聖書の探求(094) 民数記 1章 シナイにおける第一回人口調査の記録

1章は、シナイにおける第一回人口調査の記録です。

1~3節 神が命じられた人口調査

民 1:1 人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、【主】はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。
1:2 「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。
1:3 あなたとアロンはイスラエルにおいて、二十歳以上の者で、すべて軍務につくことのできる者たちを、その軍団ごとに数えなければならない。

1節、「人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、」この時は、イスラエル人が忠実に主に従っていたなら、すでに神の約束の地に入っているはずの時です。それがなお、シナイの荒野にいるということは、彼らが不信仰な態度をとり、主に逆らった生き方をしていたことを表しています。

主はしばしば私たちを危険に会わせないために遠回りさせたり、訓練するために遠回りさせることがあります。たとえば、ヨセフの生涯のようにです。それには十分な意味がありますが、不信仰な遠回りは何の益もなく、滅びがあるだけです。ヘブル人への手紙4章11節では、「私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者がひとりもいないようにしようではありませんか。」とすゝめています。この「力を尽くして努め、」とは、ヨシュアとイスラエルの民が急いでヨルダン川を渡って神の約束の地に入って行ったように、「急いで渡って入ろうではありませんか。」という意味を持っています。クリスチャンも教会も、この世と妥協したり、不信仰な思いを抱いているなら滅びに向かうことになります。迷わず、急いで信仰によって神の安息に入ってください。

3節、「すべて軍務につくことのできる者たちを」この人口調査は、軍事上、防衛上のことで行われています。

この人口調査の特長は、

1、徹底的‥‥イスラエル人の全会衆の総数

2、秩序立っている‥‥氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、

3、条件付‥‥ a. 男子だけ b. 二十才以上の者だけ c. 肉体的に戦いに耐える者 d. レビ人は除外された

この調査はエジプトを出発してから一年後にシナイ山で幕屋が建造された時から一ケ月後に始まった(出エジプト記40:17)。

出 40:17 第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。

そしてシナイ出発はこの調査終了後、20日して始まった(民数記10:11)。

民 10:11 第二年目の第二月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。

この大調査が20日くらいで終えられるはずがないから、これはおそらく約九ケ月前に行われた人口調査(出エジプト記30:12、38:26)と同一のものであると思われます。

出 30:12 「あなたがイスラエル人の登録のため、人口調査をするとき、その登録にあたり、各人は自分自身の贖い金を【主】に納めなければならない。これは、彼らの登録によって、彼らにわざわいが起こらないためである。

出 38:26 これは、ひとり当たり一ベカ、すなわち、聖所のシェケルの半シェケルであって、すべて、二十歳以上で登録された者が六十万三千五百五十人であったからである。

なぜなら、一年以内に二度も全体的な大がかりな人口調査をするはずがないし、その人口も一致しています(60万3550人、出エジプト記38:26、民数記1:46)。

民 1:46 すなわち、登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。

それ故、この部分は出エジプト記の部分と重複していると思われます。

イスラエルの民は、シナイ山までは全面的に神の保護のもとに旅をしてきました。しかし、ここで神はイスラエルの民に自衛的努力を求められました。パウロもクリスチャンに対して、神の保護だけでなく、クリスチャン自らがサタンの攻撃に対しで神の武具をもってよろうように勧めています(エペソ6章)。

私たちは信仰生活において、神の保護があることを確信しているだけでなく、自ら、与えられた信仰の力を用いて、罪と誘惑に、この世と困難に対して立ち向かい、戦うべきことが求められています。それはタラントのたとえやミナのたとえの中にも教えられている真理です(マタイ25:14~30、ルカ19:11~27)。

マタ 25:14 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
25:15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
25:16 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
25:17 同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
25:18 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
25:19 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
25:20 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
25:22 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
25:23 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
25:24 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
25:25 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
25:26 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
25:27 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
25:28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
25:29 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
25:30 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

ルカ 19:11 人々がこれらのことに耳を傾けているとき、イエスは、続けて一つのたとえを話された。それは、イエスがエルサレムに近づいておられ、そのため人々は神の国がすぐにでも現れるように思っていたからである。
19:12 それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。
19:13 彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』
19:14 しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』と言った。
19:15 さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。
19:16 さて、最初の者が現れて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』
19:17 主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
19:18 二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』
19:19 主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』
19:20 もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。
19:21 あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』
19:22 主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。
19:23 だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』
19:24 そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』
19:25 すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています』と言った。
19:26 彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。
19:27 ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。』」

