聖書の探求(029b) 創世記32章 ヤコブの潔めの経験

この章は、ヤコブの帰国の途中の出来事であり、彼の潔めの経験を扱っています。
ヤコブはラバンから離れると、段々と故郷に向かって進み、近づいていきました。そして彼は、遠からず恐れている兄エサウと会わなければならないことを思って、憂慮していました。
32章では、ヤコブが、
・いかに兄を恐れたか、
・いかに兄に会う準備をしたか、
・いかに神に祝福され、守られ、導かれたか、
ということが記されています。

〔32章の概要〕

1~2節 マハナイムの出来事

3~21節 エサウとの再会の準備
・3~6節 使者の派遣と報告
・7~12節 恐怖による祈り
・13~21節 再会の準備(贈り物)

22~30節 ペヌエルの経験
・22,23節 家族を渡らせる
・24,25節 孤独なヤコブの格闘(孤独は神のみわざの時、マルコ7:33、8:23参考)
マル 7:33 そこで、イエスは、その人だけを群衆の中から連れ出し、その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた。
マル 8:23 イエスは盲人の手を取って村の外に連れて行かれた。そしてその両目につばきをつけ、両手を彼に当てて「何か見えるか」と聞かれた。
・26節 執拗な求め(マタイ7:7,8)
マタ 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
・27節 内的自己の確認(「ヤコブ」とは、押しのける者という意味)
・28~30節 神による改名と祝福

31節 神と歩調を合わせた歩み(「びっこをひいていた。」神より早くても、遅くてもいけない。)

32節 イスラエル人の習慣のいわれ

〔ヤコブの潔めの経験〕

1、神の使いたちの幻(1,2節)

創 32:1 さてヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。
32:2 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その所の名をマハナイムと呼んだ。

神は、恐れを抱いているヤコブを励ますために、ちょうど適切な時期に幻をもって彼に現われました。神は、遅くもなく、早くもなく、ちょうどよい時期を選んでくださいます。この幻は天使の現われる幻でした。聖書には、天使をもって聖徒を保護された例が多く記されています。
(詩篇91:11,12、列王記第二6:16.17、マタイ4:11、同26:53、ルカ22:43、等)
これらは天使の奉仕です。

詩 91:11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。
91:12 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。

Ⅱ列王 6:16 すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。
6:17 そして、エリシャは祈って【主】に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」【主】がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。

マタ 4:11 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

マタ 26:53 それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。

ルカ 22:43 すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。

(ヤコブの生涯における三つの大きな幻の顕現)

①ベテル(神の家)での顕現(28:13)
創 28:13 そして、見よ。【主】が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。

②マハナイム(神の陣営)での顕現(32:2)
創 32:2 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その所の名をマハナイムと呼んだ。

③ぺヌエル(神の顔)での顕現(32:30)
創 32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。

これらの三つの顕現は、三つの霊的経験を意味しています。
ベテルは、真の救い。ここでヤコブは初めて神とお会いしました。
マハナイムは、神の保護。ここでヤコブは神の万軍が自分と共にいてくださることを見て、神の陣営に守られ、導かれていることを知って、励まされ、強められました。
ペヌエルは、潔めの経験であり、神との交わり、神と顔と顔を合わせて見たてまつる経験でした。

2、ヤコブの使者(3~5節)

創 32:3 ヤコブはセイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使者を送った。
32:4 そして彼らに命じてこう言った。「あなたがたは私の主人エサウにこう伝えなさい。『あなたのしもべヤコブはこう申しました。私はラバンのもとに寄留し、今までとどまっていました。
32:5 私は牛、ろば、羊、男女の奴隷を持っています。それでご主人にお知らせして、あなたのご好意を得ようと使いを送ったのです。』」

ヤコブは神の顕現に非常に励まされ、兄エサウに使いを送り、自分が故郷に帰ることを言い送りました。
ヤコブはエサウに対して昔の罪の謝罪をせず、かえって自分の所有物が多いことを語り、自分の事業が成功したことを兄エサウに感じさせようとしたようです。彼は神の使いたちの幻を見たので、必ずエサウは昔の怒りを忘れて自分を歓迎してくれると思ったのかもしれません。彼がこの幻によって大いに励まされたのは当然ですが、そのために高慢な態度に出たのは間違いです。

3、ヤコプの恐怖(6~8節)

創 32:6 使者はヤコブのもとに帰って言った。「私たちはあなたの兄上エサウのもとに行って来ました。あの方も、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。」
32:7 そこでヤコブは非常に恐れ、心配した。それで彼はいっしょにいる人々や、羊や牛やらくだを二つの宿営に分けて、
32:8 「たといエサウが来て、一つの宿営を打っても、残りの一つの宿営はのがれられよう」と言った。

