聖書の探求(030a) 創世記33章 ヤコブとエサウの再会

この章は、ヤコブとエサウの再会の章です。

神は前章においてヤコブを恵み、その名前を変え、新しい性質を与えて新しい人にならせたのに、この章においてヤコブが失敗したのは悲しむべきことであり、私たちも大いに警戒しなければなりません。それにしても何度も失敗を続けるヤコブを見捨てない神の忍耐強さには驚きます。人間なら、とっくにヤコブを見捨ててしまっていたでしょう。主は弟子たちを訓練する時も、忍耐強くあられました。今日、主が私たちを見捨てられないのも、そのご忍耐によるのです。神の忍耐とは、「あわれみが尽きない」ことです(哀歌3:22)。私たちも主のご忍耐に応えて、最後までお従いできる信仰者でありたいものです。

哀 3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

さて、ヤコブは28章21節では、父の家に帰るはずでした。

創28:21 無事に父の家に帰らせてくださり、こうして【主】が私の神となられるなら、

また33章14節では、エサウに「あなたのところ、セイルへまいります。」と言っておきながら、実際はシェケムの町に住みついています(33・18~20)。この定まらない歩み方が次章では大惨事をひき起こす原因をつくってしまったのです。私たちも毎日毎日の歩みが神の道からはずれてはいないか、十分に点検してみなければなりません。そのために、みことばを読み、祈るディポーションの時を持つことが必要なのです。

〔信仰に立ち続けないヤコブの失敗〕

1、ヤコブの工夫(1,2節)

創 33:1 ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウが四百人の者を引き連れてやって来ていた。ヤコブは子どもたちをそれぞれレアとラケルとふたりの女奴隷とに分け、
33:2 女奴隷たちとその子どもたちを先頭に、レアとその子どもたちをそのあとに、ラケルとヨセフを最後に置いた。

32章28節で、「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。」と言われているのに、33章1節で再びヤコブの名前が記されています。
聖書中には名前を変えられた者がヤコブ以外にもいます。アブラハム、サラ、ヨシュア、ペテロなどです。そのうちペテロは、新しい名前とともに時々、古いシモンあるいはシメオンという名前が使われています。 ところがヤコブは、新しい名は国の名前にはなったものの、彼自身についてはほとんど用いられず、古い名前がずっと使われています。それはヤコブが神の約束にもかゝわらず、信仰に立ち続けず、古い性質によって自分の知恵で動いているからです。

ここでもヤコブは、家族を三組に分けて、一番先に女奴隷たちとその子どもたち、次にレアとその子どもたち、最後に最愛のラケルとひとり息子のヨセフを配置しました。

これは、兄のエサウが女奴隷の一群を攻撃しても、レアとラケルは逃げることができるようにと、彼が考えた工夫です。もしヤコブが新しいイスラエルとして全く神に信頼していたなら、このような愚かな工夫はしなかったでしょう。神よりも人を恐れると、このようなワナにひっかかるのです。(箴言29:25)

箴 29:25 人を恐れるとわなにかかる。しかし【主】に信頼する者は守られる。

2、ヤコブのへつらい (3~11節)

創 33:3 ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。
33:4 エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
33:5 エサウは目を上げ、女たちや子どもたちを見て、「この人たちは、あなたの何なのか」と尋ねた。ヤコブは、「神があなたのしもべに恵んでくださった子どもたちです」と答えた。
33:6 それから女奴隷とその子どもたちは進み出て、おじぎをした。
33:7 次にレアもその子どもたちと進み出て、おじぎをした。最後に、ヨセフとラケルが進み出て、ていねいにおじぎをした。
33:8 それからエサウは、「私が出会ったこの一団はみな、いったい、どういうものなのか」と尋ねた。するとヤコブは、「あなたのご好意を得るためです」と答えた。
33:9 エサウは、「弟よ。私はたくさんに持っている。あなたのものは、あなたのものにしておきなさい」と言った。
33:10 ヤコブは答えた。「いいえ。もしお気に召したら、どうか私の手から私の贈り物を受け取ってください。私はあなたの顔を、神の御顔を見るように見ています。あなたが私を快く受け入れてくださいましたから。
33:11 どうか、私が持って来たこの祝いの品を受け取ってください。神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。

