聖書の探求(046b) 出エジプト記5章 神を知らないエジプト王とモーセの困難

5章は神を知らないエジプト王とモーセの困難を記しています。

Ⅰ.1~5節、モーセの申し出に対するパロの拒否

出 5:1 その後、モーセとアロンはパロのところに行き、そして言った。「イスラエルの神、【主】がこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』」
5:2 パロは答えた。「【主】とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は【主】を知らない。イスラエルを行かせはしない。」
5:3 すると彼らは言った。「ヘブル人の神が私たちにお会いくださったのです。どうか今、私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、【主】にいけにえをささげさせてください。でないと、主は疫病か剣で、私たちを打たれるからです。」
5:4 エジプトの王は彼らに言った。「モーセとアロン。おまえたちは、なぜ民に仕事をやめさせようとするのか。おまえたちの苦役に戻れ。」
5:5 パロはまた言った。「見よ。今や彼らはこの地の人々よりも多くなっている。そしておまえたちは彼らの苦役を休ませようとしているのだ。」

パロは、全く神を知らない者の姿であり、神を知ろうとしない人間の姿です。
モ-セとアロンはこのようなパロの前に立ちましたが、この時はまだ、神を知らない人間が神に対してどのような態度をとるのかを、よく知らなかったようです。

3節のていねいで、へりくだったモーセとアロンの進言を、神を知らないパロは人間的な意味で聞きました。すなわち、ヘブル人が増えたので、実力行使に出てくるのではないかと恐れたのです。それ故、ます ます圧力をかけて、苦しめ始めたのです。
しかし神のご計画は、苦しめても崩れるものではありません。

Ⅱ.6~9節 パロの命令

出 5:6 その日、パロはこの民を使う監督と人夫がしらに命じて言った。
5:7 「おまえたちはれんがを作るわらを、これまでのようにこの民に与えてはならない。自分でわらを集めに行かせよ。
5:8 そしてこれまで作っていた量のれんがを作らせるのだ。それを減らしてはならない。彼らはなまけ者だ。だから、『私たちの神に、いけにえをささげに行かせてください』と言って叫んでいるのだ。
5:9 あの者たちの労役を重くし、その仕事をさせなければならない。偽りのことばにかかわりを持たせてはいけない。」

モーセたちの進言は、イスラエルの民の上にますます苦役となってはね返ってきました。
ここに見られるパロの宗教観は、今日の神を知らない人と全く同じです。

①信仰は任事の妨げになる(4節)
②信仰はひまな人、なまけ者のすることだ(8節)
③偽りのことばにだまされてはいけない(9節)

神を知らない者は、すべての点で逆の価値観を持ち、人間にとっての信仰の重要性を悟っていません。この最大の原因は、「私は主を知らない。」(2節)です。この言葉は、無知というより、神を拒絶する言葉です。

Ⅲ.10~14節、パロの命令の執行

出 5:10 そこで、この民を使う監督と人夫がしらたちは出て行って、民に告げて言った。「パロはこう言われる。『私はおまえたちにわらを与えない。
5:11 おまえたちは自分でどこへでも行ってわらを見つけて、取って来い。おまえたちの労役は少しも減らさないから。』」
5:12 そこで、民はエジプト全土に散って、わらの代わりに刈り株を集めた。
5:13 監督たちは彼らをせきたてて言った。「わらがあったときと同じように、おまえたちの仕事、おまえたちのその日その日の仕事を仕上げよ。」
5:14 パロの監督たちがこの民の上に立てたイスラエル人の人夫がしらたちは、打ちたたかれ、「なぜおまえたちは定められたれんがの分を、きのうもきょうも、これまでのように仕上げないのか」と言われた。

パロの要求は、れんがを作る材料を与えず、自分でわらを集めに行かせて、その上れんがの量はこれまでと同じであることです。それ故、イスラエルの民は目分でわらを集め、わらが、なくなると刈り株を集めたことが記されています(12節)。
ナバイユ(1883年)とカイル(1908年)は、イスラエル人が建てた町ピトム(1:11)かられんがを発見しています。

出 1:11 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。

そのれんがは、下層からはよく刻まれたわらの入ったものを発見し、中層からはわらは少ししか入っておらず、刈り株入りのれんがを発見し、上層からは粘土だけのれんがを発見しています。これは出エジプト記5章の記事と全く一致しています。これは聖書が真実を記していることの証拠の一つです。科学が発達すればするほど、聖書の真実性がますます証明されてきています。

Ⅳ.15~18節、イスラエルの民の抗議とパロの拒否

出 5:15 そこで、イスラエル人の人夫がしらたちは、パロのところに行き、叫んで言った。「なぜあなたのしもべどもを、このように扱うのですか。
5:16 あなたのしもべどもには、わらが与えられていません。それでも、彼らは私たちに、『れんがを作れ』と言っています。見てください。あなたのしもべどもは打たれています。しかし、いけないのはあなたの民なのです。」
5:17 パロは言った。「おまえたちはなまけ者だ。なまけ者なのだ。だから『私たちの【主】にいけにえをささげに行かせてください』と言っているのだ。
5:18 さあ、すぐに行って働け。わらは与えないが、おまえたちは割り当てどおりれんがを納めるのだ。」

イスラエルの民はパロの圧迫に対して不当な仕打ちだと抗議しました。この抗議に対するパロの答えは、「宗教はなまけ者がするものだ。働け、働け。」でした。この言葉は、信仰を真面目に考えないで、ただ金儲のためにだけ働く人の姿を示しています。その人には真の幸福も勝利も決してあり得ないのです。

Ⅴ.19~21節、モーセに対する民の反発

出 5:19 イスラエル人の人夫がしらたちは、「おまえたちのれんがのその日その日の数を減らしてはならない」と聞かされたとき、これは、悪いことになったと思った。
5:20 彼らはパロのところから出て来たとき、彼らを迎えに来ているモーセとアロンに出会った。
5:21 彼らはふたりに言った。「【主】があなたがたを見て、さばかれますように。あなたがたはパロやその家臣たちに私たちを憎ませ、私たちを殺すために彼らの手に剣を渡したのです。」

イスラエルの人夫がしらたちはパロの言葉を聞いて、事態の深刻さを悟りました。
彼らはその深刻な気持ちを抱いてパロの所から出て来たときに、モーセとアロンに出会いました。恐らくモーセとアロンは心配になって、人夫がしらたちを迎えに来たのでしょう。彼らはモーセとアロンをのろいました。いつでも指導的立場に立つ人は誤解され、非難され、迫害さえ受けることがあるのです。

Ⅵ.22,23節、モーセの神への訴え

出 5:22 それでモーセは【主】のもとに戻り、そして申し上げた。「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。
5:23 私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。」

モーセは自分の働きが失敗したと感じたのでしょう。そしてその原因を神に突き付けています。22節では「なぜ」「何のために」と、私たちがよく使う言葉をモーセも用いています。23節では神の怠慢をなじるような言い方をしています。しかし神は、約束を果たされるために、なお十分な準備が必要だったのです。神のみわざは決して簡単に行なわれるのではありません。
またモーセは、全面的に神に信頼し、神のみこころを悟るために、もう少し信仰の訓練を受ける必要がありました。
(1988.1.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、エジプトのテーベにある、宰相Rechmirê(レクミラ)の墓に描かれた壁画の一部「production of bricks(レンガ作り)」(Wikimedia Commonsより)
レクミラは、古代エジプト第18王朝の時代、BC1400年頃にテーベの統治者としてトトメス三世およびアメンホテプ二世に仕えた宰相である。レンガ作りの作業をしているのは外国人奴隷でセム族とのこと。


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