ところで、ダビデも人口調査を行いました。しかしダビデはその人口調査の故に、神から厳しく罰せられました(サムエル記第二24章、歴代誌第一21章)。なぜでしょうか。
それはモーセによる人口調査とダビデによる人口調査の目的が全く違っていたからです。
民数記では、神のご命令を行わせるための人口調査であるのに対して、ダビデの場合はすでに、約束の地を占領するという目的は完全に果たされているのに、ダビデは自分の権力を誇示し、それで自己満足しようとしたからです。同じことを行っても、その動機や目的によって、神から罰せられることもあることを私たちはよく知っておかなければなりません。

4~46節、モーセの助手たちと人口調査

民 1:4 また部族ごとにひとりずつ、父祖の家のかしらである者が、あなたがたとともにいなければならない。
1:5 あなたがたの助手となるはずの者の名は次のとおりである。ルベンからはシェデウルの子エリツル。
1:6 シメオンからはツリシャダイの子シェルミエル。
1:7 ユダからはアミナダブの子ナフション。
1:8 イッサカルからはツアルの子ネタヌエル。
1:9 ゼブルンからはヘロンの子エリアブ。
1:10 ヨセフの子のうちからは、エフライムからアミフデの子エリシャマ、マナセからペダツルの子ガムリエル。
1:11 ベニヤミンからはギデオニの子アビダン。
1:12 ダンからはアミシャダイの子アヒエゼル。
1:13 アシェルからはオクランの子パグイエル。
1:14 ガドからはデウエルの子エルヤサフ。
1:15 ナフタリからはエナンの子アヒラ。」
1:16 これらの者が会衆から召し出された者で、その父祖の部族の長たちである。彼らがイスラエルの分団のかしらたちである。

主は、この大がかりな人口調査をするために、モーセとアロンが総責任者となり、彼らの助手を任命するように命じておられます。これは非常に重要なことです。もしモーセが一人でこの大事に当るなら、それはモーセを激しい過労に追いやり、大事な仕事が出来なくなってしまいます。しかし忠実な助手たちを任命し、彼らに各々の部族を分担させて行うなら、それは容易になります。

しかし問題は、こういう面倒な任務を最後まで忠実にやり遂げることができる神のしもべたちがいるかどうかです。教会の中で、「いろいろ仕事を分担したらいい。」とか、「私たちに何かやらせて下さい。」という話はよく出ます。そして私もこれまで何度もしてもらったことがありますが、途中、どんな困難が生じても、自分の都合が悪くなっても、最後まで責任をもってやり遂げた人はほとんどいないのです。

こんなことを言ったら、おこられるかも知れませんが、教会の奉仕者は世の中のパート職の人々より無責任です。仕事を分担することは簡単です。しかしそれを最後までやり遂げる人がいるかどうかです。そういう神のしもべたちが教会の中に起きてきたら、その教会は神の栄光を現わすようになります。

モーセの助手たちは人口調査官として働きました。彼らは4節では、「父祖の家のかしら」、16節では、「父祖の部族の長たち」、「イスラエルの分団のかしらたち」と呼ばれています。

彼らはそれまで各部族の中で指導的立場にあった人々です。16節の「召し出された」は、各人の資質が認められて選ばれたのでしょうが、これは「呼ばれた」という意味で、すでに任命されていた者が呼び出されたということです。

ここに記されている各部族の名前は、ヤコブの息子たちの出生順になっていません(創世記29:32~30:24、35:16~18)。最初に、レアの子たちが記されており(レビが除かれている)、次に、ラケルの子たち、そのあとで、二人の女奴隷ジルバとビルハの子たちが記されています。そのうち、7節のユダのかしらのアミナダブの子ナフションは、主イエスの先祖となりました(マタイ1:4、ルカ3:32、33)。

マタ 1:4 アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、

ルカ 3:32 エッサイの子、オベデの子、ボアズの子、サラの子、ナアソンの子、
3:33 アミナダブの子、アデミンの子、アルニの子、エスロンの子、パレスの子、ユダの子、

17、18節、彼らは神から指名された者でした。

民 1:17 さて、モーセとアロンは、これら指名された者を伴い、
1:18 第二月の一日に全会衆を召集した。そこで氏族ごとに、父祖の家ごとに、二十歳以上の者の名をひとりひとり数えて、その家系を登記した。