ヤコブは極端なほどに兄エサウにへつらいました。彼は兄に近づくまでに七回も地に伏しておじぎをしています(3節)。それから女奴隷とその子たち、次にレアとその子たち、最後にラケルとその子たちがひれ伏して挨拶しました。その上、ヤコブは兄エサウに、「私はあなたの顔を、神の御顔を見るように見ています。」(10節)と言いました。これは彼の極端なまでのへつらいであり、不信仰のしるしです。もし ヤコブが、ペヌエルで受けた経験に従って、神が彼のために働いてエサウを取り扱い、エサウの心を和がせてくださると信じていたなら、このような卑劣なへつらいはしなかったでしょう。

3、ヤコブの偽り(12~17節)

創 33:12 エサウが、「さあ、旅を続けて行こう。私はあなたのすぐ前に立って行こう」と言うと、
33:13 ヤコブは彼に言った。「あなたもご存じのように、子どもたちは弱く、乳を飲ませている羊や牛は私が世話をしています。一日でも、ひどく追い立てると、この群れは全部、死んでしまいます。
33:14 あなたは、しもべよりずっと先に進んで行ってください。私は、私の前に行く家畜や子どもたちの歩みに合わせて、ゆっくり旅を続け、あなたのところ、セイルへまいります。」
33:15 それでエサウは言った。「では、私が連れている者の幾人かを、あなたに使ってもらうことにしよう。」ヤコブは言った。「どうしてそんなことまで。私はあなたのご好意に十分あずかっております。」
33:16 エサウは、その日、セイルへ帰って行った。
33:17 ヤコブはスコテへ移って行き、そこで自分のために家を建て、家畜のためには小屋を作った。それゆえ、その所の名はスコテと呼ばれた。

エサウが親切にヤコブと一緒に行って、ヤコブの妻子と家畜を保護すると申し出たのに、ヤコブは、子どもたちは弱く、乳を飲ませている羊や牛がいるので一緒に行くことができないと断りました。これは道理にかなったことです。
さらにエサウは、「連れている者の幾人かを、あなたに使ってもらうことにしよう。」と申し出ましたが、ヤコブは遠慮するかに見せかけて、理由なく断りました。
そしてヤコブは、14節では、「あなたのところ、セイルへまいります。」と言いましたが、(セイルはペヌエルの東南にあたる)エサウが出発してその姿が見えなくなると、西北にあるスコテに行きました。
ヤコブは最初からセイルに行くつもりはなかったのに、エサウにウソを言ったのです。彼の不信仰が彼にウソの罪を犯させました。

4、この世的な生活を始めたヤコブ(17節)

創 33:17 ヤコブはスコテへ移って行き、そこで自分のために家を建て、家畜のためには小屋を作った。それゆえ、その所の名はスコテと呼ばれた。

ヤコブはすぐに35章にあるように、親のいるベテルに帰るべきでした。それなのにスコテに行き、そこに自分のために家を建て、小屋を作って家畜や所有物を増し始めました。家を建てることも、家畜や所有物を増やすことも、罪ではありません。しかしベテルに帰るべきヤコブがスコテにとどまって、神の命令に従わず、この世的生活を始めたことは罪です。その結果、シェケムでいまわしい問題をひき起こすことになるのです。

5、ヤコブのさらに深い失敗(18節)

創 33:18 こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。

ヤコブはスコテに住んでいましたが、そこに満足せず、さらにシェケムに移っていきました。シュケムには、神を敬わない人々が住んでいました。ヤコブはアブラハムからソドムにおけるロトの事件を聞いていたでしょう。それにも拘わらず、シュケムの不信者と交わり、34章に見られるような深刻な問題を起こしてしまいました。
彼は欲のために、神のみこころの道をはずれて、ベテルに行くべきなのに、家畜や、所有物のためにシェケムの近くに住み、そのために家族に恐ろしい損害を与えるに至ったのです。

