聖書の探求(034) 創世記41章 パロの夢とヨセフの高揚
この章はパロの夢とヨセフの高揚が記されています。
この章からヨセフの生涯は一変します。彼は監獄を出て、公の生涯に入ります。これによってキリストの型が一層明らかになります。
(1) ヨセフがエジプトでポティファルの家の奴隷として働いたのは、キリストの三年間のご生涯の型であり、
(2) 監獄に入ったのは、十字架と墓と、陰府に下られたことの型であり、
(3) 献酌官長と調理官長との出来事は、十字架上の二人の盗人の型です。
(4) 救われた献酌官長はキリストの血によって贖われたキリストの教会、すなわち真のクリスチャンを指し、処刑せられた調理官長はまだ救われていない者の型です。
(5) 献酌官長が救われてからヨセフが公の生涯に入るまで二年間ありました。この二年間はキリストが十字架にかかり、購いを成就されてから再臨までの間を表わしていると思われます。そしてキリストの十字架から今日まで、約二千年を経過していますから、主の再臨が近づいていることは事実です。
1.ヨセフが思い出される(1~13節)
この部分はエジプト的色彩が強く表わされています。たとえば、ナイル河や葦、牛、東風など。6節の「東風」(出エジプト記10:13、14:21参照)はエジプトでは吹くことが多かったので、この記録の真実性を示しており、この書の記者がエジプトを本当によく知って書いたことを証明しています。
創 41:6 すると、すぐそのあとから、東風に焼けた、しなびた七つの穂が出て来た。
出 10:13 モーセはエジプトの地の上に杖を差し伸ばした。【主】は終日終夜その地の上に東風を吹かせた。朝になると東風がいなごの大群を運んで来た。
出 14:21 そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、【主】は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。
(1) パロの夢と困惑(ヨセフの必要)(1~8節)
創 41:1 それから二年の後、パロは夢を見た。見ると、彼はナイルのほとりに立っていた。
41:2 ナイルから、つやつやした、肉づきの良い七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。
41:3 するとまた、そのあとを追ってほかの醜いやせ細った七頭の雌牛がナイルから上がって来て、その川岸にいる雌牛のそばに立った。
41:4 そして醜いやせ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。そのとき、パロは目がさめた。
41:5 それから、彼はまた眠って、再び夢を見た。見ると、肥えた良い七つの穂が、一本の茎に出て来た。
41:6 すると、すぐそのあとから、東風に焼けた、しなびた七つの穂が出て来た。
41:7 そして、しなびた穂が、あの肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまった。そのとき、パロは目がさめた。それは夢だった。
41:8 朝になって、パロは心が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。パロは彼らに夢のことを話したが、それをパロに解き明かすことのできる者はいなかった。
献酌官長が監獄から救出されて二年後に、エジプトの王パロは夢を見ましたが、それを解明できないために非常に悩んでいました。
第一の夢‥エジプトの国の豊饒(ほうじょう:地味が肥えていて作物がよくみのること)の源であるナイル河から肥えた雌牛が七頭上がって来ました。その後から、七頭の醜いやせ細った雌牛が上がって来て、先の肥えた牛を食い尽くしました。
第二の夢‥一本の茎に肥えた七つの穂が出ました。すぐその後から、しなびた七つの穂が出て、先の肥えた七つの穂をのみこんでしまいました。
王はすぐにエジプト全国の呪術者と知恵者を集めて、その夢の解明を求めましたが、答えることのできる者はいませんでした。これは現代の有様でもあります。段々と世の中が複雑になっていくと、この世の知者、学者、政治家などでは解明できない難問題が次々と起きてきます。
まして、そういう混乱の中から救い出すことのできる人はいません。聖書は、キリストの再臨が近づくにしたがって、この世が政治、宗教、社会、国際問題、家庭や個人の問題などで混乱、紛糾すると言っています。このようなところから救い出すことができるのはイエス・キリストだけです。
(2) ヨセフが思い出される(9~13節)
創 41:9 そのとき、献酌官長がパロに告げて言った。「私はきょう、私のあやまちを申し上げなければなりません。
41:10 かつて、パロがしもべらを怒って、私と調理官長とを侍従長の家に拘留なさいました。
41:11 そのとき、私と彼は同じ夜に夢を見ましたが、その夢はおのおの意味のある夢でした。
41:12 そこには、私たちといっしょに、侍従長のしもべでヘブル人の若者がいました。それで彼に話しましたところ、彼は私たちの夢を解き明かし、それぞれの夢にしたがって、解き明かしてくれました。
41:13 そして、彼が私たちに解き明かしたとおりになり、パロは私をもとの地位に戻され、彼を木につるされました。」
