聖書の探求(036b) 創世記45章 ヨセフ、自らをあらわす
この章ではいよいよヨセフは自分を明らかにします。ヨセフが兄弟たちに自らをあらわすことは、キリストの再臨の時の予表です。キリストの兄弟であるユダヤ人がキリストを見て、彼を信じ、回復されるのはこの時です。
1.ヨセフ、他人を遠ざけて、兄弟たちだけと会う(1,2節)。
創 45:1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
45:2 しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。
機会は熟しました。兄弟たちの心に真の悔い改めの果を結びましたから、ヨセフはもはやこれ以上その愛情をかくし、涙をとどめる必要はありませんでした。彼はまごころを注ぎ出し、感情をあらわし、自分を兄弟たちにあらわす時がきました。しかし彼は他人を退けて、兄弟たちだけに自分をあらわしたかったのです。それでエジプト人を退出させました。
ゼカリヤ書12章11~14節にあるように、ユダヤ国民全体の悔い改めがあり、彼らの嘆きはひとり一人の嘆きです。
ゼカ 12:11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。
12:12 この地はあの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
12:13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
12:14 残りのすべての氏族はあの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
私たちも主イエスに出会って救われる時には、ただひとりで主を信じ、主を拝し、主よりその愛を受けるのです。私たちが主イエスとお会いして、命の関係を結ぶためには、人を避けて、ひとりでいなければなりません。
2.ヨセフ、自らをあらわす(3,4節)。
創 45:3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
ヨセフは「私に近寄ってください。」と言いました。「私のもとに釆なさい。」というのは、キリストの福音の主眼です。ヨセフはこれまで兄弟たちを荒々しく扱っていましたが、今は愛と恵みに満ちて招いています。主イエスもサマリヤの女に向かっては「あなたと話しているこのわたしがそれです。」(ヨハネ4:26)と言い、罪ある人に向かっては「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」(マタイ11:28)と語り、復活の後、マグダラのマリヤには「わたしの兄弟たちのところに行って‥‥告げなさい。」(ヨハネ20:17)と仰せられました。(主イエスは復活されるまでは、弟子たちを、弟子、しもべ、友とまでは呼ばれましたが、復活の後に初めて、兄弟と呼ばれたことに注意してください。)
ヨハ 4:26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」
マタ 11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
ヨハ 20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
3.ヨセフは兄弟たちを慰めた(5~9節)
創 45:5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
45:6 この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
45:7 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。
45:8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
45:9 それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。
ヨセフが自分を表わした時、兄弟たちはただ驚き恐れて言うべき言葉を失っていました(3節)。
キリストの弟子たちも嵐の湖上にキリストが現われた時(マタイ14:26)、驚き恐れ、また復活の後、弟子たちが集まっている中に現われた時(ルカ24:36,37)も、彼らは驚き恐れました。
マタ 14:26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
ルカ 24:36 これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。
24:37 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。
ヨセフは兄弟たちが驚き恐れ、困惑しているのを見ると、「私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。」(5節)と言い、更に彼らの罪を超越して働いた神の深い御計画であったことを示して、兄弟たちを慰めました。ヨセフの慰めは感情的ではなく、神のみ旨の上に立っての慰めでした。
彼はここで神の四つの目的を明らかにしています。
(1) 神が自分をエジプトに遣わしたのは、命を救うためであったこと(5節)
(2) ヤコブの子孫、すなわちユダヤ人を地上に存続させるためであったこと(7節)
(3) ヨセフをパロの家司とするためであったこと(8節)
(4) ヨセフをエジプト全国の統治者とするためであったこと(8節)
使徒4:25~28には同じような神のご計画について記されています。
使 4:25 あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。
4:26 地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』
4:27 事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油をそそがれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、
4:28 あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行いました。
ヘロデとピラトと異邦人とイスラエルの民とが一緒になってキリストに逆らい、十字架につけて殺したのですが、しかしそれは、天の父が定められた御計画を成就したのであると言っています。
人間の方向から見ると、それは大きな罪であるけれども、神はその罪を変えて、恵みの原因とされたのです。
自分たちの恐ろしい罪が神によって変えられて全世界の救いの原因となったとは、何たる大きな慰めとなったことでしょうか。
4.ヨセフは兄弟たちの安全と扶養と保護を約束しました(10,11節)。
創 45:10 あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。
45:11 ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう』と。
ヨセフは兄弟たちを慰めたばかりでなく、 彼らの将来についても安全と扶養と保護を与えることを約束しました。すなわち、父も、子どもも、孫も、家畜も、みな招いて彼の近くに置き、これからなお五年間続く飢饉の間、十分に養うことを約束しました。これは主イエスが罪人のために備えられた豊かな恵みの型です。私たちの罪が赦されるばかりでなく、現在から将来にわたって豊かな恵みが備えられています(ヨハネ10:10)。
ヨハ 10:10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
5.ヨセフ、顔と顔を合わせて兄弟たちと語る(12~15節)
創 45:12 さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。
