が心の渇いている方には恵みをお分かちしている証拠ではないかと思います。しかし時々、「どうしたらそうなれるのか、分からない。」というお便りもあります。どうか、地の塩の本は一度だけ読んでそのままにせず、何度も何度も繰り返して読んでください。そうすれば、各々の分野において相当精通した人になることができます。アマチュアのクリスチャンは一人もいないわけですからなんらかの分野でプロの知識を持ちたいものです。
(1986.5.1)

「聖書の探求」の目次
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用しました。)