音声:信仰の列伝(15) アブラハムの信仰(5) 「神の都を待ち望む」

2016年11月6日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明牧師

へブル人への手紙11章10節
11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

<インフォメーション>
神殿の土台石は、第一に神のみことば、第二に神の保護でありますが、第三の十二の宝石の意味するものは、何でしょうか。
これは、儀式や戒めのようなものではなく、永遠に価値高いものを示しています。ニネべやローマの繁栄のような、色あせて、朽ちてしまう都のことではありません。
それでは、これらの宝石の意味するものは何でしょうか。 「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(コリント第一、3:16)
「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」(コリント第一、6:19~20)
この土台石は、神の栄光を現わすものです。
この土台石は、何でしょうか。パウロは、それを神の御霊が宿ることによって、実るものだと言っています。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(ガラテヤ5:22~23)
先ず、御霊の実が、永遠の神の都の実際の土台であることが分かります。これをもっと経験的に分かるように話されたのが、第一コリント、13:4~8です。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。」
12~13節「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とをあわせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
これで、ますます土台石の宝石がはっきりしてきました。
もう一つ、みことばをご紹介します。
「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」(ペテロ第二、1:4~8)
ここにも、神の土台石が記されています。
ヨハネの黙示録は、私の神の神殿の土台石を象徴的に記されたのです。
主イエスは、もう一つ、今現在の私たちの信仰生活の土台石についても教えて下さっています。

<今週の活用聖旬>
コリント人への手紙第一、6章19~20節
「あなたがたのからだは、・・・神から受けた聖霊の宮であり、・・・代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」

地の塩港南キリスト教会
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