聖書の探求(044) 出エジプト記2章 モーセの誕生、成育、逃亡

2章はモーセの誕生、成育、逃亡を記しています。ご自分でも聖書の各章に題名をつけてみてください。必ず、よい学びになります。

Ⅰ、1~10節 実を結んだモーセの両親の信仰

出 2:1 さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。
2:2 女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。
2:3 しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。
2:4 その子の姉が、その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、
2:5 パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。
2:6 それをあけると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、「これはきっとヘブル人の子どもです」と言った。
2:7 そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」
2:8 パロの娘が「そうしておくれ」と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た。
2:9 パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
2:10 その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。

三ヶ月間、男の子を隠しておいたのはアムラムとヨケベデ(6:20)の神を畏れた信仰であり(1~2節)、かごに入れて ナイル河の茂みの中に隠したのは、神のみ手にゆだねる信仰です(3節)。

出 6:20 アムラムは父の妹ヨケベデを妻にめとり、彼女はアロンとモーセを産んだ。アムラムの一生は百三十七年であった。

このような大胆な信仰には、神は必ず答えて、導いてくださいます。大胆な信仰には必ず危険が伴います。隠しているのが見つかれば、一家全滅になり、ナイル河に隠せば流されてしまう危険があります。しかし、すべて神に従う道は安全なのです。モーセの生涯はそれを証明しています。

神はモーセの救出のために、敵にあたるパロの娘を用いられました。なんと奇しいみわざでしょうか(5節)。幼子の泣くタイミング、彼女にあわれみの心を与え(6節)、姉のミリアムが、ヘブルの女のうばを呼んでまいりましょうかと言い出す機転などすべてが連携して用いられています。これらのすべてをただの偶然ということはできません。すべてが神の配剤なのです。

モーセに対する神のみ助けと導きは、救出の出来事だけでなく、その後も続きました。モーセがパロの娘の子として教育を受けることは、後にイスラエルの指導者となる者には必要なことでした。信仰は幼い時に両親からしっかりと受け継ぎ、教育はパロの娘の息子として、最大の特権のもとで身につけたのです。これらすべてのことは神の導きでした。しかしこの導きの始まりは、両親の大胆な信仰によったのです。大胆な信仰こそ、クリスチャンに必要であり、よく訓練されたクリスチャンの持つべきものです。

Ⅱ、11~15節 高慢な自己判断

出 2:11 こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。
2:12 あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。
2:13 次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに「なぜ自分の仲間を打つのか」と言った。
2:14 するとその男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。
2:15 パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。彼は井戸のかたわらにすわっていた。

これはモーセが四十才になった時のことです(使徒7:23)。

使 7:23 四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。

四十才と言えば、ものの分別がついてもよい年令ですが、神の訓練を受けていない者は、相変わらず愚かな判断をします。ヘブル人に対するこの同情は、モーセが自分がどの民族の出身者であるかを十分に知っていたことを示しています。彼は民族主義的愛と情熱でへブル人を助けようとしたのです。このような熱心を持っていた者に預言者ヨナがいます。ヨナもまたその熱心さによって失敗し、それが神のみこころにかなわないことを悟らされました。

モーセのこれらの一連の行動は、「見た」という言葉によって、彼自身の自己判断によって行なっていることが分かります。

(1) 11節「その苦役を見た」

神はイスラエル人に叫びの祈りをさせて救出されるために、苦役を許されたのに、モーセは単なる民族主義的愛と情熱でこれを見たのです。

(2) 11節「ひとりのへブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。」

神の愛によって見ず、彼の血の中に流れている民族的怒りをもって見たのです(箴言20:22、24:19、ローマ一2:19~21)。

箴 20:22 「悪に報いてやろう」と言ってはならない。【主】を待ち望め。主があなたを救われる。

箴 24:19 悪を行う者に対して腹を立てるな。悪者に対してねたみを起こすな。

ロマ 2:19 20 また、知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任しているのなら、
2:21 どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。

これらはみな、人間的、肉的動機です。

(3) 12節「あたりを見回し」

モーセは天の神の御座を見ずに、地上のそのあたりを見回しただけです。判断する範囲が霊的に非常に狭いことを示しています。すなわち、はなはだ自分中心的な判断になっています。私たちもこのような判断をしがちですから、特に注意する必要があります。

(4) 12節「ほかにだれもいないのを見届ける」

モーセは、ほかのエジプト人が見ていなければ安全と考えました。しかし彼の行為がパロにもれ伝わったのはへブル人によってです。モーセの自己判断がいかに甘かったかが分かります。

(5) 12節「砂の中に隠した」

これは見ることの反対の行為です。すなわち、見えなくすることです。彼は、人の目から覆ってしまうと、すべて隠し通せると考えました。これはあたかも神を知らないこの世の人と同じ考え方です。それほどにこの時のモーセの信仰は幼稚であったのです。私たちは人の目を気にして生きるのではなく、神の国を気にして生きるようにしなければなりません。

