週報No.2252 希望の預言エゼキエル書(36)「エゼキエルの哀歌」 エゼキエル書 19:1~14

2020年9月13日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 19:1~14
19:1 あなたはイスラエルの君主たちのために哀歌を唱えて、
19:2 言え。あなたの母である雌獅子は何なのか。雄獅子の間に伏し、若い獅子の間で子獅子を養った。
19:3 雌獅子が子獅子のうちの一頭を育て上げると、それは若い獅子となり、獲物を引き裂くことを習い、人を食べた。
19:4 諸国の民はその獅子のうわさを聞いた。その獅子は彼らの落とし穴で捕らえられた。彼らは鉤でこれをエジプトの地へ引きずって行った。
19:5 雌獅子は、待ちくたびれ、自分の望みが消えうせたことを知ったとき、子獅子のうちのほかの一頭を取り、若い獅子とした。
19:6 これも、雄獅子の間を歩き回り、若い獅子となって、獲物を引き裂くことを習い、人を食べた。
19:7 この獅子は人のやもめたちを犯し、町々を廃墟とした。そのほえる声のために、地と、それに満ちているものはおののいた。
19:8 そこで、諸国の民は、回りの州から攻め上り、その獅子に彼らの網を打ちかけた。その獅子は彼らの落とし穴で捕らえられた。
19:9 彼らはそれを鉤にかけておりに入れ、バビロンの王のもとに引いて行った。彼らはそれをとりでに閉じ込め、二度とその声がイスラエルの山々に聞こえないようにした。
19:10 あなたの母は、まさしく、水のほとりに植えられたぶどうの木のようだった。水が豊かなために実りが良く、枝も茂った。
19:11 その強い枝は王の杖となり、そのたけは茂みの中できわだって高く、多くの小枝をつけてきわだって見えた。
19:12 しかし、それは憤りのうちに引き抜かれ、地に投げ捨てられ、東風はその実を枯らし、その強い枝も折られて枯れ、火に焼き尽くされた。
19:13 今や、それは、荒野と砂漠と、潤いのない地に移し植えられ、
19:14 火がその枝から出て、その若枝と実を焼き尽くした。もう、それには王の杖となる強い枝がなくなった。」これは悲しみの歌、哀歌となった。【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

最後にエゼキエルは、「これは悲しみの歌、哀歌となった。」と付け加えていますが、不信仰によって、不幸な事態となったことを嘆くしかないことを訴えています。

しかし、新約に生きる私たちにとって、私の罪のために身代わりとなって十字架にかかって死んでくださったイエス・キリストの苦しみと悲しみを、深く思い見るべきではないでしょうか。

その苦しみ、痛みは、主の肉体を釘で打ちつけ、引き裂いた激痛だけでなく、罪のない聖なるお方が、私の罪を背負われ、罪ある者とみなされて、父なる神に捨てられ、これまで永遠に一度も途絶えたことのなかった、父なる神との交わりが途絶えたことの痛みと苦しみは、人間には測り知れないものです。

それでも、主イエス様がお受けくださった苦しみを思いみることは、私たちにとって重要なことです。

それ故、私たちには、悲しみの歌、哀歌ではなく、信仰による救いの喜びの歌、感謝の歌、主をほめたたえる歌、賛美があるのです。

この二つの哀歌が、私たちに訴えることは、

私たちは神の義と真理にとどまっている時には、力に満ちた獅子のようであっても、それで高ぶって、自分の知恵と力に頼って自信に満ちて、神に逆らえば、自ら実を結ばないだけでなく、根こそぎ引き抜かれてしまう枝となってしまうのです。

私たちは、真理と信仰にとどまっている時にのみ、強いのです。
「私たちは、真理に逆らっては何もすることができず、真理のためなら何でもできるのです。」(コリント第二、13:8)

「真理に逆らう」とは、主イエスと聖霊とみことばに頼らず、自分の知恵と欲と力に頼っていることです。」

迫害者パウロは、主イエスの強い光と御声に打たれる前は、パリサイ人の熱心に従うことが、神に仕えることだと思い込んでいたのです。当時の多くの律法学者、パリサイ人も、パウロと同じ考えに捕らわれていたのです。それ故、激しく主イエスに逆らったのです。

ユダヤ人の教師だったニコデモも、自分が質問している目の前の主イエス様が真理であることを悟らなかったのです。人の姿をとっておられた主イエス様を、自分と同じユダヤ人の教師だと思い込んでいたからです。

それ故、主は弟子たちに、「あなたがたは、わたしをだれと言うか。」と尋ねられました。ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えた時、主は「このことを明らかに示したのは、人間ではなく、天にいますわたしの父です。」と言われました。生ける霊である真理は、人間の知性や理性を尽くしても、悟ることができません。

私たちは、「わたしが真理である。」と言われた主イエスを信じて受け入れることによってのみ、真理を経験するのです。知ることができるのです。

「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)真理である主イエスのご人格を内に持つことによって、私のたましいは解放されるのです。この経験がないと、霊的交わりが自由になりません。

主イエス様は「だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」(ヨハネ15:6)

「ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(エペソ4:21~24)

エゼキエルが教えているメッセージも、滅びて行く古い人を脱ぎ捨てて、心にキリストにある新しい人を着るべきことを預言しています。それはイエス・キリストを内に宿すことによって、神に似て造られている真理に基づく義と聖である新しい人を持つことです。
これが神のご目的です。

聖書は、この真理を表わすために、信仰者の生きた信仰を大きな木の枝に例えたり、ぶどうの木の枝として表わしています。
「まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口づさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その菓は枯れない。…」(詩篇1:2~3)
この詩篇では、新しい人を持つために、みことばといのちの水を必要としています。

ヨハネ15:7ではみことばと、9節ではキリストの愛を、エペソ4:21~24では真理に基づいた義と聖を取り上げ、これらの真理の要素が、キリストにある新しい人の永遠性の土台となっているのです。

<今週の活用聖句>

エペソ人への手紙4章23~24節
「またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」

<集会案内>

◇9月16日(水)聖別会(5) 午前10時半
「罪の二面性(1)

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