聖書の探求(122b) 民数記28~29章 礼拝といけにえについての規定
28~29章は、礼拝といけにえについての規定が記されています。荒野の旅の生活も終わりに近づいていたので、カナン定住生活のために定期的にいけにえをささげて礼拝することが強調されています。
このことは、神がたえず神の民の中に臨在されることを示すためであり、神の民は潔められている必要があることを示すためでした。
教会は、クリスチャンが互いに楽しむためだけでなく、たえずこの二つ、すなわち、神の臨在と自ら潔められていることを強調しなければ、やがて堕落してしまいます。
「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖(あがな)い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。」(テトス2:14)
ここに記されている、いけにえの区分は、
(1)毎日ささげるいけにえ(3~8節)
(2)毎週ささげるいけにえ(9~10節)
(3)毎月ささげるいけにえ(11~15節)
(4)特別な日にささげるいけにえ(28:16~29:40)
特別な日のいけにえは、第一月と第七月に集中しています。
第一月には、過越のいけにえ(28:16、民数記9:1~14)とその後の一週間続く、種入れないパンの祭(17~25節)と初穂の日(26~31節)
第七月には、ラッパの祭(29:1~6節)が第一日に始まります。次に七月一〇日の贖罪の日(7~11節、レビ記16章、23章)、七月一五日から始まる仮魔の祭(12~38節、レビ記23章)です。
こうして一年を六月で半分に区切って、特別な礼拝といけにえをささげることが行われました。これ以外に、各々個人的な潔めに応じて、いけにえがささげられました。
1~15節、礼拝といけにえの重要性(1)
2節で、主は主の民に定期的に礼拝することを強調しておられます。
民 28:1 【主】はモーセに告げて仰せられた。
28:2 「イスラエル人に命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしへのなだめのかおりの火によるささげ物として、わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。
「定められた時に気をつけてわたしにささげなければならない。」の命令は、主がこのご命令を特別に重要なこととして命じておられることを示しています。
礼拝は神と人とが会う、交わる、霊的本質を意味します。もしこの部分が、形式化したり儀式化したり、ただの感情的なものになってしまうなら、神と人との霊的関係は崩れてしまい、私たちは堕落していくのです。まして礼拝をおろそかにし、軽視しているなら、滅びるのは当然です。
今日、クリスチャンと教会の間で、礼拝が軽視されています。それは、安易に礼拝の席を欠席することだけでなく、主とお会いしない礼拝の儀式が平気で毎週繰り返されていることです。教会員が互いに元気な姿を確かめ合い、挨拶を交わすのも大切なことでしょうが、それは礼拝ではありません。主とお会いできていないこと、これが今日、神の民に力がない根本的な原因です。
2節は、28~29章で述べようとされている根本原則であり、それは永遠に不変な、神と人との関係を表す原則です。
この後に記されているいけにえの種類は複雑ですが、これらが示すところの真理は一つです。それは、いつ、いかなる所においても、また定められた時に、必ず主を礼拝すべきことであり、主に対してふさわしいささげ物があることを示しています。
新約においては、罪のためのいけにえはイエス・キリストの十字架で完了しています。
それ故、私たちがささげることができる礼拝のささげものには、賛美のいけにえ(ヘブル13:15)と、自分の献身の生活を生ける供え物として神にささげること(ローマ12:1)が命じられています。
「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(ヘブル13:15)
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)
クリスチャンはこの二つのいけにえを、毎日、毎週、毎月、そして全生涯を通して主にささげる献身の生活を喜んで送るのです。これがクリスチャンの本質的礼拝です。
3~8節は、毎日のささげ物について記しています。
民 28:3 彼らに言え。これがあなたがたが【主】にささげる火によるささげ物である。一歳の傷のない雄の子羊を常供の全焼のいけにえとして、毎日二頭。
28:4 一頭の子羊を朝ささげ、他の一頭の子羊を夕暮れにささげなければならない。
28:5 穀物のささげ物としては、上質のオリーブ油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパとする。
28:6 これはシナイ山で定められた常供の全焼のいけにえであって、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。
28:7 それにつく注ぎのささげ物は子羊一頭につき四分の一ヒンとする。聖所で、【主】への注ぎのささげ物として強い酒を注ぎなさい。
28:8 他の一頭の子羊は夕暮れにささげなければならない。これに朝の穀物のささげ物や、注ぎのささげ物と同じものを添えてささげなければならない。これは【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。
旧約においては、毎日のささげ物は最も重要な意味をもっていました。それは、人が毎日、主に対していかに誠実に生き、規則正しい礼拝をささげるべきかを強調しています。しかも、いけにえは朝夕に一回ずつ、二度ささげています。一日の初めと終わりに主を礼拝することによって、朝は神の整えをいただいて生活を始め、夕は主に感謝をささげて閉じ、明日に備えるためです。こうして毎日、一日一日を最も充実したものとすることができるのです。
この毎日の礼拝を、今日クリスチャンは忘れてしまっているのではないでしょうか。一週間に一度の礼拝で、義務を果たしているかのように思っている信者も少なくありません。もし私たちが朝に主に喜ばれる態度で一日をスタートし、夕に主に喜ぱれる態度で締括ることができるなら、一日中は実に神に喜ばれるものとなり、祝福に満ちたものとなるのは必然的です。私たちがこの大事な毎日の礼拝を怠れば、毎日をむなしく過してしまうのです。
9,10節は、安息日のいけにえについて記しています。
民 28:9 安息日には、一歳の傷のない雄の子羊二頭と、穀物のささげ物として油を混ぜた小麦粉十分の二エパと、それにつく注ぎのささげ物とする。
28:10 これは、常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物とに加えられる、安息日ごとの全焼のいけにえである。
安息日の礼拝については、これまで何度も命じられてきました。安息日のいけにえは毎日のささげ物の二倍をささげるように命じられています。それは神の聖なる日の特別な礼拝であることを表しています。
