聖書の探求(062a) 出エジプト記26章 幕屋建造について

26章は幕屋建造について記されています。

Ⅰ.1~6、15~30節、内側の幕と板

出 26:1 幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。
26:2 幕の長さは、おのおの二十八キュビト、幕の幅は、おのおの四キュビト、幕はみな同じ寸法とする。
26:3 その五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、また他の五枚の幕も互いにつなぎ合わせなければならない。
26:4 そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に青いひもの輪をつける。他のつなぎ合わせたものの端にある幕の縁にも、そのようにしなければならない。
26:5 その一枚の幕に輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の端にも輪五十個をつけ、その輪を互いに向かい合わせにしなければならない。
26:6 金の留め金五十個を作り、その留め金で幕を互いにつなぎ合わせて一つの幕屋にする。

幕屋の重要な特徴は、人が持ち運ぶことができるように造られていることです。

長さ約13.5m、巾約4.5m、高さ約4.5m

上の絵は、「バイブル・ワールド、地図でめぐる聖書」(ニック・ペイジ著、いのちのことば社刊)より、幕屋の想像図。

三つの側面はアカシヤ材の板で組まれ、正面は開放して柱が建てられ、屋根はやぎの毛、赤くなめした雄羊の皮とじゅごんの皮で三重におおわれています。
これらはみな、分解して取りはずして運ぶことができるようになっています。この幕屋が移動式であったのは、神の臨在が人とともに移動することを意味しています。
今日、私たちもこの神の臨在を日常生活の中でぜひ体験したいものです。みことばに従う生活は必ずこのことを可能にしてくれます。

この組み立て式幕屋はソロモンの神殿が建てられるまで用いられましたから、実に堅牢なものでした。

幕は五枚ずつ互いにつなぎ合わされ(3節)、金の輪で止められていました。(5,6節)。

また側面のアカシヤ材の板も、はめ込みのほぞを作って、組み立てられていました(17節)。

26:15 幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作る。
26:16 板一枚の長さは十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。
26:17 板一枚ごとに、はめ込みのほぞ二つを作る。幕屋の板全部にこのようにしなければならない。
26:18 幕屋のために板を作る。南側に板二十枚。
26:19 その二十枚の板の下に銀の台座四十個を作らなければならない。一枚の板の下に、二つのほぞに二個の台座を、他の板の下にも、二つのほぞに二個の台座を作る。
26:20 幕屋の他の側、すなわち北側に、板二十枚。
26:21 銀の台座四十個。すなわち一枚の板の下に二個の台座。他の板の下にも二個の台座。
26:22 幕屋のうしろ、すなわち、西側に、板六枚を作らなければならない。
26:23 幕屋のうしろの両隅のために板二枚を作らなければならない。
26:24 底部では重なり合い、上部では、一つの環で一つに合うようになる。二枚とも、そのようにしなければならない。これらが両隅となる。
26:25 板は八枚、その銀の台座は十六個、すなわち一枚の板の下に二個の台座、他の板の下にも二個の台座となる。

さらに横木がさし込まれて、しっかりと組み立てられました(26~28節)。

出 26:26 アカシヤ材で横木を作る。すなわち、幕屋の一方の側の板のために五本、
26:27 幕屋の他の側の板のために横木五本、幕屋のうしろ、すなわち西側の板のために横木五本を作る。
26:28 板の中間にある中央横木は、端から端まで通るようにする。
26:29 板には金をかぶせ、横木を通す環を金で作らなければならない。横木には金をかぶせる。
26:30 あなたは山で示された定めのとおりに、幕屋を建てなければならない。

これらはまさに、キリストのからだの各枝々を表わしています。
「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4:16)

エペ 4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

Ⅱ.7~14節、天幕

出 26:7 また、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作る。その幕を十一枚作らなければならない。
26:8 その一枚の幕の長さは三十キュビト。その一枚の幕の幅は四キュビト。その十一枚の幕は同じ寸法とする。
26:9 その五枚の幕を一つにつなぎ合わせ、また、ほかの六枚の幕を一つにつなぎ合わせ、その六枚目の幕を天幕の前で折り重ねる。
26:10 そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の縁にも輪五十個をつける。
26:11 青銅の留め金五十個を作り、その留め金を輪にはめ、天幕をつなぎ合わせて一つとする。
26:12 天幕の幕の残って垂れる部分、すなわち、その残りの半幕は幕屋のうしろに垂らさなければならない。
26:13 そして、天幕の幕の長さで余る部分、すなわち、一方の一キュビトと他の一キュビトは幕屋をおおうように、その天幕の両側、こちら側とあちら側に、垂らしておかなければならない。
26:14 天幕のために赤くなめした雄羊の皮のおおいと、その上に掛けるじゅごんの皮のおおいを作る。

天幕が三重だったのは、至聖所のシェキナの栄光が外にもれないためであったと思われます。しかし神の栄光をおおい隠し切ることはできません。マタイの福音書17章の変貌の山での主イエスの姿変わりは、まさにこのことを意味しています。主イエスはご自身の神の栄光を人の体でおおわれていましたが、おおいきることができず、栄光の輝きがもれ出たのが、この時の姿変わりです。しかし、この世の神であるサタンはキリストの栄光の光を輝かせないようにと、必死になって人の思いをくらませているのです(コリント第二4:4,6)。