献酌官長はヨセフの解き明かしのとおりに、以前の地位を回復したけれども、肝心のヨセフの頼みを忘れて、彼を救い主とし、王として監獄から出さなければならないことをなおざりにしていました。しかし神の定められた時になって、ヨセフを思い出しました。
40章23節と41章9節は、人間の失敗と神の摂理が記されています。ヨセフの生涯は神の摂理で貫かれています。
創 40:23 ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。
創 41:9 そのとき、献酌官長がパロに告げて言った。「私はきょう、私のあやまちを申し上げなければなりません。
献酌官長は今日のクリスチャンと教会の姿であるといってもいいでしょう。今日、クリスチャンは救われて自由を得、キリストの救いをこの世に宣伝し、救いの喜びをこの世に分け与えていますけれども、主イエスが再び来臨され、義と平和をもって支配されることを忘れています。この世の難問題と、苦悩や混乱から救うことができるのは、キリストの再臨によってです。
2.ヨセフの召喚(14~36節)
(1) ヨセフの心遣い(14節)
創 41:14 そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た。
ヨセフはパロの前に出るのに、ひげをそり、着物を着替えています。これは当り前のことかもしれませんが、心がひねくれていたり、腹を立てていれば、当り前のことが当り前にできなくなってしまいます。ヨセフがこの身仕度をしたのは、彼の心が自由で豊かであった証拠です。
(2) ヨセフの信仰告白(15,16節)
創 41:15 パロはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。あなたについて言われていることを聞いた。あなたは夢を聞いて、それを解き明かすということだが。」
41:16 ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」
ヨセフは常の如く自分をかくし、神を崇めました。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」
これによってヨセフの単純で質朴な透徹した信仰がよく分かります。自分の利害を考えず、無私無欲の態度をもってパロを助けたいと思う心が表わされています。
彼は、ポティファルには神をあかしし、ポティファルの妻には神を言い表わし、献酌官長には神の力を示し、パロの前でも神をあがめています。パロはヨセフのこの言葉を聞いて、すぐにヨセフを信用するようになったに違いありません。
(3) ヨセフの聴聞(15、17~24節)
創 41:17 それでパロはヨセフに話した。「夢の中で、私はナイルの岸に立っていた。
41:18 見ると、ナイルから、肉づきが良くて、つやつやした七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。
41:19 すると、そのあとから、弱々しい、非常に醜い、やせ細ったほかの七頭の雌牛が上がって来た。私はこのように醜いのをエジプト全土でまだ見たことがない。
41:20 そして、このやせた醜い雌牛が、先の肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。
41:21 ところが、彼らを腹に入れても、腹に入ったのがわからないほどその姿は初めと同じように醜かった。そのとき、私は目がさめた。
41:22 ついで、夢の中で私は見た。見ると、一本の茎によく実った七つの穂が出て来た。
41:23 すると、そのあとから東風に焼けた、しなびた貧弱な七つの穂が出て来た。
41:24 そのしなびた穂が、あの七つの良い穂をのみこんでしまった。そこで私は呪法師に話したが、だれも私に説明できる者はいなかった。」
パロはヨセフを呼び出してすぐに自分の夢を話さず、まずヨセフの資格をたずねました。するとヨセフは率直に自分には夢を解き明かす力はなく、ただ神だけがパロの繁栄(平安)を知らせてくださると言ったので、パロはヨセフを全く信用して、その心を開いて夢を話しました。
ここにも私たちへの教訓があります。私たちも、自分にはこの時代の難問題を解く知恵も、資格もないことを知って、大胆に神をあがめて神を表わせば、人々は私たちを信用して心を開いて悩みを話してくれるに違いありません。
(4) ヨセフの解き明かし(25~32節)
創 41:25 ヨセフはパロに言った。「パロの夢は一つです。神がなさろうとすることをパロに示されたのです。
41:26 七頭のりっぱな雌牛は七年のことで、七つのりっぱな穂も七年のことです。それは一つの夢なのです。
41:27 そのあとから上がって来た七頭のやせた醜い雌牛は七年のことで、東風に焼けたしなびた七つの穂もそうです。それはききんの七年です。
41:28 これは、私がパロに申し上げたとおり、神がなさろうとすることをパロに示されたのです。
41:29 今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。
41:30 それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、
41:31 この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。
41:32 夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。
