聖書の探求(072) レビ記 1章 全焼のいけにえ

1章は、全焼のいけにえについて記しています。これは毎日、朝ごとに夕ごとに主に献げるいけにえでした(出エジプト記29:42)。

出 29:42 これは、【主】の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。

 これは、神に受け入れられるため、また贖罪のためでした(レビ記1:3,4)。

レビ 1:3 もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。それを、彼が【主】の前に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。
1:4 その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。

 このいけにえは全部神に献げられ、神はそれで満足されるのでした(勿論、予表的な意味においてですが)。

 また、これは主イエス・キリストのご献身、彼の神への完全な自己放棄を表わしています(エペソ5:2)。

エペ 5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

 これはクリスチャンに適用されて、全き献身を表わします(ローマ12:1,2)。

ロマ 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 1節をみますと、このレビ記は主が会見の天幕からモーセに語られたものであることがわかります。このことから、このレビ記が記された期間をおおよそ限定することができます。すなわち、出エジプト記40章2,17節の第一月の第一日に幕屋が建てられた時から、民数記10章11節の第二月の二十日のシナイ出発までの、わずか五十日の間に記されたことになります。

出 40:2 「第一の月の一日に、あなたは会見の天幕である幕屋を建てなければならない。出 40:17 第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。

民 10:11 第二年目の第二月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。

 主は、出エジプト記の後半で幕屋建造について命じられましたが、その次に命じられたことは、きちんとした礼拝をささげることでした。これは教会の働きは、会堂建設がすべてでないことを示しています。問題は会堂の中でどんな礼拝が行われるかです。それ故、レビ記は礼拝の書であるということができます。礼拝は贖われた人の特権であります。クリスチャンは礼拝儀式に出席するだけでなく、「霊とまこと」をもって礼拝すべきです(ヨハネ4:23,24)。

ヨハ 4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

 賛美も、祈りも、献金も、みことばに仕えることも、いいかげんな気持ちでなすべきではありません。自分の全存在をもって、神にささげるべきです。それはまた、週日の日常生活の中に反映されなければなりません。そうしなければ、神を欺くことになります。日曜日にささげられた礼拝は月曜日から土曜日の生活の中での礼拝に引き継がれなければなりません。こうして実ってくるのです。クリスチャンに実りがないのは礼拝が日曜日だけで終わってしまっているからではないでしょうか。

 ちなみに、創世記は堕落した人、出エジプト記は贖われた人、レビ記は礼拝する人を記していると言ってよいでしょう。

 また、1節をみると、この礼拝様式の制定には、主がリーダーシップをとっておられることがわかります。それ故、ここに含まれている霊的意味はクリスチャンにとっても重要なものです。この主のリーダーシップは、レビ記中に、主の直接命令が五十六回も記されていることでもわかります。

レビ 1:1 【主】はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられた。
1:2 「イスラエル人に告げて言え。もし、あなたがたが【主】にささげ物をささげるときは、だれでも、家畜の中から牛か羊をそのささげ物としてささげなければならない。

 主は、レビ記の第1章において、礼拝における最重要点から始められました。全焼のいけにえが示す最も重要な霊的意味は、キリストの十字架です。またそこからは、キリストに対する私たちの全き献身も引き出されてきます。

 全焼のいけにえに用いられるいけにえは、牛と羊と鳩です。この三種類が定められているのは、献げる者の力に応じて献げられるようにとの配慮があったものと思われます。しかし、全焼のいけにえの特長は、動物の一部分を献げるのではなく、全部を献げるところにあります。キリストは私たちのために、ご自分の一部をではなく、ご自分のすべてを十字架の上に献げてくださったのです。また、私たちの献身も、一部分を献げた部分献身ではなく、すべてを献げた全き献身でなければなりません。

 もう一つの全焼のいけにえの特長は、血と火が特に強調されている点にあります。血は祭壇の周囲に注ぎかけられ、切り分けられた肉と頭と脂肪は火で焼きつくされ、神へのなだめのかおりとして献げられます。このことは、礼拝における重要な要素が、キリストの血と聖霊の火であることを示しています。キリストの血による贖いと、聖霊の火による潔めと満たしのない礼拝は、決して神に喜ばれるものではありません。

 3,10節「傷のない」神に献げるいけにえは、傷のないものでなければなりません。

レビ 1:3 もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。それを、彼が【主】の前に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。

