聖書の探求(085a) レビ記 20章 再度の道徳的警戒と、その刑罰の厳しさ

この章では、再度、道徳的警戒がなされています。ここでは、イスラエル人がこれから入って行こうとしているカナンの地で行われているモレク礼拝や、性の乱行などが厳しく禁じられています。このようなことは、これまでも語られてきたことですが、この章の特徴は、その刑罰の厳しさを強調しているところにあります。

1~8節、モレク礼拝とオカルト(神秘術)の禁止

レビ 20:1 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
20:2 「あなたはイスラエル人に言わなければならない。イスラエル人、またはイスラエルにいる在留異国人のうちで、自分の子どもをモレクに与える者は、だれでも必ず殺さなければならない。この国の人々は彼を石で打ち殺さなければならない。

1~5節、モレク礼拝は18章21節にも出てきました。

レビ 18:21 また、あなたの子どもをひとりでも、火の中を通らせて、モレクにささげてはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。わたしは【主】である。

モレクはアモン人の偶像であり、ソロモンはモレクのために高い所(礼拝所)を築きました(列王第一、11:7)。

Ⅰ列王 11:7 当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。

また、列王記第二23章10節でも、子どもを火の中に入れて、モレクのいけにえにしていました。

Ⅱ列王 23:10 彼は、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテを汚し、だれも自分の息子や娘に火の中をくぐらせて、モレクにささげることのないようにした。

神はこのような恐るべき、偶像の習慣が神の民の中に入ってくることを心配しておられたのです。それ故、イスラエル人だけでなく、イスラエル人とともに住む在留異国人もモレク礼拝を厳しく禁じられています。

3節、モレク礼拝は神の聖所を汚し、神の聖なる名を汚し、それは霊的淫行であり(5節)、これは石で打ち殺すという厳罰が加えられます(2節)。

レビ 20:2 「あなたはイスラエル人に言わなければならない。イスラエル人、またはイスラエルにいる在留異国人のうちで、自分の子どもをモレクに与える者は、だれでも必ず殺さなければならない。この国の人々は彼を石で打ち殺さなければならない。
20:3 わたしはその者からわたしの顔をそむけ、彼をその民の間から断つ。彼がモレクに子どもを与え、そのためわたしの聖所を汚し、わたしの聖なる名を汚すからである。
20:4 人がモレクにその子どもを与えるとき、もしこの国の人々が、ことさらに目をつぶり、彼を殺さなかったなら、
20:5 わたし自身は、その人とその家族から顔をそむけ、彼と、彼にならいモレクを慕って、淫行を行うみだらな者をすべて、その民の間から断つ。

4節、「ことさらに目をつぶり」モレク礼拝が行われていることを知っていても、知らない振りをして見逃すことが、国の内にモレク礼拝を蔓延させることになるのです。それ故、子どもをモレクにささげている当の本人も、それに目をつぶっている人も、その家族も、民の間から断たれてしまいます。

しかし、今日も、多くのクリスチャンの両親が自分の子どもを偶像にささげている現実があります。子どもたちにこの世の生き方を習わせ、この世の欲と罪の中に渡しています。このようなことは、モレクにささげているのと同じであり、神の刑罰を受けることになります。それ故、クリスチャンの両親は厳しく、子どもを神にささげるように育てなければなりません。このことを厳密にしないと、国の中に罪が蔓延してきます。

6節、霊媒や口寄せのオカルト(神秘術)に助けを求めていく者も、死の刑罰が加えられます。

レビ 20:6 霊媒や口寄せのところにおもむき、彼らを慕って淫行を行う者があれば、わたしはその者から顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。

聖書の神が力強く宣べ伝えられていない所では、必ずオカルトが流行します。今や、オカルトは現代の世界的流行になっています。しかしこれは、主を拒否することであり、偶像礼拝と同じです。クリスチャンは興味本意にオカルトに関わってはなりません。いつも意識的に主にだけ信頼するように心掛けなければなりません。

