音声+文書 ロ-マ人への手紙(001) 「ロ-マ人への手紙序論」1:1~17
フランスの画家 Valentin de Boulogne (1591–1632) による「Saint Paul Writing His Epistles(書簡を書いているパウロ)」(アメリカのMuseum of Fine Arts, Houston(ヒューストン美術館)蔵、Wikimedia commons より)
ロ-マ人への手紙 1:1~17
1:1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
1:2 ──この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
1:3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
1:5 このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。
1:6 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です、──このパウロから、
1:7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
1:13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。
1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。
1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
ロ-マ人への手紙は、パウロの教理書簡の中に含まれています。
しかし、私たちが、このロ-マ人への手紙を学ぶ目的は、ただ、聖書の教理的知識を学んで知ることではなく、神がロ-マ人への手紙のみことばを通して、私たち一人一人に対してご自身のみこころを示し、また私たちがそれを悟り、信じ従い、私たち自身の内的経験とし、その生活において、神に応答することです。
神のことばは、私たちが単に、宗教儀式を行なったり、宗教活動をしたり、教理的知識を持つために与えられているのではありません。キリスト教をそのように考えているなら、その人は全く間違っています。それは、救いではなく、キリスト教の外側だけに触っているにすぎません。しかし残念なことに、キリスト教をそのように考えている教会もあり、またその程度で自己欺瞞に陥っている教会員も多くいます。この教会にも、そういう人がいるかも知れません。しかしそれは、キリスト教ではありません。
真のキリスト教は、神のことばが自分の心と生活の中に、信仰によって適用されていなければなりません。神のみことばが自分の心と生活の中で生きていないクリスチャンなんて、あり得ません。クリスチャンとは、心にキリストを宿した者のことですから、教会に来ている人が、クリスチャンなのではなく、洗礼を受けている人がクリスチャンなのでもありません。心の中にキリストを宿している人がクリスチャンなのです。
このロ-マ人への手紙に入るに当たって、まずこのことを覚えていただかなければなりません。私たちは、つまらない空しい神学的議論をするために、このロ-マ人への手紙を学ぶのではないということです。また、キリスト教の教理をわずか知っただけで、自己満足や自慢したりするために、このロ-マ人への手紙を学ぶのではありません。ですから、多少、知識を持ったからと言って、空しい議論や他人を批判するためには、決して使わないでいただきたいのです。もし、そういう人がいれば、厳しく警告するつもりです。
もし、神の真理のみことばを、その程度に考え、そのように使うなら、それは神を冒涜しています。神の真理は、自分に適用しなければなりません。
今日は、ロ-マ人への手紙に入る最初の時ですから、直接、本文に入ります前に、少し序論的なお話をしておこうと思います。
まず、このロ-マ人への手紙を書いたのは、パウロであると、自ら名乗っています。
そのパウロは、このロ-マ人への手紙を規範的に、しかもイエス・キリストの福音の栄光の全てを解き明かそうと、心血を注いでいます。それ故、この書には、独特な深さと広さがあります。
コルリッジは、このロ-マ人への手紙を「現在、存在する最も深遠な書」であると言いました。
ゴ-デ-は、ロ-マ人への手紙を「キリスト教信仰の大聖堂」と呼びました。彼は、ロ-マ人への手紙の「全体の壮大さと細部の仕上げとのいずれをも、どのように賞賛すべきかを知らない。」と言いました。