今日、クリスチャンは主の日の礼拝を特別な礼拝として、心に自覚して、二倍の喜びと感謝と献身をもって主を礼拝すべきです。ただ礼拝の式に出席して帰って行くだけのむなしい礼拝であってはいけません。
11~15節は、月ごとのいけにえが記されています。
民 28:11 あなたがたは月の第一日に、【主】への全焼のいけにえとして若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなければならない。
28:12 雄牛一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の三エパ。雄羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の二エパとする。
28:13 子羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の一エパ。これらはなだめのかおりの全焼のいけにえであって、【主】への火によるささげ物である。
28:14 それにつく注ぎのささげ物は、雄牛一頭については二分の一ヒン、雄羊一頭については三分の一ヒン、子羊一頭については四分の一ヒンのぶどう酒でなければならない。これは一年を通して毎月の、新月祭の全焼のいけにえである。
28:15 常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物に加えて、雄やぎ一頭が、【主】への罪のためのいけにえとしてささげられなければならない。
月の第一日には、安息日よりさらに多くの全焼のいけにえが求められています。主はこうすることによって、一か月ごとに区切って主の恵みを数え、感謝することを教えたのです。
ただ、だらだらと信仰生活を送るのではなく、一か月ごとに恵みを数えて感謝することを教えています。私たちは一か月ごとに会計を整理し、振り返ってみて、主にそれを報告することが求められています。こうして主は、私たちの信仰生涯に区切りをつけて、信仰を新にすることを教えられたのです。
28:16~29:40、礼拝といけにえの重要性(2)
28:16~25 過越のいけにえ
過越のいけにえはエジプト脱出の時に行われましたが、それ以後シナイの荒野を放浪している期間には行われませんでした。それは環境的な理由もあったかも知れませんが、なんと言っても、その主な理由は民の不信仰です。
私たちの生活はいつもイエス・キリストの十字架を忘れず、主の十字架を喜びとし、讃美し、感謝の深まる生活でなければなりません。
「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1:29)
「私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。」(コリント第一5:7)
これらのみことばによって、どんなに大きな恵みをいただいていることでしょうか。
ここでもう一度、過越のいけにえをささげることが求められています。私たちは主に救われ、潔められ、どれほどの聖徒になったとしても、自分がどのような状態の中から主の十字架によって救い出されたかを、決して忘れてはいけません。
「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。」(イザヤ書51:1)
このことを忘れる時、私たちは高慢になり、滅びの子となるのです。
16節、過越のいけにえは、第一の月の十四日にささげるように命じられています。
民 28:16 第一の月の十四日は、過越のいけにえを【主】にささげなさい。
一年の初めに過越のいけにえをささげて、一年を始めることは、非常に意義深いことです。
お互い、この年の初めに、どのような信仰の決意をもって出発したか、もう忘れてしまっているのではないでしょうか。私たちは十字架の信仰をもって一年を始め、その信仰を貫くことができるなら勝利です。
17節、第一月の一五日から七日間、種を入れないパンの祭りが行われます。
民 28:17 この月の十五日は祭りである。七日間、種を入れないパンを食べなければならない。
18、25節、最初の日と七日目は、聖会が聞かれ、どんな労役の仕事もしてはならなかったのです。
民 28:18 その最初の日には、聖なる会合を開き、どんな労役の仕事もしてはならない。
民 28:25 七日目にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。
これは今日のクリスチャンの生き方と反対ではないでしょうか。明らかに人にとって最優先しなければならないことは主を礼拝することであり、労役の仕事はそれに従うものとされています。しかし私たちが物質欲にとらわれる時、主を礼拝することを第二におき、労役を第一に置くようになります。これは滅びのしるしです。
19~24節は、いけにえの規定です。
民 28:19 あなたがたは、【主】への火によるささげ物、全焼のいけにえとして、若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなければならない。それはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。
28:20 それにつく穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパをささげなければならない。
28:21 子羊七頭には、一頭につき十分の一エパをささげなければならない。
28:22 あなたがたの贖いのためには、罪のためのいけにえとして、雄やぎ一頭とする。
28:23 あなたがたは、常供の全焼のいけにえである朝の全焼のいけにえのほかに、これらの物をささげなければならない。
28:24 このように七日間、毎日【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物を食物としてささげなければならない。これは常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物とに加えてささげられなければならない。
26~31節は、初穂の祭り、七週の祭り(出エジプト記34:22)で、これは年の変わり目の収穫祭、ペンテコステの小麦のささげ物であり、使徒2章において、聖霊が降臨されたことを象徴する祭りでした。
民 28:26 初穂の日、すなわち七週の祭りに新しい穀物のささげ物を【主】にささげるとき、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。
28:27 あなたがたは、【主】へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなさい。
28:28 それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。