ヨセフはパロに三つのことを感じさせました。
(イ) この夢は神から出た夢であること(25節)
(ロ) 夢の解明は神によること(16、28節)
(ハ) この夢は、必ず成就されるべき神の定めであり、必ず近く起きること(32節)
このききんは当時の世界全般にわたるものでしたが、これはまたキリストの再臨の時に起きる大患難の予表でもあります(ルカ21:36、ヨハネの黙示録3:3)
ルカ 21:36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」
黙 3:3 だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。
(5) ヨセフの助言(33~36節)
創 41:33 それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。
41:34 パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。
41:35 彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。
41:36 その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」
ヨセフの具体的な助言は、パロに確信を与えました。
(イ) さとくて知恵のある人を全国の宰相とすること(33節)
(ロ) 監督官を任命すること(34節)
(ハ) 食糧を集めること(35,36節)
ヨセフはこのききんの準備として豊作の七年間に十分に食糧を蓄えることを勧告しました。この七年の豊作の期間についての預言的な意味はいくつか言われています。
(イ) 大患難時代の前の驚くべき世界的な大リバイバルのことであるという人もいます。
(ロ) また、今がこの豊作の年であるという人もいます。だから、大患難時代における神のみことばのききんに会っても今注がれている恵みと神のみことばの知識によって、その時の不足を十分に補うことができるように準備せよというのです。
とにかく、ききんの前に豊作があり、患難の前に祝福の時があることは、教会の歴史においてしばしば繰り返された経験です。最後の時にも、そのようなことが起きることは、当然考えられます。
3.ヨセフの任職(37~45節)
(1) パロの確信(37~39節、参考39:3)
創 41:37 このことは、パロとすべての家臣たちの心にかなった。
41:38 そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」
41:39 パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。
創 39:3 彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。
ヨセフは純粋な精神をもってパロとエジプトの国の利害を重んじ、賢明な方法をすゝめたので、パロとすべての臣下は一人も残らず、驚嘆してこれを受け入れました(37節)。そしてすぐにパロと臣下の者は、この来るべき困難を取り扱うべき人はヨセフのほかにいないことに心から一致しました。ききんはヨセフの高揚の機会として神に用いられたのです。困難は神のチャンスでもあることを覚えたいものです。
(2) パロの任命(40~44節)
(イ) 全権の委任(40~41節)
創 41:40 あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」
41:41 パロはなおヨセフに言った。「さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」
(ロ) その証拠(42~43節)
創 41:42 そこで、パロは自分の指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛けた。
41:43 そして、自分の第二の車に彼を乗せた。そこで人々は彼の前で「ひざまずけ」と叫んだ。こうして彼にエジプト全土を支配させた。
(ハ) その保証(44節)
創 41:44 パロはヨセフに言った。「私はパロだ。しかし、あなたの許しなくしては、エジプト中で、だれも手足を上げることもできない。」
(3) パロの配慮(45節)
創 41:45 パロはヨセフにツァフェナテ・パネアハという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを彼の妻にした。こうしてヨセフはエジプトの地に知れ渡った。
ヨセフの結婚とヨセフがエジプトの地に知れ渡ったこと。
〔ヨセフの七つの高揚〕
1、パロはヨセフの人格的徳と彼が聖霊に満たされた神の人であることを深く感じた(38,39節)。
ヨセフの神に対する忠実な信仰はようやく報いられ、その蒔いたものを立派に刈り取ることができた。
2、パロはヨセフをエジプトの支配者に挙げ、エジプト全国を統轄する全権を与えた(40,41節)。
3、パロはその指輪をとって、その授けた権威のしるしとして与えました(42節)。
4、パロはヨセフに王衣を着せ、金の首飾をかけました(42節)。
5、パロはヨセフを自分の第二の車に乗せ、エジプト全土をめぐらせ、すべての人々に命じて彼の前にひざまずかせました(43,44節)。