レビ 1:10 しかし、もし全焼のいけにえのためのささげ物が、羊の群れ、すなわち子羊またはやぎの中からなら、傷のない雄でなければならない。

 パウロはこれを口ーマ12章1節では、「聖い」という言葉で表わしています。私たちの罪のためのいけにえは、イエス・キリストという全きいけにえでした(ヘブル9:14)。

ロマ 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

ヘブル 9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

 しかし今、私たちが献げるべき「傷のない」いけにえとは何か。それは、私たちの生活のすべての動機が、神に対して聖く、全きものであることです。

 神に献げるべきいけにえは、大きいか、小さいかではなく、傷のない聖なるものでなければなりません。まず、私たちの生活は、大事業を成し遂げるかどうかということより、聖なるものでなければなりません。神はそれを要求しています。神は、心に愛の動機の伴わない、うわべだけの宗教を嫌われます。

 4節、「頭の上に手を置く」(16:21)

レビ 1:4 その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。

レビ 16:21 アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。

 これは、いけにえを献げる者が自分の罪を告白し、その罪を、このいけにえが代わりに背負うことを意味しています。これは明らかに、イエス・キリストが私たちの罪のすべてを代わりに背負ってくださることの予表です(ペテロ第一2:24)。

Ⅰペテ 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

 ここでもう一つ大切な点は、いけにえの頭の上に手を置くという罪の告白と、いけにえの血を祭壇のまわりに注ぎかけるという贖いのみわざが終えられた後に、全焼のいけにえが献げられていることです。すなわち、全き献身をする前に、罪の告白と贖罪のみわざが完了されていなければならないことです。

 4節の「贖う」という語は、ヘブル語では「おおう」という意味があります。すなわち、神が見るにたえない人の罪は、いけにえの血によっておおわれるのです。これは人に対しても(レビ記4:20)、祭壇や器具に対しても(出エジプト記29:36,37)用いられています。

レビ 4:20 この雄牛に対して、彼が罪のためのいけにえの雄牛に対してしたようにしなさい。これにも同様にしなければならない。こうして祭司は彼らのために贖いをしなさい。彼らは赦される。

出 29:36 毎日、贖罪のために、罪のためのいけにえとして雄牛一頭をささげなければならない。祭壇のための贖いをするときには、その上に罪のためのいけにえをささげ、これを聖別するために油をそそぐ。
29:37 七日間にわたって祭壇のための贖いをしなければならない。あなたがそれを聖別すれば、祭壇は最も聖なるものとなる。祭壇に触れるものもすべて聖なるものとなる。

 5節から、「祭司であるアロンの子ら」という言葉が出てくることに注意したい。

レビ 1:5 その若い牛は、【主】の前でほふり、祭司であるアロンの子らは、その血を持って行って、会見の天幕の入口にある祭壇の回りに、その血を注ぎかけなさい。

 礼拝をささげる奉仕は、祭司のなすべきことです。主イエスは永遠の大祭司(ヘブル2:17、4:14)であられますが、クリスチャンはこの地上にあって祭司として、神に礼拝をささげ、また他人のために執り成しをする務めに与かっています(ペテロ第一2:5、9)。

ヘブル 2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。

ヘブル 4:14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。

Ⅰペテ 2:5 あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

(1)、祭司は常に、神に近づく時にいけにえの血をたずさえていなければなりません(5節)

レビ 1:5 その若い牛は、【主】の前でほふり、祭司であるアロンの子らは、その血を持って行って、会見の天幕の入口にある祭壇の回りに、その血を注ぎかけなさい。

(2)、祭司は常に、聖霊の火を整えていなければなりません(7節)。

レビ 1:7 祭司であるアロンの子らは祭壇の上に火を置き、その火の上にたきぎを整えなさい。

レビ 1:6 また、その全焼のいけにえの皮をはぎ、いけにえを部分に切り分けなさい。
1:8 祭司であるアロンの子らは、その切り分けた部分と、頭と、脂肪とを祭壇の上にある火の上のたきぎの上に整えなさい。
1:9 内臓と足は、水で洗わなければならない。祭司はこれら全部を祭壇の上で全焼のいけにえとして焼いて煙にする。これは、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。
1:10 しかし、もし全焼のいけにえのためのささげ物が、羊の群れ、すなわち子羊またはやぎの中からなら、傷のない雄でなければならない。
1:11 祭壇の北側で、【主】の前にこれをほふりなさい。そして祭司であるアロンの子らは、その血を祭壇の回りに注ぎかけなさい。
1:12 また、それを、部分に切り分け、祭司はこれを頭と脂肪に添えて祭壇の上にある火の上のたきぎの上に整えなさい。
1:13 内臓と足は、水で洗わなければならない。こうして祭司はそれら全部をささげ、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは全焼のいけにえであり、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。

