聖書の探求(287) サムエル記第一 15章1~9節 神によるアマレク全滅の命令、サウルの不従順

「King Saul attacks the Amalekites(サウル王はアマレク人を攻撃する)」Biblical illustrations by Jim Padgett, courtesy of Sweet Publishing(freebibleimages.orgより)


主はもう一度、サウルに、主に忠実さを現わすチャンスを与えられました。それはアマレクとの戦いにおいて、実際の働きで現わすことが求められたのです。

「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」(ヨハネ第一 3:18)

私たちの信仰は、熱心な祈りの言葉や親切な言葉だけで、実際の愛と真実な行ないが伴わないなら、信仰と言うことができません。ヤコブは、「行ないのない信仰は、死んでいるのです。」(ヤコブ2:26)と言っています。ですから、出来、不出来は別として、私たちが実際の生活の中で、自分の信仰を活用していくことを、主はご覧になりたいのです。

残念ながら、サウルは再度与えられたこのチャンスにおいて、「アマレクとの不徹底で、不忠実な戦い」をしてしまったのです。それによって、サウルは主に忠実な信仰者ではなくて、自分の思いと考えを優先させる、自分中心で、高慢で、主に不従順な性質の人間であることを現わしたのです。

15章の分解

1~3節、神によるアマレク全滅の命令
4~9節、サウルの不従順
10~23節、サムエルの譴責
24~31節、主はサウルを捨てられる
32~33節、アガグの断罪と処刑
34~35節、サウルのための悲しみと悔い

1~3節、神によるアマレク全滅の命令

サムエルは、主からの命令としてサウルにアマレクを打つための出兵を命じています。

Ⅰサム15:1 サムエルはサウルに言った。「主は私を遣わして、あなたに油をそそぎ、その民イスラエルの王とされた。今、主の言われることを聞きなさい。

この時、サムエルは「主は私を遣わして、あなたに油をそそぎ、その民イスラエルの王とされた。」と言って、サウルに、王として主から任命されたことの重大な使命と任務とを再確認させ、その忠実な使命感を呼び起こそうとしています。

「今、主の言われることを聞きなさい。」これは、これからサムエルが語る言葉をサムエルの言葉として聞かず、主のご命令として聞き、それを忠実に果たすように求めているのです。これを最後まで忠実に成し遂げるなら、サウルは再び、主との交わりを回復し、忠実な主のしもべとしての王となり、サウルの家も、イスラエルの民も栄えるようになります。サウルに最後のチャンスが与えられたのです。

2節、万軍の主の怒りの御目は、アマレクに向けられていました。

Ⅰサム 15:2 万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、イスラエルがエジプトから上って来る途中、アマレクがイスラエルにしたことを罰する。

その理由は、「イスラエルがエジプトから上って来る途中、アマレクがイスラエルにしたことを罰する。」と言われています。

アマレク人は邪悪で戦いを好む民でした。聖書中、アマレクが最初にイスラエルを襲った記事はレフィディムでの戦いです(出エジプト記17:8~13)。このアマレクについて、次のように言われています。

「アマレクは国々の中で首位のもの。しかしその終わりは滅びに至る。」(民数記24:20)

更にモーセは、この度サウルに命じられたアマレク征伐を、次のように預言しています。

「あなたがたがエジプトから出て、その道中で、アマレクがあなたにした事を忘れないこと。彼は、神を恐れることなく、道であなたを襲い、あなたが疲れて弱っているときに、あなたのうしろの落後者をみな、切り倒したのである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、あなたの神、主が、周囲のすべての敵からあなたを解放して、休息を与えられるようになったときには、あなたはアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない。これを忘れてはならない。」(申命記25:17~19)

主は、モーセを通して語られたことを、ここで実行されようとしておられるのです。それをサウルの信仰を回復する機会として与えることによってです。主のみこころはなんと深く、測り難いことでしょう。

「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ11:33~36)

アマレク人はレフィディムではイスラエルに敗北しましたが、第二回目の戦いの時には(民数記14:43~45)、イスラエル人が主に背いて従わなかったので、主がイスラエル人とともにおられず、アマレク人とカナン人はイスラエル人を打ち、ホルマまで追い散らして、勝利を収めています。