6、パロはヨセフにツァフェナテ・パネアハ(「奥義をあらわす者」という意味)という新しい名前を与えました。(45節)
7、ヨセフは身分のあるオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを妻にしました。
4.ヨセフの成功(46~57節)
創 41:46 ──ヨセフがエジプトの王パロに仕えるようになったときは三十歳であった──ヨセフはパロの前を去ってエジプト全土を巡り歩いた。
ヨセフがパロの前に立ったのは三十歳の時でした。主イエスもほとんど同じ年令で公生涯に入られました(ルカ3:23)。
ルカ 3:23 教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。・・・
(1) 内政面
(イ) 豊作の時‥彼は七年間の豊作の間にエジプト中を巡回して充分に穀物を集めました。49節の如く、それは海の砂のように非常に多かった。(47~49節)
41:47 さて、豊作の七年間に地は豊かに生産した。
41:48 そこで、ヨセフはエジプトの地に産した七年間の食糧をことごとく集め、その食糧を町々にたくわえた。すなわち、町の周囲にある畑の食糧をおのおのその町の中にたくわえた。
41:49 ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。
(ロ) ききんの時‥七年の豊作が終わると、七年のききんがきました。これはエジプトばかりでなく、当時の世界の国々に及んだようです。(53~56節)
41:53 エジプトの地にあった豊作の七年が終わると、
41:54 ヨセフの言ったとおり、七年のききんが来始めた。そのききんはすべての国に臨んだが、エジプト全土には食物があった。
41:55 やがて、エジプト全土が飢えると、その民はパロに食物を求めて叫んだ。そこでパロは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ。」
41:56 ききんは全世界に及んだ。ききんがエジプトの国でひどくなったとき、ヨセフはすべての穀物倉をあけて、エジプトに売った。
(2) 家庭面・・豊作の七年の間に二人の子どもが生まれました。(50~52節)
41:50 ききんの年の来る前に、ヨセフにふたりの子どもが生まれた。これらはオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテが産んだのである。
41:51 ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」からである。
41:52 また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」からである。
長子はマナセ(「忘れる」という意味)、次はエフライム(「実を結ぶ」という意味)。長男の名前は、今までの悲しみと苦難を忘れるようになったこと、すなわち、過去の生涯の記憶を全く打ち消してしまったことを表わし、次の子は、彼が実を結んだのは神の祝福によることを覚えて感謝していることを表わしています。
ヨセフが外国人の娘と結婚して子どもが生まれたことは、イエス・キリストがご自分の兄弟ユダヤ人に捨てられて、異邦人の中から多くの神の子となる者を得、ご自身のご受難が無駄でなかったことを喜んでおられることを表わしています。
(3) 外交面(57節)
41:57 また、ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。
ききんの時には、すべての国々から人々がヨセフのもとに来て命が助けられました。ヨセフはエジプトの国を助けたばかりでなく、諸国を助け、命の源となりました。彼は、その知恵と力によって、このききんの年のために充分に命の糧を蓄えていたのです。これはキリストの型です。キリストはユダヤ人のためばかりでなく、全人類の救い主となられたのです。
(以上、創世記41章、聖句は【新改訳改訂第3版】を引用)
〔あとがき〕
新年のお悦びを申し上げます。年頭、いろいろな抱負をもって出発されたことと思います。力んでいる方は一月も過ぎないうちに、計画倒れになってしまうでしょう。しかしやはり目標をもって一年を過していただきたいものです。そしてその抱負の中に、ぜひ聖書の探求も加えてください。
聖書は自分で読んでいるだけでは、仲々わからないというのが本当だと思います。あるいは片寄った解釈をして信仰が曲っていってしまう危険も大です。聖書を健全に学ぶためには、先ず説教を注意深く聞くことです。一言も聞きもらすまいとの注意をもって聞くようにしてください。居眠りしているなんて、モッテノホカ。よく居眠りする人は前の晩によく寝ておいてください。一度聞いた説教をテープで聞き直してみることも良い方法です。
次に、健全な注解書を牧師に紹介していただいて、聖書とともに読むことです。少々高価ですが、この世の物を買うのに比べたら安いもの。第三は、コツコツと学び続けることです。ことしも宜敷お願い申し上げます。
(1987.1.1)
上の写真は、アメリカの聖書画家 Otto Adolph Stemler (1872–1953)が1926年に描いた「Joseph made ruler in Egypt(エジプトの監督官となったヨセフ)」(Pictures from Children’s Bible Story Books、Wikimedia Commonsより)