そして、これまで多くの聖書学者や優れた説教者たちが、このロ-マ人への手紙の解き明かしに挑戦してきました。彼らはみな、エベレストやマッタ-ホルンよりも、更に高い嶺に挑戦する思いを持って、ロ-マ人への手紙の解き明かしに取り組んでいったのです。私も、5年前、難解なヘブル人への手紙の講解を終えた時、次に取り組むべき新約聖書の書簡は、ロ-マ人への手紙であると決心しておりました。そして今、私たちはここに、エベレストやマッタ-ホルンよりも高い山頂をめざして、登り始めようとしているのです。そして私の心は、一種の神への畏れと、十分に解き明かすことができるか、という不安と、さらには、神の恵みの高嶺に向かうワクワクした期待とがあります。
次に、ロ-マ人への手紙は、パウロが、いつごろ、どのような時に書いたのかを、考えてみましょう。
それは、パウロの第三次伝道旅行からエルサレムに帰る直前に、ギリシヤに三ヶ月間、滞在していた時(使徒20:2,3)に、コリントで書いたということは、ほとんどの学者の間で一致しています。
使20:2 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。20:3 パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。
しかし、それが何年の何月頃であったかは、かなり難しい問題です。しかし、パウロの生涯と奉仕の全体からすると、使徒18章12節の「ガリオがアカヤの総督であった」ことが、一つの目安になります。
使 18:12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、
デルフィの碑文によると、ガリオはAD52年に地方総督であったことが記されています。彼の任期は2年間でしたから、ガリオはAD50年から54年の2年間、地方総督であったわけです。パウロは使徒18章から20章のギリシヤ滞在まで、およそ、2年過ぎていますから、このロ-マ人への手紙は、早ければAD55年、遅くても59年までには、書かれていたことが分かります。それ故、この手紙は、パウロの生涯のそんなに早い時期のものではないことが分かります。
次に、パウロはこの手紙を、「ロ-マにある教会へ書く」と言っていないことに、注目しなければなりません。
コリント人への手紙では、「コリントにある神の教会へ」(Ⅰコリント1:2)
ガラテヤ人への手紙には、「ガラテヤの諸教会へ」(ガラテヤ1:2)と、宛先を「教会」にしていますのに、
ロ-マ人への手紙では、「ロ-マにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ」(ロ-マ1:7)と言っています。これは、ロ-マには、まだ教会という、はっきりとした組織ができていなかったことを示しています。しかしロ-マ人への手紙16章3~5節では、プリスカ(プリスキラとも呼ばれています。使徒18:2)とアクラの家に集まっていた人々を、「その家の教会」と呼んでいます。このプリスカとアクラは、信徒の夫婦でしたが、すぐれた信仰者で、よくパウロを助けています。使徒の働き18章2,3節では、この夫婦はポント生まれのユダヤ人で、クラウデオ帝の時、ロ-マから追放され、コリントに来ていました。
ロマ16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。16:4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。16:5 またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。
使18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、18:3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
彼らはパウロと同様に天幕作りを職業にしていましたので、パウロと天幕作りをしています。そればかりでなく、二人は信仰的にすぐれていました。伝道者アポロの足りない点を教え、「神の道をもっと正確に彼に説明した。」(使徒18:26)とあります。彼らは信徒でしたが、伝道者以上の伝道者でした。こういう人が私たちの教会に起こされてくることを、ひたすら願っています。あなたが、プリスキラとアクラになりませんか。プリスキラとアクラの家は小さかったかも知れませんが、真の教会の姿があります。これが当時のロ-マの教会の姿でした。彼らは大きな教会堂を持っていたのでもなく、また権威を誇示するような団体や組織を持っていたのではありません。彼らは多くの地方から集まってきた信者たちで、ユダヤ人や異邦人たちが混合している状態でした。ロ-マの教会は、このようにとても複雑な状態の中にありました。