モーセとアロンは彼らを伴って、第二月の一日に全会衆を召集しました。そして、各民族ごとに、父祖の家ごとに二〇才以上の軍務に耐えることのできる者を数え、その家系を登記しました。おそらくこういう記録が残っていて、エズラたちが捕囚から帰ってきて、名簿をつくる時に、非常に役立ったものと思われます。

各部族で登録された者の人数には大差があります。その中でも一番多い部族はユダで、七万四千六百人です。これが神のユダに対する祝福であったと言えるかどうかは分かりませんが、確かにユダ族はイスラエルの中で大きな勢力を持ちつつあったことは間違いありません。

民 1:19 【主】がモーセに命じられたように、モーセはシナイの荒野で彼らを数えた。
1:20 イスラエルの長子ルベンの子孫は、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、ひとりひとり名を数えられた二十歳以上で軍務につくことのできるすべての男子であった。
1:21 ルベン部族で登録された者は、四万六千五百人であった。
1:22 シメオンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、ひとりひとり名を数えられ登録された二十歳以上で軍務につくことのできるすべての男子であった。
1:23 シメオン部族で登録された者は、五万九千三百人であった。
1:24 ガドの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:25 ガド部族で登録された者は、四万五千六百五十人であった。
1:26 ユダの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:27 ユダ部族で登録された者は、七万四千六百人であった。
1:28 イッサカルの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:29 イッサカル部族で登録された者は、五万四千四百人であった。
1:30 ゼブルンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:31 ゼブルン部族で登録された者は、五万七千四百人であった。
1:32 ヨセフの子孫については、エフライムの子孫で、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:33 エフライム部族で登録された者は、四万五百人であった。
1:34 マナセの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:35 マナセ部族で登録された者は、三万二千二百人であった。
1:36 ベニヤミンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:37 ベニヤミン部族で登録された者は、三万五千四百人であった。
1:38 ダンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:39 ダン部族で登録された者は、六万二千七百人であった。
1:40 アシェルの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:41 アシェル部族で登録された者は、四万一千五百人であった。
1:42 ナフタリの子孫は、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。
1:43 ナフタリ部族で登録された者は、五万三千四百人であった。
1:44 以上がモーセとアロン、またイスラエルの族長たちが登録した登録名簿である。この族長たち十二人は、それぞれ、自分の父祖の家のための者であった。
1:45 それで、父祖の家ごとに登録された二十歳以上のイスラエル人で、イスラエルで軍務につくことのできるすべての者、
1:46 すなわち、登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。
1:47 しかしレビ人は、彼らの中で、父祖の部族ごとには、登録されなかった。

数えられた数は十の位まで記されており、これは実数を示しており、兵士となる者の総数は、60万3550人でした(出エジプト記12:37)。

出 12:37 イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。

この人数に、レビ族を加えると、相当数になり、これほど大勢の民が荒野を四十年間も旅を続けたという例は他にありません。
このような旅をしたこと自体が奇跡ですが、それ故に、理由もなく信じ難いと言う人もいますが、このようなことは神が導かれ、神が養われる時にのみ、可能になるのです。

イスラエル人は四百年間のエジプトの圧制の時代に、これほどに増えていたのです。それはちょうど、初代のクリスチャンたちがローマの迫害時代に急増していったのに似ています。信仰者は苦難の時代に霊的に多産になるようです。

47~54節、レビ人の任務

民 1:47 しかしレビ人は、彼らの中で、父祖の部族ごとには、登録されなかった。
1:48 【主】はモーセに告げて仰せられた。
1:49 「レビ部族だけは、他のイスラエル人といっしょに登録してはならない。また、その人口調査もしてはならない。

レビ人については3~4章に詳細に記されており、レビ人の人口は3章21~39節に記されています。この箇所では、レビ人についての概要だけを記しています。

レビ人は旧約聖書中、ずっとイスラエル人の中で神から特別扱いされています。
主イエスの地上時代には、よいサマリヤ人のたとえ話(ルカ10:30~37)に出てくるような形式だけの信仰になっていたようですが、それでもなお、ユダヤ人社会では特別階級にありました。

なぜ、レビ人はこのような特別扱いを受けるようになったのでしょうか。
ある人はモーセとアロンがレビの部族であったことを思い出されるかもしれません。しかし、ただそれだけでレビの部族全体が特別扱いされたのでしょうか。そうではありません。

