週報No.2501 詩篇(190)詩篇69篇13~21節「神を待ち望む」

2025年6月8日(日) 午前10時半

奏  楽
頌  栄   すべてのものみな          1番
讃  美   おゝ恵みはあふる        403番
使徒信条
讃  美   ハレルヤうたって        407番
聖書交読   イザヤ書30章18~26節
祈  祷
主の祈り
讃  美   この世の愛は          408番
聖書朗読   詩篇69篇13~21節
メッセージ  詩篇(190)         眞部明牧師
「神を待ち望む」
讃  美   キリストの働きをするに     410番
献金・感謝
頌  栄   みたまの交わり           4番
祝  祷

詩篇69篇13~21節
69:13 しかし【主】よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。
69:14 私を泥沼から救い出し、私が沈まないようにしてください。私を憎む者ども、また大水の底から、私が救い出されるようにしてください。
69:15 大水の流れが私を押し流さず、深い淵は私をのみこまず、穴がその口を私の上で閉じないようにしてください。
69:16 【主】よ。私に答えてください。あなたの恵みはまことに深いのです。あなたの豊かなあわれみにしたがって私に御顔を向けてください。
69:17 あなたのしもべに御顔を隠さないでください。私は苦しんでいます。早く私に答えてください。
69:18 どうか、私のたましいに近づき、贖ってください。私の敵のゆえに、私を贖ってください。
69:19 あなたは私へのそしりと、私の恥と私への侮辱とをご存じです。私に敵対する者はみな、あなたの御前にいます。
69:20 そしりが私の心を打ち砕き、私は、ひどく病んでいます。私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。慰める者を待ち望みましたが、見つけることはできませんでした。
69:21 彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

13~21節、神を待ち望む

作者は、3節にあるように、神に呼ばわって待ち望み、心身ともに疲れ果て、衰え果てていました。それにも拘らず、作者の主に対する信頼は、微動だに揺るぎませんでした。外部からの恥辱や迫害は、作者の堅実な信仰を弱めることができませんでした。

 「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2)

 「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)

 「あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。』私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(へブル10:34~39)

あらゆる苦難は、神が祈りに答えてお救い下さり、神の約束の真実であることが示されるなら、苦難はみな消え失せてしまいます。

13節と14節は、「私」が救われることと、神の「御救い」が強張されています。
これは、1節の「神よ。私を救ってください。」と呼応しています。
1~12節と、18~21節を巧みに対照して、注目させています。

13節「しかし主よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。」

13節の「みこころの時」は、「神に祈ることができる時」です。

私たちが祈る時の、手がかりは、
13節の、「豊かな恵み」です。恵みは、出来のいい人に与えられる働きの報酬ではなく、何の働きもない者にも、求める全ての人に与えられる、神の愛とあわれみの賜物です。

もう一つは、「御救いのまこと」です。これは、だれでも約束のみことばを信じるなら、救われることです。神のみことばの真実さを保証しています。

これらの二つについて、16節では「恵みはまことに深い」「豊かなあわれみ」と表現しています。

約束のみことばを信じて、主のあわれみにお頼りして祈るなら、主は祈りに答えてくださいます。

14節「私を泥沼から救い出し、私を沈まないようにしてください。私を憎む者ども、また大水の底から、私が救い出されるようにしてください。」

2節の「私は深い泥沼に沈み、足がかりもありません。私は大水の底に陥り、奔流が私を押し流しています。」という表現は、非常に危険な経験を、事実として語るにとどまっていますが、14節最初の行の「泥沼から救い出し」は、一大変動を求める祈りに変わっています。

1~3節の「のどまでの水」「深い泥沼」「大水の底」「奔流」という言葉は、比喩的に使われていますが、それらは全て、最後の行き詰まりを意味していました。

しかし、13、14節では、決して動くことがないと思われてきた苦難が、信仰が働くと救出可能な困難に変わってきます。大山も、海に移すことができるようになります(マルコ11:22~23)。

15節「大水の流れが私を押し流さず、深い淵は私をのみこまず、穴がその口を私の上で閉じないようにしてください。」

神が御手を加えられると、「大水の流れ」も「深い淵」も、「穴」もその力を失ってしまいます。

「深い淵」「穴」は、墓、あるいは死を意味します。
神が御手をもって働かれるなら、古い価値、古い支配力、古い生まれながらの性質、古い危険性、古い意味などは、全てその効力を失います。全てがキリストにあって、新しくされるのです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)

彼は、泥沼の中でしばらくの間、必死にもがき、大声をあげて人の助けを求めていましたが、やがて、声は衰え、力が抜けて、動きも鈍くなり、絶望を味わい、死を覚悟したのです。
作者は、人の助けを求めてもむなしいことを思い知らされたのです。

しかし、ありがたいことに、絶望の中にも、希望が残っています。
…… 目を、天に注ぐことができたのです。……

<今週の活用聖句>

へブル人への手紙12章2節
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」

<お知らせ>

毎週水曜日の聖別会は、5月をもって終了させて頂きました。
メッセージのプリントは、発行し続けますので、ご希望者は、お申し出下さい。

地の塩港南キリスト教会
〒233-0022 横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421
牧師 眞部 明

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