45:13 あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉とあなたがたが見たいっさいのこととを私の父上に告げ、急いで私の父上をここにお連れしてください。」
45:14 それから、彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。
45:15 彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。
先程までヨセフは通訳者を通して語っていました(42:23)。
創 42:23 彼らは、ヨセフが聞いていたとは知らなかった。彼と彼らの間には通訳者がいたからである。
しかし12節では、「あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたと話しているのは、この私の口です。」と言っています。
主イエスも、「これらのことを、わたしはあなたがたにたとえで話しました。もはやたとえでは話さないで、父についてはっきりと告げる時が来ます。」(ヨハネ16:25)と言われました。
ヨセフは兄弟たちと顔と顔を合わせて交わり、涙を流し、慰めと約束を語り、愛の口づけをもって印したのです。放蕩息子が帰って来た時、父は和ぎのしるしとして口づけをしたように(ルカ15:20)、ヨセフはあふるる心をもって兄弟たちを赦し、その心に確信を与えました。
ルカ 15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
これはまことにキリストの型です。このヨセフの赦しには少しも心ににがい思いが残っていません。その如く、神は私たちを赦し、私たちの罪を全く忘れてくださるのです(イザヤ書43:25、55章、エレミヤ書31:34、ヘブル10:17)。
イザ 43:25 わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。
エレ 31:34 そのようにして、人々はもはや、『【主】を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。──【主】の御告げ──わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」
ヘブル 10:17 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」
6.ヨセフは自分の愛を一層豊かに証明する(16~24節)
創 45:16 ヨセフの兄弟たちが来たという知らせが、パロの家に伝えられると、パロもその家臣たちも喜んだ。
45:17 パロはヨセフに言った。「あなたの兄弟たちに言いなさい。『こうしなさい。あなたがたの家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、
45:18 あなたがたの父と家族とを連れて、私のもとへ来なさい。私はあなたがたにエジプトの最良の地を与え、地の最も良い物を食べさせる。』
45:19 あなたは命じなさい。『こうしなさい。子どもたちと妻たちのために、エジプトの地から車を持って行き、あなたがたの父を乗せて来なさい。
45:20 家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから』と。」
45:21 イスラエルの子らは、そのようにした。ヨセフはパロの命により、彼らに車を与え、また道中のための食糧をも与えた。
45:22 彼らすべてにめいめい晴れ着を与えたが、ベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五枚とを与えた。
45:23 父には次のような物を贈った。エジプトの最良の物を積んだ十頭のろば、それと穀物とパンと父の道中の食糧とを積んだ十頭の雌ろばであった。
45:24 こうしてヨセフは兄弟たちを送り出し、彼らが出発するとき、彼らに言った。「途中で言い争わないでください。」
ヨセフは安心して兄弟たちをカナンの地に帰すことができました。兄弟たちの心が愛と恵みによってヨセフの心に結びつけられたからです。彼らが再びエジプトに帰ってこないという恐れもなくなりました。
しかしヨセフは、なお自分の愛を深く証明するために、さらに七つの恵みを付け加えました。
(1) ヨセフは父とすべての家族を招いて、エジプトの国の豊かで最も良い物を与えることを約束しました(18節)。
(2) 父と兄弟たちの妻子のために車を持って行かせ、それに父を乗せてくるようにすすめました。ヤコブは老年に達していて、とても馬に乗ることができなかったからです(19節)。
(3) 途中の食物を与えました(21節)。
(4) 彼らすべてにめいめいの晴れ着を与えました(22節)。
(5) ベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五枚を与えました(22節)。
(6) カナンからエジプトに来るための食糧を与えたばかりではなく、エジプトの最良の物を十頭の雌ろばに積んで与えました(23節)。
(7) 最後に、大切な忠告を与えました。再び、争いをしないようにと諭しました(24節)。
7.ヤコブの喜び(25~28節)
創 45:25 彼らはこうしてエジプトから上って、カナンの地に入り、彼らの父ヤコブのもとへ行った。
45:26 彼らは父に告げて言った。「ヨセフはまだ生きています。しかもエジプト全土を支配しているのは彼です。」しかし父はぼんやりしていた。彼らを信じることができなかったからである。
45:27 彼らはヨセフが話したことを残らず話して聞かせ、彼はヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見た。すると彼らの父ヤコブは元気づいた。
45:28 イスラエルは言った。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」
兄弟たちはカナンに帰り、喜びをもってこの驚くべき事実を父に話しました。ヨセフが生きていて、エジプト全国の統治者になっているという幸いな知らせをヤコブは仲々信じることができませんでした。彼らは、ヨセフの言葉を告げ、彼の慰めを語り、ヨセフからの贈り物を積んだ車を見せました。ヤコブは、ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車であると分かると、やっと信じることができました。そして、「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」(28節)と言いました。
ここにも学ぶべき教訓があります。彼らの話はヤコブを信じさせるには至らせませんでしたが、具体的な恵みの証拠、すなわち自分を乗せるための車を見たとき確信したのです。私たちも、キリストのもとに行き、主の命令を実行し、その御約束を実現する力、すなわち聖霊のいらっしゃることを知るとき、信じるに鈍い心も確信するようになるのです。また、私たちが人を導く時にも、ただ言葉のあかしだけでなく、必ず具体的な行ないが伴わなければ、他人を信仰に導くことはできません。
(1987.3.1)
(以上、創世記45章、聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)
上の写真は、1873年にCharles Fosterによってアメリカで出版された”The story of the Bible from Genesis to Revelation told in simple language to the young(若者のために分かり易い言葉で語られた、創世記から黙示録までの聖書物語)の挿絵「Joseph makes himself known to his brethren(ヨセフは兄弟たちに自分のことを明かす)」(University of Illinois Urbana-Champaign蔵、Wikimedia Commonsより)