聖書の探求(043) 出エジプト記1章 エジプトの圧制

1章は、出エジプトの原因となったエジプトの圧制が記されています。

1~6節 エジプトに下ったヤコブの子孫
7節 ヤコブの子らの増大
8~22節 ヤコブの子孫への圧迫
(a) 8~10節 庄迫の理由
(b) 11~14節 庄迫の段階①過酷な労働
(c) 15~20節 庄迫の段階②男子殺害命令
(d) 21~22節 圧迫の結果

Ⅰ、1~7節 エジプト移住と繁栄

出 1:1 さて、ヤコブといっしょに、それぞれ自分の家族を連れて、エジプトへ行ったイスラエルの子たちの名は次のとおりである。
1:2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。
1:3 イッサカル、ゼブルンと、ベニヤミン。
1:4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。
1:5 ヤコブから生まれた者の総数は七十人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。
1:6 そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。
1:7 イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。

1節の「さて」は、出エジプト記を創世記と結びつけています。1節は創世記46章のエジプトに入る記事を前提として書かれています。
2~5節のヤコブの子らの表は、創世記46章8~27節の要約ですが、名前の順序は創世記35章23~26節のものに似ています。これらの事実は、創世記との関係を確かなものにし、それに続く苦難の記事の前置きとなっています。

(創世記と出エジプト記との関係)

(1) 創世記1~11章 全人類的
(2) 創世記21~50章 家族的(アブラハムの召命より)
(3) 出エジプト記1~40章 氏族的、国家的(神制政治の開始)

ヨセフの時代にエジプトに移住していったヤコブの家族は総数で七〇人、しもべたちやその家族を加えても数百人にすぎなかったと思われます。しかし彼らはエジプトに約四百年とどまっている間に、およそ二百万人に増えていました。7節は彼らが多産であったことを強調し、「おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。」と記しています。これはエジプトの王パロの脅威となりました。神はイスラエル人を一家族から民族とするために肥沃な地エジプトに導かれたのです。しかしまた、彼らが民族を形成していったのがカナンの地ではなく、異教の地であったことも深く考えなければなりません。

私たちも異教の地にあって、おびただしく増え広がることができるのです。その原理は6節と7節にあります。6節には「死んだ」とあり、7節には「多産だった」とあります。
これは現状維持では減少することを意味しています。クリスチャンはよく伝道して多産でなければならないことを教えています。まず家族伝道で成果を上げなければなりません。特に、子どもたちを明確に救いに導かなければなりません。そのために何が必要でしょうか。豊かな強い信仰を育てることと、信仰を恐れずに行なうことの二つです。この二つによってイスラエル人は増え、エジプトの王を恐れさせるほどに強くなり、地に満ち、そしてついに迫害が起きたのです。クリスチャンは迫害が起きるほどに強くなり、増えなければなりません。使徒の時代も、ローマ時代も、強いクリスチャンが増えていったために迫害が起きたのです。クリスチャン人口が増えるためには、この方法以外にないのです。

Ⅱ、8~22節 迫害の始まり

出 1:8 さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
1:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。
1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」
1:11 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。
1:12 しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。
1:13 それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、
1:14 粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。
1:15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。
1:16 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」
1:17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。
1:18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」
1:19 助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
1:20 神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。
1:21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。
1:22 また、パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」

9、20節は7節を暗示し、1章の統一性を示しています。エジプトの新王は、ヨセフの功績を知らず、イスラエルの民の増大に恐れを抱いたのです。
そのため、新王は四種の手段を使って、イスラエル人を圧迫しました。

(1) 監督者の任命(11節)
1:11 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。

(2) これが成功しなかったので、庄迫はさらに強化され、イスラエル人は厳しく使役された。(13、14節)
1:13 それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、
1:14 粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。

(3) 助産婦たちに対し、ヘプル人の男子が生まれたら、殺せ、との命令を出した。(15、16節)
1:15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。
1:16 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」

(4) エジプト全国民が、男の子を殺せとの命令を受けた。(22節)
1:22 また、パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」

採られた圧迫の手段は、連鎖反応的に徐々に厳しくなっています(1章の統一性の証拠)。これはまた、2章の前置きとなっています。

新王の圧迫の理由は、次の如くです。

(1) ヘブル人の人口の増加率と人口の絶対数への恐怖(9節)
1:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。

(2) 彼らが戦力となって、敵の側につくことの恐怖(10節)
1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」