それは、出エジプト記32章26~29節を見て下さい。

出 32:26 そこでモーセは宿営の入口に立って「だれでも、【主】につく者は、私のところに」と言った。するとレビ族がみな、彼のところに集まった。
32:27 そこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、【主】はこう仰せられる。おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を入口から入口へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ。」
32:28 レビ族は、モーセのことばどおりに行った。その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。
32:29 そこで、モーセは言った。「あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らっても、きょう、【主】に身をささげよ。主が、きょう、あなたがたに祝福をお与えになるために。」

イスラエル人が金の子牛を作って乱れていた時、モーセの要請に応えて、真先に神の側についたのが、レビ人でした。それのみならず、レビ人はその日、イスラエルの中で罪を犯した者を三千人、取り除きました。その時、モーセはレビ人がとったこの態度を見て、「あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らっても、きょう、主に身をささげよ。主が、きょう、あなたがたに祝福をお与えになるために。」(出エジプト記32:29)と言いました。

このことがレビ人の上に成就していったのです。

また、レビ人はイスラエルの長子の分として、神に受け入れられました。神のものとなったレビ人の人口は、他の部族と一緒には数えられなかったのです。

また、レビ人には特別の奉仕が与えられ、神ご自身がレビ人の産業となり、他の部族のように広い領地は与えられませんでした。また、他の部族に適用された規定も免除されました。

レビ人が、このような大きな特権と祝福を受けたのは、他の人々が罪を犯し、偶像を拝んでいても、真直に神に仕えたからです。また罪を取り除くことに専念したからです。もし私たちが、レビ人がしたことと同じことに専念するなら、私たちも神から特別な扱いを受けるようになります。しかしもし、レビ人がしたことをおろそかにするなら、私たちの努力はみな、水の泡になります。このことは罪を犯したアダムとエバにも仰せられました(創世記3:16~19)。

創 3:16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
3:17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

この原則を十分に悟っておかなければなりません。

50~53節、レビ人のなすべき任務は、あかしの幕屋の用具や付属品を管理し、神の臨在が移動される時、レビ人はこれらのすべてを運び、神の臨在がとどまると、それらを組み立てなければならなかったのです。

民 1:50 あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびそのすべての付属品を管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これを管理し、幕屋の回りに宿営しなければならない。
1:51 幕屋が進むときはレビ人がそれを取りはずし、幕屋が張られるときはレビ人がこれを組み立てなければならない。これに近づくほかの者は殺されなければならない。
1:52 イスラエル人は、軍団ごとに、おのおの自分の宿営、自分の旗のもとに天幕を張るが、
1:53 レビ人は、あかしの幕屋の回りに宿営しなければならない。怒りがイスラエル人の会衆の上に臨むことがあってはならない。レビ人はあかしの幕屋の任務を果たさなければならない。」
1:54 イスラエルの人々は、このようにし、すべて【主】がモーセに命じられたとおりに行った。

これはちょうど、キリストの福音を持ち運んで伝えるクリスチャンの姿です。クリスチャンにはすばらしい特権的な任務が与えられているのです。

レビ人の住居は、他の部族よりも神の臨在の近くにありました。「幕屋の回りに宿営しなければならない。」(50、53節)

他の部族がレビ人に代わることはできませんでした。それは神の怒りが臨むことでした。こうして、神の側につき、罪を除き、神に仕えたレビ人は、最も神の臨在の近いところで生活する特権が与えられたのです。

あとがき

今年も一年、欠けることなく聖書の探求をお送りできたことを感謝致しております。今年は八十才を過ぎておられる方が、一号から学び始めて下さり、本当に感謝致しております。クリスチャンには、もっともっと心血を注いで聖書を身につけてほしいと思っています。世界的に見て、日本のクリスチャンは消極的であると思われます。信仰に確信がなく、すぐにこの世に従い、妥協してしまっているようです。その理由の一つは、教会員の中に救いがはっきりしていない人が多いことが上げられるでしょう。しかしもう一つは、聖書が分からず、実際の生活に活用していないからです。みことばと信仰で勝利する経験を積み重ねていけば、必ず日本のクリスチャンも積極的にあかしをするようになると思います。そのためにも、ぜひ、聖書を深く探求していただき、ほかのクリスチャンにもこのことが広がっていくようにしたいと思います。
(まなべあきら 1992.1.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵は、フランスの画家、Henri Félix Emmanuel Philippoteaux (1815–1884)によって描かれた「The Numbering of the Israelites(イスラエル人の人口調査)」(Wikimedia Commonsより)


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