ロ-マの教会は、カトリックの人々が主張するように、ペテロがロ-マの教会を建設し、初代の教皇(法王)になったのでは決してありません。ロ-マの教会は、ロ-マに移ってきていたクリスチャンたちが、お互いにクリスチャンであることを知って、礼拝するために小さいグル-プを作って家庭で集会を開き、そこからさらに回心する者が起こされて、ロ-マの教会ができていったのです。当時のロ-マには、そのような小さい集会があちこちのクリスチャンの家庭で行なわれていました。これをパウロは「家の教会」と呼んだのです。これらのクリスチャンたちは、まだまだ初歩的な信仰で、自分たちの信仰を堅くし、力ある教会に育てるために、すぐれた霊的指導と助力を必要としていたのです。
今日、中国のクリスチャンの多くは、これと同じような家の教会で礼拝や集会を守っています。これはすでに真の教会の姿であり、また教会が建設され、成長するために、非常に重要なことです。
この日本においては、敗戦後、日本人に信仰もないのに外国から宣教師が入ってきて、教会堂を建ててしまいました。日本人の心の中に、信仰の準備が出来ていないうちに教会の組織、団体、そして建物が出来てしまったのです。その影響は、今日もなお、尾を引いています。中味のない教会、聖書を知らない教会、信仰のない教会、サロン的な教会、装飾品になってしまった教会、讃美も、力もない教会、霊的いのちのない教会、これが日本の教会の特徴ではありませんか。私たちの教会は、組織を整えていく前に、信仰の実質を養っておく必要がないでしょうか。この点を十分点検しつつ進みたいものです。
さて、パウロは、さしたる指導者もなく、ただ集まってきたクリスチャンたちが一つの群れをなしつつあったロ-マの教会に、なんとしても健全で力強い霊的指導をしたいと、長年願っていました。そうしなければ、必ず、ロ-マの教会は異端にかきまわされるか、争いを起こすか、混乱を招くだろうと、心配していたのです。そうなる前に、彼は先手を打って、正しい信仰の基礎をロ-マのクリスチャンたちに築きたかったのです。
パウロは、長い間、ロ-マのクリスチャンたちのために祈っています。
「………私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。」(ロ-マ1:9,10)
パウロは長い間、ロ-マを訪問して、ロ-マにいるクリスチャンたちを励まして、指導したいと願っていました。しかし彼は、多くの宣教の労苦のために、ロ-マ行きを果たすことが出来ませんでした。ご存知かと思いますが、パウロのロ-マ行きが実現したのは、彼の囚人としてのロ-マ行きによってです。そのことについては、使徒の働きの終わりの部分に記されています。
このようなパウロの生涯を見ますと、現代のクリスチャンには、甘えが深く入り込んでおり、遊びが過ぎているように思います。クリスチャンが生活に甘えて、遊んでいては、キリストの福音を、この日本に浸透させることは不可能です。
クリスチャンはこの世の流れに調子を合わせません。(ロ-マ12:2)
ロマ 12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
クリスチャンは神の国に向かって神の道を独自に歩み続けている者です。先日、地下鉄に乗りましたら、正面に座っておられた婦人がバッグの中から教会学校の教案誌を取り出して、しきりに読んでおられるのを見て、私は感銘しました。神の国が、ここにもあると思いました。この世から離れたクリスチャンの独自の生き方があるのです。
さて、パウロは、長い間、ロ-マに行きたいと願いつつ、行けない欠けを何らかの方法で補わなければならなかったのです。1章11節で、
「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。」と言っています。
彼らの信仰は、幼かったのです。彼らの信仰は、偽りの福音によって、誤った根を下ろす危険性あったのです。彼らは神のみことばに対する理解力を、十分に持っていませんでした。そこで、パウロはキリストの福音の意味するところを、出来るだけ十分に説明するために、この手紙を書いたのです。これによって、クリスチャンが強くなり、あらゆる危険に対抗して立ち、勝利に向かって前進できるようになったのです。
