書籍紹介 「人を動かす愛 (対人関係の秘訣)」 

まなべあきら著 新書判 96頁

必ず、お役に立つ、ロング・ベスト・セラーです。
本書は聖書から対人関係の秘訣をわかりやすく解説しています。

 

 

 

目次

1章 一晩おけ

1、絶対議論しない
2、相手の間違いを露骨に正さない
3、負けるが勝ち
4、売り言葉に買い言葉
5、適切な質問を繰り返すこと
6、押し付けずに、悟らせよ
7、遠まわしに注意しよう
8、自分が未熟だった頃を思い出そう
9、自発性を重んじる
10、相手の気持ちを踏みにじらない

2章 ほめることと励ますこと

1、スマイルを忘れない
2、相手の名前を使う
3、真心をもってほめる
4、正義感や美しい心情に訴える
5、欠点があっても、まず励ますこと

3章 相手になりきれ

1、こちらから関心を示せ
2、よい聞き手になる
3、相手に話すチャンスを与えよ
4、相手の身になって考える
5、十分に同情しよう
6、相手の心を動かす手紙の書き方

一部抜粋

なぜ、この題目について書いたのか?

 ある集会の後、ひとりの婦人が私の所に近づいてきて言いました。「先生、本当に対人関係はむつかしいですね」と。私はじっとその婦人の顔を見ていると、何のことだかすぐに分かりました。「その対人関係とは、御主人とのことではありませんか。」「ええ、まあ、実はそうなんです。」

 対人関係というと、職場でのことだとか、友人関係のことだとか、外側の人との付合だけに考えられがちですが、どうしてどうしてこの婦人のように、夫婦の対人関係、親子の対人関係、兄弟親族との対人関係も仲々複雑です。勿論この上に、外の人との大小様々の対人関係が加わってくるのですから、私達の一生涯は対人関係によって成立っている、と言っても言い過ぎではないでしょう。

 人間は生きている限り、誰かの世話になり、誰かと付合わなけれはなりませんから、対人関係を無視して、自分の人生を考えることはできません。否、対人関係は人生の最大の重荷だと、年を取れは取るほど思うようになってくるでしょう。

 この文章を書いている今日この日、私は領収書をも持って帰ってしまった運送屋さんに、電話をかけました。「こちらは、まなべですが・・・・」、すると女子事務員の人から、「あんたの名前は?」とかえってきました。本人は少しも悪い所に気が付いていない様子、なぜなら非常に快活に話しているからです。しかし私は、「なんだ、誤ちを犯したのはそっちじゃないか。それをわざわざ知らせたのに、『あんたの名前は?』とは、けしからん!」という気にならないでもなかったのです。どうして、「申し分けありません。只今伝票を調べてみますので、お客様のお名前をお聞かせ頂けないでしょうか?」と言えないものでしょうか? それなら、こちらも「誤ちは誰にでもあるもの、またこの運送屋さんにお願いしよう」と思うものです。私達にも、このように心掛ける訓練が出来ていない面が、ありはしないでしょうか。この一寸した親切な心掛けが出来ていなかった為に、離婚したり、親子の断絶が生じたり、取引きを失敗したり、会社が嫌になってやめなければならなくなったりするのです。

 先日、教会で使っているカセットコーダーの調子がおかしくなりました。まだ買って三ケ月ばかりのメーカー品です。早速、教会員の方が買った店に持って行って、みてもらったのです。結果は、コーダーには異状はなく、テープに問題があったのです。しかし、その時応待に出た店員の胸には、「親切係××××」と書いてあり、決してこちらのテープが悪いとは言わないのです。ただ「これは千五百円のテープですが・・・・。」と言って、それを入れて録音してみます。異状なし。結局こちらが「それじゃ、うちのテープが悪いのかしら?」と言うと、親切係さんはニコ二コしながら、「どうもそのようですね。ついでに中の電池もお取替えしておきましょう。」という具合で、電池まで取替えてもらったということです。商売の上とはいえ、実によく訓練されていると思いませんか。

 もし、私達の生活が孤立しては営めないのなら、「対人関係」の問題をもっと深く考え、実行に移していく必要があるのではないでしょうか。私は、この対人関係の問題を心から真剣に取組んでいくなら、すべての人が平安な人生、成功せる人生を歩んでいけると確信しております。しかし私は、この道の専門家でほなく、ただ聖書を読んで教えられたこと、あるいは牧師としての職務の上から経験して学んだことを書いたまでですので、十分でない点も多くあると思います。読者の皆様のご叱責やご感想をお寄せ頂けれは幸いです。

 なお、付け加えさせて頂きたいことは、私自身今も失敗を重ねつつ、この対人関係の問題に取組んでいるということです。共に励もうではありませんか。

1980年6月2日
著者 真部明

第一章 一晩おけ

 『男は、怒ったり言い争ったりすることなく』テモテへの手紙第一 二章八節

 『主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。』テモテへの手紙第二 二章二四~二五節

 人間は、決して「自分が悪い」とは思いたがりません。これは人間共通の性質です。全ての犯罪人は、社会が悪かったので、こうなったと主張します。私達ほどうでしょうか。私達はいつも、こう思っています。「自分にも多少の誤ちがあったことは認めるが、そんなに非難される程ではない」と。これは全ての人間が心の中で主張し続けているのです。ですから人と接する時には、「この人も私と同じく自分が悪いとは思いたくない人間なのだ」ということを、心に刻みつけておきましよう。

