聖書の探求(100a) 民数記 7章 幕屋を建て終わった日に族長たちが主にささげたささげ物

7章は、幕屋を建て終わって、祭壇に油をそそいだ日に、族長たちが主にささげたささげ物を記しています。しかしその前に、挿入的なことが記されています。

1~9節、会見の天幕の奉仕のためのささげ物

民 7:1 モーセは幕屋を建て終わった日に、これに油をそそいで、聖別した。そのすべての器具と、祭壇およびそのすべての用具もそうした。彼がそれらに、油をそそいで聖別したとき、
7:2 イスラエルの族長たち、すなわち彼らの父祖の家のかしらたち──彼らは部族の長たちで、登録を担当した者──がささげ物をした。
7:3 彼らはささげ物を【主】の前に持って来た。それはおおいのある車六両と雄牛十二頭で、族長ふたりにつき車一両、ひとりにつき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に連れて来た。

1節の「幕屋を建て終わった日」は、この章が6章の続きでないことを示しています。

幕屋を建て終わった日は、第二年目の第一月の第一日(出エジプト記40:17)でした。

出 40:17 第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。

そして、イスラエルの会衆の人口調査は、第二年の第二月の一日(民数記1:1)に行われました。

民 1:1 人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、【主】はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。

民数記は通常、時間的な順序に従って記されていますが、ここでは時間的順序に従っていません。むしろ出来事の内容の関連性から、この記事を記しています。すなわち、シナイ山からの出発に当り、幕屋の運搬が必要になり、それと関係してこの記事がここに挿入されたものと思われます。実際には、この出来事は人口調査よりも前に行われていたのです。

1節で、モーセが幕屋の中のすべての器具、祭壇、用具に油を注いで聖別した記事は、レビ記の内容を総括的に繰り返したものです。ここでの目的は、幕屋を運ぶための車や牛がどのようにして準備されたかを説明するところにあります。これらはみな、イスラエルの族長たちがささげた物です。彼らが先ず、全会衆の前にささげる模範を示したのです。良い模範は、一万回の説教にまさる効果をもっていると言ってもいいでしょう。あらゆることにおいて、良い模範者がいる教会は必ず栄えます。教会は、大勢の人を集める前に、良い模範者を育てておかなければ、人が集まってくると、ますます混乱するばかりです。

十二部族の族長たちは、幕屋の運搬のために、車六両と雄牛十二頭をささげました。この幕屋はキリストご自身を表すものであり、彼を運ぶ者は私たちクリスチャンたちですが、車や雄牛はキリストの福音を伝えるための働きを担う者たちと考えてよいでしょう。また昨今は、福音を伝えるための機器がずい分発達してきましたが、これらも、みな良い模範者たちがささげたものです。

こうしてささげられた物は、幕屋運搬のために聖別して使われなければなりません。もしこの日本においても、自分のために使っているものの10%がキリストを伝えるためにささげられ、そのために使われるなら神の国の拡大はもっと早くなるでしょう。

5~8節、ささげられた物は、それぞれの奉仕の内容に応じて、渡されなければなりません。

7:4 すると【主】はモーセに告げて仰せられた。
7:5 「会見の天幕の奉仕に使うために彼らからこれらを受け取り、レビ人にそれぞれの奉仕に応じて渡せ。」
7:6 そこでモーセは車と雄牛とを受け取り、それをレビ人に与えた。
7:7 車二両と雄牛四頭をゲルション族にその奉仕に応じて与え、
7:8 車四両と雄牛八頭をメラリ族に、祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある彼らの奉仕に応じて与えた。

ゲルション族は主に幕屋の幕を運ぶために、車二両と雄牛四頭が与えられました。メラリ族には、車四両と雄牛八頭が与えられました。彼らは板や台座など、重い物を運ば
なければならないからです。平等、公平とは、働きの内容に関わりなく、同数だけ与えられることではありません。働きの内容や能力に応じて、ふさわしい役務や分配がされなければなりません。

9節、しかしケハテ族には何も与えられませんでした。

7:9 しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものにかかわる奉仕は、肩に負わなければならないからである。