7節は、神に従うために、モレクからも、オカルトからも、はっきりと自分自身を区別することを意味しています。

レビ 20:7 あなたがたが自分の身を聖別するなら、あなたがたは聖なる者となる。わたしがあなたがたの神、【主】であるからだ。

「あなたがたは聖なる者となる」は、神にだけ仕える神の民となることです。これは自分で自分を偶像から聖別することを示しています。

8節の「わたしはあなたがたを聖なる者とする主である。」は、神が人の霊魂を聖なる者とするという、神のみわざを示しています。

レビ 20:8 あなたがたは、わたしのおきてを守るなら、それを行うであろう。わたしはあなたがたを聖なる者とする【主】である。

その条件は、私たちが神のおきてを守って、それに従うことです。ここに、人が歩むべき最も基本的道が示されています。人は神の道を離れては、聖なる道は外にありません。クリスチャンは厳密に、ただキリストにだけ信頼する生活をしなければなりません。

9~27節、異教の民からえり分ける

9節、聖書ほど、両親を敬うことを厳しく求めているものはありません。

レビ 20:9 だれでも自分の父あるいは母をのろう者は、必ず殺されなければならない。彼は自分の父あるいは母をのろった。その血の責任は彼にある。

それは神が家庭宗教の確立を強く求めておられるからです。父母を敬わなければならないのは、両親が子どもを生んだからというだけではありません。生んだだけで、子どもから敬われるのに値しない親も決していないわけではありません。ここでは、父母が神から権威を委ねられて、子どもを育てるからです。この点で、両親も、子どもたちに敬われるに値する生き方、育て方を神の御前にしていかなければなりません。特に、親子の愛と信頼の関係が希薄になっている現代社会において、クリスチャンはよい家庭を築いて、あかしをしたいものです。

10~21節は、不純な性的関係を細かく規定しています。

レビ 20:10 人がもし、他人の妻と姦通するなら、すなわちその隣人の妻と姦通するなら、姦通した男も女も必ず殺されなければならない。
20:11 人がもし、父の妻と寝るなら、父をはずかしめたのである。ふたりは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある。
20:12 人がもし、息子の嫁と寝るなら、ふたりは必ず殺されなければならない。彼らは道ならぬことをした。その血の責任は彼らにある。
20:13 男がもし、女と寝るように男と寝るなら、ふたりは忌みきらうべきことをしたのである。彼らは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある。
20:14 人がもし、女をその母といっしょにめとるなら、それは破廉恥なことである。彼も彼女らも共に火で焼かれなければならない。あなたがたの間で破廉恥な行為があってはならないためである。
20:15 人がもし、動物と寝れば、その者は必ず殺されなければならない。あなたがたはその動物も殺さなければならない。
20:16 女がもし、どんな動物にでも、近づいて、それとともに臥すなら、あなたはその女と動物を殺さなければならない。彼らは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある。
20:17 人がもし、自分の姉妹、すなわち父の娘、あるいは母の娘をめとり、その姉妹の裸を見、また女が彼の裸を見るなら、これは恥ずべきことである。同族の目の前で彼らは断ち切られる。彼はその姉妹を犯した。その咎を負わなければならない。
20:18 人がもし、月のさわりのある女と寝て、これを犯すなら、男は女の泉をあばき、女はその血の泉を現したのである。ふたりはその民の間から断たれる。
20:19 母の姉妹や父の姉妹を犯してはならない。これは、自分の肉親を犯したのである。彼らは咎を負わなければならない。
20:20 人がもし、自分のおばと寝るなら、おじをはずかしめることになる。彼らはその罪を負わなければならない。彼らは子を残さずに死ななければならない。
20:21 人がもし、自分の兄弟の妻をめとるなら、それは忌まわしいことだ。彼はその兄弟をはずかしめた。彼らは子のない者となる。

ここにあるようなことは、異教諸国で当時、行われていましたので、ここに特に、禁止事項として記されているのです。これらのうちのいくつかのものは、現代も問題となっています。