特に、ロ-マのクリスチャンは、いろいろな背景から集まってきた人たちでしたから、「義」について、様々な考え方をしていました。パウロは彼らに、神の義を明確に教えています。パウロは、ロ-マ人への手紙の中で、四種類の人種を取り上げています。第一はギリシヤ人、第二は未開人、第三はロ-マ人、第四はユダヤ人です。この四種類の人種のうちギリシヤ人とロ-マ人とユダヤ人の三種類の民族は、その特徴がはっきりしています。
第一にギリシヤ人は、知恵と知識に卓越した民族です。彼らは美術、文学、哲学、体育、建築と、すぐれた能力を発揮しています。彼らは特別な美的才能を持ち、研究心が旺盛で、また開拓の能力もありました。彼らは植民地を次々と開拓して、成功しました。古代エジプトもすばらしい文明を持っていましたが、ギリシヤ人ほど研究心や開拓精神が旺盛ではありませんでした。BC330年のアレキサンダ-による広大なギリシヤ帝国の樹立は、このような旺盛な開拓精神によるものでしょう。
さらに、ギリシヤの文化はキリスト教に大きく貢献しています。当時の世界の共通語はギリシヤ語でした。しかもギリシヤ語は、すぐれた表現ができる特殊な言葉です。新約聖書がギリシヤ語で書かれていることは、二つの点で意味深いことです。
第一は、神のみわざを表わすのに、最も適した言葉であるということです。
第二は、キリスト教の初期の時代に、キリストの福音が急速に世界に広がるのに、最も適していたのです。キリスト教はユダヤの地から発祥したのに、その真理を伝えた言葉がへブル語ではなく、ギリシヤ語であったことは、神の深い摂理によるものです。
第二のロ-マ人の特色は、法律と政治による支配です。BC146年、ギリシヤはロ-マの植民地となり、またユダヤを初め、アジヤ、ヨ-ロッパ、アフリカにかけての諸国は、ロ-マの支配下に陥りました。
ロ-マは武力によって世界を支配するために、あらゆる所に、速やかに軍隊を送ることができるように、街道を造りました。しかし、この街道はキリストの福音が進み行くために備えられたものであると言ってもいいでしょう。
ギリシヤ人は知恵を誇り、ロ-マ人は武力を誇りましたが、ユダヤ人の特徴は商売と宗教です。ユダヤ人たちは商売と共に、自分たちの宗教を持って、世界に出て行ったのです。彼らは、シリヤのアンテオケ、エジプトのアレキサンドリア、アカヤ、ギリシヤ、ロ-マへと神の摂理によって、散らされて行ったのです。ユダヤ民族の特色は、何度も世界に散らされた民族です。ユダヤ人は商売で行く所、行く所において、旧約聖書でしたが、聖書の神を伝えました。それはキリスト教宣教の重大な準備をしていたのです。現代のキリスト教は、もっと職業の中にも浸透していくべきです。もし、昔の富山の薬売りの人が、各家庭に薬を売りつつ、キリストの福音を伝えていたなら、日本は変わっていたでしょう。
ユダヤ人が自分の商売と共に、宗教を拡大していったやり方は、今日の私たちも再考に値するものがあります。中国に伝えられたキリスト教(ネストリウス派の景教)は、あのシルク・ロ-ドを通って、商人たちによって伝えられたものです。ユダヤ人のこの宗教的根強さを今日のクリスチャンも持ちたいものです。
最後に、ロ-マ人への手紙の大まかな内容について、お話しておきましょう。
1~5章
人間は、自分の行為によっては、神の義に到達できず、神の恵みと信仰によらなければならないことを強調しています。
6~8章
聖潔の恵みもまた信仰によるものでることを強調しています。
6章 十字架によって罪からの自由が経験できること
7章 律法は罪からの自由を達成できないこと
8章 御霊に満たされたクリスチャンの生活は、勝利と希望と安全に満ちていることこの8章はロ-マ人への手紙のピ-クであるということができるでしょう。
9~11章
イスラエル人の不信仰は、イスラエル自身の不服従の責任であると共に、神の救いが外国人にまで及ぶことが、目的であったことが明らかにされています。
12~16章
信仰による神の義に土台を据える時、すべてのクリスチャンは信仰に堅くされ、勝利を得ることができることを強調しています。
これらのロ-マ人への手紙の内容は、今日の私たちにも必要なものです。これからロ-マ人への手紙を学びつつ、主に礼拝をささげるのですが、礼拝は出席するのに意義があるのではありません。神のみことばを通して、各々が神と出会い、神が一人一人に対して語られ、私たちが神に応答することが、礼拝です。ですから、ぜひ、ロ-マ人への手紙を深く読んで、礼拝にお加わりください。
地の塩港南キリスト教会牧師 眞部 明