Ⅱコリ 4:4 その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

4:6 「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。

しかしサタンは必ず、失敗します。

Ⅲ.31~35節、聖所と至聖所の間の垂れ幕

出 26:31 青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。
26:32 これを、四つの銀の台座の上に据えられ、その鉤が金でできている、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱につける。
26:33 その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。
26:34 至聖所にあるあかしの箱の上に『贖いのふた』を置く。
26:35 机を垂れ幕の外側に置き、その机は幕屋の南側にある燭台と向かい合わせる。その机を北側に置く。

これは主が十字架にかかられた時に、上から下に、切って落とされました(マタイ27:51)。

マタ 27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。

上から裂けたのは、これは神がなさったことを示しています。旧約の幕屋は、直接神の臨在に触れる者を制限していましたが、キリストの十字架によってこの幕が引き裂かれた時、すべての信者が直接、神の臨在の中に入っていけるようになったのです(ヘブル4:16、10:19~22)。

ヘブル 4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

ヘブル 10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。
10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
10:21 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。
10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

Ⅳ.36,37節、入口の幕

これは救いの入口であるといってもよいでしょう。この幕は五本のアカシヤ材の柱にかけられています。ここは頻繁に出入りするので、それに耐えるように丈夫に造られていました。

私たちも、救いの入口を明確に、しかもしっかりとしておかなければなりません。教会に行き始めて、いつの間にかクリスチャンになったような言い方をする人がいますが、罪の悔い改めとイエス・キリストの身代わりの十字架の救いの信仰がはっきりしていないと、あとで問題を起こすことになります。主イエスはこう言われています。

「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」(ヨハネ10:9)

豊かな実りある信仰生涯を送りたかったら、まず、正しい救いの入口から入らなければなりません。裏口からもぐりこむようなことをしてはいけません。

(幕屋の重要性)

幕屋の重要性は、幕屋がキリストのヒナ型であるところにあります。

(1) 神が罪人と会われる所(25:22)

出 25:22 わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。

(2) 神が罪人と語られる所(25:22)

出 25:22 わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。

(3) 神が人にご自身を現わされる所(29:45,46)

出 29:45 わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。
29:46 彼らは、わたしが彼らの神、【主】であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、【主】である。

(4) 神の御意志の伝達の場(29:42)

出 29:42 これは、【主】の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。

(5) 神が罪人からいけにえを受け入れられる所(レビ記1:4)

レビ 1:4 その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。

(6) 神が罪人の罪を赦される所(レビ記4:20,26,31,35)

レビ4:20 この雄牛に対して、彼が罪のためのいけにえの雄牛に対してしたようにしなさい。これにも同様にしなければならない。こうして祭司は彼らのために贖いをしなさい。彼らは赦される。

レビ 4:26 また、彼は和解のいけにえの脂肪の場合と同様に、その脂肪を全部、祭壇の上で焼いて煙にしなければならない。祭司は、その人のために、その人の罪の贖いをしなさい。その人は赦される。

レビ 4:31 また、脂肪が和解のいけにえから取り除かれる場合と同様に、その脂肪全部を取り除かなければならない。祭司は【主】へのなだめのかおりとして、それを祭壇の上で焼いて煙にしなさい。祭司は、その人のために贖いをしなさい。その人は赦される。

レビ 4:35 また、和解のいけにえの子羊の脂肪が取り除かれる場合と同様に、その脂肪全部を取り除かなければならない。祭司はそれを祭壇の上で、【主】への火によるささげ物の上に載せて焼いて煙にしなさい。祭司は、その人のために、その人が犯した罪の贖いをしなさい。その人は赦される。

(7) 神が罪人を受け入れられる所(出エジプト記23:15~17)

出 23:15 種を入れないパンの祭りを守らなければならない。わたしが命じたとおり、アビブの月の定められた時に、七日間、種を入れないパンを食べなければならない。それは、その月にあなたがエジプトから出たからである。だれも、何も持たずにわたしの前に出てはならない。
23:16 また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行わなければならない。
23:17 年に三度、男子はみな、あなたの主、【主】の前に出なければならない。

これらはみな、イエス・キリストによって完全なものとされました。幕屋はこれらのキリストのみわざを予表するものでした。

あとがき

人の人格は神のことば、聖書によってしか育てられないことを痛感しています。教育制度を変えても、政治家たちを入れ換えても、社会は同じことを繰り返すだけです。崩壊しているのは教育や政治の世界だけではありません。個人の人格の崩壊、家庭の崩壊が私たちの周辺で音を立てて起きています。しかし、だれもそれを救うのが聖書であることに気づいていません。

クリスチャンと言われている人々ですら、相変わらず聖書に無関心です。創世記から黙示録までが自分にとって親しいものになるのには根気と時間が要ります。しかし意欲さえあればできます。しかもその報いは莫大です。聖書をあまりにも知らなさすぎる。これが私たちの最大の欠陥です。ですから、サタンに翻弄され、崩壊していくのです。個人、家庭、社会を建て直すのは、まずクリスチャンが聖書を十分に知ることから始めなければなりません。知らないものを喜ぶことも、味わうことも、まして伝えることもできません。いつも聖書が最大の関心事でありたい。

(まなべあきら 1989.5.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、イスラエルのティムナ渓谷に造られた幕屋の実物大模型(2013年の訪問時に撮影)。

(ご参考:「たけさんのイスラエル紀行、”Model of the Tabernacle at Timna”(ティムナの幕屋モデル)」


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