神はこのような自分の知恵に頼った生き方を繰り返しているモーセをそのままでは用いることができないので、ミデヤンの地で訓練されようとしたのです。

14節の「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。」とは、神の権威をもたないモーセを示しており、これはまた、己の力で働こうとするモーセへの神の警告のようにも聞こえます。私たちは、神に遣わされて、神の権威が与えられる時にのみ、真の指導者となることができるのです。

一見強そうだったモーセも、15節では信仰の未熟さと弱さの故にパロを恐れてミデヤンの地に逃げました。ミデヤンの井戸のかたわらは、モーセにとって神の学校の入口であったのです。

Ⅲ、16~22節 ミデヤンに住むモーセ

出 2:16 ミデヤンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちが父の羊の群れに水を飲ませるために来て、水を汲み、水ぶねに満たしていたとき、
2:17 羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払った。すると、モーセは立ち上がり、彼女たちを救い、その羊の群れに水を飲ませた。
2:18 彼女たちが父レウエルのところに帰ったとき、父は言った。「どうしてきょうはこんなに早く帰って来たのか。」
2:19 彼女たちは答えた。「ひとりのエジプト人が私たちを羊飼いたちの手から救い出してくれました。そのうえその人は、私たちのために水まで汲み、羊の群れに飲ませてくれました。」
2:20 父は娘たちに言った。「その人はどこにいるのか。どうしてその人を置いて来てしまったのか。食事をあげるためにその人を呼んで来なさい。」
2:21 モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。
2:22 彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。「私は外国にいる寄留者だ」と言ったからである。

「ミデヤンの祭司」(16節)まだ祭司制度が確立していなかった頃は、祭司の職務は部族の族長がつとめていたようです。ミデヤン人は創世記25章1,2節をみると、アブラハムとケトラの間に生まれた子孫であることが分かります。

創 25:1 アブラハムは、もうひとりの妻をめとった。その名はケトラといった。
25:2 彼女は彼に、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハを産んだ。

彼らもまた、主なる真の神を礼拝していたようです。

「レウエル」(18節)とは、「神の友である」という意味です。レウエルの娘たちはモーセを見て、「ひとりのエジプト人」と思ったのは、モーセの服装がエジプト人の服装であったからだと思われます。

それにしても、モーセがミデヤンの祭司の娘たちと出会ったのは、神の導きです。異教の人に出会わず、同じ神を信じ、しかもその祭司の家に導かれたことは神の深い配慮によるものです。これをキッカケにして、モーセは幼い頃得た信仰をもう一度新たにしたに違いありません。私たちも人との出会いに主の導きを祈らなければなりません。後にモーセはその娘のひとりのチッポラと結婚しています。

前後しますが、17節の井戸のほとりでのモーセの行動は、先の暴力的な行動とは全く異なります。ここでは、娘たちを意地の悪い羊飼いから救い、その羊の群に水を飲ませています。先のモーセには力みがありましたが、ここではそれがありません。21節の、レウエルの家に招かれていったモーセは「思い切ってこの人といっしょに住むようにした。」とあります。これはモーセの初めての信仰による決断のように思われます。この「思い切って」とあるのは、先のエジプトの王子としての生活とはあまりにも違いすぎるので、過去の栄華に対する未練を捨てるのに「思い切る」必要があったのでしょう。過去の未練に引きずられて、信仰の決断を先に延ばすのは決してよくないことです。このようにしてモーセは、神の訓練学校に入学しました。

彼はチッポラとの間に男の子が与えられました。その子を「ゲルショム」(他国人)と名づけたのは、やはりモーセの心の中にへブル人への思いが強かったからであると思われます。彼はミデヤンにあっても、寄留者であり、旅人であることを自覚していました。クリスチャンもこの世にあっては寄留者であり、旅人であることを自覚しなければなりません(ペテロ第一2:11、詩篇119:19)。

Ⅰペテ 2:11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

詩 119:19 私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。

Ⅳ、23~25節 民のうめきと神の顧み

出 2:23 それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。
2:24 神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
2:25 神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。

23節の「何年もたって」は、使徒7章30節からすると、四十年間たっていたことが分かります。

使 7:30 四十年たったとき、御使いが、モーセに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現れました。

この時モーセは八十才になっていました(出7:7)。

出 7:7 彼らがパロに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。

モーセに対する四十年間の神の訓練はわずか一節で終わっています。最も良い訓練とは、取り立てて書くほどのことがなく、全く飽き飽きするようなものです。

「エジプトの王は死んだ」これはモーセが恐れていたものが取り除かれたことを意味し、それはすなわち、訓練期間が終わったことを意味します。エジプトの王の死の時は、モーセが働きに召される時でもあったのです。