 他人のあらさがしをして、非難するのをやめましょう。非難は、相手に防御体制をとらせ、相手を正当化させ、その自尊心を傷つけて、あなたに対する反抗心を起させるだけです。大体手厳しい非難や詰問は、害あって益なしです。非難することは、相手の自尊心というダイナマイトに火をつけることです。あなたの非難が相手に的中していればいる程、爆発は激しいのです。時には相手の生命を奪うことにもなります。将来に向って成長している青少年に対して、このような厳しい非難の攻撃を加えるなら、自殺に追込むか、活動意欲を粉砕してしまいます。

 どんな学者や立派な人と思われる人と接する時にも、決して相手を論理的な人間と思ってはならないのです。人間は感情の動物であり、自分に対してほ近眼、他人に対しては乱視と偏見の持主です。また自尊心と虚栄心を宿していることを忘れてはなりません。

 あなたがこのような人を正面から非難するなら、彼はあなたを、生きている限り恨みつづけるでしょう。他人を非難したくなったら、コンクリートの壁にポールを投げつければ、必ずそれがあなたに跳返ってくることを思い出して下さい。相手の心はコンクリートより固く、素直にあなたの非難を受け入れることが出来ないのですから。コッピドク人の誤ちを正したり、やっつけたり、嘲笑ったりすると、結局恨まれるだけです。人のあらさがしをするのをやめましょう。人の悪口を言うのをやめましょう。人を非難したがるのは、知恵のない愚か者のすることです。

 聖書は、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量(はか)るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイの福音書7章1,2節)と警告しています。私達は他人を非難したがりますが、自分も非難されるべき同じ事をしているのです。非難されるべき人ほど、自分のことを棚にあげて、他人のことを言いたがるのです。

 不満がつのってきた時は、この章の題を口づさんで下さい。「一晩おけ。」一晩寝てみると、熱も冷めて、冷静に考えられるようになります。腹が立っている時には、人に会ったり、手紙を書いたりしてはいけません。決して正しい判断ができません。急がないで、一晩眠るのです。そして翌朝静かに、今度は相手の立場に立って考えるのです。聖書はこの態度をすすめています。この点からみても聖書は、対人問題の最高の教科書といえます。そのいくつかの聖句を挙げてみましょう。

 「あなたの隣人を自分と同じように愛せよ」 (マタイの福音書22章39節)

 自分を愛していない人は誰もいないのです。聖書は、相手を自分の位置において愛するように、教えています。

 「何事でも自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」(マタイの福音書七章一二節)

 これは黄金律として、よく知られている言葉ですが、活用している人はあまりありません。この聖句は、覚えるだけでは意味がありません。実行する時に、黄金の価値があるのです。

 「自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。」 (ビリピ人への手紙二章四節)

 「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても互いに赦し合いなさい。」(コロサイ人への手紙三章一三節)

 自分を相手の立場において、考えてみましょう。

(1) 彼はどうして、そうしなけれはならなかったのでしょうか?
(2) あなたが彼の立場であれは、同じ事をしなかったでしょうか?
(3) 彼の性質はどんな性質でしょうか? 気が小さかったり、忍耐深くないなら、そうする以外に 仕方がなかったのかもしれません。
(4) しかも事は既に手おくれになってしまっで、非難しても回復の見込みはないのではありませんか?
(5) 今あなたが彼を激しく非難すれは、あなたの気持はおさまるかもしれません。しかし彼はあなたに反感をもち、自分を正当化して、あなたを去って行くだけです。

 争う気持をすてて、愛をとりましょう。争って心の平安を失うなら、ケーキのクリームの部分を奪われるようなものです。心の平静を失ってはなりません。人は立場が代れば、相手と同じことをするのですから。そして、「こんな時イエス・キリストならどうするか?」を考えてみましょう。イエス・キリストの絵を一枚買ってきて(教会に頼めば紹介してくれます。その下に前の聖句を書きいれて、あなたの部屋にはっておくとよいでしょう。イエス・キリストは十字架の上から、ご自分を釘づけた人々を、おゆるしになるお祈りをされたのですから、あなたもそれにならうのです。

 『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』と。イエス・キリストは、七度を七十倍するまで、即ち制限なしにゆるせ、とおっしゃいました。

 聖書は、「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁(横木)には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれは、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイの福音書七章三~五節)と言っています。他人の欠点を直そうとするより、まず自分の欠点を直すことです。この方がよほど益があり、うらまれる心配もなく、相手にも益を与えるのです′。

 これが対人関係をよくする、唯一にして確実な方法です。対人関係は、相手を変えるのではなく、自分を変えるのです。これは鉄則です。相手を変えようと思えば、あなたと接する全ての人の心をペンチで無理矢理にひねらなけれはなりません。これは不可能です。しかしあなた自身を変えるなら、最も安全で、あなた次第で確実に変えられるのです。しかも自分一人を変えることによって、全ての対人関係を変えることができるのです。まず、こちらが変るのです。そうすれは、相手も徐々に変ってきます。

 人を非難する代りに、相手を理解するように努めましょう。同情と寛容と忍耐をもって、すべてをゆるすのです。すべてを寛容にゆるすことのできる人は、すぐれた品性をもつ、偉大な人です。人間の偉大さは、自己否定と他人をゆるすことによってはかられます。更に、新約聖書コリント人への手紙第一 一三章四~七節をお読み下さい。

以上、一部抜粋