28:29 七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。
28:30 あなたがたの贖いのためには、雄やぎ一頭とする。
28:31 あなたがたは、常供の全焼のいけにえとその穀物のささげ物のほかに、これらのものと──これらは傷のないものでなければならない──それらにつく注ぎのささげ物とをささげなければならない。
出 34:22 小麦の刈り入れの初穂のために七週の祭りを、年の変わり目に収穫祭を、行わなければならない。
それは豊かな収穫を意味する祭りでした。私たちが聖霊に満たされることは、してもしなくてもいい経験ではありません。これは旧約の祭りにおいて既に予表されていた、クリスチャンには不可欠の経験なのです。十字架の恵みと聖霊に満たされる経験は、私たちにとって不可欠であり、これなしに勝利の生活はあり得ません。
29:1~38は、一年の後半に入る時期におけるささげ物について記しています。
1~6節、第七月一日、ラッパの祭り
民 29:1 第七月には、その月の一日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日としなければならない。
29:2 あなたがたは、【主】へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなさい。
29:3 それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。
29:4 七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。
29:5 あなたがたの贖いのためには、罪のためのいけにえとして、雄やぎ一頭とする。
29:6 これらは、定めによる新月祭の全焼のいけにえとその穀物のささげ物、常供の全焼のいけにえとその穀物のささげ物、および、それにつく注ぎのささげ物、すなわち、なだめのかおりとしての【主】への火によるささげ物以外のものである。
このラッパが何を意味しているのかは定かではありませんが、「祝い」を意味することだけは確かです。上半期が恵みのうちに守られ、下半期に入ることができた喜びを祝うためのものです。
しかしクリスチャンがラッパと言えば、主イエス様の再臨の時に吹き鳴らされるラッパを思い出さずにはおられません。
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。」(テサロニケ第一4:16)
こうして、日々に各自が信仰の勝利のラッパを心のうちに聞きつつ、確かめつつ、前進することはよいことです。
ヨシャパテ王は、主に向かって歌う者たち、賛美する者たちに聖なる飾り物を着けさせ、彼らが喜びの声、賛美の声をあげた時、神は勝利を与えられたのです(歴代誌第二20:21,22)。
Ⅱ歴代 20:21 それから、彼は民と相談し、【主】に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「【主】に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
20:22 彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、【主】は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。
私たちは信仰による勝利のラッパ、すなわち、喜びと感謝のラッパを吹きならしつつ、信仰生活を営みたいものです。
今日、クリスチャンは賛美歌を歌っても、自分の心と生活において、主による勝利の経験が稀薄ですから、力がなく、それ故、さらに勝利も少なくなってしまっているのです。
パウロはいつも次のような勝利のラッパを吹き鳴らし続けました。
「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方(イエス・キリスト)によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)
「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ1:21)
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリビ4:1)
これらはパウロの勝利のラッパです。私たちも復活と主の再臨を待ち望んで、勝利のラッパを吹き鳴らし続けましょう。
7~11節、第七月十日のささげもの
民 29:7 この第七月の十日には、あなたがたは聖なる会合を開き、身を戒めなければならない。どんな仕事もしてはならない。
29:8 あなたがたは、【主】へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなさい。これらはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。
29:9 それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。
29:10 七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。
29:11 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは贖いのための罪のためのいけにえと、常供の全焼のいけにえ、それにつく穀物のささげ物と、これらにつく注ぎのささげ物以外のものである。
この日は「贖(あがな)いの日」であり、罪のための贖いのいけにえがささげられました。それ故、7節で、「身を戒める」ことが付け加えられています。
祭りは喜びに満ちた祝いの祭りであるとともに、罪の贖いのために身をひきしめ、戒める祭りでもあります。この世では、喜びや満足は快楽に陥りやすいのですが、主の民は喜びに満たされつつも、神への敬虔な態度と生活を保ち続けるのです。
12~38節、七月十五日から七日間続けられる祭りと、八日目のきよめの集会
民 29:12 第七月の十五日には、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。あなたがたは七日間、【主】の祭りを祝いなさい。
29:13 あなたがたは、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物として、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛十三頭、雄羊二頭、一歳の雄の子羊十四頭をささげなさい。これらは傷のないものでなければならない。
29:14 それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛十三頭のため、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊二頭のため、雄羊一頭につき十分の二エパ、