1:14 もしその人の【主】へのささげ物が、鳥の全焼のいけにえであるなら、山鳩または家鳩のひなの中から、そのささげ物をささげなければならない。
1:15 祭司は、それを祭壇のところに持って来て、その頭をひねり裂き、祭壇の上でそれを焼いて煙にしなさい。ただし、その血は祭壇の側面に絞り出す。

 すなわち、切り分けた部分、頭、脂肪、内臓、足、特に、内臓と足(9、13節)は水で洗うことが命じられています。汚れやすいからです。これらは、私たちの生活のすべてが神の祭壇の上に常に整えられていなければならないことを示しています。しかし特に、思い(内臓)と、歩み(足)は汚れやすいので、たえず洗い潔めておく必要があります。

11節、いけにえをほふる所は、祭壇の北側にありました。

レビ 1:11 祭壇の北側で、【主】の前にこれをほふりなさい。そして祭司であるアロンの子らは、その血を祭壇の回りに注ぎかけなさい。

16節、灰捨て場は、祭壇の東側にありました。

レビ 1:16 またその汚物の入った餌袋を取り除き、祭壇の東側の灰捨て場に投げ捨てなさい。

 これらは、どのような意味を持っていたのかわかりませんが、少なくとも、いけにえはどこででも殺していいのではなく、いけにえの汚物や灰はどこに捨ててもいいというのではなく、神はすべてのことにおいて整然とととのえておられたのです。神は乱雑なお方ではなく、整然とした秩序を保っておられるお方であり、それを私たちにも求めておられることがわかります。

 そして最後に、「主へのなだめのかおりの火によるささげ物」(9、13、17)です。

レビ 1:9 内臓と足は、水で洗わなければならない。祭司はこれら全部を祭壇の上で全焼のいけにえとして焼いて煙にする。これは、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。

レビ 1:13 内臓と足は、水で洗わなければならない。こうして祭司はそれら全部をささげ、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは全焼のいけにえであり、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。

レビ 1:17 さらに、その翼を引き裂きなさい。それを切り離してはならない。そして、祭司はそれを祭壇の上、火の上にあるたきぎの上で焼いて煙にしなさい。これは全焼のいけにえであり、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。

 これは、私たちの思いも、行いも、生活のすべてが神を喜ばせる芳しいささげ物となるように、主は求めておられます。クリスチャンにとって信仰という時、それは教会堂に集まっている時だけのことでなく、また聖書を読んだり、祈ったりしている時だけのことではなく、内面的な思いから実際生活のすべてに至るまでの日常生活のすべてを含んでいます。それが、聖書が教えている信仰です。そして主は、それらが表面的であったり、偽善的であったり、背信的であったり、自分中心的であったりすることを忌み嫌われるのです。聖書が示している宗教は、儀式的であったり、神秘的であったりするより、ずっと生活的であることに、クリスチャンは気づく必要があります。日常生活が神のみこころからはずれていて、いくら礼拝儀式だけを忠実に守っていたとしても、神の祝福を受けることはできません。クリスチャンの信仰の霊的な面と実際生活の面とはつながっていなければならないのです。

あ と が き

 ハレルヤ! 読者の皆様のおたよりを心から感謝申し上げます。ある方は、「もう一度、創世記から学び直しています。」と言っておられ、うれしく思います。聖書の深求が届いて、一度読んで、そのまゝにしておられる方も多いのではないかと思います。しかし一度学んだくらいで身につくものはごくわずかです。ご自分で聖書を学ぶ折々に引き出して参考にしていただければ幸いです。
 また新約聖書はわかるけれども、旧約聖書はわかりにくいという方も大勢いらっしゃるようです。しかし旧約聖書がわかるようになると、新約聖書はもっとわかるようになるはずです。特にレビ記のような書は一見味気ないように思えますが、重要な真理を含んでおりますので、しっかり学んでいただきたいと思います。
 残念なおたよりとしては、「生活が忙しくて読めないので、聖書の探求を中止します。」というものです。このような人は、マタイ6:33がわかっていない方です。残念です。

マタ 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

(まなべあきら 1990.3.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵画は、フランスの版画家 Clément-Pierre Marillier (1740 – 1808) による版画「Sacrificing a bullock(牛の全焼の捧げもの)」(Phillip Medhurst Collection, Wikimedia Commonsより)


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