彼らは幕屋の内部の聖なる器を肩に担って運ぶことになっていたからです(4:1~15)。

民 4:1 【主】はモーセとアロンに告げて仰せられた。
4:2 「レビ人のうち、ケハテ族の人口調査を、その氏族ごとに、父祖の家ごとにせよ。
4:3 それは会見の天幕で務めにつき、仕事をすることのできる三十歳以上五十歳までのすべての者である。
4:4 ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものにかかわることであって次のとおりである。
4:5 宿営が進むときは、アロンとその子らは入って行って、仕切りの幕を取り降ろし、あかしの箱をそれでおおい、
4:6 その上にじゅごんの皮のおおいを掛け、またその上に真っ青の布を延べ、かつぎ棒を通す。
4:7 また、供えのパンの机の上に青色の布を延べ、その上に皿、ひしゃく、水差し、注ぎのささげ物のためのびんを載せ、またその上に常供のパンを置かなければならない。
4:8 これらのものの上に緋色の撚り糸の布を延べ、じゅごんの皮のおおいでこれをおおい、かつぎ棒を通す。
4:9 青色の布を取って、燭台とともしび皿、心切りばさみ、心取り皿およびそれに用いるすべての油のための器具をおおい、
4:10 この燭台とそのすべての器具をじゅごんの皮のおおいの中に入れ、これをかつぎ台に載せる。
4:11 また金の祭壇の上に青色の布を延べなければならない。それをじゅごんの皮のおおいでおおい、かつぎ棒を通す。
4:12 聖所で務めに用いる用具をみな取り、青色の布の中に入れ、じゅごんの皮のおおいでそれをおおい、これをかつぎ台に載せ、
4:13 祭壇から灰を除き、紫色の布をその上に延べる。
4:14 その上に、祭壇で用いるすべての用器、すなわち火皿、肉刺し、十能、鉢、これら祭壇のすべての用具を載せ、じゅごんの皮のおおいをその上に延べ、かつぎ棒を通す。
4:15 宿営が進むときは、アロンとその子らが聖なるものと聖所のすべての器具をおおい終わって、その後にケハテ族が入って来て、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死なないためである。これらは会見の天幕で、ケハテ族のになうものである。

それ故、彼らは、何も与えられなくても不平を言うべきではなかったのです。ところが人はこれほど重要な仕事をする特権が与えられているにも関わらず、何も与えられないと、不平を言いがちです。それは信仰がよく分かっていないからであり、自己中心だからであり、その人は主のための奉仕をするのにふさわしくない人なのです。

「聖なるものにかかわる奉仕は、肩に負わなければならない。」は、私たちに大切なことを教えてくれます。キリスト教の外側的なことでは、便利な機器や道具を使うことができても、キリストご自身のご人格は、私たち一人一人の人格のうちに宿して伝えなければならないのです。テレビ伝道や宇宙衛星を使った伝道の分野がどんなに発達しても、地域にある教会の私たち一人一人のクリスチャンがキリストのご人格を担って、あかしをするのでなければ、決して御国の拡大は実現していかないのです。主の御働きをテレビにまかせて、自分では何もあかしをしないクリスチャンになってはいけません。ダビデの時代、ウザは神のことばに従わず、契約の箱を牛車で運び、そのためにウザは打たれて死ぬ結果となりました(サムエル第二6:3~7)。

Ⅱサム 6:3 彼らは、神の箱を、新しい車に載せて、丘の上にあるアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子、ウザとアフヨが新しい車を御していた。
6:4 丘の上にあるアビナダブの家からそれを神の箱とともに運び出したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。
6:5 ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、【主】の前で、力の限り喜び踊った。
6:6 こうして彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それを押さえた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。
6:7 すると、【主】の怒りがウザに向かって燃え上がり、神は、その不敬の罪のために、彼をその場で打たれたので、彼は神の箱のかたわらのその場で死んだ。

この出来事は.今日の私たちに大きな警告となります。便利さの故に、神のみことばに従わないなら、それは却ってわざわいをもたらすことになるのです。

10~89節、族長たちのささげ物

族長たちのささげ物は祭壇がささげられた日から十二日間にわたって続けられています。

民 7:10 祭壇に油がそそがれる日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物をささげた。族長たちが自分たちのささげ物を祭壇の前にささげたとき、
7:11 【主】はモーセに言われた。「族長たちは一日にひとりずつの割りで、祭壇奉献のための彼らのささげ物をささげなければならない。」

11節、主はモーセに、「族長たちが一日にひとりずつの割りで、毎日全く同じささげ物をささげるように」命じておられます。そして、その族長の名前と全く同じささげ物のリストを、ここに延々と記しておられます。

皆さんはこれを読まれると、無意味に感じて、退屈に思われるかも知れません。しかし、主が無意味にこれらのことを記すはずがありません。そこには、はっきりした主のみこころが示されています。主は私たちクリスチャンから、全く同じ祈りであっても、全く同じささげ物であっても、全く同じような献身の生活であっても、ひとり一人、しかも毎日、それをささげることを求め、またそれを喜んでくださるのです。私たちは、「右に同じ」とか、「皆さんと同じです。」とか言って省略しがちですが、主は省略したり、怠ったりすることを決して喜ばれません。主は、毎日、私たちの全く同じような生活のすべてに、深い関心を示しています。それ故、私たちは毎日の生活をつまらないと思って過ごさず、生ける供え物をささげる礼拝として、毎日の生活を営みたいものです(ローマ12:1)。

ロマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

私たちの毎日の生活は、それほど変化のあるものではないかも知れません。しかしそれこそ主にささげる供え物であり、主は私たちの毎日の生活に深い関心をもっておられるのです。

12~78節に出てくる部族の順序は、1章の人口調査の順序によらず、2章の宿営の記録の順序に従っています。この順序も、このささげ物が信仰生活とつながっているものであり、主が信仰者の毎日の生活に深い関心を示していることを表しています。

民 7:12 第一日にささげ物をささげたのは、ユダ部族のアミナダブの子ナフションであった。
7:13 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:14 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:15 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:16 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:17 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミナダブの子ナフションのささげ物であった。
7:18 二日目にはイッサカルの族長、ツアルの子ネタヌエルがささげた。
7:19 彼はささげ物をした。銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:20 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:21 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:22 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:23 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがツアルの子ネタヌエルのささげ物であった。
7:24 三日目にはゼブルン族の族長、ヘロンの子エリアブであった。
7:25 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:26 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:27 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:28 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:29 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがヘロンの子エリアブのささげ物であった。
7:30 四日目にはルベン族の族長、シェデウルの子エリツルであった。
7:31 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:32 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:33 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:34 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:35 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがシェデウルの子エリツルのささげ物であった。
7:36 五日目にはシメオン族の族長、ツリシャダイの子シェルミエルであった。
7:37 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:38 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:39 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:40 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:41 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがツリシャダイの子シェルミエルのささげ物であった。
7:42 六日目にはガド族の族長、デウエルの子エルヤサフであった。
7:43 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:44 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:45 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:46 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:47 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがデウエルの子エルヤサフのささげ物であった。
7:48 七日目にはエフライム族の族長、アミフデの子エリシャマであった。
7:49 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:50 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:51 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:52 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:53 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミフデの子エリシャマのささげ物であった。
7:54 八日目にはマナセ族の族長、ペダツルの子ガムリエルであった。
7:55 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:56 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:57 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:58 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:59 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがペダツルの子ガムリエルのささげ物であった。
7:60 九日目にはベニヤミン族の族長、ギデオニの子アビダンであった。
7:61 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:62 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:63 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:64 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:65 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがギデオニの子アビダンのささげ物であった。
7:66 十日目にはダン族の族長、アミシャダイの子アヒエゼルであった。
7:67 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:68 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:69 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:70 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:71 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミシャダイの子アヒエゼルのささげ物であった。
7:72 十一日目にはアシェル族の族長、オクランの子パグイエルであった。
7:73 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:74 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:75 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:76 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:77 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがオクランの子パグイエルのささげ物であった。
7:78 十二日目にはナフタリ族の族長、エナンの子アヒラであった。
7:79 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。
7:80 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。
7:81 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。
7:82 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。
7:83 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがエナンの子アヒラのささげ物であった。

このささげ物の種類を見ると、

①、銀の皿、銀の鉢、金のひしゃく、これらは器具類です。

②、香、これは祈りのささげ物を表しています。

③、この外に、これまで既に述べてきました穀物のささげ物、全焼のいけにえ、罪のた めのいけにえ、和解のいけにえがささげられています。これらはすでに説明済みですが、すべて重要ないけにえです。

このささげ物の総数が、84~88節に記されています。

民 7:84 以上が祭壇に油がそそがれる日の、イスラエルの族長たちからの祭壇奉献のささげ物であった。すなわち銀の皿十二、銀の鉢十二、金のひしゃく十二。
7:85 銀の皿はそれぞれ百三十シェケル、鉢はそれぞれ七十シェケル。これらの器の銀は、合わせて、聖所のシェケルで二千四百シェケル。
7:86 香を満たした十二の金のひしゃくは、聖所のシェケルでそれぞれ十シェケル。ひしゃくの金は、合わせて百二十シェケル。
7:87 全焼のいけにえとして家畜は合わせて、雄牛十二頭、雄羊十二頭、一歳の雄の子羊十二頭、それにそれらにつく穀物のささげ物。また罪のためのいけにえとして雄やぎ十二頭。
7:88 和解のいけにえとして家畜は合わせて、雄牛二十四頭、雄羊六十頭、雄やぎ六十頭、一歳の雄の子羊六十頭。これが祭壇に油がそそがれて後の祭壇奉献のためのささげ物であった。

こういうところを見ても、神のご性質が分かります。各族長の分を詳しく記させ、さらに念を押して、その総数も記させています。神は秩序正しく、正確であることを好まれ、好加減な働きは決して喜ばれないのです。神は私たちの毎日の生活のすべてを正確に記録しておられるお方なのです。この記録に従って報いを与えるお方です(ヨハネの黙示録20:12)。