第三回目は、モアブの王エグロンがアモン人とアマレク人と連合してイスラエルを攻めて打ち破った時です(士師記3:13)。

この他にも常時、アマレク人はミデヤン人や東の人々と連合してイスラエルを襲い、穀物や家畜を略奪していたのです(士師記6:3~5,33、7:12、10:12)。

アマレク人もペリシテ人と同様に神と神の民の宿敵となった人々です。

3節、このようなアマレク人に対して、主はサウルに徹底攻撃の命令を下したのです。

Ⅰサム 15:3 今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。』」

サウルは主に選ばれた王として、その責任を忠実に果たすことが求められたのです。しかし、それはサウルが主に忠実であることを実際に示すチャンスだったのです。

主のご命令は「聖絶せよ」でした。この語のヘブル語は「カラムあるいはケレム」で、文字通りには、「厳重に禁止する」という意味です。これは通常、神の審判によって破壊されるか、神の特別な所有物となる物や人に対して使われます。それは、からだの中に有害なガンのような細胞が出来ると、それが広がって、からだ全体に死を招くので、徹底的に外科手術によって取り除くようなことを言っています。アマレク人の存在は、神の民イスラエルだけでなく、すべての人々の平和な生活に対してガンのような存在だったのです。

「男も女も、子どもも乳飲み子も」は、後にアマレクの子孫が勢力を盛り返して、再び逆襲する危険があったからです。後半の家畜類をみな殺せと命じられているのは、この戦いが単なる戦利品目当ての略奪でないことをすべての民に明白に自覚させるためです。それでイスラエル人に戦利品を取らないように命じられたのです。すべての生きているものは剣にかけて殺され、火で燃えるものは、すべて焼き尽くされ、金、銀、青銅、鉄は主に献納されるように定められていたのです。これが「聖絶」の意味です。

この点において、サウルは徹底的に主に忠実ではなかったのです。その結果がやがて現われることになります。

エステル書のハマンは、アマレクのアガグ人の子孫で、ユダヤ人全滅をはかった人物です。ハマンはサウルの不徹底さによって残ったアマレク人の子孫だったのです。そのハマンによって危くユダヤ人は全滅しそうになったのです。

これを霊的に当てはめるなら、不徹底な信仰の故に私たちの内にわずかの罪を残しておくなら、それがやがて自分自身を滅ぼしてしまう恐ろしい原因となることを教えているのです。ですから、主に心を全く明け渡して、主に全く信頼し、日ごとに主が自分の内に満ちていて下さる生活をすることが大切なのです。

4~9節、サウルの不従順

4節、サウルは自分の軍隊となる民をテライムに集めています。テライムは現在、その地を確認することができていません。

Ⅰサム 15:4 そこでサウルは民を呼び集めた。テライムで彼らを数えると、歩兵が二十万、ユダの兵士が一万であった。

兵として集まった民は、ユダ族以外の民が二十万人、ユダ族からは一万人でした。サムエル記の記者がここに、ユダ族と他の部族を別々に記しているのは、この二つのグループに別々の動きが見られたからでしょう。そしてユダ族からの参加者が少ないことも、ユダ族の中にはサウル王の不忠実な行動に不満を持ち、協力しない者が出ていたことを示しています。ここにはすでに、やがてイスラエル王国が分裂してしまう部族間の亀裂を見ることができます。

5節、サウルはアマレクの町に行って、谷で待ち伏せして、不意打ちの攻撃をかける戦略を取っています。

Ⅰサム 15:5 サウルはアマレクの町へ行って、谷で待ち伏せた。

6節、サウルはアマレク人の居住地の中に住んでいたケニ人に、「アマレク人の中から離れて下って行きなさい。」と警告しています。

イスラエルがアマレクを全面攻撃した時、アマレク人と一緒に殺してしまう危険性があったからです。

Ⅰサム 15:6 サウルはケニ人たちに言った。「さあ、あなたがたはアマレク人の中から離れて下って行きなさい。私があなたがたを彼らといっしょにするといけないから。あなたがたは、イスラエルの民がすべてエジプトから上って来るとき、彼らに親切にしてくれたのです。」そこでケニ人はアマレク人の中から離れた。