6、ヤコブのさらに深い不信仰(19節)

創 33:19 そして彼が天幕を張った野の一部を、シェケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取った。

ヤコブは神のみ旨の道からはずれた所に土地を買いました。それ故に、神のみ旨の道に立ち帰ることがますます困難になっていきました。これはサタンの方法です。罪を一つ犯せば、必ず次の罪を犯さなければならないようになり、困難な所に入りこめば、なお一層抜け出せない所に入りこまなければならないようになります。
ヨハネの福音書4章6節をみると、この時にヤコブはここに井戸を掘ったことが分かります。この井戸はその後、多くの人々に益を与えていますが、ここではその井戸については何も記されておらず、ただヤコブの失敗だけを記しています。

ヨハ 4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。

7、ヤコブの良心の痛み(20節)

創 33:20 彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。

ヤコブは神のみ旨の道からはずれて不信仰に陥り、兄エサウを恐れてこびへつらい、また偽りを語り、この世を慕っていました。彼はペヌエルの鷲くべき経験の後、神のみ旨を行ない、神のみ助けを求めるべきであったのに、十年間もペヌエルの経験を受けなかった者のように歩んでしまいました。

しかしここで、偽善的な自分の堕落に良心が痛み、宗教的な儀式で解決しようと、神のみ旨の地ではないシェケムの地に祭壇を建てています。そしてその祭壇を「エル・エロヘ・イスラエル」(「イスラエルの神である神」という意味)と名づけましたが、本当はペヌエルの神と名づけるべきでした。彼が神のみ旨の道に立ち帰るならば、31章13節の神の命令に従ってベテルの神に壇を築くべきでした。

創 31:13 わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油をそそぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。』」

けれどもヤコブはベテルの経験を忘れ、自分の新しい名前を誇って、イスラエルの神である神と名づけた。しかしヤコブはこの時、イスラエルと呼ばれるような者ではなく、古いヤコブでした。
この33章では、ヤコブの古い性質、すなわち、押しのける者の性質が現われています。このような気休めの宗教儀式は、幾分かヤコブの良心を静めることができたかもしれませんが、神を欺くことはできませんでした。34章では、ヤコブが神のみ旨の道をはずれた結果として、恥ずべき事件が起き、これによって、はなはだしく神の御名が汚されました。

(以上、創世記34章、聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用しました。)

上の写真は、フランスの画家 James Tissot (1836-1902)が1896~1902年頃に描いた「Jacob Sees Esau Coming to Meet Him(ヤコブは会いに来るエサウを見る)」(アメリカ、ニューヨークのthe Jewish Museum蔵、Wikimedia Commonsより)

〔あとがき〕

最近また多くの方からお励ましのお便りをいただき、感謝致しております。執筆者にとって、読者の方々のお励ましほどうれしいものはありません。お手紙の中には、この聖書の探求を使って家庭集会の聖書研究をしておられる方もいらっしゃって、本当にうれしく思います。日本宣教の要は、大型のプロジェクトを組んだキャンペーン伝道ではなく、日本の隅から隅まで小グループの家庭集会や祈り会や聖書研究会などが満ちわたっていくことです。もう一つは幼児や児童の聖書教育です。そのためには聖書のお話ができ、信仰生活の指導ができる信徒のリーダーと教師が大勢起こされることが早急に必要です。そのために私共は微力ながら必要な文書を発行してまいりました。それが今、あちらこちらで用いられていますことは本当にうれしいことです。このことが根強く全国各地に広がっていくようにと、毎日祈っています。読者の皆様もぜひこのためにお祈りくださると共に、リーダーや教師となって御活躍ください。
(1986.9.1)

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