黙 20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

おそらく、これらのささげ物は、これからのシナイの旅の途中での礼拝のための準備とされたのだと思われます。主は旅に出る前に霊的に十分な備えをさせたのです。クリスチャンは毎週、主の日(日曜日)にその週の旅路に出発するために、霊的な準備をします。また、毎朝、その日の旅に出発するために、霊的に十分な準備が必要です。

それにしても、わずか十二人の族長がこれほどのささげ物をささげるのは大変なことであったと思われますが、却って、彼らが大きな代価を払うことによって、民全体は大きな霊的祝福を受けることができたのです。大きな祝福を受けるためには、大胆な信仰によって大胆な献身と大きな代価を払うことが必要です。中途半端な献身で大きな祝福を得ることはできません。ダビデは、「いいえ、私はどうしても、代価を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」(サムエル第二24:24)と言っています。

神もまた、イエス・キリストを十字架につけるという大きな代価を払ってくださったことによって、大きな恵みを私たちに与えてくださったのです。すべてに共通した真理が働いているのを見ることができるではありませんか。私たちが神の栄光を見るためには、私たちもまた大胆な献身と信仰の代価を払うことが必要なのです。

89節、このようなささげ物は、主を喜ばせました。

民 7:89 モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。

それ故、モーセは主と語るために会見の天幕に入って行きました。そしてモーセはあかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から(恵みの御座から)、主の御声を聞きました(ヘブル4:16)。

ヘブル 4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

これは、この時以来、モーセがこの聖なる所から神の御声を聞いたことを示しています。現在、この、神の御声を聞くことができる聖なる所は、私たちの内なる聖所です。ここにおいて、主はみことばと聖霊によって、私たちに語ってくださいます。しかし私たちがこの世の声を聞き過ぎていると、神の御声は聞き取れなくなってしまいます。主の御声は静かな細い御声だからです(列王記第一19:12)。

Ⅰ列王 19:12 地震のあとに火があったが、火の中にも【主】はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
19:13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」

霊的御声を聞くためには、澄んだ霊性を保っている必要があります。周囲の雑音を遮断するだけでは十分ではありません。内なる雑音を遮断しなければなりません。エバはサタンの声を聞き続けていたために、主の御声を聞きとることができなくなってしまったのです。私たちは一日、この世で働いてくると、様々なこの世の声を聞き続けていて、心の中が雑音で満ち、汚れた思いで混乱状態になっていることがほとんどです。ですから、朝に、昼に、夜に、その他折々に、神の御声を聞いて霊的調節をする必要があります。私たちの霊魂が深められている状態にあるなら、神の御声は聞こえて来るのです。預言者イザヤは潔められた時、神の御声が聞こえてきました(イザヤ書6:1~8)。

イザ 6:1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
6:2 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、
6:3 互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の【主】。その栄光は全地に満つ。」
6:4 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。
6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の【主】である王を、この目で見たのだから。」
6:6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
6:7 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」
6:8 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

主イエスの弟子たちは、ペンテコステの時、聖霊に満たされ、潔められた時、聖書の約束を正しく語るようになり、神のみことばを説教する者に変えられています。主の御声を聞くためには、潔められた生活、主に礼拝をささげる生活をすることが不可欠です。それは、信仰者にとって、神の約束の地に向かっての旅を保証するものとなります。神の御声がはっきりと聞き取れないような信仰生活は危険な状態にあります。今すぐ、潔められて、主と物語ることの生活に入りましょう。それがあなたにとって、天国への道なのです。

あとがき

今回、聖書の探求百号をお送りできますことを感謝致します。一九八四年四月に一号を発行しましてから、はや八年が過ぎました。毎回薄い冊子ですが、創世記、出エジプト記、レビ記と完結して、現在、民数記を進行中ですが、振り返ってみますと、一巻一巻が相当充実したものにできたことを感謝致しております。少しずつの聖書の探求が、これほどの成果になるかと思うと、遅々たる信仰の歩みも、堅実に積み重ねていくと、大いなる歩みに到達できると確信させられます。

最初は数十人の読者でしたが、皆様がお友だちにご紹介下さることによって、現在では百七十人くらいの方が毎月、愛読してくださっています。聖書を真剣に探求される方がいらっしゃることを覚えると、本当に励まされます。最近は、バックナンバーをお求めになる方々が増えて、欠号のものを増刷するほどです。どうぞ、この聖書の探求も主に用いられて、各地で実を結んでいくようにお祈りいただければ幸いです。

(まなべあきら 1992.7.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、イスラエルのティムナ渓谷に造られた幕屋の実物大模型内の至聖所に置かれた「あかしの箱」とその上の二つのケルビム(2013年の訪問時に撮影)


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