ヤコブが予期したことは全く裏切られました。ヤコブの使いたちはエサウから帰ってきましたが、エサウの歓迎の言葉は一つも持ち帰らず、かえってエサウが四百人もの人を引き連れて迎えに来るということだけを知らせました(6節)。
エサウは非常に怒って、ヤコブを殺すつもりで迎えに来ていたようです。これを聞くと、ヤコブはたちまち不信仰に陥り、神の約束も、天使の幻も忘れて、それまでの高慢や大胆さも恐怖に変わってしまいました。必ず、エサウが怒りを発して自分を殺しに来ると思い込んで、悩み、苦しみ、昔のヤコブの性質を現わして策略を設けました。すなわち自分の財産(家畜)を二つに分け、もし先の一つが滅ぼされても、後の一つは逃げられるように工夫しました。彼は全く神を忘れてしまい、不信仰な心になっていたのです。

4、ヤコブの祈り(9~12節)

創 32:9 そうしてヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする』と仰せられた【主】よ。
32:10 私はあなたがしもべに賜ったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。私は自分の杖一本だけを持って、このヨルダンを渡りましたが、今は、二つの宿営を持つようになったのです。
32:11 どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです。
32:12 あなたはかつて『わたしは必ずあなたをしあわせにし、あなたの子孫を多くて数えきれない海の砂のようにする』と仰せられました。」

ヤコブは不信仰と恐怖で苦しみましたが、少し信仰を回復し、祈りました。あるクリスチャンは順調な時には祈らず、苦しくなると祈り出します。ヤコブもそのような人です。
彼は神の約束を思い出し、彼の帰国は神の命令に従ってであると祈っています。しかし彼は神を、アブラハムの神、イサクの神とは呼んでも、ヤコブ(自分)の神とは呼んでいません。神の約束を自分に当てはめる信仰がなかったからです。彼は、口では立派に祈っても、その祈りが終わると、神の答えを待ち望むことをせず、すぐにまたエサウをなだめるための工夫を始めています。

5、自分の知恵を頼みとするヤコブ(13~20節)

創 32:13 その夜をそこで過ごしてから、彼は手もとの物から兄エサウへの贈り物を選んだ。
32:14 すなわち雌やぎ二百頭、雄やぎ二十頭、雌羊二百頭、雄羊二十頭、
32:15 乳らくだ三十頭とその子、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭。
32:16 彼は、一群れずつをそれぞれしもべたちの手に渡し、しもべたちに言った。「私の先に進め。群れと群れとの間には距離をおけ。」
32:17 また先頭の者には次のように命じた。「もし私の兄エサウがあなたに会い、『あなたはだれのものか。どこへ行くのか。あなたの前のこれらのものはだれのものか』と言って尋ねたら、
32:18 『あなたのしもべヤコブのものです。私のご主人エサウに贈る贈り物です。彼もまた、私たちのうしろにおります』と答えなければならない。」
32:19 彼は第二の者にも、第三の者にも、また群れ群れについて行くすべての者にも命じて言った。「あなたがたがエサウに出会ったときには、これと同じことを告げ、
32:20 そしてまた、『あなたのしもべヤコブは、私たちのうしろにおります』と言え。」ヤコブは、私より先に行く贈り物によって彼をなだめ、そうして後、彼の顔を見よう。もしや、彼は私を快く受け入れてくれるかもわからない、と思ったからである。

再び、ヤコブは神の約束を忘れ、祈りを忘れ、自分の賢いと思う方法によって贈り物を三つに分け、その間に隔てを置き、それをエサウに送って、エサウの怒りをなだめようと思ったのです。
もしヤコブがすべてを神にゆだねて、信じていたならば、神は必ずエサウの心をなだめてくださったはずです。ヤコブの信仰はまだそこまで徹底しておらず、やはり自分の知恵と工夫を頼みとしていたのです。

6、ヤコブの孤独 (21~23節)

創 32:21 それで贈り物は彼より先を通って行き、彼は宿営地でその夜を過ごした。
32:22 しかし、彼はその夜のうちに起きて、ふたりの妻と、ふたりの女奴隷と、十一人の子どもたちを連れて、ヤボクの渡しを渡った。
32:23 彼らを連れて流れを渡らせ、自分の持ち物も渡らせた。

ヤコブは所有物も、子どもたちも、妻たちもみな、ヤポクの渡しを渡らせて、自分一人残って、そこで夜を過ごそうとしました。なぜ、ヤコブがそうしたのかは分かりません。おそらくエサウの使いたちが来て、自分が居る所を捜し出して攻撃するのを防ぐために、高い所に立って見張るためであったと思われます。彼は神に祈る思いを持っていなかったでしょう。ヤコブは活発に動き回る人で、静かな所に退いて、深く神と交わるような人ではありませんでした。
彼は、エサウに会うことは予期していましたが、神に取り扱われることは予期していなかったでしょう。とにかく、何の理由であったかは分かりませんが、ヤコブはヤボクの渡しのほとりにひとり残ったのです。そしてこの時が、神がヤコブを取り扱うチャンスだったのです。

7、ヤコブの潔め(24~32節)

創 32:24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
32:25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。
32:26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」
32:29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
32:32 それゆえ、イスラエル人は、今日まで、もものつがいの上の腰の筋肉を食べない。あの人がヤコブのもものつがい、腰の筋肉を打ったからである。