23節後半の「うめき」から、神に届く叫びには何が必要かが教えられます。

(1) イスラエルの民が神の民であったこと。
私たちの叫びが神に届くためには、第一に神との聞係が正しくなっていなければなりません。

(2) 必死で、真剣な叫びでなければなりません。
新しいエジプトの王パロはイスラエル人に更に厳しい労役を課していました。イスラエル人はこの苦しみのために「うめき、わめいた」のです。ぜいたくな社会では信仰が真剣になりにくく、厳しい苦難の中では信仰は叫ばせるのです。

神は彼らの嘆きを聞かれ(24節)、その苦しみと思いに心をとめられ、同情を示されました(ヘブル2:18、4:15)。

ヘブル 2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。

ヘブル 4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

しかし神が行動を起こされたのは、同情の故ではなく、契約の故です(24節)。私たちは、真剣に神に叫び祈ると共に、神の約束のみことばを握って信じていなければなりません。

25節は普遍的な神の御姿です。神はいつもご自分の民をご覧になり、民の上に起きるあらゆる出来事にみこころを留めておられるのです。そして必要ならば、すぐにみわざをなさるのです。

〔出エジプト記2章1~10節中の神の摂理〕

1節「さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。」
健全な信仰による結婚。信仰的に正しいスタートには一致がある。すべての人間関係、契約、結婚において、信仰的であるべきこと。

2節「女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。」
モーセの出生が一年前でも、後でも、神の器となることができなかった。これは時における神の摂理である。両親は男の子を「かわいい」と感じた。これは苦難に直面していた両親の信仰を励ましたに違いない。その励ましはさらに両親の信仰を強くし、幼子を三ヶ月隠すことにしたのである。

3節「しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。」
幼子はいつまでも母の手許に隠されていたのでは、神の器となる備えはできなかった。それ故、母はその子をナイルの茂みの中に置いたが、母が置いた場所にすぐに神のみ手が加わった。その場所にパロの娘が来たのである。時間的にも、場所的にも神の摂理のみ手が働いた。

4節「その子の姉が、その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、」
姉のミリヤムがそこにとどまっていなかったら モーセは再び母の手で教育(特に信仰的な)されることはなかったであろう。ミリヤムは母親から言いつけられていたのかもしれないが、信仰の行為にはたえず注意深い観察が必要である。

5節「パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。」
パロの娘はその場所に導かれただけでなく、そのかごを取ってくる意志に導かれた。これは人の意志に働かれる神の摂理のみ手である。

6節「それをあけると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、「これはきっとヘブル人の子どもです」と言った。」
幼子の泣き出すタイミングは、殺されるべきへブルの男の子に対してパロの娘の心の中に憐みを起こさせるのに十分であった。

7節「そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」」
ミリヤムはパロの娘の憐みの感動が消えないうちに語りかけた。感情は変化しやすいものであり、感動は冷めやすいものです。また、ミリヤムの適切な言葉の中にも神の導きが見られる。なぜなら彼女はまだ子どもであったから神の知恵をいただかなければ、これほどの言葉をパロの娘の前で語ることはできなかったであろう。

9節「パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた。」
イスラエル人が苦しめられている時代に、パロの娘から養育費が与えられたことは、すべての必要を満たされる神のみ手のわざである。
またモーセが世の学問を身につける前に、両親の許でしっかりと神に対する正しい信仰が植えつけられたことは、今日の、何の信仰も養われることなしに勉強させられている子どもたちと比べると、雲泥の差がある。神の器は決して自然に生まれるものではないことを考えさせられる。

10節「その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。」
パロの娘の子として育てられたことは、ただ身の安全だけでなく、当時の最高の学問を身につけられることと、エジプト脱出のために測り知れない準備の意味が含まれている。

〔モーセとアロンの系図〕

 

(以上、出エジプト記2章、聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、1919年にアメリカの牧師Adolf Hultにより発刊された「Bible primer, Old Testament, for use in the primary department of Sunday schools(日曜学校の小学生のための旧約聖書の初歩読本)」の挿絵(アメリカのLibrary of Congress蔵、Wikimedia Commonsより)


〔あとがき〕

聖書を読むことは、他の本を読むことと大きな違いがあります。聖書以外の本を読む時は、興味から読んだり、研究のために読んだりします。しかし聖書を読む時は、神のみ声を聞き、それを信じ、それに従うために読むのです。ある人が私共の発行の本を読まれて、電話をかけてこられました。「よく理解できましたが、もっと確信が欲しいのです。」と。読んで理解したならば、あとはそれを信じて実行することです。聖書も読んでそのままにしておられる方が多いのではないでしょうか。
聖書はただ理解するために読むのでは十分ではありません。そのみことばを信じて、従い、勝利を手にしなければなりません。聖書を読んでいても力が得られないなら、必ずこの点に問題があると言っていいでしょう。みことばを信じる者は必ず勝利を得られるはずです。敗北し続けているクリスチャンは、信仰の本質上あり得ないのです。みことばを信じるクリスチャンはみな、勝利を得るのが普通なのです。もう一度聖書を読んでください。(1987.10.1)


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