ケニは、「鍛冶屋」という意味で、一般に南パレスチナとシナイ半島に住んでいる半遊牧民で、その地方には古くから銅が産出していました。彼らはアブラハムの時代にはすでにカナンの地に住みついており、彼らがペリシテ人に鍛冶屋の技術を教えたものと思われます。ケニ人は鍛冶屋を職業としていたことから、ペリシテ人やミデヤン、アマレクとの関係を持っていたのです。

士師記1章16節には、「モーセの義兄弟であるケニ人の子孫」とあり、士師記4章11節では、「ケニ人へベルは、モーセの義兄弟ホバブの子孫のカインから離れて」とあり、イスラエルとも友好な関係を保っていたのです。サウルはイスラエルがエジプトから出て来た時から荒野の旅の間中イスラエル人を助け、道案内をし、味方になってくれていたことを忘れていなかったので、ケニ人に危害が及ばないようにと配慮したのです。

Ⅰサム 15:7 サウルは、ハビラから、エジプトの東にあるシュルのほうのアマレク人を打ち、

ハビラはアラビヤ砂漠のかなり広い範囲を指していますが、ここではアマレク人の居住地に近い、シナイ半島に近いハビラのことと思われます。シュルはエジプトの東にある地で、紅海からペリシテ人の地に向かう道のすぐ南に接する地域です。サウルはこの地域のアマレク人を打ったのです。この地域はエジプト東部に至る要塞となっていたのです。

8節、サウルはアマレク人に猛攻撃を加えて、アマレクの民を残らず剣の刃で聖絶したと記していますが、アマレク人の王アガグを生け捕りにしています。

Ⅰサム 15:8 アマレク人の王アガグを生けどりにし、その民を残らず剣の刃で聖絶した。

9節では、その理由を記しています。

Ⅰサム 15:9 しかし、サウルと彼の民は、アガグと、それに、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しみ、これらを聖絶するのを好まず、ただ、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶した。

「サウルと彼の民は」とありますから、サウルが命じたのか、民の方から進言してサウルがそれを受け入れたのかは分かりませんが、両者ともに、主のご命令に不忠実、不徹底だったのです。彼らは主のご命令と信仰を、自分の肉の欲と知恵で水増しして、うすめて考えて行動したのです。

主は、「アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。」(3節)と命じられたのに、彼らは自分たちの肉の判断で、王のアガグと、肥えた羊や牛、子羊など、最も良いものと思われるものを殺すのを惜しんだのです。ただ、普通の、特に価値のないものだけを殺したのです。彼らは神のご命令に忠実になることよりも、自分の考えを優先させることによって、決定的に主を悲しませ、サウルは主から捨てられてしまったのです。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を知恵ある者と思うな。主を恐れて悪から離れよ。」(箴言3:5~7)

おそらくサウルは、アガグをサムエルの前に連れて行って自分の手柄にし、肥えた羊や牛を連れて行けば、サムエルが喜んで迎えてくれると、考えたのでしょう。それはサウルの肉的な考えです。主が喜ばれるのは、主のご命令に忠実に歩んでいることです。

「あなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます。」(ヨハネ第二 4)

「私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。」(ヨハネ第三 4)

「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」(創世記17:1)

あとがき

新年おめでとうございます。今年も聖書の探求を初め、様々な奉仕をさせていただきますので、お祈りに覚えていただけると幸いです。

読者の方々から、励ましのお便りもいただき、力づけられています。
「聖書の探求を一年間しみじみと味わえて感謝でした。」「みことばを通して主イエスさまを知ることがなくなる時代、すべてがイベント的人集めのため世の中のやり方と変わらない時代、イエスさまが今生きている信じる者と共に働くことが忘れられて行く時代の中で、皆様の働きが益々用いられて行きますように祈ります。」
このようなお便りには本当に力づけられます。
私たちも微力ながら、主から力をいただいて働きますので、どうぞ皆様の応援をよろしくお願い申し上げます。

(まなべあきら 2008.1.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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