音声:信仰の列伝(45) 「喜び踊ったダビデ」(サムエル記第二、6章)へブル人への手紙11章32~34節

2017年6月25日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

へブル人への手紙11章32~34節
11:32 これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。
11:33 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、
11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
【新改訳改訂第3版】

<インフォメーション>

彼(ダビデ)に、力の限り喜び踊る信仰生活をさせた信仰とは、 第一に、神のみことばに忠実に実際に生きたことです。みことばに忠実でなかった時には、罪のさばきを受けてしまいました。聖書は、読んで、覚えて、理解するだけでなく、信じて、自分のたましいの内に受け入れて、自分の人格として、忠実に生活に活用して下さい。そうすれば神の光を受け、真理の奥義を経験し、御霊の証しを受けます。

第二に、イエス・キリストの臨在を、自分の人格で受け止めて、内に経験することです。どうすれば、キリストが内にいて下さることを知ることができますか。それは、聖霊によって自分の心に与えられている神の愛を使って、隣人を愛することです。神の愛は、他の人に分かち与えないと、失われていきます。洗礼を受けて満足している人がいるようですが、信仰は、他の人の徳を建てるために使わないと、失われていきます。

ヤコブは「行ないのない信仰は死んでいる」(ヤコブ2:26)と言いました。

Ⅱコリント4:7の土の器の中に入れている宝は、その宝を使って働き出す時、その力が私から出たものではなく、神のものであることが、明らかになるのです。

キリストの臨在は、キリストのご人格、即ちキリストの御霊が私のたましいの内に、即ち私の人格の内にいるようになることですから、先ず、自分の内に受け入れる信仰が必要です。

また人格は飾りの置物のように、一回置けばずっとそこにあり続けるものではありません。キリストのご人格の聖霊は、生きておられる御霊ですから、私の人格の中にあって、私を用いて働かれます。これを私が拒むと、キリストの御霊は去って行かれます。そして私のたましいは、自分中心の肉の欲になってしまうのです。こうならないためには、主に忠実に信仰を活用することです。

第三に、自分に与えられた祝福を、分かち与えることです。ダビデは自分が喜んだだけでなく、イスラエルの全ての人に、恵みを分かち与えています。

「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、『あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。』と書いてあるとおりです。」(ローマ15:1~3)

主を証しするとは、救いの教理を教えることだと思い込んでいる人がいますが、それはたましいが渇いて、救いを受けた人に必要なことです。

先ず、自分が受けたキリストの平安、喜び、愛を与えましょう。身近な家族や友人たちは、私が喜びを分かち合うことによって、キリストの愛を知るようになるのです。

先ず、私が力の限り、喜び踊る生活を始めましょう

<今週の活用聖句>

ペテロの手紙第一、1章8~9節
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びに踊っています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」

上の写真は、フランスの画家James Tissot (1836–1902)による「David Dancing before the Ark(契約の箱の前で踊るダビデ)」(New YorkのJewish Museum蔵)

地の塩港南キリスト教会
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