29:15 子羊十四頭のため、子羊一頭につき十分の一エパとする。
29:16 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。
29:17 二日目には、若い雄牛十二頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、
29:18 これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。
29:19 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。
29:20 三日目には、雄牛十一頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、
29:21 これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。
29:22 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。
29:23 四日目には、雄牛十頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、
29:24 これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。
29:25 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。
29:26 五日目には、雄牛九頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、
29:27 これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。
29:28 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。
29:29 六日目には、雄牛八頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、
29:30 これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。
29:31 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。
29:32 七日目には、雄牛七頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、
29:33 これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。
29:34 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。
29:35 八日目にあなたがたはきよめの集会を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。
29:36 あなたがたは、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物として、全焼のいけにえ、すなわち、雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなさい。
29:37 これらの雄牛、雄羊、子羊のための、穀物のささげ物と注ぎのささげ物とは、それぞれの数に応じて定められる。
29:38 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。
七日間のいけにえの内容については、13~34節までに記されており、特徴としては、雄牛だけが1日ごとに一頭ずつ減っています。
八日目のいけにえについては(36節)、その前の七日間のいけにえとの関連はないようです。
この祭りは、仮庵の祭りとして知られており、年間の祭りの中でも、最もいけにえの多い祭りです。イスラエルの第一月(正月)は今日の三~四月頃ですから、第七月は今日の九月後半から十一月初め頃に当ります。この時期は一年中でも最も収穫の多い時期で、民は精一杯の感謝を主に表したのです。
私たちは、主に多くささげられる時期もありますが、多くささげられなくなる時期もあります。ささげられる時には、喜んで精一杯の感謝を主に表したいものです。
「さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。」(コリント第二8:1~5)
39~40節、公の礼拝と個人礼拝
礼拝はどれも、ささげ物なしに行われているものはありません。パウロは、「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」(ローマ12:1)と言いましたが、私たちは自分を神にささげる献身と、讃美と感謝を神にささげ、また献金のささげ物だけでなく、自己犠牲的奉仕のささげ物をもって神を礼拝することを覚えなければなりません。
39節では、公の礼拝と個人礼拝とは別であることを示しています。
民 29:39 あなたがたは定められた時に、これらのものを【主】にささげなければならない。これらはあなたがたの誓願、または進んでささげるささげ物としての全焼のいけにえ、穀物のささげ物、注ぎのささげ物および和解のいけにえ以外のものである。」
定められた主の日の公の礼拝をすることによって、それを個人礼拝の代わりにして、日常の個人礼拝をおろそかにしてはいけません。個人礼拝は、毎日、各々の生活を主にささげることによって行われ続けなければなりません。
民 29:40 モーセは、【主】がモーセに命じられたとおりを、イスラエル人に告げた。
この訓戒をもって、礼拝の定めは閉じられています。
(まなべあきら 1994.5.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)
上の絵画は、Caspar Luykenの聖書の挿絵より「The tabernacle(幕屋)」(Phillip Medhurst Collection、Wikimedia Commonsより)
「聖書の探求」の目次
【月刊「聖書の探求」の定期購読のおすすめ】
創刊は1984年4月1日。2021年9月現在、通巻451号 エズラ記(7) 4~6章、まだまだ続きます。
お申し込みは、ご購読開始希望の号数と部数を明記の上、振替、現金書留などで、地の塩港南キリスト教会文書伝道部「聖書の探求」係にご入金ください。
一年間購読料一部 1,560円(送料共)
単月 一部 50円 送料84円
バックナンバーもあります。
(複数の送料) 3部まで94円、7部まで210円.多数の時はお問い合わせ下さい。
郵便振替00250-1-14559
「宗教法人 地の塩港南キリスト教会」
発行人 まなべ あきら
発行所 地の塩港南キリスト教会文書伝道部
〒233-0012 横浜市港南区上永谷5-22-2
電話FAX共用 045(844)8421