(3) 彼らが独立して、祖国に帰ることによって、エジプトの労働力を失うことの恐れ(10節)
1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」

ヘブル人たちは過酷な苦役の中でも屈せず、むしろその中で祝福を受け続けました。(12節)
1:12 しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。

ここに信仰による真の力を見ます。苦難に屈するのは己の力でやっているからであり、信仰の力はいかなる圧迫にも屈しないことは、多くの聖徒たちによって立証されてきました。

新王パロが別の手を使って、イスラエルの戦力となる男の子を殺すように命じられた時にも、神を恐れた助産婦たちを用いて、神はイスラエルを守られました。このような助産婦たちが民の中にいたことは幸いでした。神をおそれて、パロを恐れない信仰者が一般の中にいたことは、彼らの信仰が建前だけの宗教でなく、本物の信仰であったことを示しています。

シフラプアは、普通なら聖書に名をとどめられるような人ではありませんでした。しかし彼女たちは、神をおそれたので、永遠にその名を聖書にとどめる栄誉を受けたのです。私たちも神をおそれて、この世の権力を恐れない生き方をするなら、その名をいのちの書に永遠にとどめることができます。(ヨハネの黙示録20:12、15)

黙 20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

黙 20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

彼女たちは、神をおそれていたために、神のみこころをよく知っていました。神がへブル人に対してもっておられるご計画をよく知っていたので、エジプトの王の命令を恐れず、神のみこころを選び取ったのです。私たちが、このようにして聖書を探求するのは、実に彼女たちと同じようになるためです。それは単なる聖書の知識を持つためではなく、神のみこころをよく知るためであり、神のみこころを知って、人を恐れず、神をおそれるようになるためです。

16、22節のパロの命令には二つの意図があったものと思われます。一つは男子を殺すことによって、ヘブル人の戦力を弱めること。もう一つは、ヘブル人の男子が少なくなれば、ヘブル人の女性はエジプト人の男性と結婚することによって、ヘブル民族は衰退していって、ついに消滅すると考えたのでしょう。ヘブル人は何度も民族全体の滅亡の危機に直面させられました。アッシリヤ、バビロンの捕囚、ハマンの陰謀、ナチの暴虐などです。しかし彼らは今も残り続けています。
このような救出にはいつも、わずかの神をおそれた人が用いられています。ここでは二人の助産婦が、ハマンの時にはモルデカイとエステルが用いられています。

神をおそれることは、具体的な生活や態度で現わされなければなりません。すなわち、人を恐れず、神のみこころに従った生き方をすることです。いつでも人を恐れることと神をおそれることは対立しています。

19節の助産婦たちの返事の一部は本当でした。ヘブルの女はエジプトの女より活力がありました。しかしすべての妊婦が、助産婦が着く前に出産を終えていたのではないでしょう。彼女が取り上げた男の子もいたでしょう。だから偽りも含まれていたと考えられます。聖書はこういう場合のウソでも、ほめてはいません。助産婦たちが神の祝福を受けたのは王を欺いたからではなく、王を恐れず神に忠実だったからです。(使徒4:19)

使 4:19 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。

神はモーセのような偉大な人物を用いるだけでなく、助産婦たちのような普通の人(真に神をおそれる人)を用いられることを覚えたいものです。

(以上、出エジプト記1章、聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、フランスの画家 James Tissot (1836-1902)が描いた「Pharaoh and the Midwives(パロと助産婦たち)」(アメリカ、ニューヨークのthe Jewish Museum蔵より)


〔あとがき〕

夏のあわただしい季節も終わって、また普段の生活が戻ってきました。キャンプも聖会も大変恵まれる時ですが、また普断のみことばに仕える生活が中断させられる時でもあります。キャンプや聖会は食事にたとえるなら、正月や誕生日のごちそうのようなものです。
私たちは、このような特別な日のごちそうを一年間の糧にして生きているのではありません。普断の平凡な食事が私たちの生活の力となっているのです。このことは私たちの霊的な生活にとっても同じです。キャンプや聖会で恵まれてきても、普断のみことばに仕える生活を怠っていれば、たちまち私たちの信仰は衰え果ててしまいます。
普断の生活は変わり映えがなく、新しい刺激も少ないので、本当に信仰がなければ、みことばに対する興味も関心も失って怠惰になってしまいます。主はみことばでサタンと戦われました。主はみことばによって課題を乗り越えられました。あなたもみことばによって、あなたの生活を創造してください。
(1987.10.1)


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