不純な性交渉については、みな死刑が課せられています。特に、同性愛や近親相姦、近親結婚が厳しく禁じられています。

22~27節、神の民はこれから、このようないまわしいことを平気で行っているカナンの地に入って行こうとしているのです。
このことは、クリスチャンがこの世の異教の風習の中で生活していかなければならないこととよく似ています。その時に、神の民が注意しなければならないことは、

第一に、神のすべてのおきてと定めを守り行うことです(22節)。これを行わないと、神の約束の国から吐き出されてしまいます。

レビ 20:22 あなたがたが、わたしのすべてのおきてと、すべての定めとを守り、これを行うなら、わたしがあなたがたを住まわせようと導き入れるその地は、あなたがたを吐き出さない。

第二に、カナンの住民の風習に従って歩んではならないことです(23節)。この世の
風習に従うなら、神から捨てられてしまいます。それは滅亡を意味するのです。

レビ 20:23 あなたがたは、わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国民の風習に従って歩んではならない。彼らはこれらすべてのことを行ったので、わたしは彼らをはなはだしくきらった。

第三は、25節、ここに記されている動物や鳥は、神の民が食べてよいものと、食べてはいけないものとを区別するための、きよいものと、汚れたものの区別です。

レビ 20:25 あなたがたは、きよい動物と汚れた動物、また、汚れた鳥ときよい鳥を区別するようになる。わたしがあなたがたのために汚れているとして区別した動物や鳥や地をはうすべてのものによって、あなたがた自身を忌むべきものとしてはならない。

神は人間の本能の一つである「食べること」を通して、神に対して「きよい」ものと、「汚れているもの」の区別をはっきりつけるように、神の民を訓練されたのです。今日、クリスチャンもこの区別をはっきりつけて、あかししていかなければなりません。この点で妥協すれば、クリスチャンは自分自身を汚れた忌むべきものとしてしまうのです。神の民はいつも、神に対して「聖なるもの」でなければなりません。

第四は、27節、霊媒や口寄せは必ず取り除くこと。これらを求めてはなりません。

レビ 20:27 男か女で、霊媒や口寄せがいるなら、その者は必ず殺されなければならない。彼らは石で打ち殺されなければならない。彼らの血の責任は彼らにある。」

これらの点を守り行うなら、神は祝福を与えられます。乳と蜜の流れる地を所有させるのは、神であることに注目しましょう(24節)。

レビ 20:24 それゆえ、あなたがたに言った。『あなたがたは彼らの土地を所有するようになる。わたしが乳と蜜の流れる地を、あなたがたに与えて、所有させよう。わたしは、あなたがたを国々の民からえり分けたあなたがたの神、【主】である。

「あなたがたを国々の民からえり分けたあなたがたの神、主」(24節)神はイスラエルの民を特別な民としたいと願っておられます(テトス2:14)。

テトス 2:14 キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。
その特別な民となるための条件は、神のおきてと定めをすべて守り行うことだけです。この約束と条件は、今日のクリスチャンにとっても同じです。

あとがき

主のご用をしていて試めされることは、各々の立場にある人の都合の悪いことや、耳のいたいことを大胆に、はっきりと話せるか、ということです。牧師に都合の悪いことを牧師がいるところでキチンと説教できるか。教会員が嫌がることを真直に話せるか。求道者に対して、はっきりと罪が示せるか。これらのことができるようになるには、信仰と勇気が必要ですが、これまで、どんな厳しいと思われる話も、人に嫌がられるのではないかという話も、真実に、率直に話した時、教会の中に混乱が起きたり、人が来なくなってしまったりすることはありませんでした。しかし、心に思いつつも、それをはっきりと話さなかった時、人々はつまずき、信仰を失い、教会から遠ざかっていきました。それは神をおそれず、人を恐れたからです。こうして説教したり、聖書に関する文書を書いていると、すべての人に気に入られることばかりではありませんが、私は神の側から真実を率直に書き続けたいと願っています。ぜひご助祷下さい。

(まなべあきら 1991.4.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵は、アメリカの聖書学者 Charles Foster Kent (1867 – 1925)により1897年に出版された「Bible Pictures and What They Teach US」に掲載された「Offering to Molech(モレクへのいけにえ)」(Wikimedia Commonsより)


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