週報No.2242 希望の預言エゼキエル書(26)「三つのみこころ」 エゼキエル書 14:1~11

2020年7月5(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 14:1~11
14:1 イスラエルの長老たちの幾人かが来て、私の前にすわった。
14:2 そのとき、私に次のような【主】のことばがあった。
14:3 「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。
14:4 それゆえ、彼らに告げよ。神である主はこう仰せられると言え。心の中に偶像を秘め、不義に引き込むものを自分の顔の前に置きながら、預言者のところに来るすべてのイスラエルの家の者には、【主】であるわたしが、その多くの偶像に応じて答えよう。
14:5 偶像のために、みなわたしから離されてしまったイスラエルの家の心をわたしがとらえるためである。
14:6 それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。悔い改めよ。偶像を捨て去り、すべての忌みきらうべきものをあなたがたの前から遠ざけよ。
14:7 イスラエルの家の者でも、イスラエルにいる在留異国人でも、だれでもわたしから離れ、心の中に偶像を秘め、不義に引き込むものを顔の前に置きながら、わたしに尋ね求めようと、預言者のところに来る者には、【主】であるわたしが答えよう。
14:8 わたしがそのような者から顔をそむけ、彼をしるしとし、語りぐさとして、わたしの民のうちから彼を断ち滅ぼすとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知ろう。
14:9 もし預言者が惑わされて、ことばを語るなら、──主であるわたしがその預言者を惑わしたのである──わたしは彼に手を伸ばして、わたしの民イスラエルのうちから彼を根絶やしにする。
14:10 こういう者たちは、自分たちの咎を負う。この預言者の咎は、尋ね求めた者の咎と同じである。
14:11 それは、イスラエルの家が、二度とわたしから迷い出ず、重ねて自分たちのそむきの罪によって自分自身を汚さないためであり、彼らがわたしの民となり、わたしも彼らの神となるためである。──神である主の御告げ──」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

この部分は、神の三つのみこころが表わされています。

第一は、14:3~5、ユダの長老たちが偶像礼拝を心の中にまだ秘めていることを、神が暴露されたこと。

第二は、14:6、神がイスラエルの家に、偶像を捨ててすべての忌み嫌うべきものを離れて、悔い改めるように要求し命じておられること。

第三は、14:7~11、偽善を行ない続ける長老たちと偽預言者を神が拒否されること。

彼らは心の中に偶像を持ちながら、主に尋ねるために、預言者の所に平気で来る。それで預言者が惑わされて語るなら、主が根絶やしにされます。預言者の中には、偽預言者の影響を受けて、語る者が出ていたのです。民衆の人気が預言者に集まると、安易な平安を語るほうに傾く者も出て来るのです。

イスラエルの長老たちの幾人かが、預言者エゼキエルから主のみことばを聴くためにやって来ました。その時、彼らの真のたましいの状態を見抜かれて、次のように言われたのです。
「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。」(エゼキエル14:3)

偽善者がどんなに神を畏れた敬虔さを装っても、神はその心の中の偽善、肉の思いを好む性質を見抜いてしまわれます(エレミヤ17:9~10)。偽善と真実は、一緒にいることができません。神に対する真実な態度なしに、神のメッセージを与えられることはありません。罪深い態度自体が、彼らへの報いです。偽善と不真実な者の願いは、聞き入れられません。

「…預言者の所に来るすべてのイスラエルの家のものには、主であるわたしが、その多くの偶像に応じて答えよう。」(エゼキエル14:4)

心の中に偶像を持ちながら形だけ、預言者から神のことばを聞きに来る、見かけだけの神を畏れた敬虔さを装った偽善者がいたのです。
しかし、人の心の中を知り尽くされている神を、欺くことはできません。…ここで神の警告を受けているのは、14:1から「イスラエルの長老たち」ですが、彼らは偶像礼拝者でした。

これらの神のみことばは、各々、自分の心の王座に主なる神以外のものを着けておくことは、神を怒らせることを強調しています。

「あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記20:8)

「偶像のために、みなわたしから離されてしまったイスラエルの家の心をわたしがとらえるためである。」(エゼキエル14:5)

このことばの意味は、この神の審判は、彼らを偶像礼拝から救い出し、善に導くために、罰することを示しています。罪を罰するためにも、ただ怒りによる刑罰ではなく、神の民の心を回復するためであって、主のみこころは深いものです。

第二は、悔い改めの要求です。

「それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。悔い改めよ。偶像を捨て去り、すべての忌み嫌うべきものをあなたがたの前から遠ざけよ。」(エゼキエル14:6)

神がイスラエル人の心の堕落していた状態を明らかに暴露したので、預言者エゼキエルは、悔い改めの説教をしなければならなくなったのです。「悔い改めよ」は、毎日の心と生活を自分中心から、神中心に方向転換することです。「偶像を捨て去れ」は、悔い改めが真実であることは、偶像礼拝から完全に離れることと、「すべての忌み嫌うべきもの」から離れることによって、実際生活の中に表わされます。バアルとアシェラの偶像礼拝を続けつつ、主なる神を礼拝していますと言っても、神は受け入れてくださいません。…

第三は、14:7~11、真の悔い改めを拒む者を、神が拒絶されることです。

預言者を通して語られる「神に立ち返る、悔い改め」のメッセージを拒むことは、預言者を拒んでいるのではなく、神ご自身を拒むことなのです。もし私たちが主を拒み続けるなら、その状態がずっと続くのではなくて、「主であるわたしが答えよう。」と、神のほうから、さばきを持って、敵対を始められるのです。

その神のさばきは、二つです。

「わたしがそのような者から顔をそむけ、」(エゼキエル14:8初め)…
「…わたしの民のうちから彼を断ち滅ぼすとき、」(エゼキエル14:8中ほど)

しかし神は、悔い改めない者を拒絶されるだけではありません。罪人を救いに導こうと、導かれ、励まされます。
「それは、イスラエルの家が、二度とわたしから迷い出ず、重ねて自分たちのそむきの罪によって自分自身を汚さないためであり、彼らがわたしの民となり、わたしも彼らの神となるためである。-神である主の御告げ。-」(エゼキエル14:11)

主はどこまでも、滅びではなく、救いを求めておられます。それには、私たちの悔い改めと信仰が必要なのです。

<今週の活用聖句>

ヨハネの福音書10章14節
「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。
また、わたしのものは、わたしを知っています。」

<集会案内>

◇7月8日(水)聖別会 午前10時半
訓練された人々(22)
「クリスチャン生活の訓練(2)困難に立ち向かう」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

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