「ある人が夜明けまで彼と格闘した」(24節)
ヤコブは初め、この人がだれであるか知りませんでした。彼はエサウが来て自分を攻撃することばかりを考えていたので、必死になって格闘したのでしょう。この箇所をよく読むと、ヤコブと格闘した人は天使ではなく、受肉前のイエス・キリストであったことが分かります。狡猾で、高慢で、我侭で、不信仰なヤコブの心を砕いて、根本的に恵みを与えるために、主イエス・キリストご自身が現われてヤコブと挌闘されたのです。

神は何度も、ヤコブが高慢を捨てて、神に信頼する者となるように導こうとされました。

すなわち、
①幻を示して(28章)
②失望させることによって(29章)
③困難な境遇を与えることによって(30章)
④反対されることによって(31章)
⑤神の使いたちの幻を示すことによって(32:2)
創 32:2 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その所の名をマハナイムと呼んだ。

神はヤコブの心を砕き、ご自身の幸いなご目的を達成しようとされたけれども、ヤコブは容易に降服せず、服従しませんでした。それ故、神はなお一層厳しく取り扱い、この頑固な人を砕かれたのです。
神はご自身のみ手を伸ばして、神に逆らうヤコブの力を砕き、もはや彼が神に敵対せず、ただひたすら神を待ち望み、もがきを止めて神に信頼し、神を負かせようとすることを止めて、ただ神の恩寵を受け、神と争うことを止めて、ただ祝福されることを願うようにされました。

ヤコブは段々と自分と格闘しているこの人はエサウの使いではなく、天使のようなお方であると思い、自分の力が全く砕かれたことを知って、積極的に祝福を求める心を起こしました。
ある人は、潔められることを求めるとき、ただ打ち砕かれることだけを求めて、積極的に祝福を受けるところまで進みません。しかしヤコブは消極的な面、すなわち、砕かれることだけでは決して満足せず、「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」と熱心に積極的に神の恵みを求めたのです。その人はヤコブのこの態度を見て、恵みを与える最後の条件として、ヤコブの名を彼自身の口で言い表わすことを求めました。ヤコブの名前は彼の性質を示しています。夜中の寂しい所でヤコブが声を出して自分の一生涯の過失と罪と欠点と失敗の原因となっている自分の性質を告白したのです。「ヤコブ(押しのける者)です。」この時、ヤコブはようやく自分の根本的な罪を自覚し始めたのです。
「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一1:9)のとおりに、ヤコブはへりくだって最後の条件である罪の告白を果たしました。

その後、ヤコブはその人の名前をたずねましたが、その名は告げられませんでした。しかし、その場で彼は祝福されました。その祝福は新しい名前、すなわち、新しい性質が与えられることでした。今までは、他人を押しのけることによって自分の目標を達成する性質でしたが、これからはイスラエル(「神の皇太子」という意味)という名前に変えられ、信仰によって神に働いていただいて目的を達成する者となったのです。

すなわち、
①祈りとおす性質
②神に働いていただくことのできる性質
③神によって人を指導し、人を制する性質

これらが神から与えられた祝福でした。

ヤコブは、その人の名を聞きませんでしたが、そのお方が神であることを信じて、その所をペヌエル(神の御顔)と名づけて、「私は顔と顔とを合わせて神を見た。」と言って、神を賛美しました。ヤコブは自分
が大いなる祝福を受けたと言わず、神と顔と顔を合わせて見たと言いました。これはヤコブの心の中で大きな変化が生じていた証拠です。私たちが誇りとするべきものは、受けた祝福や力ではなく、神ご自身でなければなりません(ローマ15:13、コリント第一1:29,31、コリント第二10:17、ガラテヤ6:14、エペソ2:9)。

ロマ 15:13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

Ⅰコリ 1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
1:31 まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

Ⅱコリ 10:17 誇る者は、主を誇りなさい。

ガラ 6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

エペ 2:9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

〔ヤコブが深められた順序〕

1、神は何度も、彼を降服させようとされた。
2、ヤコブが自らすゝんで降服しようとしなかったので、次に厳しい方法を用いられた。
3、神に反抗し、人を恐れて逃げようとする力を砕かれた。
4、神はヤコブをへりくだらせ、神を待ち望ませ、祝福を求めるように導かれた。
5、神はヤコプに、自分の罪深い性質を表わすヤコブという名前を告白させた。
6、神はヤコブに、新しい名(新しい性質)「イスラエル」を与えられた。
7、ヤコブは神の御名を聞くことはできなかったけれども、自分を取り扱われたお方を神と信じて、神と顔と顔を合わせて相見えたことを誇りとした。

(以上、創世記31章、聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用しました。)

上の写真は、フランスの画家 Eugène Delacroix (ウジェーヌ・ドラクロワ、1798–1863) が1850~56年頃に描いた「Jakob ringt mit dem Engel(ヤコブは天使と格闘する)」(オーストリア・ウィーンのベルヴェデーレ宮殿内にある美術館Belvedere蔵、Wikimedia Commonsより)

(1986.8.1)

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